声なき声の及ぶもの
ムーラは王都メテールを肩越しに見返った。
現在、攻め寄せた都市には勇者が二人。もう一人の登場は誤算だったが、これだけ戦力に余裕があれば、圧倒はさほど難しいものではない。
そう、確かに難しくはない。だが、倒してしまっては魔王ナクシャトラの意志にも、邪神の意志にもそぐわない。そして何より、リシャバームの手のひらの上というのが気に食わなかった。
「あのまま一息で倒せたはずなのにな……」
ただ倒すだけなら、最初の一体に加え、控えていた二体をけしかければ済むはずだった。
それができないから回りくどい。回りくどいが、やらねばならない仕事だ。
だからこそムーラは、それを自分の力で進めたかった。
突然現れた外様の手を借りず、すべて、もとからあった魔族の主導で、だ。
「……私は私のやり方で、ことを進めるだけだ」
ナクシャトラの意に沿うためには、いずれにせよ勇者の意気や力を消耗させなければならない。いま勇者が二人いる以上、やり方を変えねば上手くはことが運ばないだろう。
調整のための一計として、ムーラがどこからともなく、おどみをまとった品を取り出す。
大角。剣の一部。肉の塊。
見る者が見れば、見覚えがあると言うだろうそれらを、彼女は配下の魔族に持たせる。
「――行け。細工をして来い」
これが成れば、王都など容易く攻め落とせるだろう。たとえ勇者が二人もいるとはいえ、あの異形の魔族に苦戦している以上、過剰な戦力になることは目に見えている。
他の者が聞けば、命令違反と言うのだろうか。
だが、『もしも』ということも念頭に入れ、行動しなければならない。
ムーラは一人、祈りを捧げるように呟いた。
「すべては御心のままに……」
●
魔族の撤退を見届けた黎二とエリオットは、第二の城壁の内部まで下がっていた。
異形の魔族が退いたあと、クリスタに瑞樹たちへの伝言を頼み、その場でしばしの休憩。呼吸が戻り、体力や魔力がある程度回復したのち、瑞樹たちと合流するため、第二の城壁内部に入ったというわけだ。
やはり気になるのは、魔族たちの不可解な撤退についてだろう。
第一の壁を突破し、アステル側に大きな混乱を与え、攻勢はここからという状況にもかかわらず、仕事は果たしたとでも言うように撤退。黎二たちはそれを見て戸惑うばかりだった。
「一体どういうことだろう……」
これが、魔族側の作戦の一環なのか。もしかすれば、撤退する背中を追いかけさせて城から兵を釣り出す算段なのかと思ったが、しかしアステル側は定石通り城壁の修復、防備の調整に入っている。思惑通りにはいっていない。
黎二が呟いていると、エリオットがポンっと肩を叩く。
「連中がどういうつもりかはわからないけど、ここで悩んでも仕方ないと思うよ? こういうのは身体を休めてから、頭が回る状態で考えた方がいい」
「そうか……うん。そうだね」
黎二はエリオットの提案を受け入れ、考えるのはやめにした。確かに彼の言う通り、回らない頭で下手に考えても、推測など立てられないからだ。それだけ異形の魔族との戦闘は、黎二にとって消耗著しいものだったからだ。
エリオットそんな話をする中、ふと彼が何かを見つけたように背伸びをする。
「おっと、あそこにいるのはお姫様かな?」
「あ、ティア」
追って黎二もティータニアの姿を見つける。
いまは兵士たちに交ざって、物資配給の指揮を執っていた。
先ほどまで城壁の上で奮戦していたにもかかわらず、すぐに別の仕事とは。黎二も頭が下がる思いだった。
配給物資は、いまだ避難し切れずにいた者や、自らの意志で残っていた者たちに配られているらしい。みな肉体的にも精神的にも疲れた様子で、見た目からも元気がないことが如実にわかる。
ともあれと、黎二はすぐに歩み寄って、ティータニアに労いの言葉をかける。
「ティア、お疲れ様」
「これはレイジ様。クリスタ殿から状況はお聞きしました。ご無事で何よりです」
「ありがとう。ティアは休まなくても大丈夫?」
「いいえ、そんなことは言っていられませんので」
「ほんと? さっきまで戦ってたんだ。無理しない方がいいと思うけど」
「いえ、私など。周りにはもっと無理をしている者がいますから」
「ティア……」
真摯な眼差しを向けるティータニアに、黎二は心配を強める。
責任感が強い。だが、その責任感のせいで、彼女自身が潰れてしまうのではないだろうか、と。
「大丈夫です」
そんな中、どこからともなく荒々しい声が聞こえてくる。
何事かと思い、そちらに視線を向けると、物資の取り合いになっていたのが見えた。
「あれは……」
「いけません。すぐに止めないと」
ティータニアは焦ったようば声を上げる。
彼女はすぐに兵士たちに指示を飛ばし、仲裁に向かわせた。
しかし、その騒ぎが伝播したせいか、周囲では多くの者が混乱している様子。騒ぎを止めようにも、思うように制止できない。
それを見かねたティータニアが、毅然と動き出した。
「おやめなさい!」
騒ぎを起こした者たちに、ティータニアが一喝する。
普段ならば誰もが耳を傾けるところだろうが、ヒートアップした民衆には効果はない。そもそもティータニアのことも誰と認識できていないのか、彼女に怒鳴り声を返す有様だった。
「うるせえ!」
「それどころじゃねえんだよ!」
「物資はまだ十分あります! 急がず騒がず順番を待ちなさい!」
「待てだと!? それで俺たちの分がなくなったらどうするんだよ!?」
騒ぎを起こした集団の一人が、ティータニアに掴みかかろうとする。
「きゃっ!?」
ティータニアは相手の予想外の行動と、本人の疲れもあってか、かわしきれず体勢を崩してしまった。倒れ込むまではないものの、地面に手を付き、その間に尖った部分に引っ掛けてしまったらしい。その白く細い腕に、一本血の筋が出来ていた。
「ティア!!」
黎二が駆け寄り、兵士が堪らず声を上げる。
「貴様! このお方を誰と心得るか!」
「知るかそんなこと!」
「俺たちにも物資を寄越せ!」
ぎゃあぎゃあと、脇で騒ぎが加速する中、黎二はティータニアを抱え起こすようにして身体を支える。
「怪我を……!」
「だ、大丈夫です……少し切っただけですから」
彼女が見せるのは心配させまいとする笑顔だ。だが、黎二の目の端には、白い腕から流れ出す真っ赤な血が、確かに映っていた。
「お前っ……!」
黎二は騒ぎを起こした者たちの一人に、睨みつけるような視線を向ける。
国のために戦い、いまも、民衆のために汗みずくになって働いているティータニアに、こんな仕打ちをするとは。
「なんだよ!?」
「なんだよ、だと……? お前、何をしたかわかっているのか……?」
「あ? そんなことどうでもいいんだよ! それよりも――」
それよりも、なんだというのか。
自分が良ければ、他人を傷つけても構わないのか。
ふいに、どこからともなく呼び声が聞こえてくる。
――気に食わなければ叩き潰せ。
――いまのお前には簡単なことだろう。
そうだ。こんな人間など、叩き潰してしまえばいい。そう、簡単だ。自分にはそれだけの力があるのだから。先ほど戦ったあの異形の魔族に比べれば、赤子の手をひねるよりも容易いことだ。
黎二の手の中には、武装化されたイシャールクラスタいつの間にか握られていた。
身体に満ちるのは怒気だ。
周囲も、そのただならぬ気配を察したのだろう。
しゃくりあげるような悲鳴が一つ上がったあと、辺りは水を打ったように静まり返った。
「れ、レイジ様……! 私は大丈夫です! 大丈夫ですから!」
「っ、でも」
「レイジ様、押さえてください! お願いします!」
懇願するような悲鳴を聞いたせいか、段々と黎二に冷静さが戻ってくる。
「……わかった」
黎二はそう言うと、武装化されたイシャールクラスタをもとの状態に戻し、ポケットにしまい込む。
おかげもあってか騒ぎも沈静化し、集まった者たちも兵士の誘導に従い始める。
兵士がティータニアに訊ねる。
「姫殿下、この者たちの処遇については」
「いいのです。追い詰められて気が立っている者をさらに追い詰めてはなりません。物資があれば安心して落ち着くでしょう」
「……は」
しかしてこの一件は、ティータニアの一声によってお咎めなしとなった。
事態が収まった折、黎二はため息を吐くように呟く。
「どうしてあんな風に奪い合いなんかするんだろう。こんな状況だからこそ、助け合うべきなんじゃないのか……」
そんな彼の呟きに答えたのは、エリオットだった。
「追い詰められる戦いっていうのは、こういうものだよ。いや、ここの方がまだいい。仲間同士での略奪を見たことはないのかい?」
「僕たちの国だと、災害が起こるとみんなで助け合うことの方が多いから」
「……そうか。随分と幸せな国なんだね。いや、勘違いしないでくれ。いまのは嫌みじゃない」
黎二はエリオットの言葉を聞いて、思う。
確かに国が豊かで平和だからということもあるのだろうが、こういった混乱や争いを見ないのは、自分たちの国が常に災害と隣合わせだったからだ。地震、台風。助け合わなければ生きていけない土地柄だからこその気質だと言える。
買占めなどはよくあるものの、こうして物資を巡って我先にと争う姿を見るのは初めてだった。
黎二にはその様が、心にトゲとなって残るのだった。




