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情報屋ウィゲル



 結社の本拠地を訪れた翌日、水明は、ドイツの金融都市であるフランクフルト、その駅周辺にいた。



 リリアナの手術が終わったあと、古城(アルトシュロス)でやっておくべきことに一段落着き、その日はフランクフルトにあるホテルのスイートに一泊。ポーターへの金払い(チップ)の良さに、異世界組から胡散臭そうな目を向けられたという一幕はあったものの、次いで二日目は、ある目的のため、こうしてお出かけとなった。



 目下の心配事であったリリアナの目の手術についてはつつがなく終わり、状態もすぐに動けるほどに安定。手術をしてからすぐ動く……というのは普通考えられないことだが、その辺り魔術による治療であり、施した術者の力量だ。



 昨今の病院よろしく、日帰り手術並みである。

 リリアナの調子も、見たところ普通の様子。いまは手術をしたとは思えないほど足取りも良く、いつものよう。



 高層ビルの反射を眩しそうにして、手で光を遮るリリアナ。そんな彼女に、水明が訊ねる。



「リリアナ、目の方はどうだ?」


「はい。特に、問題は、ありません」



 やはり、口調もいつもの舌っ足らずな調子。見た目からも魔術的な観点からも、不自由しているようなところは見て取れない。すみれ色のツインテールを揺らして歩くゴスロリ少女。隠していない方の片目で、歩く人々を興味深く窺っている。



 そう、片目だ。眼帯は以前のように付けたままである。



「なあ、眼帯(それ)は外さないのか?」


「これは、博士から、外したらダメだと言われ、ました」


「ふぅん?」



 なぜ、と訊ねるような視線を向けると、リリアナは、



「なんでも、これを外すと、私の『あいでんてぃてぃ』なるものが、薄れてしまうゆえ、だそうです」


「アイデ……あの妖怪博士は……だけどちゃんと『使える義眼』を付けてくれたんだろ?」



 水明が言った『使える義眼』とは普通の目のように『機能する義眼』のことを指す。現在の医療技術では機能を代替する義眼を作ることは不可能だが、その辺りは魔術師。超常的な技術によって、大抵のことは可能としている。



 リリアナが肯定するように頷く。



「そう、です。博士が作ったものを、移植したらしい、です。具合は、とても良好、ですよ?」



 普通に使えることもそうなのだが、水明には他に気になっていることがあった。



「なあリリアナ。変な機能とか付けられてねぇよな?」


「……付いて、ます」


「あ、あの妖怪めぇ……」



 水明は、オプションサービスは絶対やめろと口をすっぱくして言ったのに、博士は聞かなかったらしい。



 おかしなものを付けられたなら、保護者として断固として抗議に行くべきところだが。



「大丈夫です。なんでも、魔眼というものだそうで」



 魔眼。その言葉が、フェルメニアの興味を引いたらしい。



「リリィ! その能力とは一体!?」


「視認による顕在化、だそうです」


「視認による……ええっと」



 フェルメニアは聞いただけではわからなかったのだろう。彼女はらしくなく間抜けそうな表情を浮かべる。



「視認による顕在化って……なんだ。見鬼みたいなモンか?」



 水明はそう言って、知識の宝庫であるハイデマリーに視線を向けると、



「ニュアンス的には近いんじゃないかな?」


「すいめーも、あちらの世界の魔法使いが、霊視能力に、乏しいのは知っています、よね?」


「あんまり見えないのは俺も知ってるが……」



 異世界では、魔物や魔族という、『人間と敵対する対象』がはっきりしているため、あまり霊視という概念が薄い。そのせいか、闇魔法の実態やアストロソスの影などについてもまったく理解が及んでいない有り様だった。



 だが、この能力を得ることができれば、そう言ったものの動きを把握しやすくなるだろう。現世に現れて、強制的に『実質』を浮かび上がらせることができれば、撃退もしやすくなるはずだ。そう言った存在に狙われやすいリリアナには、うってつけの能力だろう。



「それで、観測できるようにしたと。なんだかんだ考えてくれるんだよなぁ」


「いつもあんな感じだけどね」


「それさえどうにかなってくれたらいいんだが」



 とは言うが、あの奇っ怪ぶりはきっとどうにもならないだろう。あれで三百年近く過ごしてきたというのだ。矯正は不可能と言っていい。



 水明はそんなことを思いながら、合いの手を入れて来たハイデマリーを見る。昨日は何故かやたらと機嫌が悪かったが、どうやら今日はいつもの調子らしい。ただ単に、エントランスでの騒動に巻き込まれたせいで、虫の居所が悪くなっていただけだったのか



「……なに?」


「いや、なんでもない」


「そう」



 窺っていたことを適当に誤魔化して、駅前から歩道を進む。

 やがて標識のあるところまで歩くと、ふとレフィールが辺りを見回して、



「それで、これから、どこに行くんだ?」


「あそこだよね。いつものとこ」


「いつもの?」


「ああ。いつも行ってる店にな。これから情報を買いに行くのさ」



 そう、今回の目的の一つが、情報収集だ。先日水明のもとに届いた代執行の仕事についての情報を更に仕入れに、情報屋のもとを訪れる。

 千夜会から降りて来る代執行の仕事は、基本指令を与えてあとはほったらかしというのが多い。それだけ人員不足で、人手を割けないからなのだが、それゆえ委託先がその辺りの穴埋めまでしないといけないのだ。



「……? 今回は珍しく頻繁に情報が入ってたみたいだけど?」


「今日のは、その情報の裏取りだ」


「専門機関の調査の裏を取りに情報屋に行くって言うのがまた、ね」


「それだけヤツの情報が正確だってことだ」



 やがて、目当ての路地裏に到着する。ここからは奥に進めば進むほど、空気が徐々に粘ついてくるのだ。じっとりと。まるで闇が汚泥のような湿り気を帯びたかのように。



 普通の人間が迷い込めば、一分もしないうちに吐き気で退散するだろう、そんな気色の悪さがある。

 もうこの辺りから臭気が漂ってくるためか、ふとレフィールが顔をしかめる。



「これは……悪い匂いだな」


「……興奮作用のある、類の薬、ですね」



 リリアナが煙の臭いを嗅いだだけで、その効果を断定する。向こうの世界ではスパイのような仕事をしていたため、こういった知識も仕込まれているのだろう。確かにこのマリファナカフェでは、アッパー(カンナビスサティバ)を使う人間が多いため、彼女の言葉は当たっている。ふとした臭いを吸うと、鼻の奥がひりつくような刺激を感じるのがその証拠となるだろうか。



「こっちだ」



 水明がさらに奥に行くよう促すと、異世界組三人は警戒しながら付いてくる。当然だろう。こんな闇の深そうな場所なのだ。それに比べ、毎度水明と一緒に立ち入っているハイデマリーは慣れたもの。散歩のような気軽さで、足取り軽く付いてくる。



 ふと、レフィールが低い声を出す。



「……結構な数いるな」


「ああ、気にしなくていいぞ。手を出してくるバカいないからな」



 路地裏の闇に潜む影を警戒するレフィールたちに、安心を促す。

 やがて暗い路地に、夜のクラブのネオンサインが点滅しているのが見えてきた。そこには大きく、|コーヒーショップ(Coffeeshop)の文字。



 ――このコーヒーショップの表記、ドイツの隣国であるオランダでは大麻(マリファナ)を売っていると公言する看板だ。無論、いまのオランダでも取り締まりの強化によってほとんど見かけることはなくなったが、欧州でこの表記は周知の事実と言っていい。



 そしてここドイツでは大麻の所持が認められているのはベルリンのみだ。それ以外の都市は取り締まりも厳しいため、存在しないはずなのだが――裏通りの闇は夜の闇よりもなお深く暗いのである。



 一般客お断りを示す壁の赤黒い染みを横目に、地下へと続く階段を下っていくと、「Jazz und Cannabis」の表記と木製のドアに出迎えられる。



 そんな中、



「す、スイメイ殿……私はもうダメですぅ……」



 フェルメニアが鼻を押さえ、ギブアップ宣言。その場でうずくまってしまった。



「臭いがダメなのか?」


「申し訳ありません。気分の方がすぐれず……」


「……しゃーないか。悪い、マリー。介抱してやってくれ」


「……いいけど。話はあとでボクにもちゃんと聞かせてよね」


「わかったわかった」



 ハイデマリーがフェルメニアに手を貸すと、フェルメニアは申し訳なさそうに謝罪する。



「今度は対策をしておきますので」


「ああ、魔術師にハーブや麻薬は切っても切れないものだからな。匂いくらいには耐性つけとかないとな」



 慣れないのは、やはり異世界人ゆえだろう。彼女は貴族のお嬢様で、しかも王宮に通うエリートだ。異世界の魔術体系もあいまって、麻薬には触れる機会がなかったのだろう。以前、シーバスが簡単にハーバル・マジックに引っ掛かったのも、そのためだ。



 階段を登っていくフェルメニアとハイデマリーを見送った水明たちは、気を取り直してドアへと向かう。



 立てつけの悪いドアを開けると、耳に飛び込んできたのは、ジルヒャーのローレライだった。どういった趣向でクラシックなどチョイスしたのか、落ち着いていて眠気を誘うような音楽に、違和感を拭えない。相変わらずこの店の音楽のセンスはどうかしている。



 店内は、暖色系の間接照明で照らされていた。だが、石造りであるため、やたらと灰色。天井や石壁の亀裂にはヤニがこびりついており、無駄に年季を感じさせる。



 店内を見回すと、客の姿がチラホラあった。煙を吸って気分がハイになっているのか、不気味な笑みに囚われている者、吸い始めたばかりなのか、席に座りながらぼうっとした様子で煙を吹かしているものなど。ウイスキーの銘柄がずらりと並ぶカウンターでは、店のマスターが物静かにグラスを磨いている。




「お、星落としのダンナじゃないですか? 生きてたんですかい?」


「最近来ないと思ったら、まーた女連れだよ。相変わらずだなー。幼女もいるけど」


「旦那ぁ、荒事はなしにしてくださいよ?」


「お前らが大人しくしてたらな」



 水明が鬱陶しそうにそう言うと、客たちは一斉に笑い声を上げた。



「俺たちが大人しくしてても厄介事を呼ぶでしょうに」


「はははは! ちげぇねぇな! ははははは!」



 常連共はだいぶ気分が昂揚しているらしい。いかつい強面、全身に入れ墨を入れる者、体中に傷がある者など、堅気ではない人間の巣窟だが――それでも水明に舐めた態度を取る者は決してない。それも当然だろう。魔術を志す者は、その筋の人間も震え上がるほどの、後ろ暗い人間たちの極北に位置している。魔術師に下手な因縁を吹っかけて、目を背けたくなるような末路をたどった者は、それこそ星の数ほどもいるのだ。



 彼らも、ここで水明がひとたび火眼金晴を輝かせれば、マリファナを吸っていたことも忘れて縮こまってしまうだろう。



 中毒者たちを適当にあしらいつつ、マスターに目を向けると、彼は指し示すように視線を横に流す。

 といことは、いつもの場所か。そう考えて店の中を進んでいくと、見覚えのある人間に出くわした。

 それは、ローブを羽織った背の高い男と、ロングカーディガンを羽織った少女で――



「げ……」


「ああー、星落とし!」



 こちらを視界に入れた途端、少女から天敵にでも会ったかのように声を上げられた。

 赤茶色の髪をアップにまとめているカーディガンの少女。一見東洋人にも見えるが、よく見るとそうでもないような、不思議な印象を抱かせる。一方の背の高い男の方は、少女の方が騒いでも、知らぬ話と寡黙を貫いたまま。



 鮮血のように赤い瞳で、水明たちを睥睨する。



「ご無沙汰しております。司祭」


「……ああ」



 水明が魔術師の礼に則り挨拶をすると、背の高い男は短く返答する。寡黙さとは対照的に、少女の方が姦しく騒ぎ出した。



「なんか失踪してるって話きいてたけどー? もしかして結社のイジメに耐え切れなくなったとかー?」


「イジメられてなんかねぇよ。お前には関係ない」


「ふーん。相変わらずー。教えてくれてもいいじゃーん」


「……お前と慣れ合うつもりはない」



 水明が素っ気なくそう言うと、ふと、背の高い男が彼女のカーディガンを掴んだ。



「行くぞ、リオ。用事は済んだ」


「へ? ちょ、おししょー! ふ、ふくー! そこ引っ張ったら服が伸びちゃうのー!」



 背の高い男は、リオと呼ばれた少女の首元をむんずと掴んで、引っ張っていってしまった。

 騒がしいのが過ぎ去ると、レフィールが眉をひそめ、



「あれは、知り合いか? どちらも只者ではない感じだったが」


「まあな。ヤバいぞ。司祭の方は紀元前クラス、こっちの魔術師の中では最強の一角だからな」


「あれが……」



 レフィールが再度振り返る。しかし、ドアを開けた気配も感じさせず、ローブの一味は店内から消えていた。



 水明たちが更に店の奥を目指して進むと、奥の席に、目当ての人物を見つけた。

 それは、ファー付きの長いコートを着込んだ若い容貌の男。まるで書物に登場する悪魔さながらのギザギザの乱杭歯に、異常に伸びた口角。色付きのサングラス越しでもわかるほど、目がらんらんと輝いている。一見して、人間には見えない人物であった。



 いまはマリファナを吹かして、まるで不良か何かのように、椅子が傾くほど後ろに重心を置いて腰掛け、テーブルの上に足を交差させて置いている。

 わざわざ足を運んだのは、この『情報屋のウィゲル』に会いに来たためだ。まるで悪魔のような見た目をしていて、それと同じように耳も目も悪魔じみている人物である。



 ウィゲルはマリファナの束を加え、吸い込んだ煙を一気に吐き出す。

 そして、水明に対し気安そうに手を上げた。



「――よう旦那。そろそろ来る頃だと思ってたぜ?」


「ああ、そうかい」


「で? 今度のバカンスの場所はどこだったんだ? この世にオレさまも知らないリゾートがあるとはと思ってなかったが」


「その通り、この世にない場所さ」


「へぇ? 世のしがらみからバックレることができる場所なんて是非とも知りたいねぇ。で?」


「異世界だ」



 そんな言葉を口にするだけで、渋柿の味が口の中によみがえる。

 水明が渋い顔でそう言うと、ウィゲルは一瞬固まって、大きなため息を吐き出した。



「……oh。旦那ぁ……ついにアレか? 踏み外しすぎてついに残念な感じになっちまったか?」


「なってねぇよっ! マジだわ!」



 水明がウィゲルに叫び返すと、人をおちょくったような笑みを向けてくる。だが、嘘でないことはすでにわかっていたか。その証拠に、ウィゲルは水明のすぐ後ろに視線を向けた。



「その証明が、そちらの赤い髪のお嬢さんってワケか?」


「別に証明するために連れて来たわけじゃないけどな」



 そう言って軽く振り向くと、レフィールが目を細めていることに気付いた。

 視線の先にはウィゲルが。警戒を更に強めたように、精霊の(スピリット)まで露わにしている。



「そう凄んで睨むなよ。オレさまは悪いヤツじゃないぜ?」


「だが、悪いものではあるだろう?」


「ケケケ……」



 敵意を多少和らげるレフィールに対し、ウィゲルは不気味な笑みを浮かべている。

 そして、



「今日は人形姫は連れてないのか?」


「いまはちょっと外してもらってる」


「へぇ? 可愛い助手をのけ者か?」


「別にそんなんじゃねぇよ」


「旦那、そんなこと言ってやるなって。置いてけぼり食らったせいか随分慌ててたんだぜ? あちこち飛び回って、ここにも結構な頻度で顔出してたしな」


「そのせいか、最近なんか不機嫌でな……」


「おいおい、人形姫が不機嫌拗らせてんのは旦那が優しくしてやってないからだろ? それは旦那の自業自得だ」


「優しくって……でも普通にはしてると思うぜ?」


「大方憎まれ口ばっかり返してるだけなんだろ? 女ってのはな、なんだかんだ男に優しくして欲しいモンなんだぜ?」


「あいつがねぇ……」


「それがわからねぇから旦那は童貞だ童貞だって言われるんだ。どうせその可愛い子ちゃんたちにも手え出してないんだろ?」


「童貞は余計だっての! いい加減いちいち言うの止めやがれ!」



 このウィゲルという男、わざわざ混ぜ込んでまで言っている節がある。節もなにも、確信してやっているのだろうが。



 ふと、ウィゲルがリリアナに視線を落とした。



「おうお嬢ちゃん、なんか悪いものでも食ったな? おかしなモンがまだまとわりついてるぜ?」



 まだリリアナから離れ切っていない悪意を見て取ったか。その辺りさすがだが、



「確かに、悪いものでは、あります」


「昔のオレさまもそんな感じだったなぁ。懐かしい」


「そうなのか? というかそれならアンタどうやってもとに戻ったんだよ?」


「オレさまの場合はそのまま毒を食らいまくった。過ぎれば、過ぎた力を得る。そうしてそれを乗り越えるに至った……ってヤツだ」


「はー、参考にならんわ」


「ケケケ、旦那の親父にも言われたよ」



 ウィゲルはそう言って、マリファナ臭い息を一息に吐き出した。リリアナが顔をしかめて口元を隠すと、レフィールが庇うように背中に隠した。



「……それで旦那? 今度の厄介はどんなだったんだ?」


「まあ、いろいろな」



 水明がそっけなくそう返すと、ふいに二人から視線を向けられていることに気付いた。



「なんだ、どうした?」


「いや、もう何度目かわからないが」


「すいめーは、歩く厄介製造人、です」



 レフィール、リリアナの二人から、毒が吐かれる。だが水明も仲間からいろいろ言われのるはもう慣れたもの。気にしたってどうしょうもないと、水明はウィゲルに向き直った。



 そして、



「そうだな。面白い話聞かせてやろうか?」


「お? 真面目な旦那にしちゃあ随分気が利いてるな。女の前でいいかっこしぃか?」


「うるせぇよ。……異世界でクドラックが生きてやがったぜ?」


「――!? へぇ! そいつはすげぇな! 瀕死にされた挙句、旦那の雷喰らって位相の彼方にぶっ飛ばされたじゃねぇか。それでも生きてるたぁ、業が深いなあの野郎も」


「まったくだ。角なんか生やしやがって、どんな趣向だっての。悪趣味極まりないぜ」


「ははははは! さすがはご同類! 悪魔にでもなったか! ははははは!」



 ウィゲルは一際高い笑い声を上げる。ツボにでもはまったか。しばらく笑い転げていると、やがてその目を細くして。



「で? きっちりトドメは刺したのか?」


「まだだ」


「だろうな。あの野郎は一筋縄じゃいかないだろうしな。ま、オレさまと風光の旦那だったら、瞬殺だろうけどよ」


「そうのかよ?」


「じゃなかったらあの野郎、風光の旦那がくたばるまで待たずに動き出してるだろ? あいつは基本ビビりなんだよ」


「ビビり、ねぇ……」


「自分の死に、じゃないぜ? あの野郎は他人を救済できないことをひどくおっかながるのよ。生まれながらのメサイアコンプレックス持ちさ」


「メサイアって、それ意味違くねぇか?」


「旦那、細けぇこと気にするとハゲるぜ? 童貞でこの上ハゲになったら救いようがねぇと思うが?」


「テメェはいちいち、いちいち、人のことを……」



 相変わらず物を言うと余計なことからなにからなにまで、口から飛び出す男である。水明がぶちまけたいのをこらえ、腹の中にどうにか押し留めていると。



「で、旦那。今日はどんな用件だ? 旦那があの野郎を出汁にした世間話にくるとは思えねぇ」


「……ふん。ただのご機嫌伺いかもしれないぜ?」


「どの口で言うんだよ? 旦那がオレさまにご機嫌伺いに来るなんざ、明日世界が滅びるぜ」



 ウィゲルがそんなことをうそぶくと、



「ヤバいぞ! ヤバいぞ!」


「ヤカギの旦那が明日世界を滅ぼすらしい!」


「おかーちゃーん! たすけてー! 童貞に殺されちゃうよー!」


「大人しくラリってろこのクソ中毒者共が!」



 水明は茶々を入れるように騒ぎ出したバーの客たちを一喝する。ひとしきり彼らを威嚇したあと、手提げ鞄から一つの包みを取り出して、テーブルの上に置いた。



「今日の話は、まずこれだ」


「それ、は……」



 取り出したものに真っ先に反応したのは、リリアナだった。



「ほう……こりゃ目玉か」


「目……スイメイくん。もしやこれは、リリィのか?」


「お? お嬢ちゃんのか、なかなかいいモン持ってくるな」



 ウィゲルはそう言って、興味深そうに包みを矯めつ眇めつする。そんな彼に、水明は鼻白むように冷めた視線を向け、もう一度バックに手を突っ込んだ。



「アンタの趣味に合わせたわけじゃねぇよ。ほら、代金だ。処分に関してはこれで頼む」


「毎度~」



 ウィゲルはホクホク顔でユーロ札の束を受け取る。

 だが、不安げなのは、リリアナだ。瞳を揺らしながら、見上げて来る。



「それを、どうするの、ですか」


「食ってもらうのさ。残ったものと一緒にな」



 そう言うと、レフィールとリリアナは絶句する。だが、彼女たちも神秘に身を浸す者。すぐにそれが理由のあるものだと理解したようで。



「スイメイくん。それは良くないものを処理してもらうという意味に捉えても?」


「そうだ。他にも処理の仕方はあるが――」



 水明が言い終わる前に、口を開いて言葉を引き継いだのはウィゲル。



「嬢ちゃんたちよ。アストロソスってのは、実ぅーに執念深いヤツでな。すぐ隙を突いて取りに来る。こういったものを奴らに奪われると、だ。よくないってことくらいはわかるだろ?」


「はい。生きた心地が、しませんね」


「そういうことそういうこと。大方ニコラスの野郎の手術が終わってからすぐにフランクフルトまでとんぼ返りして来たんだろ? いくらあいつでも、こういうもんの処理にはそれなりに時間を使うからな。大方ヤツに言われてついでに持って来たんだろ」



 さすがに、その点、察しているか。



「だから、こいつの腹に収めてもらった方が早いし確実なんだ。この男の腹は、アストロソスだって掻っ捌きたくないほど、混沌で塗れてやがる」



 ウィゲルが不敵に笑う。剥きだした乱杭歯の間からべろり、と出て来たのは、三角に長い舌。顎の下、首まで届かんばかりの勢いだ。



 ともあれ、これだけで、このウィゲルという男が何なのかわかるだろう。すでに人間ではなく、そのうえ変質してしまっていることに。もはや、悪魔にだって及ぶほどになっているのではなかろうか。そんな、印象を与える。



「ですが、食べる、とは?」


「まんま、食うのさ、この男は。それこそ、なんでも食う男だからな」



 その通り、物の卑賎や、それがなんであるかも選ばない。有機物だろうと、無機物だろうと、それこそ置いてあるテーブルや灰皿、その気になれば店ごと食べてしまうだろう。

 そんなことを言っていると、ウィゲルは吸い終わったマリファナ束のフィルターの残りを口の中に収め、すべて呑み込んでしまった。



 その様を見て、絶句する二人の少女。さすがにこれを見せつけられれば、なんでも食うの意味も分かるだろう。



「あとは、他にも聞きたいことがある」


「おう、なんだ? だいぶ前に旦那のところに行った執行辞令の裏取りか?」


「なんだ、わかってんじゃねぇか。……それで?」


「その前に、だ。オレさまのとこの商売は前払いが基本だぜ?」


「へいへい。まったくそういうとこだけはうるさいのな」



 水明はウィゲルのがめつさに呆れの声を発しつつ、鞄からユーロ札の束を取り出してテーブルに叩きつける。



「かぁー、やっぱり金ヅルがいるといいわー」


「人のこと金ヅル言うな」


「いやいや、旦那がいない間、オレさまのディナーはそれはそれは寂しいモンだったんだぜ? 来る日も来る日も食後のワインを我慢してだな」


「アンタの金銭感覚で言うなっての。どうせお高いのばっかだろうが」


「オレさまの舌は肥えてるんだ」


「雑食のくせによく言うぜ」



 水明はそんな悪態を吐いて、ウィゲルに細めた目を向ける。



「まあいい。それで?」


「旦那のところに逐一行ってる情報は正しいぜ? そもそも天下の千夜会の情報網だ。疑うべくもないだろうよ」


「そうか……」



 ――ならば、これまで届けられた情報には穴がないということになる。つまり、それはいまもって水明の動向が千夜会に仕向けられているということだ。なぜ、これほどまでにタイミングよく、代執行の対象が動き出して、そのうえその情報がひっ切りなしに入って来るのか。



 秋月伝手に届けられた情報に、結社の受付に届いていた情報。さながらそれは、こちらの動きを見計らい、急かしているかのよう。そこから考えられる事実は……そう多くはないはずだ。



「お、人形姫のご登場だ」



 ウィゲルの言葉に振り返ると、入り口の方からハイデマリーが歩いてきているのが見えた。フェルメニアは一緒にいない。



「フェルメニアの調子はどうだった?」


「うん。だいぶ落ち着いたよ。いまは路地の入口で待っててもらってる。それで?」


「話は、いま訊いてるところだ。で?」


「ああ。詳細はこれに書いてるぜ? ま、ホテルに帰ってゆっくり読めや」



 ウィゲルはそう言って、あらかじめ用意してあったらしい手紙を渡してくる。



「用意がいいこったな」


「この方が旦那としちゃあいいだろ? 気ぃ利かせてやったんだ。泣いて感謝してくれよ」


「誰が泣くか」



 恩着せがましい言い草に、水明はそう言葉を返して、手紙を流し読みする。

 そして、そのまま胸ポケットにしまった。



 すると、ふいにハイデマリーが寄って来る。



「ねえ。ボクにも見せてよ」


「え? いや……またあとでな」



 そう言って水明が手紙を見せるのを渋ると、何故かハイデマリーが迫って来た。

 急にどうしたのか。そう思っていると、その表情の乏しい顔から苛立ちめいた声が発せられる。



「なんで? キミはボクのこと、手伝いもできないくらい頼りないと思ってるの?」



 どうやら、意図的に話していないことを、信頼されていないと受け取ったらしい。いつもならば、代執行の仕事など面倒臭がり、乗り気にもならないのに、昨日から一体どうしたのか。子供のような気まぐれでも起こしたのか。



「ねぇ!?」


「そういうわけじゃねぇよ。そういうわけじゃねぇけどさ……」



 ハイデマリーのあまりの食い下がりように、水明が困っていると、彼女は『業を煮やした』という言葉が似合うくらいに、その声を荒らげる。



「じゃあどうしてさ!? 早く解決するためには、ちゃんと情報共有が必要だって、キミもよく言ってるじゃないか!?」


「おい落ち着けよ。どうしたんだ一体。いつもならそんなにやる気なんか出さねぇじゃねぇか?」


「…………別に」


「別にって……」



 ハイデマリーは、また顔を背けた。何がそんなに気に食わないのか。当然、機微のわからない水明は戸惑うばかりだ。



 レフィールやリリアナも、彼女の興奮に戸惑っていると、ふいにウィゲルが手を振って、



「まあ、お嬢さん方は気にすんな。これも旦那の業ってヤツだからよ」


「業って、一体何の話だ」


「そのうちわかるさ。童貞」


「だからそれは余計だっての!」



 ……ともあれ、ここに来た目的はこれですべて終わった。水明はウィゲルに帰ることを一言告げ、踵を返すと、



「んじゃま、ご同輩に会ったらよろしく伝えといてくれや。こっちの目ぼしい奴らは、このオレさま、ウィゲル・ザ・フェストゥムグラーの腹の中に収めといてやるってな」


「へいへい。んじゃな、帰りにでもまた寄るわ」


 水明はウィゲルにそう言い返して出口を目指す。

 ふと、ハイデマリーが付いてこないことに気付いた。



「マリー?」


「…………いま行くよ」



 訊ねから少し遅れてそう言って、付いてくるハイデマリー。

 水明はそんな彼女の態度に困りつつも、カウンターにチップを置いて、店から出る。



 そんな中、ふと、首筋にひりつくような違和感。



「…………」



 インルーのときや、クドラックのときほどではないが、それは、何かあるときにいつも起こるような、嫌な予感の前兆のように感じられた。







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