風呂上がりのひと時
「なんか僕さ、どっと疲れたよ……」
「ほんとだよ。なんで一時の癒しを求めに来て疲れなきゃならねえんだっての……」
「そう? 僕はかなり癒されたけどね? 気の持ちようとか、考えようじゃない?」
肩を落とす黎二と、椅子の背もたれに首を預けて目隠しをする水明、けらけらと笑っているエリオットの三人。
男性陣がそんな話をしている一方、女性陣は何事もなかったかのように、みんな揃って食堂で休憩中だ。
フェルメニアや初美が、テーブルの上に現代日本から持ってきたお菓子を広げる。
「あっ! チョコ! チョコレート!」
チョコレートを見つけた瑞樹が、ぱあっと顔を輝かせる。
久しぶりの甘味に、彼女の興奮もひとしおだ。早く手を付けたくて仕方がないといったように、手をパタパタと動かしている。
「甘い香りがしますが、これはそれほどのものなのですか?」
「そうだよ! ティア、グラツィエラさんも食べて食べて!」
「では……」
「ふむ。いただこうか」
そんな風に、わいきゃいしている異世界居残り組の女子三人。「これは……」「ほう……」と言って、一口、また一口とチョコを口へ運んでいる。
水明が瑞樹に向かって言う。
「米も味噌も出汁も用意してるからな。和食も食えるぞ」
「水明君グッジョブだよ!」
「これで許してくれるか?」
「ダメに決まってるでしょ。一生根に持つんだから」
瑞樹がにこにこしながらそう言う一方で、水明は眉をへの字にする。今後何かにつけて色々と言われたり請求されたりするのだろうかと思いながら助けを求めて黎二を見るが、彼は自業自得だとでも言うように目を瞑った。この件に関して、味方はいないらしい。
初美が疑問を口にする。
「ところで、マリーちゃんはどうしたの?」
「ハイデマリーは、いまは、お休み中、です」
「風呂に入ったら眠くなったそうだ。基本おねむが多いからなあいつは」
その話の通り、ハイデマリーは風呂から上がってすぐにお休みモードに入ってしまった。髪を魔術で乾かしたあと、どこでも出せる『自分の部屋』に引きこもってしまった。
「さあ皆さん、メインですよ」
フェルメニアが大皿を持ってくる。
そのうえに乗っているのは、現代日本から持ってきたケーキだ。
「わっ、ケーキだ! ケーキ!」
「すごい。ケーキまで持ってきたんだ……」
これには瑞樹だけでなく、黎二も嬉しそうな顔を見せる。チョコレートもいいが、やはりケーキは別格だ。様々なホールケーキが複数並び、テーブルの上が一層華やかになる。
そんな中、皆で分ける分とは別に、フェルメニアは個人で買ったケーキをティータニアに差し出した。
フェルメニアがお小遣いで買った、ちょっと豪華なやつである。
「姫殿下にはこれを」
「これは……」
ティータニアはケーキを見て、目を輝かせる。
しかし、何を思ったのかその輝きはすぐに褪せてしまった。
「……王都がこのような状況なのに、このような贅沢をしてよいものなのでしょうか」
「何をおっしゃいます。姫殿下は誰よりもお働きになっているではありませんか」
「ですが」
「姫殿下、英気を養うのも戦いでございます。これも戦の一つと思い、召し上がっていただきたく」
「白炎殿……かたじけなく存じます」
ティータニアはフェルメニアの言葉に感じ入ったように声を漏らす。
ティータニアは戦に出て、配給などの差配も行い、方々で手伝いなどもしているのだ。これくらいの贅沢をしても、バチは当たるまい。
ティータニアはケーキを口に運び、にこにこ顔。
フェルメニアもそれを見て、にこにこ顔である。
「ですが、さすがは白炎殿です。このような細やかな気遣いまでできるとは私も鼻が高い」
「いえ、私などまだまだです」
「そんなことはありません。やはりあの話は誤解だったようです」
「誤解?」
「ええ」
すると、ティータニアが水明に厳しい視線をぶつける。
「スイメイ、貴女は以前に白炎殿のことをぽんこつなどと評したそうですね?」
「え? ああそうだが?」
「そうだが……とは、悪びれもせずぬけぬけとよくもまあ……」
水明が素直に認めると、ティータニアの機嫌はさらに悪くなる。
そして、フェルメニアの良い部分を列挙するように、一つずつ長所を口にする。
「白炎殿は気立ての良い方です」
「そうだな」
「こうして気も利きます」
「そうだな」
「仕事も細やかで、しっかりこなします」
「うん。間違いない」
それらの事柄に関しては、水明も認めるところだ。フェルメニアは細かなところにも気をかけてくれるし、水明が苦手な雑事もそつなくこなす。
だが、それを認めたせいなのか、ティータニアの顔がかなり曇った。
「それでどうして、ぽんこつなのですか!?」
「だってなぁ」
「だって、なんですか?」
ティータニアの聞き返しに、水明は意味ありげに不敵な笑みを作る。
「ティア、知らないのか? 有能とぽんこつは両立するんだぜ?」
「スイメイ……」
「スイメイ殿! さすがにそれは言い過ぎではないですか!?」
「そうか? でもアンタだってしょっちゅう……」
「しょっちゅう……なんです?」
「なんですって、なあ?」
水明はそう言って、他の者に意見を訊ねようと視線を向ける。だがレフィールもリリアナも初美も、なんとも言えないというような表情を作り、こちらも視線をあからさまに逸らした。
それを見ていた黎二が全員の顔を見回して、不思議そうな顔を見せる。
「みんな、どうしたの?」
「え? うん、フェルメニアさんは有能な人だと思いますけど……」
「そうだな。フェルメニア殿は器用だと私も思う」
「フェルメニアは、すごいと、思います、よ?」
「どうして皆さん褒めるばかりで否定してくれないのですかぁあああああああ!?」
訊ねても、みな視線を逸らすばかりで誰もポンコツという部分を否定しない。
フェルメニアが嘆きを叫ぶと、それぞれがその理由を語り始めた。
「だって運動神経良いのに何もないところで転ぶし」
「夢中になると、周りが見えなくなったりするな」
「…………」
フェルメニアに意外な一面があるということを聞いて、黎二が絶句する。
一方でフェルメニアは誰も味方がいないことに気付き、しょぼーん状態。
「くぅ……そんなはずは」
「ま、まあ、なんだ。誰にでも短所はあるってことだな。俺もときどき失敗することあるし」
「そうです! スイメイ殿だって時折やらかすではないですか!」
「いやでも頻度はそうないぜ? やっぱりアンタの方が多いはずだ」
「ちょ、慰めようとして梯子を外さないでください!」
そんなやり取りのあと、ティータニアは咳ばらいを一つして、言う。
「は、白炎殿。私は信じていますから!」
「は! 姫殿下、かたじけなく存じます!」
どうもティータニアはフェルメニアのぽんこつぶりを認めたくないらしい。
頑なに「誤解です」だの「何かの間違いです」など、似たようなことをブツブツと口にしながら、ケーキを口に運んでいる。
そんな風に、みんなでわいわい話をしていたときだった。
廊下を走る音が聞こえてくる。足音には焦りが満ちており、ただ事ではない様子。
もちろん、その場にいた誰もが異変に勘付いた。
「おやつくらいゆっくり食べさせて欲しいモンだがなぁ」
「戦いは待ってはくれないってことだね。クリスタ、もうひと踏ん張りだ」
「は、ひゃい! 承知いたしました!」
ケーキを夢中になって頬張っていた神官少女クリスタは、思いがけない声掛けに焦っている。
その一方で、表情に怒りをにじませる者たち。
「やはり魔族、許せま、せん。裁判に、かけられないことが歯がゆい、です」
「折角白炎殿が持ってきてくれた美味なお菓子をゆっくり味わえないとは……」
やがて予期した通り、食堂の扉が開かれる。
「ご報告致します!」
「魔族が動いたのですね?」
「え? ええ! はいその通りでございます! しかも、すでに王都の中に入られているようで……」
「内部だと!? 先ほど全部倒してきたはずだぞ!?」
グラツィエラが聞き返す中、全員が確認を求めるように水明の方を向く。
「いや、あれで全部だったのは間違いないぞ。あのあとも隅々まで探したんだ。残っちゃいない」
「ということは、そのあとに入ってきたということだな」
レフィールがそう言うと、報告に訪れた城の係官が同意の旨を告げる。
「は。おそらくは少数精鋭で潜入したのではないかとのこと。開戦時、名乗りを上げた魔族の将軍もいるとのことです!」
「なんだと?」
「おいおい総大将自ら御出陣かよ。いくらなんでもトチ狂ってるだろそれは」
レフィールが係官に訊ねる。
「撤退した魔族の軍勢はどうなっている?」
「そちらにも動きがあった模様です」
「そうか。ならばそちらの対応も考えなければならないな」
だが、動きがあった模様ということは、いまだ王都には迫っていないということだろう。
こういう作戦をする場合は同時にことを起こすものだが、果たして何を考えてのことか。
「陛下もすでに作戦室に向かっております」
係官が言うと、ティータニアが首を横に振る。
「いえ、こちらはすぐに動きます。王都に入り込んだ魔族はすぐにでも対処しないとなりません。戦況はどうなっていますか?」
「現在四か所で戦闘が行われています。中央通りと北門前、北東、西のはずれです。北東には武器庫が、特に西の方は食料庫が近く……」
「食料庫の方は急を要しますね。それで、魔族の将軍はどこに?」
「は。中央通りに居座り、まったく動かないとのこと」
そんな係官の言葉に反応したのは、エリオットだった。
「へえ、つまり待っているってことだね。ぼくとレイジを」
魔族の怨敵が勇者であれば、やはり勇者の到着を待っているのだろう。
わざわざ出てきたということは、ここで二人のどちらかと決着を付ける魂胆なのかもしれない。
ふと、黙っていたままの黎二が切り出す。
「あの魔族の将軍は僕に任せて欲しい」
「君に? 何か因縁でもあるのかい?」
「いや、最初に剣を合わせたくらいだけど、僕がやらなきゃと思ってさ」
「ふうん……まあぼくは構わないけど」
「よし、じゃあ俺もそっちに付いていくことにするかな」
水明が同行を申し出るものの、しかし黎二は首を横に振った。
「いや、水明は他のところを頼むよ」
「おいおい。そいつ結構な相手なんだろ? 俺も一緒にいた方がいいだろうが」
「大丈夫。僕も前に比べてかなり戦えるようになったし、今度こそ倒して見せる」
「でもよ」
水明が戸惑いを口にすると、黎二は食い下がるようにさらに言葉を続ける。
「僕も強くなったからさ」
「そうは言うけどよ黎二。本当に大丈夫なのか? 今日の戦いで結構消耗してるだろ?」
「休んだおかげでかなり回復したみたいで、すごく調子がいいんだ」
水明は懸念を口にするが、しかし黎二は頑として譲らない。言葉に自信を覗かせ、しきりに大丈夫だと口にしている。
つまりは、それだけ身体に力が充溢しているということか。確かに心なしか顔色もいい気がする。
「水明。遮那さんに任せたら?」
「初美?」
「私にも甘えたくない気持ちはわかるもの。なんでもかんでも誰かに頼り切りなんて。そうじゃない?」
確かに、誰にでも矜持というものはある。誰かの助けを期待して戦うのは、それを傷つけるということなのだろう。
水明は大きく息を吐き出した。
「……わかった。じゃあ俺は他のを相手にしようか。っと、マリー。起きろー。お仕事の時間だぞー」
水明は伝声の魔術を使い、おねむの時間だったハイデマリーに起床を促す。
その後、大まかな振り分けが決定し、水明たちは城を発ったのだった。