アステル国王との謁見
ネルフェリア帝国からアステル王国までの道のりは、駆け足だった。
魔族の動向なども鑑みて、なるべく早く動いた方がいいだろうという結論に至り、身体にも馬にもかなり無理をさせながらの移動を行った。
この世界に来た当初であれば、そんな強行軍などまず不可能だっただろう。
馬での移動は意外と体力を消耗する。確かに徒歩に比べればその差は歴然だが、馬は乗り続けているだけでも体力を使うため、折々の休憩は必須のものと言える。
旅の当初は、移動の合間によく休憩を挟んでいたし、乗馬に伴う足腰の痛みに悩まされた。
しかし、いまはイシャールクラスタを手に入れたおかげでさらに身体能力が向上しているし、瑞樹も旅のおかげで以前よりも体力が付いている。そのため、強行軍にも耐えることができ、馬上でのほほんとしていられるようにもなった。
グラツィエラの入国手続きなどで多少の時間は取られたものの、以前の移動を半分に詰めるほどの速さでアステル王国の首都メテールに到着することができていた。
街の内外を隔てる城門をくぐると、王都の街並みが視界に広がる。
穏やかな色合いの建物や、敷き詰められた石畳、植えられた木々や花壇。真っ直ぐに伸びた大通りの先には、さらにもう一つ高い城壁がそびえており、王城の全貌を隠している。
アラバスターを吹き付け、目に痛かった帝都の街並みと比べると、随分と目に優しいように感じられた。
「王都メテール……なんだか懐かしいね」
「うん。私たち、ここで呼ばれたんだよね……」
瑞樹とそんな風に感慨に浸りながら、辺りを見回す。
メテール大通りの喧騒は、フィラス・フィリアの大通りよりも控えめだ。
活気はあるものの通りの規模が違うため、決して閑散とはしていないのだが、どうして見劣りしてしまう。
グラツィエラはそれを代弁するかのように、厳しい指摘の言葉を口にする。
「ふん。帝都に比べれば随分と貧相なことだ。メインストリートが狭いせいで屋台の種類も少ない」
「あら、アステルは歴史を重んじる国です。文化を節操なく受け入れるなどというみだらな政策を良しとはしていないのですよ」
「流行りの強みを舐めていてはそのうち置いて行かれるぞ?」
「そちらは国を移民に乗っ取られないようお気を付けを」
見下ろす皇女と、見上げる王女。どちらもその目は、穏やかなものからまなじり鋭く変わっている。国の方針でも二人はバチバチらしい。
最近ではこれが二人のじゃれ合いだということに瑞樹共々気付いているので、仲裁に入ることもないのだが。
「そういえば、お出迎えとかはあるのかな?」
瑞樹がそう言うと控えてきた衛士が「迎えはあちらに」と。案内の人間らしき者が一人ほどおり、こちらの視線に気づいて頭を下げた。
ティータニアが口を開く。
「大使館伝手にできる限り自重して欲しいと連絡していますので、規模は。騒ぎになれば煩わしいですし、出立したときのように大仰なものにもなりません」
「よかった。あれはあれで大変だからね」
「うん。パレードは一回二回でおなか一杯だよ……」
黎二は瑞樹と二人、大きなため息を吐く。パレードで注目されるなど、見世物のようなものだ。動物園のライオンやパンダの気持ちというのはきっとこんなものなんだろうというのがよくわかった。人に見られるというのは、それだけ疲れるということだ。
そんな中、黎二はふと気になっていたことを口にする。
「そういえば、グレゴリーさんたちはどうしてるのかな?」
「グレゴリーたちも王都にいるはずです。おそらくはまだ療養中だと思いますが」
出立時から付き従ってくれていたグレゴリーたちは、連合自治州での一件から療養していたのだが、ティータニアの話を聞くに、そのまま真っ直ぐアステルに戻ったらしい。
「あとで三人のお見舞いにいかないとね」
「そうだね。元気にしてるといいね」
瑞樹とそんなことを言い合っていたときのこと、ティータニアが背中辺りを眺めていたことに気付いた。
「ティア?」
「そう言えばレイジ様。あのマントはお付けにならないのですか?」
「マント……? あっ……」
その言葉で、思い出したくないことを思い出してしまった。
何とも言えない表情で、ティータニアに声を掛ける。
「あれはその、あまり……ね?」
「……?」
「良いではないか。なぜ付けないのだ?」
「うん。それにはね、すごく深い事情があるんだよ」
「お前はどうしてそう深刻な顔をする」
「そんな顔もしたくなるよ」
黎二は投げやりな様子でそう言うと、すぐに意味ありげに遠い目をしてたそがれにかかる。別にマントはいい。だが、あの妙なカラフルさはいただけない。大昔のヒーローが身に付けるようなただただ派手さだけを求めたようなデザインに、どうしても痛々しさが感じられて仕方がなかった。
ここはこんな感じで有耶無耶にしてしまおう。
そんな黎二の思惑を阻止したのは、空気を読めなかった子、瑞樹だった。
「黎二君。あれ、私は格好いいと思うよ?」
「あ、ありがとう。でも、その、ね?」
「どうしたの? 付ければいいじゃない、マント」
「いや、だから、その、さ?」
わかるだろう。そんなニュアンスの同意を求めた折、ティータニアが無慈悲な宣告を行う。
「あまりいい気分をお持ちでないのは承知していますが、いずれにせよ、公式の場では着用を求められると思いますよ?」
「嘘ぉおおおおおおおおお!? そんなぁああああああああ!!」
王都の大通りに、黎二の悲痛な絶叫が響く。
●
王城を訪れるということについては事前に伝えてあったため、アステル国王アルマディヤウスとは、すぐに謁見できる運びとなった。
調整のため控室でわずかな時間を過ごしたあと、黎二たちは謁見の間に案内される。
しかしてそこには、二人の人物がいた。
玉座に座る国王アルマディヤウスと、その隣に控えるこの国の宰相だ。
宰相と話したのは数回程度に収まるため、申し訳ないが名前は失念した。
ただ水明が「宰相は嫌みったらしそうなバーコードハゲ」と言っていたので、特徴はなんとなく覚えていた。
黎二はアルマディヤウスに目を向ける。
白髪の交じった初老の男性だ。頭に王冠を乗せ、権威の象徴である王笏を携えている。
優しげな雰囲気を持った王だ。帝国皇帝やハドリアスなどは常に厳格な雰囲気をまとっていたように思うが、召喚された当初と同様、厳格さに柔らかな雰囲気が同居しており、どことなくだが親しみが感じられる。
本来なら国王というものは、もっと近寄りがたいものでなければならないはず。「舐められる」ようであれば、やはりそれは王に相応しくないというのが、一般的な国家元首に対するイメージだ。
だが、そんなこちらの憂慮に反して、アルマディヤウスはほぼすべての者から敬意を持たれているように見える。それが彼の手腕なのか。それとも、彼には権威を保てる別の何かがあるのか。
黎二はアルマディヤウスの前で礼を執ると、やがて一段高い場所から声がかけられた。
「レイジ殿、ミズキ殿。久方ぶりだな」
「陛下。ご無沙汰しております。この度は突然の訪問を受けていただき、感謝いたします」
「ご、ご無沙汰しております! 陛下!」
瑞樹はいまだこういうやり取りは慣れないらしい。控室でも謁見に対する気負いや緊張はなかったはずだが、言葉遣いで少しパニックを起こしたらしい。
その辺りは、グラツィエラが上手く間を埋めてくれた。
「アルマディヤウス陛下に置かれましては、ご機嫌麗しゅうございます。こうして拝謁の栄に浴することができたのは、まこと慶賀の至りにて」
「うむ。グラツィエラ皇女殿下も息災そうでなによりだ」
「陛下はあまりお変わりないようですな」
「ははは! これは手厳しい」
アルマディヤウスはそう返答して、朗らかに笑っている。年齢差を考えれば、彼に取ってグラツィエラなどまだまだ小娘のようなもの。彼女の口にした嫌みにも似た当てつけなど、アルマディヤウスにとってはなんの痛痒にもならないのだろう。右から左に、柳が風を受けるように、自然な様子で受け流している。
「こうしてわざわざ足を運んでもらえたこと、私の方からも感謝する」
「いえ、僕たちにもここへ来る理由がありましたので」
「ふむ。そうだ。ときにスイメイ殿はどうしているかな?」
アルマディヤウスが訊ねると、それにはティータニアが答える。
「お父様。スイメイは元の世界に戻りました」
「なに? ではスイメイ殿は帰る方法を見つけたのか……!」
「はい。ですが……」
アルマディヤウスの驚きの声を聞いたティータニアは、どこか不思議そうな表情を見せる。ふとしたとっかかりに気付いたような、そんな顔だ。
一方で黎二も同じようにアルマディヤウスの言いように、違和感を覚えた。その言いようでは、水明が現代日本に帰還する方法を見つければ帰れるような、確信があるような言い方だからだ。
「もしや、陛下は水明が魔術を使えることを知っていたのですか?」
「うむ。出立前にいろいろとあってな。だがその様子では、レイジ殿やミズキ殿も知っているようだ」
アルマディヤウスと認識を共有する。やはり、彼は水明が魔術師であるということを知っており、自分たちがこの城にいる間に、何やらひと悶着あったらしい。
肝心の何があったかについては、以前に水明と話したときと同様、はぐらかされたが。
「ふーん。水明くん、王様には言ってたんだ。ふーん……」
瑞樹は教えられていなかったことを思い出したのだろう。頬をぷっくりと膨らませて、あからさまな不機嫌さを表現する。「お土産ないと許さない」「お米とお味噌は最低限」そんなことをぶつぶつと口にしながら、彼女で言う『暗黒面』を感じさせる負のオーラを発していた。
「ということは、フェルメニアもそちらの世界に行ったのか?」
「はい。帰還には白炎殿も付き添いました」
「そうか。では、違う世界の在り方に目を回している姿が目に浮かぶな」
アルマディヤウスはフェルメニアの立ち回りを予想したのか、機嫌良さそうに笑っている。
「先生なら大丈夫だと思います」
「ええ。白炎殿は優秀ですので」
ティータニアと二人、自信満々にそう言う。
そんな中、ふとグラツィエラが訝しげな視線を向けてきた。
「……前々からお前たちに聞きたかったのだが、随分と白炎殿を評価しているのだな」
「当然です。白炎殿は、できる方ですから」
「確かに白炎は器用で才能があるということも認めるが、あのなんとも言えない残念感はどう説明する?」
「残念? 先生が?」
グラツィエラの物言いに眉をひそめると、ティータニアもそれに追随する。
「……グラツィエラ殿下は何か勘違いをしているのではありませんか? スイメイならまだしも白炎殿が残念とは聞き捨てなりません」
「おい貴様ら本気か? それは本気で言っているのか?」
自身とティータニアの言い分に対し、グラツィエラはひどく戸惑っている。その様子はまるで、自分たちとは別の視点からものを見ているということに、いまさら気付いたかのよう。
グラツィエラが戸惑いと困惑をさらに強めると、ふいに誰かが盛大に噴き出した。
「――ぶふっ!」
いまのは誰が――と周りを見回しても、それらしい者はどこにもおらず。
ふと前を向くと、アルマディヤウスが大きく顔を背けていた。肩は小刻みに震えており、声が漏れないよう手のひらを口に当てている。
どうやら笑いをこらえているらしいことが窺えるが、ということは、だ。
「……どうやらアルマディヤウス陛下は把握しておられるらしいな」
「お父様? 一体どういう……?」
「ふむ。スイメイ殿は確か、フェルメニアのことをぽんこつなどと評していたな」
「は……?」
「ぽんこっ!?」
「つぅー!?」
瑞樹と顔を見合わせるが、彼女も心当たりはないというように首を横に振る。
一方で、ティータニアが怒りをあらわにする。
「なんという。物覚えが良いと褒めている裏でそんなことを言っていたとは」
「うーん。水明って基本そういうこと言うのは関係が最悪な相手じゃなきゃ言わないのに……」
「許せません。戻ってきたらその辺り白黒つけなければ……」
「……? ティータニア。そなた随分とスイメイ殿に対して辺りが強くなったな。出立前はそんな調子ではなかったはずだが?」
「え? いえ、それは……」
アルマディヤウスの訊ねに対し、ティータニアが誤魔化すように視線を背ける。
ともあれ娘が問いかけに一向に答えないことを不毛と思ったのか、アルマディヤウスは話の路線を変えた。
「まあ、再開の雑談もこれくらいにしておいて、そろそろ本題に入ろうか。レイジ殿が私に訊ねたいことがある、ということはすでに書状で把握している」
一体何を聞きたいのか。アルマディヤウスがそ油断ない視線を向けてくる一方、ティータニアが周囲に指示を出して、人払いを行う。
「お父様。お伺いしたいのは、ハドリアス公爵についてです」
「……ルーカスか。商隊を囮に使ったというのはすでに報告を受けている。すまぬがそれに関して、私から大きな罰を与えるということはできない。一定の制限を与えることはできるが、スイメイ殿が実力者だとわかっている以上は難しい」
「いえ、その件ではないのです」
「ふむ。ではなんのことだ?」
ティータニアと変わって、口を開く。
「ハドリアス公爵がエル・メイデの勇者エリオット・オースティンを監禁したことについてはご存じでしょうか?」
「ルーカスがエル・メイデの勇者殿を監禁? いや、報告では勇者殿の疲れを癒すため、しばらく逗留していただくということだったが?」
「いえ、実際は彼を脅し、足止めをさせていた。それはいまは置いておきます。僕たちには気になっていることがあるのです」
「なるほど、レイジ殿には別の懸念がおありということか」
「お父様。普遍の鍵という言葉を耳にしたことはございますか?」
「いや、寡聞にして知らぬな」
「この北部大陸の裏で暗躍する者たちの呼び名です。以前にネルフェリアでの魔族との戦争のときには助けにもなりましたが、先ほどのエル・メイデの勇者エリオットのときは、僕たちの前に立ちはだかりました」
「話の流れからすると、それにルーカスが関係しているというのか?」
「はい。普遍の鍵の盟主であるゴットフリートと繋がり、エリオットを監禁したのも何かのたくらみあってのものと存じます」
ティータニアは懸念を伝えるが、しかしアルマディヤウスは信じられないというように目を細める。
「……ルーカスは私の盟友だ。庇うわけではないが、そんなことをするのには何かしら意味があったと思われるが……ティータニア」
「はい。私もそう思います。ですが、動向には注視しておかなければならないと存じます」
「そうだな。ときに勇者殿。ルーカスからなにか話を聞いたことはなかったのか?」
「公爵からの話ですか?」
黎二が訊ね返すと、アルマディヤウスは頷く。
話と言えば、ある。それは、随分と前のこと。
「……一度、クラント市を訪れた折に、公爵の館に呼ばれて話をしたことがあります」
「そのとき、ルーカスはなんと?」
「僕が戦う理由と、女神のことについて話がありました」
「ルーカスが理由をまったく伝えないということはないだろう。おそらくはそれが関係しているのかもしれん。しかし、女神について、か……」
アルマディヤウスはそう呟くと、ふとした思案顔を見せる。
やがて、何かしらの答えが出たのか。
「いまの世のありように、ルーカスも不安を抱いているからだろう。その不安は、やがてアステルを巻き込むことになる。だから暗躍しているのだろう」
「……おそらく公爵は、女神に対する不安があるのかもしれません」
「そうか。ならばこの話は、他の者には明かせぬな」
「はい」
「レイジ殿がルーカスを疑う気持ちはわかる。だが、ルーカスはレイジ殿を邪魔なものだと思っていたか?」
「いえ、積極敵に僕を試し、何かを諭そうとしていたように思います」
「だろう。あの男が本気でレイジ殿を排そうとするなら、ただでは済まないはずだ」
「……はい。それはよく思い知らされました」
「では、レイジ殿に刃を向けたか」
「試すようなものでしたが」
「それは聞き捨てならん事実だな。だが……ふむ、ルーカスならば『勇者に手合わせをしてもらった』というていで押し通すだろうな」
アルマディヤウスはハドリアスの言い訳を予想すると、ふいにこちらの様子を眺める。
「ルーカスと戦ったにしては、何事もなさそうな様子だが」
「いえ、そのときは水明もいたので、一緒になんとかしました」
「なるほどな」
すると、ティータニアが口を開く。
「……正直、スイメイであれば公爵の撃退も可能でしょう。剣の腕はそこまでではありませんが、戦い方が悪辣なので」
「ほう? ではティータニア、スイメイ殿と手合わせでもしたのか?」
「え、ええ。まあ、はい……」
「それで、結果はどうだったのだ?」
アルマディヤウスが訊ねると、ティータニアは目に見えて挙動不審になる。
「べべべ、別に、お伝えしなければならないほどの話ではありませんので……」
「だが、私は気になる」
誤魔化そうとするティータニアをアルマディヤウスは逃がそうとしない。
どことなく、娘の反応を楽しんでいるようなものにも見える。
一方でティータニアは、噛み潰した苦虫が舌の上に残ったかのように、ひどく苦そうだ。
「……負けました。ですがあれは卑怯な手を使われたからで」
「スイメイ殿は剣士ではなかろう。そなたの考える『堂々と』では戦ってくれまい。使い手それぞれの戦術がある」
「それは承知しておりますが!」
ティータニアが食い下がる一方、アルマディヤウスは娘の至らなさにため息を吐く。
「そなたの負けず嫌いはいつまで経っても治らぬな」
「お、お父様!」
ティータニアが悲鳴のように叫ぶ。
ともあれ、アルマディヤウスとの会談は、ここで一区切りとなった。