神格召喚
「……うーん、なんとも残務処理みたいになってしまいましたね……」
フェルメニアは、自身の活躍の場が全くないことを、一人寂しくぼやいていた。
戦い始める前までは、世話になったハイデマリーを助けようと張り切っていたが、いざ戦いとなると思った以上に張り合いがない。この様子ではあまりにも拍子抜けだった。
だが、それも仕方ないだろう。レフィールの精霊の力による大立ち回り、リリアナの暗躍による後衛の各個撃破とくれば、奇襲は万全。魔術師として真っ当な存在である彼女の活躍の余地は、あるはずもなかった。
あとは彼女の言った通り、残務処理のような残党狩りだ。
レフィールが取りこぼした魔術師たちを、粛々と倒すことだけに尽きる。
「――Verbrennen!」
(――焼け死ね!)
魔術師が魔術を行使するが、もちろん、フェルメニアにも通じない。
適切な魔力、適切な設計の魔法陣、適切に選ばれた語句による呪文によって、魔術を撃ち消した。
「巧いっ……」
フェルメニアのカウンターに、魔術師たちが舌を巻く。敵がふと露わにする歯噛みや苦渋は、称賛の証だ。
本人はそう思っていなくとも、
(炎術に光術、雷術……やはりスイメイ殿の言った通りですか)
あらかじめ、どんな魔術を使われるのかは、水明から聞いていた。もっぱら攻撃に使うのは、ほぼ、爆裂の破壊力や高温を頼みとする炎術、貫通力の高い光術、高エネルギーの雷術に限定されるという。属性は様々あるが、確かに威力を頼みとするならば、それらを使うのが最適解だろう。
だが、あらかじめどんな魔術が使われるのかわかっていれば、対策も容易い。そのうえ、相対する魔術師たちは、彼女が師事する水明よりも格段に腕前が落ちるのだ。気を付けてさえいれば、特段珍しい力を持たない彼女であっても、倒すのは難しいことではない。
むしろ彼女の才と、繊細な魔術行使があれば――
「随分と雑なのですね?」
「――――」
フェルメニアが何気なく口にした言葉に、魔術師たちが絶句する。
もちろんフェルメニアには、字面以上の他意はなかった。ただただ、その場その場の感想を言ったまで。だが、それゆえに、魔術師たちは力量の差を痛感させられる。呆れるように繰り出された言葉は、挑発でもないそれゆえに、端的に事実を告げられたとわかったのだ。
自分たちの魔術よりもきめ細かいからこその、美しさ。
その美しさは、魔術師が常に目指し、研鑽するものであり、基礎的な実力の表れとなる。
あとは、特筆して挙げることのない攻防だ。
魔術師たちが攻性魔術を使い、フェルメニアがそれを防御する。合間を見つけて、フェルメニアが攻撃し、確実に一人ずつ倒していく。
それは、まさしく作業のようなものだ。
なんの面白みもない戦い。
魔力炉も最大稼働させない、全力とは程遠い攻防。
そういう風に、なってしまう。
以前の、水明と出会う前のフェルメニアならば、彼らと相対すれば瞬時に倒されていただろう。しかし、いまの彼女は、以前の彼女ではない。魔法使いフェルメニアではなく、魔術師フェルメニアだ。同じ土俵に立つことができれば、才有る彼女、この程度の魔術師などものともしない。
やがて、彼女に相対していた魔術師たちは、ことごとくが無力化されてしまった。
「むむむ……本当にあっけないのですね」
張り合いがない。それがどれだけ力量の差を示すのか、彼女にはまだ、対魔術戦の経験が少なすぎた。
★
――フェルメニアたちの攻撃は、儀式を企てていた魔術師たちにとって、あまりに電撃的だった。
もともと、千夜会から代執行が送り込まれるということは、彼らも独自のルートで掴んでいた。もちろんその情報は千夜会の方からわざとリークされたものであり、その内容も、人員に関してはまったく把握できていないという限定されたものだったが、それでも、代執行が妨害に現れるということを考慮し、それなりの防衛策を取っていた。
それゆえに罠も仕掛け、それに魔術師が一匹まんまと引っ掛かった。
だがその後、一気呵成の攻撃が始まった。周辺一帯に張られた結界魔術の破却作業が始まり、それに人員を差し向けたその直後、それは陽動だったと言わんばかりに正面から主力が乗り込んできたのだ。
彼らも儀式の直前、手が一番少なくなるタイミングゆえ最も警戒をおいていたが、いかんせん相手の能力が高すぎた。
あるいは、魔術よりも高位の神秘による魔術師の蹂躙。
あるいは、老練の呪術師顔負けの呪いの取り扱い。
あるいは、ち密な術式による、こちらの魔術の圧倒。
どれも、一朝一夕で得られる力ではないし、ましてそれを小娘たちが操るなど思いもよらないものだ。むしろ精霊召喚と同格の力については、まるで意味不明という言葉しか浮かばない。あまりに想定外にすぎる代執行側の出方に対し、彼らはその戦力の半分を無力化されてしまった。
だが、
(――まだだ、こんな小娘共に舐められっぱなしでっ……)
魔術師の男――最初にフェルメニアに吠えた男は、膝を突きながらも、いまだ折れぬ反抗心を燻らせていた。
そう、挽回の余地はある、と、魔術師の男はそう考えた。
その通り、まだ彼らには勝利へ至る道は残されてはいたのだ。
手勢は、半分が無力化された。つまり、まだ半分も残っている。ならば、勝算は十分にあった。
女たちを打倒しきれなくとも、神格の召喚の時間稼ぎさえできればいい。降ろしさえすれば、神格の力を利用する。そうすれば、どんな相手でも倒すことができるのだ。
調整用の結界はすでに破却されたかもしれないが、あくまでそれは調整用だ。呼び出す神格を、自分たちにとって最も都合の良い状態にするだけがその役割であって、たとえ壊されたとしても召喚自体が不可能になるわけではない。
だからこそ、魔術師の男はこう思った。
(粘ればいい。ただ、それだけだ)
お膳立ては出来ている。薬を飲んで朦朧とした状態の魔術師たちが、すでに村の中央部に集結し、召喚の儀式を行っているのだ。扇動役がいないことで、若干召喚する力のグレードは下がるかもしれないが、それでも十分。魔術師の女と少女二人も、精霊の力をまとう少女も、強大な神秘の前に屈するよりほかないはずだ、と。
――だが、その勝算も状況がそのままであったのであればの話だ。彼らの敵がフェルメニアたちだけで、それがそのまま変わらなければ、勝利を得ることも決して不可能ではなかった。
彼らの敵が、彼女たちだけであれば。
だからこそ、そんな希望的観測じみた考えは、一瞬にして瓦解したのだ。
そう、あまりに強大な魔力の気配が近づいてきたことに気付いて。
そう、木々が広がる稜線の奥から、突然黄昏が迫ってきたことに気付いて。
「なに――?」
昼間の空が、夕焼けに染まっていく。山向こうで規模の大きい火事が起こったかのように、天が茜色に焦がされる。まだ、日が落ちるような時間ではない。そのうえ、夕焼けに浸食される速度は恐ろしく早い。まるで、早送りでもしているかのように、空の青みが急に失われ、青色がオレンジ色に、オレンジ色が夕暮れの藍色に、そして黒へと目まぐるしく変わっていく。
まるで、その色味がどこかに吸い込まれているかのように。
空が夜天の黒に塗りつぶされて、迫って来る。
そこで、魔術師の男の脳裏に、閃くものがあった。
――星を落とす魔術師は、夜を引き連れてやって来る。
右手に蒼剣を持ち、左手には金色の盾を。
黒衣と稲妻をまといて、千夜の名の下にあらゆる悪徳を断罪する、そのために。
それは、神秘に身を浸す者の常識だ。赤竜の顕現という破格の神秘災害を鎮めた結社の魔術師、代執行八鍵水明。その絶大な力を謳った文言である。
手勢の内の誰かが、息を呑んだ。
「バ、バカな。このうえ星落としだと……」
やがて少女たちの後ろから、黒衣に身を包んだ日本人の少年が現れる。結社の魔術師が好んで着用するスーツには、幹部の証である希望を花言葉とする青薔薇の刺繍が。
片手に清浄な輝きをまとった刀剣を持ち、もう一方の手は無造作にスーツのポケットに突っ込まれている。
まだ年端もいかぬ幼さが残る顔だが、その表情には魔術師の冷酷さが確かに現れていた。
ふと、シルバーブロンドの女が呼び声を放つ。
「スイメイ殿!」
「悪いな。結界を片づけるのにちょっと手間取った。そっちにもちゃんと手勢を配置してたのは、褒めてしかるべきだな。――なあ?」
そう訊ねるような素振りを見せ、火眼金晴を差し向けて来る代執行。まさか、送り込まれた代執行がこの男だとは。確かに神格関連の神秘犯罪、災害に関しては実績があるが、ここ数か月、その消息がわからなくなっていたはずだ。
そこで、ふと気付いた。
「――まさか、リークされていた情報はっ!?」
「そのまさかさ。俺もアンタらも、千夜会のジジイどもの手のひらの上でそれはそれはいいように踊らされたってワケだ」
八鍵水明は疲れたように口にする。だが、その腹の底は多少なり煮えているのだろう。その燃えるような瞳の輝きとは裏腹に、光はひどく冷え切っていたのだから。
「――っ、攻性術式用意っ! 全力で撃ち込めぇえええええええ!」
号令一下。ただ魔術を全力で撃てというだけの指示だが、それでもどういうことかは、仲間たちには伝わった。目の前の強大すぎる脅威に、それぞれの意思が一致したとも言える。攻撃性、破壊性だけに特化した光術が、あらゆる角度から八鍵水明に襲い掛かった。
「―― Primum excipio」
(――第一城壁、築城展開)
端的な呪文詠唱とともに左手が突き出されると、瞬間、金色の魔法陣が空に描かれ、回転、展開する。しかして光術は、盾のように出されたその魔法陣に衝突、激しい火花をまき散らすものの――貫通には至らない。そのまま、八鍵水明は他の光術も防ぐように、腕や身体を動かしつつ、他の光条に魔法陣を対応させて、再度の呪文詠唱。
「――Secondom excipio」
(――第二城壁、築城展開)
直後、金色の魔法陣に更に重なるように、魔法陣がもう一陣、形成された。
「――Tertium ex quartum excipio」
(――第三第四、築城展開)
そのまま詠唱は止まらない。更に更にと、陣が一つ、二つと重なっていく。
絢爛なる金色要塞。
八鍵水明の持つ魔術の中で有名な、防御結界だ。
――通常、一般的な結界魔術は、儀式に必要な要素をすべて揃えてから実行される。陣を張る土地を見出し、境界を敷くための物品を設置し、腰を据えて行われる。それ以外の自分の周囲を陣地として、様々な効果を発揮させる類の術も、事前にある程度の準備が欠かせない。
だがこの八鍵水明の防御結界、解放型築城結界は、そんな大掛かりな手段と時間を必要とする大結界の儀式構成を、築城に見立てて、段階的に構築するという。
城壁を造り、館を造り、様々な効果を持つ装置を設置。それらが個々の儀式となって、更に上位の魔術発動のキーとなり、一つの魔術となっていくのだ。
その間、わずか三分。儀式を必要とされる結界魔術にはあり得ない驚異的な速度を持って行使されるという。
相対的に魔力を大量に消費するが、体内に炉心を擁する偉業者級の魔術師にとっては、魔力量の問題などはさほど大きなものではない。
地脈から星気を引っ張って来るにしろ、空気中のエーテルを取り込むにしろ、限界を引き延ばす方法はいくらでもあるのだから。
おそらくはすでに、魔力炉の稼働を限界にまで引き上げているのだろう。
「――Non amo munus scutum. Omnes impetum Invictus」
(――我が盾は盾にあらず。いかなる攻め手の前にあってもなお堅固なもの。いかなる砲火の前にあってもなお揺るがなきもの)
「Invincibility immobilitas immortalis.Cumque mane surrexissent castle――」
(決して潰えず、不動にて盤石。其は星の息吹を集めたる黄金の輝きに虚飾されし堅城。その名は――)
「――Firmus! Congrega aurum magnalea」
(――我が堅牢。絢爛なる金色要塞)
……やがて、こちらの魔術が通らぬままに、半解放型の築城結界が形成される。
それは赤竜の咆哮を防いだとされる金色のマグナリア。金色の光が、目に残像を焼き付けるほどに瞬き、地面は幾重もの魔法陣が敷設され、中空にも幾多の魔法陣が回転している。物理防御、魔力防御、減衰、時間停滞。要塞であるため出入りは自由であり、内からの攻撃も可能。
最も脅威なのが、これが術者を中心にして『動くこと』だ。いまも、八鍵水明が動くと、魔法陣によって組み上がった要塞のような結界が、彼を起点にして動いている。
……こうなってしまったら最後、この男の守りを貫けるのは、音に聞こえた強大な魔術師たちか、魔に堕ちし十人だけだろう。
「――魔術戦において重要なのは、いかに相手の手札を破るか、もしくは有利な状況を構築するかというのが挙げられる。そういった点で言うと、後者は終始陣地の構築に腐心しなければならないということになる。こんな風にな」
八鍵水明はそう言って、腕を広げて見せる。
それはまるで、この魔術を見ろとでも言うような素振りだ。大魔術を見せて、こちらの戦意を挫きにかかっている。
「くそっ、この状況でご高説とは――」
叫び返したその直後だった。八鍵水明が口を開く。
「――Fiamma est lego.Vis wizard.Hex agon aestua sursum.Impedimentum mors」
(――炎よ集え。魔術師の叫ぶ怨嗟の如く。その断末魔は形となりて斯く燃え上がり、そして我が前を阻む者に恐るべき死の運命を)
「――!?」
魔術行使と同時に、八鍵水明の魔力が唸りを上げ、周囲から空気元素が一気に彼のもとへと吸い込まれていく。こちらが風圧にバランスを崩すのもつかの間、火星の印が描かれた刻印が魔法陣の中心に組みあがり、炎が渦巻き、やがて空中に無造作にも魔法陣が展開。周囲を火の粉が散って溢れ返り、更に輝かせる。
行使のときをいまかいまかと待ち焦がれるかのように、空をもどかしそうにうねる炎。
気付けば八鍵水明の手のひらの上には、真っ赤に赤熱する宝石が浮かんでいた。
――Fiamma o Ashurbanipal.
――ならば輝け。アッシュールバニパルの眩き石よ。
「ま、待て――」
懇願にも似た悲鳴の声は、宝石圧壊の直後に起きた爆音によって掻き消えた。
さながら鼓膜が吹き飛んだかのように音が無くなり、機械音のような耳鳴りが遠くからやって来る。先ほど仲間の魔術師たちが使った炎術とはまるで比べ物にならない威力の火炎と爆轟が、周辺を蹂躙。木々が折れ曲がるほどの爆圧が駆け抜けていった。
咄嗟に身を伏せて防御障壁を張ることできた者は――多くはなかった。
「ぐ、あ……」
防御をしても、『魔術師の炎』を防ぎ切ることはできなかった。身体のあちこちが、火傷の痛みにじうじうとした苦悶の声を上げる。
やがて炎が収まると、そこにあったのは阿鼻叫喚の巷だった。防御しきれなかった仲間の魔術師たちが地面をのたうち回り、ひどい焦げ臭さが辺りを漂う。地面は赤熱して溶けており、赤い色味がまだ残像として両眼に焼き付いていた。
音だけは拾おうと、鼓膜を治癒の魔術で癒す最中、ふと後方に引っ込んでいた仲間たちが到着し、他の仲間を助けに入った。
「おい! 大丈夫か!?」
「ぐ、火傷が、身体に……」
抱え起こして治癒をかけている。だが、意外にもその惨状を作り出した代執行は、ただ見ているばかり。火傷が治癒すればまた戦力は元に戻る、否、後衛が到着したせいで充実する。それなのにもかかわらず、殲滅にかからないというていたらくぶり。
むしろその様に彼自身、意外そうな視線を向けていて、
「ほう? 仲間を助けるくらいの気概はあるのか。だが、いまに限ってそれは悪手だな」
「なに――がっ!?」
ふいに助けに入った仲間が声を上げた。そしてそのまま、苦悶の唸りを上げて地面へと崩れ落ちる。
「な、なんだ?」
「おいどうした――がぁああああああ!」
一人が不可解な苦しみに沈んだのを契機に、助けに入った仲間たちが次々と苦しみだした。それはまるで、火傷の痛みがその者たちにも移ったかのよう。
一方で、見ているばかりだった八鍵水明が、呆れたようなため息を吐く。
「金枝篇をちゃんと読み込めよ。魔術の基礎だぞ?」
「きんし……これは、そうか。感染、魔術……」
感染……そう、感染だ。魔術の基礎とも言うべき、感染の法則。呪い持つ物品に触れると呪いが移るという、魔術の中でも初歩的な法則だ。仲間は呪いを受けた者に触れたことにより、同じ呪いを受けたのだ。
……世にはハーグやジュネーブなどの規制条約によって使用を制限された兵器があるが、魔術師たちの中にも、使用を禁止されている魔術というものが存在する。
禁術と呼ばれるそれらは、威力の高低にかかわらず、効果があまりに残忍、残虐であるため、通常の魔術師が使用すると厳罰の対象になる。
しかし、代執行はその束縛に囚われない。世の平静を乱そうとする魔術師を断罪するために、毒を以て毒を制すとばかりに、禁術行使の自由が約束されているのだ。
洗脳魔術とも言われる、強暗示の自由行使。
時間制御による命の永続封印。
あらゆる大魔術の行使監督権。
病魔や猛毒による局地汚染。
そして――
「か、感染魔術の限定解除による呪詛感染かっ……」
触れれば、呪力が移り、効果を発揮する、ウイルス性の呪いだ。ひとたび市街地でこのタイプの魔術が放たれれば、都市機能は瞬く間に崩壊するだろう。助けに入った者がいまの自分たちのように、二次被害を受ける。原因が解明されないまま、三次、四次と続き……やがてはパンデミックに発展する。
世界を亡ぼせる効果を持つ魔術。
それゆえに、呪詛感染魔術は、千夜会から禁術指定を受けているのだ。
魔術師の少女たちも、その脅威――いや、恐ろしさを悟ったのだろう。
人が苦しみながらバタバタと倒れていくというあまりのむごたらしい惨状に、言葉を失っている。
「こういうのはあんまり好きじゃないんだがな、悪党どもに使う分には、心なんて痛まないんでな」
とはうそぶく、八鍵水明。そんなことを言うが、これはまだ優しい方だろう。執行辞令が下りた相手は、基本的になんらかの理由を付けて殺害されるのが常だ。軽めの神秘犯罪ならばもちろん捕縛となるのだが、犯罪のグレードが上がると簡単に捕縛させてくれるような連中もいなくなるため、代執行が自衛を考慮し文字通り葬り去る。
苦しみはあるものの生かしている時点で、まだ慈悲深いと言えよう。拘束にキャパシティを使わず、呪いの伝染を利用して自動で無力化する手法には、同じ魔術師として戦慄を禁じ得ないが。
ふとシルバーブロンドの女が、八鍵水明におそるおそる訊ねた。
「す、スイメイ殿……この魔術は、私の『雨叢雲に燃ゆる白』とは」
「違うだろ? あれは『飛び火』だが、こっちは『感染』だ。ああ、こっちでは使うなよ。許可された者以外が使うと、捕まるからな」
八鍵水明はそんな風に口にして、なんてことはないというように肩をすくめた。
「ま、こっちの世界で使えば、この通りだ。術としては、ほぼ完璧な性能だろ?」
ごくりと、唾を飲み込む音が聞こえて来る。仲間さえも戦慄するその実力。三人の少女の視線には、驚きと緊張が確かにあった。
赤髪の少女が、半分呆れたような息を吐く。
「規模の大きな魔術の多重行使もそうだが、そのうえこの効果とはな。確かにこっちに来ればもとに戻ると言っていたが、それにしてもここまでとは予想外だった」
「俺は、威力が落ちないと言っただけだ。もっと強いのが撃てないとは言ってないぜ?」
「スイメイ君、君はそろそろいい加減にした方がいいぞ?」
「いや悪い悪い」
八鍵水明のくつくつという笑いが響くそんな最中だった。
突然、周囲が揺れ始める。
地震のようで、地震ではないそれは――神秘力場揺動の発現だ。甚だしい神秘現象の発生直前に起こる、前兆現象である。空間自体が軋むような音と女を引き裂いたような悲鳴を上げて揺れ、塵が舞い上がり、地面を転がる石ころが電流を帯びて弾け散った。
そんな揺れが始まった直後、村の中心部から光が溢れ出す。八鍵水明の『蒼に清められた刀身』によって作られた疑似的な夜天。その暗界を引き裂くように立ち昇る光は、彼が作り出した金色の輝きに匹敵するほど眩く強い。
魔術師の男が、慌てて近くにいた他の魔術師に確認する。
「ッ、式は――!?」
「成ります!! 間もなく!」
「ふはっ、ふははははは! 馬鹿め! 悠長にしているからこうなるんだ! これで俺たちの勝ちだ!」
神格召喚の儀式がやっと完成した。魔術師の男は、火傷の痛みも忘れたかのように、勝利に陶酔しきった哄笑をまき散らす。これで、勝ちだ。神格という規格外の力の権化が現界する以上、こちらの勝利は揺るがない、と。
廃墟が吹き飛び、地面に白線を引いた巨大な魔法陣が回転、展開し、更に大きく広がっていく。
「す、スイメイ殿、これ、は……」
見れば、シルバーブロンドの女が震えていた。本人もその震えの出所がわからず、困惑しているらしい。だが、当然だ。魔術師であるゆえ、感じ取っているのだろう。言い知れぬ寒気が背を駆け上がったように、顔を青ざめさせている。それは、菫色の髪の少女の方も、同じ。
平静を保っているのは、代執行八鍵水明と精霊の力を操る赤髪の少女のみ。魔術師の男の仲間でさえも、神格召喚という大作業が伴う強大な力の発現に、動揺を隠せないでいる。それは魔術師の男も、例外ではない。
やがて一際強い発光と共に、魔法陣からまだ安定していない神格が這いずり出ようと、陣の際に手をかける。まだ形が安定せず、どろどろがまとわりついたような腕が、まるで奈落をよじ登ってきたかのように、その身を現世に引き上げようと力を込めた。
「スイメイ君! 召喚されているぞ!」
「まずい、です……」
赤髪の少女と菫色の髪の少女は、止めようと魔力を高めるが――八鍵水明がそれを片手で制した。
「す、スイメイ君! なぜ止めるんだ!?」
「――召喚の基本だ。大儀式による召喚は、その途中で強制的な介入を試みると、跳ね返って思いもよらぬ惨事を引き起こすことになる。それなら、召喚しきったあとの安定しないまどろみの内に、相手を帰した方が安全なんだ」
「そうなの、ですか?」
「ああ。調整用の結界はもう破却しているからな。神格との同化がすぐにできなくなった時点で、俺たちに負けはない」
「なら」
「存在が確定したところを、一気に吹き飛ばす」
そんな風に軽々と口にするが、そんな目論見が容易く実現できるとは思えなかった。
「いくら貴様が代執行だからといって、そうそう簡単に神格を帰す術など――」
「ないと思うか? 残念ながら、もう通り過ぎた道だ」
八鍵水明が傲然と口にすると、魔術師の男の仲間が口々に叫ぶ。
「ハッタリだ! そんなことできるわけない!」
「相手は神格だぞ!」
「いち魔術師がどうにかできる相手ではない!」
そんな風に、無理だと、こちらの勝利は確実だと。まるでそれは、不安を絶叫で掻き消してしまいたいというようなそんな希いにも聞こえてくる。
そこで、落ち着きを取り戻した魔術師の男は、ふとした心当たりに行きつく。
ぞわぞわと、背中を駆け上がる悪い予感。そう、この男が今回の執行辞令に選ばれたのには、理由があるはずだ。
八鍵水明は以前に、神格を追いやった実績があったから、この件にかかわったではないのか――
「……聖なる稲妻」
図らずも口から漏れた呟きが、八鍵水明の笑みを誘う。
それは、目の前の恐るべき脅威など物ともしないような、不敵な笑み。
衝撃と震動は、いまもってなお続いている。白線の魔法陣からは常に強い力が溢れており、その余剰が電流となった辺りを侵し、青白い発光が粘土をこねくり回したかのように形を変え、段々と巨大な神格の姿を形成していく。身体のどこかが現世に触れると、塵となって崩れ、漏れ続ける風圧がそれを吹き飛ばした。
……頭だ。頭が出た。巨大な目玉。いびつな顔形。神を神聖なものと崇めるには者には、あまりに冒涜的な姿だろう。やがて、その不安定な姿が、召喚した者がイメージしたものに定まっていく。神々しさに近付こうと。膨張、収縮を繰り返して整形され、やがて魔法陣の奈落から這い上がり、その全貌があらわとなった。
その神威に耐え切れず、膝を突く者も現れるほど。少女たちも例外ではない。
それは、正に災害と言って差し支えないものだった。それに匹敵するだけの猛威が、この中には内包されている。
善なのか、それとも悪なのか。何を成すのかも定まらず、周囲のものを破壊する。それゆえこれは未だに、災害なのだ。
だがそんな災害を前にしてなお、八鍵水明は余裕の表情を浮かべている。手に持っていた水銀刀をくるりと旋転、地面に突き刺し、スーツの着心地を整えるように襟を揺らす。
そして――
「――Abreq ad habra」
(――死よ。汝は我が雷が前に滅びん)
八鍵水明が右手で刀印の形を作ると、瞬間、雷気が現れる。
空に浮かぶ雲から、遠く離れたどこかの街から、あらゆる電気を根こそぎ奪い取らんとするかのように、周辺一帯に電気に属するエネルギーが、青ざめた稲妻となって集まってくる。
同時に、彼の背後に現れる無機質な女の胸像。
しかして番うは、真詠唱か――
「Dicite.Qui conturbat me.Ut omnis qui interfieit vos ad me.Ergo mors meus es tu.Fulgur caeruleum.Procal.Qui praemisit personam.Fulgur dissipati――」
(そう。いまここに告げる。我が前に立ちはだかる者、汝は我に仇成す者なり。ゆえに汝は、我が万難たる死に他ならない。ならば青ざめた稲妻よ。その行きつく先よ。綰ねし先にあるものよ。我が雷が前に散華せよ――)
無造作に散っていた稲妻が、まるで水面の波紋を逆回しに再生したかのように、八鍵水明の指先へと集う。刀印の先には、青白い球体と化した高エネルギーとそれをいまもって圧縮し続ける魔法陣。やがて神格が水明へ腕を伸ばすと、八鍵水明も半身を前に出してその稲妻の切っ先を差し出した。
神格へ向かって魔法陣が連なっていく。それはまるで流路のように八鍵水明のもとから神格のもとまで延び切り――
「還れ。あるべき場所へと」
引き裂かれた女の絶叫と共に、蒼白い奔流が神格を貫き、天の雲を切り裂いて、漆黒の空に閃いた。