突然の襲来
……パーティーが執り行われたその翌日のこと。
黎二たちがアルマディヤウスと朝の会食をしていた折、耳を疑うような情報が飛び込んできた。
駆け込んできた城の侍従は、ひどく慌てた様子だった。
侍従はノックや礼も忘れるほどだったらしく、扉を乱暴に開け放ち、床に崩れ落ちるように膝を突いた。
「一体何事だ?」
「ご、ご報告致します! 国内への魔族の侵攻を確認いたしました!」
侍従の口から飛び出したその言葉に「ついに来たか」と、そんな緊張が全員に走る。
確かにそんな事態であれば、こうして部屋に飛び込んでくる無礼も仕方なしか。
まだ焦りが落ち着かない侍従に対し、アルマディヤウスが冷静に返答する。
「承知した。して、北部の守りはどうなっているか?」
「いえそれが、事態はすでに急を要するところにまで及んでおり……」
「なんだと? 率直に申せ」
「は! すでに魔族の軍は王都の付近にまで到達しているとのことですっ!」
――一瞬、侍従が何を言っているのかわからなかった。
魔族の軍は、王都の付近にまで、到達している。
脳内で反芻した言葉を分解して再度繋げ合わせたとき、やっと言っていることが認知できたくらいだ。
同じようなタイミングで気付いたティータニアが、椅子から勢いよく立ち上がる。
「王都の付近とはどういうことです?」
「は! すでに魔族の軍は、王都から18里(約75㎞)の位置にまで軍を動かしているということで、いま軍の規模の詳細を調査しているとのこと!」
「なんだと!?」
「そんなバカな話が……」
さすがのアルマディヤウスも荒い声を禁じ得ず、グラツィエラも瞠目する。
その場にいた者は皆、あり得べかざる事態のせいで絶句してしまった。
再びティータニアが訊ねる。
「そ……それは本当に、事実なのですか?」
「は! このままの速度で進軍すれば、王都まで二日とかからないかと」
「国境警備の辺境伯は何をしていたのだ……? まさか魔族の侵入に気付けなかったなどとは……」
「そちらは現在連絡を待っている状況ですが、確認した者の話では、まるで長い距離を飛び越えて突然現れたようだと……」
「一体どういうことだ……いや、もう下がってよい。何かわかったことがあれば逐一報告せよ」
「はは!」
飛び込んできた侍従は、アルマディヤウスの許可を得て部屋を辞する。
しばしの沈黙のあと、やがて瑞樹が動揺した様子で声を上げた。
「れ、黎二くん! 魔族の侵攻って!」
「……うん。わからないけど、本当のことなんだろうね」
「18里ってことは、たぶん100㎞もないよね!?」
「ええと……うん、そのはずだよ」
いくら整備されていない道とはいえ、一刻の猶予もない。
黎二はアルマディヤウスに視線を向ける。
「陛下」
「考えにくいことだが、これが嘘だとも思えん。見間違うにしても無理がある」
「冗談だったのなら、悪趣味すぎて首を撥ねたくなりましょうな」
グラツィエラの手厳しい言葉に、アルマディヤウスは曖昧に頷く。
「食事をしている場合じゃない。ティア」
「はい。まず塔に向かいましょう。十二里ということなら、おそらくそこからなら見えるかと」
「レイジ殿。私は事実確認を急ぐ。いざというときは、お力をお貸しいただきたい」
「はい! もちろんです!」
アルマディヤウスの表情は神妙で、そして硬い。
黎二たちはティータニアの発案に従い、食事の続きもあとにして、部屋から飛び出したのだった。
●
会食の最中、黎二たちのもとに王都の付近に魔族の大軍が現れたという一報が届いた。
あまりに突然な報告であったため、実感は乏しかったものの、黎二たちはすぐにティータニアの案内のもと、キャメリアで一番高い塔へと足を踏み入れた。
塔の窓から見えるのは、眼下にある王都の様子と、そのずっと先の山並。
そして、
「あれが……」
「嘘……」
塔の窓から四角く切り取られた景色の先にあったもの。
遠間に、黒い塊が蠢いているのが見えた。無論山ではない。森でもない。
その黒い塊は、それぞれがそれぞれの動きを見せる、生き物の大群だ。冬場、寄り集まって、虫たちを思わせる。
その上空を覆うのも、雨雲や雷雲ではない。あれも、魔族の大群だろう。
黎二はさらに詳細を捉えようと、目を細める。
親指と人差し指で輪っかを作り、その真ん中に視線を通すと、強化された視力のおかげか、事細かとはいかずとも輪郭程度は浮かび上がってきた。
見えるのは、魔族の持つ黒く濁ったおどみのような力と、翼の生えた魔族のシルエット。
魔族の軍団に、間違いなかった。
グラツィエラが訊ねる。
「どうだ?」
「間違いない。魔族だ」
「進軍速度はどう思う?」
「それは……」
「ここからでは詳しいことはわかりませんが、あの位置ですと普通の軍なら一日から二日。魔族は様々な姿形の混成ですので、それを加味しても二日ないし三日か四日ほどかと」
言い淀むと、ティータニアが推測を口にする。
一方でそれを聞いたグラツィエラが怪訝な表情を見せた。
「だが連中は一体どこから現れたのだ? 誰にも知られずにここまで入り込まれるなど、常識的に考えても不可能だぞ……」
確かにそうだ。あれだけの大軍の侵攻があれば、まず辺境を防衛する貴族が気付き、報告を送ってくるはず。
報告を怠ったということや、報告を送る間もなく全滅したということはまず考えにくい。
ならばなぜ。どうして。どうやって。
だが、黎二にはこの不可解な進軍に心当たりがあった。
そう、以前に水明が、空間を操る魔族がいるということを口にしていたからだ。
それがもし、魔族の領域の空間と、アステル領内の空間をつなげることができたのなら。
大軍を一瞬で移動させることも可能なのではないか、と。
そのときに消費する力の総量を考えれば、おいそれとできるようなものではないだろうが、あり得ない話ではない。
「……この前の戦争で出てきた魔族の仕業かもしれない」
「黎二くん黎二くん。その魔族って?」
「魔族がネルフェリアに侵攻してきたときに出てきた魔族のことだよ。金の髪で、角の生えた、あの」
「……あれか。あの男と話していた魔族のことだな?」
グラツィエラにも覚えがあるのだろう。
あのとき、その魔族は確かリシャバームと名乗ったはず。一方で水明は、クドラックと呼んでいた。
「ですが、なぜ今頃? こんなことができるのであればもっと早く侵攻しているのでは? そもそもネルフェリアに攻め入るときにも使っているはずです」
「それはわからない。だけど、いま持っている情報で考えられるのはそれくらいだ」
「なぜ、どうしてを考えていても仕方あるまい。現に目の前にいるのだ。その事実は曲げられん。ティータニア殿下、アステルの軍はどうなっているのだ?」
「現在、軍を編成しているそうです。援軍要請のため、すでに地方にも人を遣っていますので、そのうち到着するでしょう」
「その『そのうち』がなるべく早いことを祈るばかりだ」
グラツィエラの表情は、以前の戦争のときよりもかなり険しい。
「グラツィエラさん……」
「おそらくこれから籠城戦になるだろう」
「籠城戦……ですか」
城や都市に引きこもって戦う。黎二にとっては初めてのものだ。
いつもの平地や山地で戦うのとは、まるで違う戦いになるだろう。
「そう心配するな。全滅させなければならないというわけではない。籠城戦は周辺の領主たちからの援軍が来るまで持ちこたえればいいのだ」
「ですが、あの数を堪え凌ぐのは骨が折れますね」
「ティータニア殿下には、王都を守り通せる自信がないか?」
「王都が侵攻されるという事態は、数十年なかったことです。何が起きてもおかしくはありません」
つまり、この中には、経験者はいないということだ。
やはり、厳しい戦いになることは間違いないだろう。
「水明たちがいないときに……」
「水明君たちが帰ってからもう一週間くらいだよね? もしかしたらもう戻ってるかもしれないよ?」
「急ぎ帝都にも連絡を出しておきましょう」
「ふむ。急ぎの事態だ。奴が戻っているならば、まあどうにかするだろう」
水明ならば、一瞬で……とまではいかないものの、魔術を使ってすぐにこちらに来てくれるという期待が抱ける。なんとなく、そんな風に思えるのだ。
ティータニアが口を開く。
「レイジ様。おそらく初戦は、先陣を切っていただくことになるかと」
「うん。兵士たちの士気を高めるために、だね?」
「え、ええ。その通りですが」
黎二の様子を見たグラツィエラが、意外そうな表情を作る。
「なんだ。思った以上に余裕があるな」
「ええ。僕にはこれがありますから」
黎二はそう言って、ポケットから武装化前のサクラメントを取り出した。
白銀の装飾品に、蒼色の輝きが埋まった神秘の品。知らない者が見れば、これが武器だと言われてもわからないだろう。
サクラメント。以前に英傑召喚の儀で召喚された者の一人が持っていたという、超常の武具だ。
「イシャールクラスタと言ったか? 凄まじい武器だ。確かに、お前の強気も頷けるな」
「あっ、伝説の武器!」
「そう。これがあれば負けることはないと思う」
「そうだよね! あんなにでっかいゴーレムも倒せたんだもん! 魔族の大軍だってなんとかなるよ!」
瑞樹の言う通りだ。この力を用いれば、大軍と渡り合うことも不可能ではない。
自分たちの世界では、それが実証されたということも以前に水明の口から聞いている。
これ一つで数々の現代兵器と渡り合ったというならば、魔族の軍を向こうに回しても引けは取らないだろう。
それに、これを持っていると、どこからともなく戦えるという自信が溢れてくる。
まったく根拠はないが、誰を相手にしても無限に戦い続けていられるような、そんな士気が。
だが――
(…………)
サクラメントに嵌め込められた『砕けた紺碧』を見詰める。
吸い込まれそうなほど蒼い輝きを湛える宝石。それを見続けていると、ふとした瞬間まるで懐深い水底か、どこまでも青い蒼穹を見詰めているかのような錯覚に陥ってしまう。
一連の呼びかけの声は、この戦いを予期したものだったのか。
求めろ。願え。手を伸ばせ。目を閉じると、そんな声が、頭の中に蘇ってくる。