異形の魔族
魔族の軍はすぐに王都付近に迫った。
王都周辺の森は焼かれ、田畑は踏みつぶされ。
魔族の軍はすでに、20㎞の位置に布陣していた。
すぐ攻めてこないのは、こちらの出方を窺っているのか。
一方でアステル側も、周辺から兵士をかき集めて対応に当たっている。
正規の兵士のみならず、民兵や冒険者ギルドの人間たちまで動員するほどだ。
それでも、人員は足りない。
アステル王都メテールの周辺はほぼ平坦であるため、地形的な有利が取れない。
そのため、王都の周りに魔法で穴を掘ったり、陣やバリケードを敷いたりすることで対応している。しかし、すべて急造であるため、頼りなさは否めない。相手が魔族ということを考えれば、効果があるのかどうかも不明だ。押し寄せられれば、簡単に踏みつぶされてしまうだろう。
「ないよりもあった方がマシということだ」
とは、それらの防衛装置を見たグラツィエラの言だ。
籠城戦の戦略目的は、都市を守り抜き、時間を稼ぐことにある。
相手の進攻を遅らせることによって、救援が到着する時間を稼ぎ、戦力が揃ったところで攻勢をかけるのだ。敵軍は二方向からの攻撃に対応しなければならないため、苦戦を強いられるだろう。敵軍は攻めている間も補給の損耗を避けられず、やがては撤退する羽目になる。
魔族の軍の補給がどうなっているのかは不明だが、ここはセオリー通り戦うのが堅実らしい。
ただ、最初に平地で戦う部分だけ、違うのだそうだ。
「どうしてなんですか? 街の中に籠ってしまえば、戦いやすいと思うんですが」
「市街戦になれば、魔法使いをまとめて運用できなくなる。城壁の上から魔法を放つという手もあるが、魔族共は空を飛ぶ連中もいるからな。それはそれで的になる可能性もある」
「それで」
以前のネルフェリアの戦いでは、攻めてきた魔族を山地で迎え撃った。
確かにそのときも、魔法を一斉に使った記憶がある。都市部でそんな規模で魔法を使えば、建造物に被害が及ぶし、建造物が壁になって十全に威力を伝えきれない恐れがある。
それらのことを考えると、遮蔽物のない場所で魔法を使用し、敵の戦力を削れるだけ削ってから城壁内に退くというのが一般的なのだと思われる。
……現在、黎二たちは、布陣した一角にいた。
魔族との衝突に備える中、ティータニアとグラツィエラの会話が聞こえてくる。
「なぜ魔族たちは包囲をしようとしないのでしょうか?」
「さあな。魔族どもの考えることなどわからん」
二人の会話に、瑞樹が加わる。
「それっておかしいの?」
「ええ。おかしすぎます」
「ティア、どうして?」
「簡単です。軍を三つから四つに分けて王都をぐるりと取り囲めば、私たちは王都に引きこもらざるを得なくなりますし、友軍に逐一報せを送ることも難しくなります」
「向こうも壁の内にこもらせたくないとか? 引き籠られると魔族も戦いにくいからじゃない?」
「確かに考えられないことではないが、包囲はそれ以上に攻める側の旨みが多い。もちろん守る方が有利だということには変わりないが」
「うーん」
「そもそも民が避難できる状況にあるのが解せんのだ。これではまるで逃げてくれと言っているようなものだ。連中は一体なんのためにこうして攻めてきた?」
「領土を欲しているわけでもありませんし、魔族の目的と言えば人間を滅ぼすこと……なのに、攻め方も緩いうえ包囲もしない」
ティータニアもグラツィエラも、魔族の不可解な攻め方を訝しんでいる様子。
彼女たちからすれば、魔族が手を抜いているように思えて仕方ないだろう。
現在、魔族は正面に横陣を敷いている。アステルの軍もそれに対応するべく、バリケードを作って準備をしているが、魔族の方が圧倒的に多いため、若干の心もとなさがある。
……以前のように、バラバラに攻めてくるということもない。
兵や時間が揃うのを待ち、一気に攻撃しようというのだろうか。
そのことから、統制がよく取れているということが窺えるが――
黎二はグレゴリーに訊ねる。
「街の人たちの避難状況はどうです?」
「避難の足が鈍く、思うように進んではおりません」
「どうして? 魔族がすぐそこまで来ているのに?」
「みな突然すぎて実感が湧いていないのです。そのせいで、怠惰から逃れられない。今頃やっとことの重大さに気付き焦り始めているという状況です」
この世界は向こうの世界のように、情報の伝達が迅速ではない。
それに拍車をかけたのが「突然すぎた」ことだろう。あまりに現実味のない侵攻のせいで、「大丈夫だろう」「一過性のものだ」そんな風に考えているのかもしれない。
国側が強制的に避難させるのにも限りがある。避難先への移動もかなりの距離になるし、男出には残ってもらわないといけないため、混乱も大きいだろう。
そんなことを考えている中、ふいに地面が揺れ始める。
魔族たちが動き出したのだ。
それを感じ取った瑞樹が口を開く。
「いよいよ始まるんだね……」
「瑞樹、厳しいなら街の中に入っていてもいいんだよ?」
黎二がそう言うと、瑞樹は首をぶんぶんと横に振る。
「ううん。私も戦うよ。黎二くんだけ大変な目に合わせるわけにはいかないもん」
「瑞樹……」
「ミズキ様は私たちが命に代えてもお守りいたします」
黎二の不安は、グレゴリーたちが緩和してくれた。
グレゴリーの発言に合わせて頷くルカとロフリーが頼もしい。
黎二は彼らに「よろしくお願いします」と言って、ティータニアの方を向く。
「僕が一撃入れる」
「レイジ様。よろしくお頼み申し上げます」
ティータニアがいつにも増した畏まりようで頭を下げると、黎二は先陣を切るため前に出る。
するとそれに気付いた兵士たちが、道を開いてくれた。
みな緊張の面持ちであったが、黎二が前に出るのを見て勇気が出たのか、表情に心なしか安堵の色が浮かぶ。
黎二は自分の存在が他人の勇気になっていることに、嬉しさを覚える。
兵士たちの声が届く中、やがて正面に出る。
ここだけは、何もない境界だ。
定規で真っ直ぐ引かれたかのように、でこぼこや乱れもない。
……目の前には魔族の大軍だ。こんな規模の敵を相手にするのは、これで二回目。
なのにもかかわらず、震えるような感覚がまとわりつく。
どれだけ倒さなければいけないのか。どれだけ戦っていなければいけないのか。
そんな不安が、どっと胸に押し寄せてきた。
そんな不安に負けないように、頬を張る。
そのおかげだろうか、以前に見た映画の台詞を思い出す。
恐怖とは、己の頭の中にしかない幻覚なのだと。
恐怖は外から襲ってくるわけではない。自分が自分の頭の中で勝手に作り出すものであり、結局は自分の弱さを要因とするものだ。
そんなものに、怖気づいてはいられない。
そう、
(――僕はここで、証明するんだ)
自分の価値を問う声があった。
存在を疑問に思う声があった。
そんな、あのとき聞こえた糾弾の声に打ち勝つために。
……黎二がサクラメントを武装化しようとした折、一体の魔族が前に出てくる。
それは、角を生やした女の魔族だ。騎士装束のような衣服に包み込み、腰には剣を差している。髪は白く、鮮血を思わせる赤い瞳を持ち、肌は褐色。これまで見たどの魔族よりも、人間に近い姿をしていた。
女魔族は腰から剣を抜き、その切っ先を向けてくる。
「貴様がアステルの勇者レイジか」
「そうだ」
「私はムーラ。この魔族の軍を統べる将だ」
女魔族は、そう言って名乗りを上げる。こちらが前に出てくるのに合わせて来るということは、それだけ自分の力に自信を持っているということだろう。
だが、意外だった。
人の形をしている魔族は以前にも見たことはあるが、この女魔族は見た目がほぼほぼ人間なのだ。角があるだけ。邪神の力のおどみをまとうだけ。それらを取り除けば、美しい女だ。
だが、躊躇ってはいられない。目の前の女はこれから人々を蹂躙しつくそうとする敵たちの頭ともいうべき存在なのだ。姿形は限りなく人間に似ているのかもしれないが、疑問の一切合切は捨てなければならない。
黎二がそう考える中、ムーラはわずか苛立った様子で鋭い視線を彼に向ける。
「これから戦だというのに丸腰とは、貴様一体どういう了見だ? まさか自ら殺されにきたとでも?」
「僕はもう武器を持っている」
「なに――」
ムーラの困惑の声を聞きながら、黎二はある文言を口にする。
そう、これを託した騎士ライゼアが教えてくれた、あの言葉を。
「――我がラピスの碧き煌めきに晶化せよ剣霊。結晶剣……離界召喚!」
黎二の手から蒼い輝きが満ち溢れると、それは彼自身を包み込むほど大きく広がり、 やがて、手の中に武装化したイシャールクラスタの柄が収まった。
細身の直剣であり、凍えるような冷厳さを備えている。
「妙な武具だ……女神の力とも違う」
ムーラはサクラメントの存在を訝しんでいるらしい。
黎二は武装化後の余韻も残るままに、ムーラに勢い任せに斬りかかる。
「いくぞ!!」
「舐めるなっ!」
対してムーラはそれを迎え撃つ。
直剣に黒いおどみ(・・・)がまとわりつくと、すぐにそれは色濃くなる。
まるで腐ってドス黒くなった腕に、浮き出た血管がミミズのように這っているかのよう。
黎二が繰り出した上からの斬り下ろしの一撃は、横倒しにした剣に受け止められる。
剣と剣の衝突によって衝撃波が生じ、余波によって生み出された突風が人間、魔族問わずに襲い掛かった。
片やイシャールクラスタの発する冷厳な圧力に凍てつかせられ、片やムーラの濃密な邪神の力に、高揚した気分を萎えさせられる。
ふと始まった鍔迫り合いの中、黎二の剣がムーラを押し始める。
「……これは」
「まだまだ!」
やはり徐々に押している。このまま押し切れる。黎二はそんな予感を抱きつつも、すぐに考えを改めた。押し切れるかもしれないが、いまだ『かもしれない』という段階なのだ、と。
黎二はムーラの全身に高まる邪神の力を見て一旦距離を開け、次の強力な攻撃に移る。
「イシャールクラスタ!」
黎二は剣に呼びかけの声と共に、サクラメントの力を解放する。
蒼くわだかまった光が、空中に水晶や氷を思わせる結晶の塊をいくつも作り出す。
黎二はその結晶の塊を、剣を振ることによって撃ち出すと共に、周囲からさながらスパイクのように結晶を伸した。
殺到するクリスタルの雨と槍に、しかしムーラは見事にそれを防いで見せた。
あるいは斬り飛ばし。
あるいは受け流し。
彼女の剣技の力量のみで。
邪神の力など一切使わない。ほれぼれするような剣の冴えだ。
この腕前。接近戦となればティータニアレベルの実力がなければ太刀打ちなどできないだろう。
その一方で、ムーラの背後にあった戦列の一角が、結晶の威力に巻き込まれる。
巨大な結晶の飛礫は破裂したかのように砕けると、細かくなってさらに拡散。多くの魔族を貫いていく。
まるで巨大なスプーンでえぐり取ったかのように、戦列に大きな穴が開いた。
広範囲の魔族を倒したことで、背後の兵士たちから大きな歓声が上がる。
戦列に開いた大きな穴は、すぐに魔族たちが寄り集まって塞がれた。
彼我の距離は開いている。
飛び道具じみた技は防がれる。
ならば、奥義に訴えるか。
黎二がそんなことを考えていた刹那のみぎり。
ムーラが恐るべき速度で詰め寄ってくる。
「くっ」
「戦いの最中に考え事など迂闊だぞ勇者ぁ!!」
黎二はムーラの繰り出したおどみごと叩きつけるような激しい剣撃に、弾き飛ばされる。だが、やられたままではいられない。弾き飛ばされながらも、ムーラに一撃を入れんとすぐさま結晶を生成する。
石礫のように小さな結晶が複数撃ち出され、ムーラの動きをけん制する。
ムーラの足が一瞬止まる中、こちらはすぐに体勢を立て直すと靴裏で地面を掻き、その場に停止する。
目の前には結晶を払い終えて堂々と構える女魔族の姿があった。
「強い……」
それは黎二がムーラに抱いた正直な感想だ。
彼女の強さは、イルザールとは別種のものだ。あちらは力任せ感が強かったが、こちらは技量の高さが窺える。もちろん、邪神の力もそこらの魔族とは比べ物にならないほどだ。
むしろこれまで戦った魔族よりも多いのではないか。
そんな風に思えてしまうほど、おどみの余波が手にしびれとなって残っている。
ふいに、ムーラは何を思ったのか剣を収めて踵を返す。
まるで、見切りを付けて帰るかのように、無防備な背中を見せた。
その妙な行動に対し、黎二は叫ばずにはいられない。
「なんのつもりだ!」
「ひと当てはこのくらいにしておく」
「僕に背中を見せてそのまま戻れるとでも」
「ふん。お前は私を気にするよりも、もっと気にしなければいけないものがあるぞ?」
「なに――?」
ムーラがそう言った直後だった。魔族の軍が一斉に動き出す。
遅れて、背後に声が飛び交い始めた。
「魔法で迎撃しろ!」
「応戦準備!」
まるで合唱のように呪文が唱えられ、魔力が高まる。
巨大な魔力のうねりのあと、やがて炎がさながらカーテンのように空を覆った。
その炎が滝となって、魔族たちへ真っ逆さまに落ちて行く。
煙が上がる。黒煙、白煙、土煙などが混ざったあらゆる煙が曇り空を塗りつぶしていく。
直後、黎二を襲ったのは余波だ。手を少しでも前に出せば、火傷はおろか炭化してしまいそうな熱量の突風が、熱波となって襲い掛かる。
そんな中、背後にティータニアの気配。
「レイジ様、一度お下がりを。魔法の攻撃はこれからさらに激しくなります」
「わかった」
黎二は強く頷き、彼女と一緒に後退する。
魔法の一斉攻撃は強烈だ。向こうの世界の中世の戦争では、普通はまず弓矢を撃つのだろうが、この世界ではその前段階に魔法を撃つのだろう。大部分を吹き飛ばしてから、そのあとに攻勢に出るというわけだ。
そんな中、魔法を撃つのに出遅れた瑞樹が、焦りの声を上げる。
「わ、私は撃たなくていいの?」
「温存です。ミズキはレイジ様の援護のために動いてください」
「う、うん! ……でも、すごいね。これなら全部倒せるんじゃないかな?」
「いや、無理だ。正面の敵を燃やしただけですぐ終わる。効果が長続きすれば話は別だが、向こうもまるで無策というわけではないはずだ」
「あ、魔族にも邪神の力があるもんね……」
魔族たちはおそらくはそれを高めることでこちらの魔法に対抗するだろう。
「でも、使うのは火の魔法だけなんだ? もっとこう、他のいろいろな魔法を使うとかはないの?」
「魔法の中では火の魔法や雷の魔法が強力ですから。それに、最初に撃ち出した魔法と違う属性の魔法を撃つと、反発しあって弱まり、最悪打ち消されます」
魔法の効果を高めるには、魔法を揃えなければならないということだ。
「魔法が終われば弓。弓が終われば魔族が襲い掛かってきます。レイジ様、ミズキ、準備の方を」
「うん」
「わかったよ!」
黎二と瑞樹が返事をした折、グラツィエラが拳を打ち合わせる。
「レイジ。私の魔法は規模が大きいからな。下手に前に出過ぎて巻き込まれるなよ?」
「大丈夫です。僕の結晶も負けませんから」
「言ったな」
黎二はグラツィエラとそんなやり取りしつつ、砂塵がもうもうと舞い上がる正面を見続ける。
ムーラに背中を見せられたのには反発心が芽生える。だが、どちらも全力ではなかったため、その辺はお互い様だろう。
黎二は自分にそう言い聞かせて苛立ちを抑えた折、魔族が土煙の中から飛び出してくる。
兵士たちは魔族の接近を阻止せんと、魔法や弓矢、投石を使って応戦。
黎二もイシャールクラスタの力を使って、魔族に結晶の塊を浴びせる。
(よし、大丈夫)
これまで戦った経験から、魔族の動きはある程度読めるようになっていた。
地を駆ける魔族は、イシャールクラスタを用いた剣技で応戦。空を飛ぶ翼付きの魔族は、地面から先の尖った結晶をいくつも伸ばして、その影に隠れながら撃ち落としていく。
おどみによる周囲の汚染にさえ気を付けていれば、よほどのことがない限り後れを取ることはない。
ここまで戦いを優位に運べるのは、イシャールクラスタを使えるようになったのが大きい。武装化が自在になり、サクラメントの能力を使うことができるようになったため攻撃の幅が広がったのだ。
「これなら……」
行ける。もちろんこの数の魔族たちを倒し切ることは不可能だが、籠城戦までに大きく減らせることが可能だろう。
自分は戦える。
後れを取ってはいない。
決して無価値な存在ではないのだ。
そんな風に、黎二が己の戦いに希望を見出したときだった。
突然、彼の胸に猛烈な吐き気がせり上がってくる。
「うっ――!?」
何事か。魔族からの攻撃か。それが判然としないまま、えずくように身体を丸めたとき。
それに気付いたティータニアが焦ったように駆けよってくる。
「レイジ様! いかがなさいましたか!?」
「い、いや……」
吐き気、その原因は気配だ。ひどくおぞましい気配。先ほどムーラが剣に蟠らせたおどみを、何十倍、何百倍にも濃縮したようなおぞましさが、どことも知れない場所から発せられた。
「どうしたのだ? 攻撃を受けたようには見えないが……」
「れ、黎二くん……」
グラツィエラと瑞樹も、心配そうに視線を送っている。
だが、同じ症状は出ていないらしい。
「三人とも、この気配を」
「気配、ですか?」
「あっちから……何かすごく嫌な気配がするんだ……」
黎二がそんなたどたどしい説明をした折のこと。
防衛線の一角から、爆発音じみた轟音が響いてくる。
一拍遅れで黎二たちがそちらに目を向けると、陣地にぽっかりと穴が開いていた。
あったのは兵士ではなく、血だまりだ。
それを見て、すぐに理解する。何者かの攻撃によって、兵士たちが消し飛んだのだと。原型もとどめず、消えてなくなった。その辺りには兵士だったものの一部が散らばるばかり。
だが、魔族はいまだ兵士たちの迎撃を突破できておらず、陣地に取り付くこともできていない。であれば、なにか強力な攻撃を撃ち出したのか。
「うっ……」
混乱が周囲に伝播する間もなく、さらに強烈な嫌悪感と強い力が感じられる。
舞い上がった土煙と血煙が晴れた先。そこにいたのは、これまで見たどの魔族よりもおぞましい姿形を持った魔族だった。
それはさながら昆虫と獣を掛け合わせたようなフォルムだ。プラモデルを寄せ集めのパーツだけで作ったような、そんないびつさを想起させる。
身の丈は、二メートル半はあろうかという巨躯であり、爪がびっしりと生えた手と、長い腕を持っている。
「あれは……」
「ちぃ、まずい予感がぷんぷんするぞ」
ティータニアとグラツィエラも遅ればせてその気配を感じ取ったのか、額や首筋に汗をにじませる。
黎二たちが異変に身を硬直させる中、異形の魔族が近場の兵士に向かって動き出した。
兵士たちはその異形の魔族に複数で応戦しようとするが、腕の一振りでバラバラに砕け散ってしまう。
それはまるで小虫を手で払うような仕草にも似た動きだ。
相手になっていない。そもそも、眼中にすらないのではないか。そんな風に思わせられるほど、ひどく雑で無造作な動きだった。
アステルの軍の兵士は突如現れた異形の魔族に、なすすべもなく蹂躙されていく。
一方的で絶望的。戦いなどとは決して言えない、それは紛うことなき虐殺だった。
「うわぁあああああ!?」
「くっ、来るな! 来るなぁあああああああ!」
兵士の悲鳴が、他の兵士に恐怖を伝染させていく。その周囲は一気に恐慌状態に陥った。
兵士たちが恐怖で後退る中、異形の魔族が次の群れへと向かう。
ふいに、黎二の目に先ほどと同じような光景が見えた。
血を噴き出しながら千切れ飛ぶ腕、足、頭の数々。それらはすべて黎二の脳が勝手に予測した幻であり、いまなお着々と迫ってきている現実だった。
そんな幻覚が現実に追いつこうと彼の目の前数秒後に迫って来ようとしていたそのとき。
「やめろぉおおおおおおおおおおおお!」
気が付けば、叫び声を上げて異形の魔族に向かって駆け出していた。
兵士たちの隙間を縫うように。それでいて速く、力強く。
身体に充溢する女神の力と、サクラメントの力を最大限に発揮して。
光速にも迫るほどの驚異的な速度で異形の魔族と兵士たちの間に割り込み、イシャールクラスタを振るわんと大きく振りかぶる。
しかし、それよりもなお速く、いびつな爪が振りかぶられた。
――速い。
黎二は考えをすぐさま切り替え、イシャールクラスタを盾にして、異形の魔族の爪を受け止めようと試みる。
サクラメントの力を使えば、受け止められるはず。所持した者の力を飛躍的に向上させるこれならば、たとえ巨躯の魔族相手でも引けを取ることはない。
そう、絶対に受け止められるはず……だった。
「ぐふっ――!?」
インパクトの瞬間、黎二を襲ったのは途轍もない衝撃だ。
力を受け止めきれず、黎二はイシャールクラスタに対する盲信ごと、大きく吹き飛ばされる。意識を一瞬持っていかれたせいで、受け身を取ることもままならない。
「ぐ――はっ――」
肺から空気がすべて出て行った。急激に酸素が足りなくなる。しかし、呼吸はままならない。全身のすべての毛穴から、冷たい脂汗が噴き出てくる。
さながら眩暈のように視界がマーブル状に蠢く最中、異形の魔族が迫ってくる姿が見えた。まずい。まずい。まずい。体勢が立て直せない。このままでは死んでしまう。
黎二が恐れを抱いたそのとき、イシャールクラスタの砕けた紺碧がなお色濃く輝き――
「――我求む。彼方より飛来し、此方に相見えんものを。我が呼び声は世に纏綿と離れぬ理を乖離させ、如何なる条理も飛び越える力とならん――開け! ディヴィーギコネクティ!」
天に穴が開いた。すぐにそこから、巨大な岩石の一角が顔を出す。
まるで山の頂を逆さまにしたかのようなそれが、異形の魔族に巨大な質量となって襲い掛かる。
大地震でも起きたかのような震動が辺りをどよめかせ、異形の魔族の姿が巨大な岩塊の灰色にすぐさま塗りつぶされた。
一方で黎二は駆け寄ってきたティータニアに抱え起こされる。
「レイジ様! ご無事で!」
「あ、ああ……うん。なんとか」
黎二はその場で、はあはあと肩で息をする。いまだ呼吸が落ち着かない。動悸が収まらない。グラツィエラの魔法がもう少し遅ければ、いまここで死んでいたのだから。
すぐに体勢を立て直して、周囲に気を配る。
いまだ異形の魔族が発していた嫌な気配は消えていない。
「っ、ティア、来る!」
「っ――はい!」
ティータニアが返事をしたその直後、グラツィエラの呼び出した巨大な岩石の塊が、まるでダイナマイトで発破されたかのように爆散する。
黎二はすぐにティータニアと前後を入れ替わり、イシャールクラスタを用いて結晶の盾を作った。
正面に生まれる、ガラスのように透き通ったクリスタルの障壁。ともすれば岩塊に負けて砕け散ってしまいそうな心許なそうなそれは、どれだけの勢いの付いた飛礫を受けても、ヒビ一つ入らない。逆にぶち当てられた岩塊の方が砕けてしまうほどだ。
岩塊の飛礫を受ける中も、猛然と迫る異形の魔族。
黎二はそれを見据えながら、クリスタルの盾をさらに厚くした。
「レイジ様っ!?」
「ティアは下がって! 早く!」
繰り出されるのは異形の魔族の無策の突進。それは単純であるがゆえに、最も威力の大きな攻撃だ。
しかし、クリスタルの盾は倍以上に厚くした。
これならちょっとやそっとでは砕けない。
だが、そんな黎二予想あえなく、クリスタルの盾にひびが入った。
「――っく!? これもダメなのか!」
黎二はすぐさま方針を変更する。
盾を横になだらかに伸ばしてルートを作り出し、体当たりを逸らそうと試みる。
さながらそれは横倒しにした滑り台。しかして異形の魔族は黎二の思惑通り、力を制御し切れず横にそれて、バランスを崩して地面の上を転がっていった。
間髪容れずに、周囲の兵士に訴えかける。
「離れて! あれを相手にするのはマズい!」
周囲にいた兵士たちに警戒を促し、分散させる。
大質量が地面を削ったせいで土煙が上がり、視界の一部が覆われる。
「レイジ!」
「レイジ様!」
駆け寄ってきたグラツィエラ、体勢を立て直したティータニアが、脇を固めた。
やがて大きくえぐれた地面からゆっくりと這い出て来るかのように、異形の魔族が動き出す。土煙の向こうに、おどみに塗れた目の妖しい輝きが、ゆらゆらと揺れていた。
背筋を上から下に駆け抜ける冷たい怖気。
それはまるで背中に巨大な氷柱でも差し込まれたかのよう。
「なんだというのだあれは。あのときの魔族の将軍並みだぞ」
「いえ、正直それよりも恐ろしいものだと思います。なんと言いますか、身体の奥底から湧き上がってくる嫌悪感が他の魔族たちに増しても強いかと」
黎二もティータニアと同意見だ。
この異形の魔族は、強すぎる。他の魔族と比べて知能に乏しい分、膂力や力の気配はそれ以上だと言っていい。
だが、先ほどの、体当たりの攻撃を見るに、力を完全に制御できているわけではないらしい。戦いに必要な力加減がなく、ただ目に付いたものをがむしゃらに攻撃する暴走機械のようだ。
それがもっとも厄介なのだが。
(どうする!? あんなの相手に、僕はどうすればいい!?)
力を見せつけられたせいか、思考がうまくまとまらない。
どうする。どうする。どうする。そんな単調な言葉が脳内で繰り替えし半数される。
こんなときに、水明がいたら――
そう水明がいれば、何かしら良い案を出してくれるのではないか。
黎二はそんなこと考えてすぐ、ハッと気づく。
この期に及んで、彼を頼りにするのか、と。
いつまでも彼に頼るようでは、本当に自分の価値がなくなってしまうのではないか、と。
黎二はふとした考えを振り払うように、ぶんぶんと首を横に振る。
「レイジ様! 時間です! 一旦退きます!」
はっと顔を上げる。
刻限だ。魔族に一定の損耗を強いたあと、少しずつ城門の内へ引く。
そんな当初の予定通り、黎二たちは撤退のために遅滞戦闘に移行した。