いざ、結社の本拠へ
水明たちが日本を発って、約十三時間後。
水明たちの乗った飛行機は何事もなくフランクフルト国際空港に到着した。
無事にドイツに着いて胸を撫で下ろしたのは、もちろん異世界組の三人だった。飛行機に乗ったあとのふわふわした感覚が抜けきらないまま、地面に足がつくことへの喜びを強く、それはもう強く強く噛みしめていた。
ともあれ、結社の本拠へ向かうため、空港からタクシーをいくつか乗り継いだ水明たち。
彼とハイデマリーの案内で隠し地下道を通り、現在はハルツ山地のどこかにあるという、誰が建てたかもわからない巨大な古城の前にいる。
周辺は、常に霧の中にあった。乳色の霧がかかる森。不用意に踏み込んだが最後、瞬く間に遭難してしまうだろうそんな雰囲気で満たされている。
森や山自体が、丸ごと巨大な結界なのだ。攻性、幻惑性に富んでおり、一般人はおろか魔術師でさえ、招かれなければ決して入ることのできない場所である。
いまは五人、舗装された石畳の上に立っている。それぞれがスーツケースを片手に引きずり、旅行者さながらだ。
いま見上げているのは、城門の落とし格子である。何者であろうとも通すまいというように、黒い光沢を反射させていた。
それを見たフェルメニアが、ふと思慮深く唸る。
「この国の建築物は、私たちの世界のものと造りが似ていますね」
「帝国の建築様式と、通じるものが、あります。不思議、です」
「そうだな。まあ、進化が人間っていうものに収束するのとおんなじで、美的感覚も収束するんだろ」
「そういうものかな?」
「そういうもんだ」
聞き返してきたハイデマリーに適当に返事をして、いつものように中に入ろうと歩き出す。だが、付いてくる足音が少ないことに気付き、後ろを振り返った。
異世界組三人が、どうして尻込みしている。
「どうした?」
「どうした? ではないよ……」
「スイメイ殿! こんなところに本当に入れるのですか!?」
「すごい術式が、途方もないほど、重なって、いるのですが」
「そうだが、大丈夫だって。手順さえ守ればおかしなことにはならないから」
水明はそう返答して、片手を上げて手のひらをひらひらさせる。
森の結界はわからないように仕掛けられているが、城の結界はわかるように仕掛けられている。無論それは、前に立った人間を威圧するために、だ。
囲繞型。開放型。異界型。すべてが重ならないように組み合わせって構築され、狼藉者の侵入を許さない。おそらくはこの地上で最もセキュリティの厚い建造物がここだろう。
そしてたとえこれを突破できたとしても、その次はここで一番偉い怪物が自ら出張って来るのだから、怖いものはない。
「――Access」
(――開け)
ハイデマリーが魔術を用いて、落とし格子を持ち上げる。重いものを引きずるような音を立てて、黒鉄の格子が徐々に持ち上がり、やがて入り口が完全に開かれた。
水明はそれを見届け、くるりと振り返る。黒スーツの裾をはためかせ、まるで執事がするかのように、仰々しい礼を取った。
「ようこそ。我らが盟主、魔術王ネステハイムの城へ。結社に所属する魔術師の一人として、みんなを歓迎する」
水明がいつもと違う雰囲気を醸したことで、三人がぽかんとしている。
そこで水明は悪戯っぽく舌を出して、雰囲気を和ませた。
水明を先導にして、巨大な本館へと歩を進める。
落とし格子と同じように、魔術を用いて本館の門を開けると、落ち着いた雰囲気のロビーが現れる。シャンデリアに赤じゅうたん、両階段。まったくお城の正面入り口といった風な様相。古ぼけた外観からは全く想像ができないような、手入れの行き届きようである。
しかして結社の正面ロビーには、結社に所属する他の魔術師たちの姿がちらほらあった。
彼らは水明の姿を見つけると、一瞬驚いたような素振りを見せる。姿を消してからは初めての登城だ。驚くのも無理はない。
だが、彼らもすぐにわずかな緊張で身を固くさせた。
そして、水明に対し軽く一礼も忘れない。その応対に、歳の上下は関係ない。若い者でも年長でも、水明に対して必要な礼儀を尽くしている。
一方で水明も、礼を取る者に挨拶を返すのも忘れない。親しい者には声をかけ、年長に対しては同じように会釈をする。
その後ろで、ひそひそするのは、仲間たち。
(マリー殿。スイメイ殿は、その、ここでは結構偉いのですか?)
(……そうだよ? まあ、水明君の場合はかなり特殊な部類なんだけど)
(あの、ハイデマリー。もしかして、私たちは、とんでもない人間を、師に持ったのでしょうか?)
(もちろん。なんたって天才のボクが弟子になってあげるほどの人間だからね)
褒めているのか、自慢なのか。ハイデマリーはいちいち自分を引き合いにだしたいらしい。
やがて水明が、後ろがひそひそしていることに気付く。
「どうした?」
「なんでもないよ」
ハイデマリーはそう言うが、フェルメニアは微妙な笑顔を返すばかり。レフィールはどこか自慢げな様子で、リリアナは慣れない雰囲気に、少しおどおどしているという印象だ。
「……ローブを身に着けたり、杖を持っている人間はあまりいないな」
「ああ、ウチはみんなスーツで統一してるし、現代魔術って形式上、杖にはこだわらないんだ」
すると、フェルメニアが何かを思い出したように言う。
「格好と言えば、確かスイメイ殿はギルドに加盟の際に普通の服で登録しに行ったんでしたよね?」
「うぐっ!? あんたがなぜそれを!?」
「ああ、あの話だな。ひと悶着あったらしい」
「なになに?」
「スイメイくんがやらかしたという話だよ」
「水明君のうっかり発動だね」
「やめろやめろ! その話はするな!」
恥ずかしい話を止めさせるよう努力しつつ、受付に向かって歩いていると、水明は見知った人間がいるのに気付いた。
水明が進んで挨拶をする前に、向こうの方から声をかけて来る。
「――おう。生きてたか」
「オズフィールド卿、ご無沙汰しています」
気安げに片手を挙げたのは、欧米人の美丈夫だった。
イングランド系。短い金髪を左右非対称にした、精悍な男。歳の頃は二十代後半で、若々しく筋骨逞しい。光の加減で金色に見える琥珀の瞳は、炯炯としており、男の野性味を強く表に出している。服装もノースリーブを改造したホワイトのスーツと黒いワイシャツ、肩からマフラーを垂れ下げているその姿から、魔術師というよりもマフィアの若頭と言われた方がしっくりくる。
アルフレッド・オズフィールド。現在、代執行として活躍する水明の前任者だ。不倒王とあだ名され、多くの神秘犯罪者を地面に沈めて来た結社きっての武闘派である。戦闘能力だけを見れば、若手では一、二を争うほどの使い手だ。
「水明お前、今度はどんな厄介に巻き込まれた? ウィゲルのヤツも消えやがったってボヤいてたぜ?」
「ええっと、ちょっとこの世界からバックレてまして」
「この世界から? おいそりゃどういうことだ?」
「それに関しては、申し訳ありませんが先に盟主殿にご報告してからでお願いします」
「なんだ。まだ言ってねえのか。なら、俺が訊き出すわけにもいかないわな」
アルフレッドはそう言って、水明の頭をポンポンと叩く。
彼の背丈は190以上。170はある水明の背でも15cm以上の身長差があるのだ。
水明は上からの衝撃に肩をすくめると、アルフレッドはニッと、気風のいい笑みを見せた。
いつものやり取りが終わると、アルフレッドはフェルメニアたちに対象を移す。
今度は礼儀正しく帽子を取っての会釈だ。その様はまさしく、イギリス紳士に他ならない。
「お美しいお嬢様方、ようこそ我らが城へ。歓迎いたします」
礼を取る姿は、キマっている。絵になる。先ほど水明が見せたお茶目がかすんで見えるほど、堂に入っていた。
こういったところは、水明ではまったく太刀打ちできないレベルにある。
フェルメニアたちが彼にそれぞれ礼を返すと、ハイデマリーが訊ねる。
「オズフィールド卿、ボクには?」
「お姫様は別に構わないだろ?」
「ひどーい」
彼女の苦情を背に、アルフレッドは片手を上げて城の闇へと去って行った。
彼の背を見送ったあと、レフィールが近寄って来る。
「彼は君の兄貴分といったところか」
「まあ、そんな感じかな。代執行になるときに、しごかれてな」
「確かに、強そうだ」
「あの人には、レフィでも勝てないんじゃないかな」
「そうなのですか? レフィールには魔術の効きが悪いですから、接近戦になればレフィールに分があると思うのですが」
「いや……あの人は魔術がなくても強いんだよ。……ガチで」
水明はそう言って、拳で戦うポーズを取る。
アルフレッドの得手は、ボクシングだ。極めまくっているのか、最重量級の相手でも一撃で倒すほどの化け物である。いまあの男がボクシング界に殴り込めば、おそらくいくつもの伝説を打ち立てることができるだろう。それほど強い。魔術を取り上げても強すぎるほどの武闘派だ。
水明は受付に向かって軽く手を上げる。すると、受付の女性は頭を大きく下げた。
「マスター水明。ご無沙汰しております。ご無事でなによりです」
「ベルトリアさん。ちょっと客を連れてきましたんで、手続きの方お願いします」
「では応接室にお通ししますか?」
「あーいや、そんなに時間もかからないでしょうから、あっちのソファで大丈夫です」
「かしこまりました。あと、千夜会からマスター宛てに届け物があります」
「…………またですか」
「確か先日も支部の方へ送られていましたね。いつもは投げっぱなしの千夜会としては珍しいですが……一体どういう風の吹き回しでしょうか」
「心当たりくらいはありますよ。まあ、取りかかるタイミングはこちらで調整するんで――げ! おいドイツでやってるのかよ!」
水明は封筒から出て来た資料を見て、図らずもその場で叫ぶ。まさか多数の魔術結社のお膝元、ドイツでことを起こそうとしているとは、まったくの意外だった。
「特定する資料はそのうち来ると思ってたが……千夜会のジジイどもめ、敢えてこれまで書かなかったな……」
水明が独り言ちると、察しのいいハイデマリーが、
「例の件? 場所がある程度特定されてるってことは、大規模な儀式関連かなにか?」
「まあ……そんなところだ」
「ねぇ、まだ教えてくれないの?」
「もうちょっと我慢してくれ。な?」
そんな曖昧な言葉を返しつつ、今度は付随してきた地図と写真に目を通す。場所は、ドイツ中央部、写真には、森と廃村が写っている。
「……じゃあベルトリアさん。すいませんけど、よろしくお願いします」
「はい」
水明はベルトリアの返事を聞いたあと、フェルメニアたちをソファのある場所まで送る。
「じゃあ、行ってくる。悪いんだが、話が終わるまで待っててくれ。そう長くはかからないからさ」
「気楽にしていいよ。ボクがいるから。なんなら他の人に話しかけても大丈夫だよ?」
ハイデマリーがロビーにちらほら見える魔術師たちに視線を向けると、レフィールが疑問を口にする。
「こういったところは部外者を歓迎しないと思うのだが」
「そう? 逆にみんな話を聞きたがると思うよ?」
「おいおい、からんでもいいが、盟主殿にお伺いを立てる前になんでもペラペラ言うんじゃないぞ?」
「それ、三人に言ってるの?」
「お前に言ってるんだよ」
「なに? キミはボクのこと、そんなに口が軽い奴だと思ってるの?」
「お前結構自慢しいだろ? 天才だ天才だって」
「ム……」
ハイデマリーは、水明のことをじっと見つめたあと、わざとらしく鼻を鳴らして、あさってを向いてしまった。
「ふん!」
「……なんだ、またか。この前から一体どうしたんだよ?」
「別に! なんでもないよ!」
急に声を荒らげたハイデマリーに、水明は困ったように息を吐く。こんな憎まれ口のやり取りなど、彼女とは日常茶飯事だ。向こうから仕掛けられてツッコミを返し、自分が茶々を入れて皮肉を返される。コミュニケーションとしては質のいいものとは言えないだろうが――飛行機のときといい、最近は一体どうしてしまったのか。
近々ご機嫌取りでも必要かと思っていると、リリアナが菫色の視線を向けて来る。
「すいめー。事情を話すという話ですが、大丈夫、なの、ですか?」
「そうです。あの魔法陣はいわば異世界の入り口。その、他の方に話すというのはやはり……」
不安があるか。だが、水明には不安など欠片もない。
「問題ない。あの人は基本人が不幸になることはしたくない主義の人だからな。言ったところでおかしな気は起こさない。あの人は、世界のすべての人間の幸福を夢見て、この結社という魔術組織を立ち上げたんだ」
「すべての幸福?」
レフィールの聞き返しに、水明は「そうだ」と言って頷くと、ロビーの天井を仰いで、問わず語りに口にする。
――涙を呼ぶもの者よ。覚えておけ。この世には、払えぬ悲しみの雨のないことを。
――苦しみを運ぶものよ。覚えておけ。この世には、取り去れぬ痛みの炎のないことを。
それは、いつか誰かが口にした言葉。水明が口にして、あのリシャバームも口にした言葉だ。この世には、決して絶望などないのだと。この世に生きる誰しもにも、明日という希望があるということを悪意に突き付ける言葉である。
「これが。俺たちの理念さ」
「つまり、私たちがこうしてここにいられるのも」
「そうだな。あの人がいなかったら――」
いまの水明も、水明が憧れたあの父もいない。ならば、いまここにいる彼女たちを助けることなど、できなかっただろう。