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盟主



 石壁で囲まれた室内に、蝋燭の火が揺れている。

 暗闇の中、橙色に、ぼんやりと。室内すべてを照らすまでには至らないが、それで十分だとでもいうように、他の光源は灯されずにあった。



 その部屋には出入り口がなく、窓もない。周囲は壁だけ。死に部屋とさえ言えない、隔離、隔絶された空間だ。にもかかわらず、瀟洒なテーブルが置かれ、燭台がぽつりと一つ置かれている。



 どう運び入れたのか。それ以前に、ここにいる二人の人物がどうやってこの部屋に入ったのかという疑問が、先に立つだろう。



 二人の人物の内、一人は八鍵水明であり、もう一人は、この部屋と城の主である。

 水明の目の前、蝋燭の火に透けて見えるのは、黒い外套(インヴァネスコート)を身にまとった長い髪を持つ男。肌は瑞々しく、若々しさが見て取れるが、長髪はその風貌には似合わず白一色に染まっている。若造、青二才と呼ばれてもおかしくない見た目だが、その朗らかな笑みはどこか好々爺を思わせるほど寛容さと老獪(ろうかい)に溢れていた。



 そう、いま水明の目の前にいる人間こそ、結社においては盟主とされる魔術師である。

 ネステハイム・ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ。魔術界に名を残す偉大な魔術師にして、ここ『結社』の発起人。



 そんな肩書を持つ彼は、ふと水明に人好きのするような笑顔を見せる。



「――いやー、まさかこの世からいなくなっちゃうなんてのは、僕も予想してなかったよ」



 まさに世間話をするように、明るく切り出す姿からは、厳格さなどは微塵も感じられない。

 だが一方の水明は、わずかな緊張を保ったまま、彼に訊ねる。



「ということは、私がいないことは把握していた、と」


「ウチの子のことだからね。探すよ」



 彼が口にしたのは、うちの子と、そう。

 この魔術師は、結社に所属するほぼすべて魔術師を、自分の子だと口にする。老若男女にかかわらず、誰でもだ。結社内でそう言わないのは、同じ時代を生きた他二人の同胞くらいのものだろう。



 ともあれ、探したということは、彼の手を煩わせたということだ。

 それに対し、水明は謝罪を込めて頭を下げる。



「盟主殿。この度は多大なご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」


「いいよいいよ。今回は不可抗力なんでしょ? それは君が謝ることじゃないよ」


「しかし、いくら神格の影響があったからといって、他者の魔術行使に引っ掛かるなど失態、偉業者級(ハイグランドクラス)の魔術師にあるまじきことだと認識しております。であれば、この度の不在の責任も――」


「ミスター水明」


「は……」



 ふいにかけられた声に、水明は下げていた頭を上げる。

 それは、有無を言わせないような力のある声だった。見れば、こちらをじっと見つめてくる射干玉のような瞳がある。



 水明がそれに気付いた折、慈しむような微笑みを向けられる。



「君が無事でよかった」


「――勿体ないお言葉、かたじけなく思います」



 盟主からの優しい言葉に、水明はまた深々と頭を下げる。この魔術師は、これだ。すべて受け入れて包んでしまうほどの、寛容さを確かに持っているのだ。魔術師には決して似合わないこんな一面を持つからこそ、人を惹きつけ、ひいてはこれほどの組織が生まれたのだろう。



 ふと、盟主は一転して無邪気な笑みを見せてきた。



「それよりもぼくは、君の身に起こったことについて訊きたいかな。不可抗力とはいえ、これはぼくたちにとってある意味朗報だ。そうだろう?」



 それは、異世界に転移したことを言うのだろう。

 手紙にもそれとなく書いておいたが、詳しい説明についてはまだ話していない。早く聞かせて欲しいと、まるで玩具を待つ子供の様にそわそわし始める盟主に、水明は説明を始める。



 異世界に転移したこと、そこには魔法と呼ばれるエレメントを利用した魔術体系があること、魔族なる邪神に造られた生物と戦ったこと。



 それらすべてを話し終えると、盟主が静かに忍び笑いを漏らしていることに気付いた。



「ふ、ふふふ……」


「盟主殿」



 いま彼が見せる笑みは、喜びに属しているものだろう。だが、それは水明がこれまで見たことがない種類の笑みでもある。普段の彼の笑みには屈託のない無邪気さがあるが、いま盟主が見せる笑みには、神秘を追いかける者特有の、不気味さというものが確かにあった。



 自分でも知らず知らずに怯えを持ったか。水明がごくりと喉を鳴らすと、盟主は一度笑いを止める。



「進んだね。この数百年まったくだったけど、やっとだよ」


「それは、進展と受け取ってもよろしいので?」


「うん。ミスター水明、君はやっぱり面白い。ミスター風光もそうだったけど、やはり君は破格だよ」


「異世界があったという事実が、私たちの目指すものに近づきますか?」


「どうなんだろうね? でも、希望は出て来たと思うよ? なんてったって、別次元があるってことなんだからさ」



 結社の理念は、『アカシックレコードに記録される並行世界』の実質的な存在とそこから見出せる可能性に重きを置くものだ。この世に並行世界が存在し、かつ無限の可能性が存在する。すなわち、あのときこうしていれば、こうであったのではないかという『もしも』や『IF』があれば、この世には救われないという結果を持って生まれる者がいないと言うことになり、ひいては『絶対的な不幸』というものを否定することができるのだ。



 ……誰だってバッドエンドは嫌いなものだ。ハッピーエンドを迎えたい。それが自分や周りの人間の人生ならばなおさらだろう。だから、別の結果を求めたのだ。並行世界という『もしも』があれば、少なくとも不幸な人生が『運命という言葉で一括りにされることはない』。救われない人間など、この世には決していないのだと。そんなバッドエンドを認め切れない人間(バカ)の、ここはそういう集まりなのだ。



「あと、魔族って言うのが気になるね。あれかい? それってやっぱり、ファンタジー系の小説に出てくるようなものなのかな?」



 ふと、魔族に興味を示し始めた盟主に、水明は首を横に振って答える。



「いえ、便宜上そんな呼び方になっただけでしょう。実質は、邪神が生み出した眷属です。姿形は獣と昆虫を足したような姿で、禍々しいだけの存在でした」


「禍々しいか。僕がそういうのを聞くと、もっとどろどろっとした不定形なものとか。おどろおどろしいものを想像しちゃうんだけどね」



 おそらくは非対称のものや、リリアナを助けたときに現れたアストロソスのような、生理的な嫌悪感を抱かせるものを思い浮かべたのだろう。



 水明は盟主が思い浮かべたものを自分なりに頭の中に思い描くが……やはり盟主の頭の中は想像しきれない。だが、それでもわかることが一つあった。



「……盟主殿の想像するような『禍々しい脅威』が溢れてきたら、おそらく世界は滅亡の一途でしょうね」


「怖いよねー」



 というには、返事が軽すぎやしないか。水明も『アンタ、ほんとにそう思ってるのかよ』と目が胡乱げに細くなる。まあ、この男を怖がらせられるものなど、きっとこの世にはありはしないのだろうが。



 そんな中、ふいに盟主が悪戯っぽい笑みを見せ始める。



「ねえねえミスター水明。君の作った転移の魔法陣を使って、大量に魔術師を送り込んでそっちの世界を滅茶苦茶にしてみたいって言ったらどうする?」


「……どうするもなにも、まず盟主殿がそんなことをするメリットがないでしょう」



 突然おどけ始めた盟主に、水明が頭痛そうにそう返答すると、驚いたような顔を向けてくる。



「あれれ、動じなくなったね」


「どうせ盟主殿は、魔法陣やその世界自体には、興味なんてほとんどないのでしょう?」


「まあね。ぼくが興味あるのは、異世界というものが存在するかどうかだからね」



 だろう。人の幸せを願って外法に走った男が、まさかそんなことをするはずがない。



「あとは、君の方から何かあるかな?」


「では一つ。ゴッドフリート卿についてお伺いしたく」



 水明がそう言うと、盟主は意外なことでも聞いたように目を丸くさせた。



「それは……また懐かしい名前だね。君が言うゴッドフリートっていうのはあのゴッドフリートを指しているんだと思うけど」


「はい。その通りです」


「彼がどうしたんだい?」


「向こうの世界でお会いしました」


「そうか。彼が……。そう言えば彼も急にいなくなったけど、そうか、そういうことなんだね」



 急にいなくなった答えが聞けて合点いったか。納得したと言うような表情をする盟主。



「会ったって言ったけど、その様子だともちろんただ会っただけじゃないんだよね?」


「はい。ゴッドフリート卿は向こうの世界でなにかを企んでおり、俺たちの前に立ちはだかりました」


「ふむふむ。それで、彼と戦わなければならないということだね?」



 核心を突いたその言に、水明が頷くと、盟主はその先を読んだように、言葉を先んじる。



「その前にさ。君、そっちの世界だと真っ当に戦えないよね?」


「……はい。おっしゃる通りです」



 言い当てられたことに、水明は一瞬驚くが、すぐに当然だとも思い直す。神秘的な法則に関して、魔術王と呼ばれるこの男が予測できないはずがない。



 さてここからが本題も本題である。



 水明は弟子たる態度として、改めて居住まいを正す。



「――盟主殿。今回の登城は、長く組織を空けたことへのお詫びと、いま一度向こうへ舞い戻るご許可をいただくこと。そしてゴッドフリート卿を含むいくつかの脅威に対抗するため、ご教示をいただきたく」


「事情はわかった。君が召喚されたのは、高位存在の干渉があったものだからどうしようもないし、戻るのも向こうでのケジメをしっかり付けないといけないから、というのもわかるよ。うん」


「では」



 色よい返事を聞けたことで、水明の顔が自然と明るくなる。だが、そうそう甘くないのも、この魔術の道を進む先達である。



結合術(アルス・コンビナトリア)については、あとで考察について書かれた本を用意するから、それを持って研究するといい。同じように戦う力についても……簡単に答えを言ってしまうのも、面白くないよね?」



 やはり、そう簡単にはいかない。魔術師であれば、謎は自分で解き明かすのが当然ということだろう。本を用意すると言うのは、解き明かすのが難解な魔術書を読み解いて答えを出せと言うことであり、向こうでも全力で戦えるようになることについては……いま何かしらの、助言をくれるということだろう。



「ヒントは……そうだね。空間自在法(クロスディメント)と召喚術と結界術かな?」



 水明は、そんな盟主の言葉に眉をひそめる。



空間自在法(クロスディメント)……あの男の魔術もですか?」


「そうそう。だからいま向こうにいるっていう彼は、向こうでの魔術師としての位置を簡単に確立できたんだと思うよ?」



 空間自在法(クロスディメント)とは、魔族の軍にいたヴィシュッダ――いや、魔に堕ちし十人(グリード・オブ・テン)、クドラック・ザ・ゴーストハイドが使う特殊な魔術だ。この世界で生まれた術でありながら、あの男は向こうの世界で不備なく位相切断(ダイム・パニッシュメント)をやって見せた。つまり、向こうであってもこちらの魔術師として制限がないということになる。



 ならば、空間自在法、召喚術、結界術。その三つの要素が表す答えとはなにか。

 それらすべてを利用する魔術なのか。それともそれらの要素を含む魔術なのか――



「なに、そんなに難しく考えることはないんだよ? この場合君を邪魔しているのは、向こうの世界ではこっちの世界の魔術が使えないって事柄だ」


「はい」


「なら、だ――」



 盟主は一度そう一呼吸おいて、核心めいたことを言う。



「――向こうが、ここであればいいんだよ」


「……?」



 すぐにかみ砕けない水明が、険しい顔を作ると、盟主はまたくすくすと笑い出す。



「Mr水明。考え方は単純で簡単なのさ。ただその代わり」


「考え方が簡単なら、技術は反比例して難しくなる」


「そういうことそういうこと」



 鷹揚に頷く盟主には、すでに答えは出ているのだろう。あとは察しの悪い弟子を玩弄するだけ。まったくいい趣味をしていると言いたい。



「ぼくから君にあげられるヒントはここまでだ。あとは自分の力でどうにかしなさい」


「承知いたしました。ご教示、ありがとうございます」



 頭を下げると、ふいに盟主は立ち上がる。そして、



「……Mr水明。ぼくたちも上位の存在の力を借りたり、利用したりはする。それは、彼らの力が、ぼくたちにとって有用であり、強大だからだ」


「はい」


「きっと、その女神の力もそうだろう。だけど、ぼくたちはそんな理不尽に打ち勝つために力を手に入れた。そしてそれは、君にも備わっている」


「……盟主殿?」



 ふと、一人語りにそぐわない名詞が含まれていた。邪神でもなく、ゴッドフリートでもなく、クドラックでもないある言葉。



 まるでそれが、水明の敵(それら)と同じ括りにあるかのように――



「まあ、聞きなさい」



 ふいに近付いてきたのは、吸い込まれそうな真っ黒の瞳だった。不気味なほどに黒くて、まるで眼窩の黒を思わせるように、底なしのそれ。

 魅入られる――そう思った瞬間、それが一変する。いつか見た、熱意と、闘志あるものに。だから、自分に思い起こさせるのだ。大事なものを。そして、この瞳が自身――いや、結社に属する誰もの背を押すのである。



 ――救われない誰かを、確かに救うために、と。



「行くんだ。君の理想を示すために。それがひいては、ぼくたちの正しさを証明することになる。自分のわがままでしか動いていない神格なんて、全部ぶっ飛ばしてきちゃいなさい」


「は――」



 そんな盟主の優しいエールを受け、水明は盟主の部屋を辞したのだった。





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