ロビーに戻ると大騒ぎ
水明が盟主の部屋からロビーに戻ると、そこには黒山の人だかりができていた。
「ど、どうなってるんだこれは……」
現状を目の当たりにして、水明が発した第一声がそれだ。正面ロビーは、狂喜乱舞の大騒ぎ。興奮したそこかしこから声が上がり、聞き覚えのある声が制止の声を張り上げている。群がっているのは結社に所属する魔術師たちで、それを止めにかかっているのはハイデマリーを始めとした知り合いたち。
水明が間抜けのようにぼうっとしていると、人だかりの中から声が飛んでくる。
「水明くーん! ちょっと遅いよ! 何が早く終わるだよ! うそつきー! ばかー!」
ハイデマリーの怒りの声は、幼稚な罵倒。魔術師たちにわらわらと集られ、それを制御せんと、魔術まで使っている有様である。
展開しているのは、彼女の得意な魔術の一つ『トランプの兵隊』だ。ジョーカー以外のカード五十二枚を総動員して群がる魔術師を押し留めたり、列を形成させたりと大忙し。手足の生えたカードが衝立のようになっている。
だが、それでも手が足りないのか。別方向から押し寄せる勢力に対し、今度は別の魔術を展開する。
「――Sie kommen,Meine niedlich bär kuscheltiere」
(――さあおいで、ボクの可愛いクマさんのぬいぐるみ」
ぼんっ、という、正に手品というような音を響かせて、三角帽子をかぶったクマのぬいぐるみが空中に出現する。サッカーボール大だった大きさが、みるみる内に巨大化し――
「く、クマのぬいぐるみだ! ヤバいぞ!」
「防御障壁――間に合うか!」
「ででで、でかくなったぞ!」
「わぁーーーーー!?」
横合いから迫った別勢力は、クマのぬいぐるみに押しつぶされて阿鼻叫喚である。
横入りいくない……というヤツだろうか。
一方で、他の列には影響がないらしく、
「……列?」
そう、列。待機列だ。よく見ると列の行きつく先には、微妙そうな顔をしたレフィールが席に付いており、フェルメニアとリリアナが横をがっちりとガードしているという状況。
そこに、集まった魔術師たちが、一人一人彼女の前に立って――
「か、髪の毛! 髪の毛を下さい! 一本、一本だけでいいんで!」
「こ、この水晶玉にあなたの力を注いで下さいませんか!?」
「やった! この手は洗わないぞ!」
「お姉さま! お姉さまと呼ばせてください!」
「えぇ……」
水明の口からつい漏れ出たのは、困惑の声。まるでどこぞのアイドルの握手会顔負けだ。
研究が数十年分進んだとか。魔術師――というよりは神秘オタクらしい感嘆とした声がそこかしこから上がっている。
わいわい、きゃいきゃい。アイドルに群がるオタクたち――そんな情景が目の前の光景と重なって仕方がない。
ふと、列の方から声がかかる。
「八鍵さん!」
聞き覚えのある声。それは、ハイデマリーと仲が良い魔術師の少女だった。
それは、長い亜麻色の髪を持った日本人。年のころもだいたい水明と同じくらい。シャツに黒のベスト、赤いネクタイ。黒のタイトスカートという出で立ち。それだけならば地味な格好とも言えるが、ギャザーグローブやチョーカー、シャツに入った刺繍模様など、ところどころが見栄えよく華やかに装飾されている。
顔も見目麗しく、可憐。そんな言葉がぴったりと合うその少女は――
「ああ、初花か」
初花。結社に所属する魔術師であり、現役のマジシャンでもある。日本ではアイドルとマジシャンのあいの子のような活動をしており、水明が呼んだ初花、『初花天姫』というのが、日本での彼女の芸名である。ちなみに、日本ではサイン一枚おいくら万円するという超有名人だ。
いつもは水明を前にすると畏まった態度を取るのだが、いまは緊急事態らしく、どこか興奮気味。
「ああじゃないです! これ、どういうことなんですか一体!?」
「いや、俺に言われても、というかどうしてお前がここにいるんだ?」
「ヒメちゃんはボクが呼んだんだよ。ボクらだけじゃ捌ききれないもんこれ」
「突然マリーちゃんの使いが来たと思ったら、これです――そこ! 横入りしようとしない! 焼くわよ!」
物騒なことを言いながら、金の瞳を赤く輝かせる。彼女が得意とする炎の魔術だ。回避不可避の戦闘特化。視殺に匹敵するほどの魔術である。
「おお! 燃焼の魔術ですね!」
「むしろ焼かれたい!」
などと、馬鹿を言う者も現れる始末。しかも魔術師たちはどこから話を聞きつけたのか、どんどん集まってきており、増加の一途。このまま行くと収拾がつかなくなるだろうことは想像するに難くない。
水明は頭痛の気配を感じながらも、レフィールの元へと向かう。
彼女は椅子に座って楽にしているはずなのに、ひどく疲れている様子だった。死んだ魚の目もかくやである。まあ、突発的なイベントだ。無理もないことだろう。
「ええっと」
「……スイメイくん。なんなんだこれは? どうして私はこんな扱いを受ける?」
「訊くまでもなく感づいてるんだろ? スピリットだからだ」
「……まさか、これほどとは」
何度も言うが、この世界には精霊はいない。いなくなった。それゆえ、関連するデータを欲しがる魔術師はそれこそ大量にいる。しかもレフィールはただの精霊ではなく、半精半人だ。その希少ぶりはそれこそ神代の時代まで遡らないと見つけられないだろう。
だが、これでもまだいい方だ。他の組織に連れて行けば、人体実験のために捕縛され、人を人とも思わないようなことをされる可能性だってある。結社はその点、盟主のお題目もあって、良心的だ。
そんな中、魔術師たちの矛先が水明へと移る。
「この方はマスタースイメイが連れてこられたのですか!?」
「ヤカギ卿! こんな神秘の塊を独占とはずるいですぞ!」
「マスターのお家の専門はカバラと信仰の転換と調整関連だったでしょう? いつ降神、降霊、精霊関連に鞍替えしたんですか!?」
「共同研究! 共同研究しましょう! 研究費用はむしろウチで出すんで!」
「ああもううるせー! みんな落ち着けっての!」
水明はあまりの鬱陶しさに、叫び返す。だが、腐ってもここにいるのは魔術師たちだ。怒鳴られても、己の研究のために退くことはない。
「これが落ち着いていられますか!」
「そうです! 興奮で夜も眠れませんよ!」
「ああああー、お姉さまー!」
騒がしく詰めかける魔術師たちは、一向に引く様子はない。しかし、水明の方も予定があるのだ。彼らを引き剥がさなければ始まらなかった。
「いいか!? 俺たちはこれから行くところがあるんだ! もうそれくらいにしてくれ! 頼むから! これからもっと疲れる予定なんだぞ!」
「疲れるって、どこへ行くんですか!」
「これからもっと疲れる(意味深)ですか!?」
「独り占め反対! はんたーい!」
群がっていた魔術師たちが、目的のために結託し始める。
抗議するように水明の周りに群がる始末。
ふと、フェルメニアたちもどこに行くのか聞きたそうに視線を向けてきた。
「だから、これから行くのは、神秘オタクの妖怪のところだ!」
「うっ!」
「おおぅ……」
水明が発したその言葉で、一気に魔術師の波が引いていった。
あまりのドン引きぶりに、異世界組の不安が一気に高まる。
そこで、口を開いたのはレフィール。
「……なんだ彼らの反応は? 不安しかないぞ」
「俺だって不安だよ」
「スイメイ殿。これから一体何しに行くのですか?」
「それはな、リリアナの目を見てもらうんだよ」
水明がそう言うと、リリアナの肩がびくっと跳ねる。魔術師たちの注目が、リリアナに集まり、そう言うことだと水明が頷いて見せると、注目の視線が一気に同情へと変化した。
当然リリアナも、視線の種類には気付いたようで。
「……なにか、とても、不安、です」
「大丈夫だ。心配ない。きっと。きっとな……」
結局、断言はできない水明であった。
明日の朝8時にも更新しますー