救われない誰かを救うために
激震と共に、魔力が爆発的に高まる。
ハイデマリーが魔力炉の稼働を限界まで引き上げ、その力によって結界を内側から破却。すでに彼女自身の精神状態ももとの状態に戻っていたため、結界を破ることに関してはさほどの難しさもなかった。
幻影の世界が消失すると、光景はもといた教会内部へと変わっていた。
教会自体を、結界の囲いにしていたためだろう。
結界が消えたその直後、祭壇のあるべき場所から、美しいボーイソプラノの声が飛んでくる。
「――やれやれ、向こうは完全に失敗しちゃったのか。口ほどにもないなぁ」
声の方に目を向けると、そこには白い祭服をまとった美貌の少年が立っていた。
これが、ハイデマリーを閉じ込めていた金髪の少年なのだろう。にしては、神格の送還の邪魔をしなかったこと、ハイデマリー救出の邪魔をしなかったことと、立ち回りにはいろいろと疑問が残る。
何を考えての動きの緩慢さなのか。
水明とハイデマリー共に怪訝に思いつつも、油断なく魔力を高めていると、金髪の少年が質問を飛ばしてくる。
「それで、きみは一体何者だい?」
それは、水明へと差し向けた言葉だ。
彼の訊ねに対し、水明は特に隠し立てすることもなく、答える。
「俺か? 俺は結社が魔術師、八鍵水明」
「――へぇ、結社の夜落綺羅星。そうか、代執行はきみだったのかぁ」
金髪の少年はほうっと感心したように、ふとした感想を口にする。そんな少年に対し、水明はいつものように悪タレさながらに皮肉な笑みを向けた。
「代執行が来るってわかってたにしては、えらく悠長にしてるじゃねぇか。お前らの目論見はついさっき潰れたんだぜ?」
「その言葉は正しくないね。お前らのじゃなくて、彼らのだ。そこにぼくは含まれていないよ」
「……確かにこの一件はサイクスの宿願を叶えるためのものだろうが……お前だってそれに目的を見出してたんじゃねぇのか?」
「そうだね。でも、結局のところは、ぼくにはどうでもいいことなんだよ」
「どういうことだ?」
水明が懐いた疑問には、ハイデマリーが答える。
「つまり、神格と同化しなくても、神格を倒した人間を倒せばいいとか思ってるんだろキミはさ」
「その通り。その通りだよ。神格と同化できなくても、ぼくが神格を倒すことのできる存在を倒すことができれば、その時点でぼくの目的は叶えられるんだから」
なるほどと、そこで合点がいく。
こちらが神格を倒した時点で、目的が切り替わったのだと。
少年には『能力を誇示する』という目的があり、神格召喚がそのツールだった。しかしその神格を倒す者が現れたのなら、むしろ『能力を誇示する』という点では、その神格を倒した相手を倒す方が聞こえはいい。
だからこそ少年は、召喚阻止の邪魔をすることにも、ハイデマリーの救出にも、消極的だったのだ。
要するに、この少年も根っこはハイデマリーと同じなのだ。
豊富な知識と経験のなさが生んだ空白に苛まれ、ホムンクルスのジレンマに囚われている。そしてその空白をどうにか埋めるために、こうして足掻いているのだと。
水明の心が、いくばくかの憐憫の情に揺れていると、金髪の少年は段上から言い放つ。
「夜落綺羅星。きみは、ぼくが倒させてもらおう。神格同化は失敗したけど、きみっていう天才を倒せば、それだけでぼくの空虚は満たされる」
「天才、ね。俺は自分のこと天才だと思ったことはないけどな」
「それは挑発のつもりかい? ああ、確かに効果的だね。その物言いは十分腹が立つ。神格を世から退け、魔に堕ちし十人の二角を倒し、終末の現示たる赤竜を倒した君が、天才でなければなんだと言うんだ?」
金髪の少年の狂言じみた言い回しに、水明はどこか自嘲するようにふっと笑みをこぼす。
「お前は天才って言葉を履き違えてるな。俺は単に往生際が悪いだけさ」
「そう言っていればいいさ。評価するのはきみじゃない、他の人間だ」
確かに、それはもっともな話だろう。自己の評価は他人に委ねるものだ。決して自分で評価したものが、そのまま伝わっていい訳がない。
だが、
「そもそもだ。お前の相手は俺じゃないぜ?」
「まず、弟子を先に倒せと言うのかい? さっきは無様にぼくの結界にかかった、そこの自称最高傑作さんをさ」
「そういうこった。今度はこすっからい小細工なしで、真っ当な魔術戦で倒してみろよ。それができたら、俺がいくらでも相手してやるぜ」
「舐められたものだね」
そうして、金髪の少年はハイデマリーに視線を合わせる。
そんな彼に対し、ハイデマリーはステッキの先を向けた。
「やってくれたよね。まさかあんな手を使ってくるなんてさ」
「それはきみの心に隙間があったからさ。まさか、破って出てこられるとは思わなかったけどね。あのまま結界の中で小さくなっていれば、痛い思いもしないで済んだものを」
金髪の少年が魔力を高める。すると、周囲の景色がゆらゆらと歪んでいった。
「でも、油断はしっぱなしだね。教会はぼくの陣地だ。準備していた結界はあれ一つだけじゃないんだよ」
金髪の少年がそう言い放つと、目眩じみたゆらゆらとした視界が激しさを増し、きぃいいんと金属を引き絞ったような音が聞こえ始める。
魔術成立の訪れに伴う、現象の激化だろう。
しかして、少年が結界発動の言葉を口にする。
「――結界よ! ここに成れ!」
彼の足元に魔法陣が展開すると共に、魔力光で形成されたドームがハイデマリーを包み込む。白く、粉をまぶしたようなそれはさながら、彼女を守るために防御障壁を張ったかのよう。
だがそれは決して、彼女を守るためのものではない。
「これはぼくの拘束結界だ。今度はさっきみたいなお遊びの術じゃないよ? この術で潰れてしまえ」
その言葉と共に、金髪の少年は手を握るような仕草を見せる。するとその手指の縮まり具合と連動するように、光のドームもまた収縮を開始。結界を狭めることにより空間自体を圧縮して、ハイデマリーを圧し固め、そのまま潰してしまおうというのだろう。
活動型収縮結界。
なるほど多彩な結界魔術の使い手である。
これでは内外から貫通力のある魔術を撃っても、あまり意味はないだろう。
さて、なら彼女はどう対処するか。
水明が行動を観察と警戒のみにとどめていると、ふとハイデマリーは、胸ポケットから何かしらを取り出した。それは、彼女が魔術を行使する際、使用頻度がもっとも高い魔術品、トランプとそのケース。
彼女はそこに仕舞ってあったカードを、その場に無造作にばら撒いた。
そして、
「――Wirbelwind!」
(――吹き荒れろ、旋風!)
結界が収縮する最中、ハイデマリーは風の魔術によって、カードを四週へ吹き飛ばす。
結界内を舞ったカードは結界の壁にまばらに張り付き、彼女はそれと見届けると同時に、
「――Handskar av järn. Angriff!」
(――カードの兵隊、攻撃!)
再びの呪文詠唱にかかる。
魔術の講師によって放り出されたトランプが、さらなる魔術によって大きく変じ、手や足が靴や手袋付きでにょきりと生える。その姿はまるで、不思議の国に登場する兵隊たちのよう。剣を持ったトランプの兵隊に、槍を持った兵隊、盾を持ったものまで様々。一斉に結界の際に取り付いて、収縮を押さえようと身を挺して止めにかかる。
「ははは、そんな単純な手でぼくの結界が止めようっていうのかい? おろかしいことこの上ないね」
「ボクだってこんなので止められるとは思ってないよ」
「なに――?」
少年の声を書き消すように、ハイデマリーの魔力が高まる。電流が弾けるバチバチという音と、建物や調度品をがりがりと削る耳障りな音が一緒くたになって辺りに満ち、結界を内から圧する。
吐き出された魔力が色と光を帯びて彼女の周囲を渦巻き、昇竜さながらに結界の天井を突き上げた。
「っ、この魔力は……」
「こんなので驚いてたら間がもたないよっ!」
ハイデマリーは魔力の発露に動揺を見せる少年に対し、叫び返す。
そして、何もない虚空から一冊の本を取り出した。
「魔術書? いや、違う……」
「そう。これはそんな上等なものじゃない。ただの絵本だよ」
ハイデマリーはそう言って、取り出した本の表紙をちらりと見せる。それは、イラストと共に英語が書かれた、古びた絵本だ。子供でも見やすいように、文字に合わせて判型も大きい、まごうことなき児童書である。それ以外になんの特色も、魔術品としての価値もない、ただの絵本。
「鏡の国のアリス?」
「そう。これはボクが初めてお父様からもらったものさ。英語版の使い古しだけどね」
「ふん。そんなものでどうするっていうんだい?」
「どうするって? ボクは魔術師だよ? やるべきことは一つ。そうでしょ?」
「魔術品ならいざ知らず、そんなもので何かできるわけが」
「できるさ。だってボクの魔術は――」
――そう、彼女の魔術は、オリジンマジック。
通常、魔術で言う術式とは、原始的な祈りや願いなどに付随する行為を、形式化したものだ。そのため、一つ一つの基本的な動作はその魔術体系によって決まっているし、不変である。そもそも動作がすでに決まっているので、動作の内容自体を個人が変えられるものではない。
だが、彼女の場合はそれがない。
必要分の仕事も動作さえも、好きな手順で、自由に思い通りの結果を起こすことができるのだ。
言ってしまえば、ただ仕事量が釣り合えばいいというだけ。
魔力の消費量と術式が結果に見合えば、理論上はどんな結果も引き起こせる。
ハイデマリー・アルツバインの魔術は――|小さなおもちゃ箱(Klein spielzengkiste)。子供のおもちゃに分類されるあらゆるものを媒体にして、彼女の夢を具現化させる魔術である。
子供たちの退屈な余暇を慰めるものが玩具だと言うならば、
人形然り。
ぬいぐるみ然り。
トランプ然り。
マジシャンの道具然り。
子供に読み聞かせる絵本だって、彼女にとっては玩具なのだ。
ハイデマリーは絵本を片手に、滔々と呪文を紡いでいく。
「――Taws brillig, and the slithy toves」
(――あぶりの刻、ぬめらかなるトーヴ)
「――Did gyre and gimble in the wabe」
(――四方四辺にありて、螺旋に回り、錐通す)
「――All mimsy were the borogoves)」
(――みな弱く見劣るボロゴーヴ)
「――And the mome raths outgrabe」
(――迷い子ラースは咽び叫ばん)
それは、世界的に有名な童話に語られる一文だ。鏡の中にある世界を訪れた少女と、ずんぐりむっくりなたまごとの問答の中に登場する、ある怪物についてを描いたもの。怪物はわけのわからないことを喚き立てて人を惑わすが、結局最後は真実の剣によってその言葉ごと貫かれて倒されるという。
絵本のページがパラパラとめくれると共に、それは魔術の媒体へと変わっていく。淡い光が仄めくと、流路が形成。ハイデマリーが右手を構えると、焼べた魔力が絵本を通して、稲妻の流路を通り、その手の中に一本の剣を形成する。
「――He took his vorpal sword in hand.And through and through.The vorpal blade went snicker-snack」
(――ヴォーパルの剣その手に取りて、妄言虚飾を穿ち貫く。ヴォーパルの剣が真実刻み、刈り取らん)
しかしてその剣の名は、ヴォーパルソード。
ハイデマリーはそれを突き出すと、金髪の少年へと差し向ける。
「そんな剣でぼくの結界が破れるとでもっ!!」
「思っているさ。だってこの剣は、その由来の通り、魔術を断つものなんだから」
「な――!?」
「――vorpal sword,Vanity cutter!!」
(――真実の剣よ、虚飾を絶て!!)
ヴォ―パルソード・ヴァニティカッター。
怪物の並べ立てたまやかしを斬ったように、この剣もあらゆる魔術を断つものだ。
それを示すように、金髪の少年が造り出した収縮結界は切り裂かれる。
それが、魔術であるがゆえに。
「これこそ、魔術殺し。まやかしはすべて、切り裂かれて消え去るのみ」
金髪の少年の収縮結界はその通り貫かれて切り裂かれ、そのていを成すことができず、消え去ったのだった。
★
ハイデマリーの真実の剣によって結界魔術が切り裂かれたあとは、実に呆気ないものだった。
まさか収縮結界が破られると思っていなかった金髪の少年は、そのまま溢れ出したトランプの兵隊に押し込まれ、抵抗むなしく敗北。気を失った状態で倒れ伏した。
「意外にそうでもなかったね」
「そりゃあ相手がお前だからな」
ハイデマリーの拍子抜けしたような言葉に、水明はそう返す。もともと彼女と彼では、人造生命体としての性能が違うのだ。ハイデマリーは彼の人形術師が生み出した最高傑作であり、一方金髪の少年は、自分の才をひけらかしてはいたが、実際のところは生み出した魔術師に放逐される程度の実力しかないもの。
ある意味、この結果は最初から目に見えていたと言っていいだろう。一時的にハイデマリーを捕えたことは殊勲と言えるが、真っ当な魔術戦となれば、キャパシティの大きいハイデマリーの方に傾くのが当然だ。
いまは倒れている金髪の少年を見下ろす。
水明も、調査書類に目を通していたため、この少年の境遇に関しては知っていた。とある錬金術師に実験の一環で生み出されたあとは、そのまま放逐されて、彷徨っていたのだという。そこへ、サイクス・ルーガーが接触し、今回の事件となったわけだ。
「……なんか、ちょっとかわいそうな気もするな。捨てられて、騙されて、その結果がこれだもんな」
「そうだね」
「でもよ。結局のところ、どうしてホムンクルスは、こういう身に余るようなことをしたがったんだろうな? 何かしたいんなら、もっと少しずつでいいじゃねぇかとは思うけどな」
水明が何気なくそんな疑問を口にすると、ハイデマリーが珍しく顔に微笑みを作った。
「きっと、作った人に、自分は有用だって認められて、受け入れてもらいたかったんだよ。だから、大きなことして、目立とうとしたんだ。あとは――そうだね」
「なんだ?」
「この子には、キミがいなかった。だから、ボクみたいにはなれなかったんだと思う」
ハイデマリーは金髪の少年を見下ろして、そう口にする。その声音には確かに同情の音が含まれており、見下ろす顔も、少しだけ寂しげな様子だった。
「……水明君。ちょっとわがままを言っていいかな?」
「なんだ?」
「この子のこと、千夜会に引き渡さないで欲しいんだ」
「それは別に構わないが、それでどうするつもりだ?」
水明は、少しだけ厳しめに問いかける。いくらかわいそうだからと言って、放逐すれば同じことの繰り返しだ。見逃すなら見逃すなりの、今後の方針を打ち出さなければならない。水明がリリアナを保護したように、それが責任の取り方というものだ。
「お父様のところに送りたい」
「……なるほど。マイスターに教育してもらうと」
「うん。その方がいいかなって思ってさ」
「一筆書いてやってもいいが、先方が了承するか? どこの誰とも知らない、縁もゆかりもないヤツだぞ」
「きっと、大丈夫だよ。渋ったらおねだりすればいいしね」
そんなことを言い出すハイデマリーに、水明は何気なく訊ねる。
「どうしてそこまでする?」
「どうしてって? それをキミが聞くのかい?」
ハイデマリーはそう言うと、
「――救われない者を、確かに救うためだよ」
なるほど、ならば確かに、そこまでする理由にはなるだろう。
「……そか。それなら、きっちり手ぇ貸してやらないとな」
水明はそう言って、倒れ伏した金髪の少年を背負い上げる。引き渡すのを固辞するのであれば、これから千夜会との折衝が待っている。その辺り面倒くさいなと思いつつも、結社の理念によって動こうとする弟子のため骨を折るのは、師として当然だろう。
ハイデマリーの成長ぶりをどこか嬉しく思いつつ、彼女と揃って教会を出る。
外にはフェルメニアたちと、彼女らに拘束された魔術師たちを引き取りに来た千夜会の人間が待っていた。