飛行機に震える者たち
水明は日本でやるべきことも終え、いよいよドイツへ向かうことになった。
無論理由は結社の本拠に赴いて、長らく消息不明にしたことへの盟主への説明と、再び異世界に舞い戻るための許可を得ることにある。
消息不明の説明については、巻き込まれたため特段お咎めなどはないだろうが、異世界に行くための説得に関しては予想が付かない部分もある。基本的に所属する魔術師の行動にくちばしを挟むことはなく、理念に悖る悪事以外のことであれば何をしてもいいというスタンスだ。神秘学者の研究は自由を旨とし、あらゆる可能性を追いかける。命題の設定は魔術師の自由意思であるし、異世界にあれば異世界に行ったところでなんの問題もないだろう。
しかし、それでも組織であるゆえのくびきからは逃れられないため、なにかしらの制限については考慮していた方がいい。
楽観はあるが緊張もある。そんな狭間での、この旅だ。
もちろん、海外渡航に際してフェルメニアたち三人を置いていくわけにはいかない。
むしろリリアナ抱える問題である『変質した個所の治療』に関しては、問題解決には当人が来ないとならないため、同行は必須。
乗り込むのは、羽田空港発、フランクフルト国際空港行き。直行便の飛行機だ。到着までは、約半日の大空の旅である。
飛行機の座席に座りながら、ふとリリアナが訊ねかけて来る。
「すいめー。勇者はつみは、良かったのですか?」
「当分家にいた方がいいってなってな。なんだかんだ親と一緒にいる時間は貴重だからな」
「そうだな」
「そう、ですね」
それには、フェルメニア、レフィールも同意する。リリアナの訊ね通り、初美は同行していない。家族で一緒にいる時間と、父鏡四郎からの手ほどきを受けるため、日本に残留。
――これからもっと強いのと戦わないといけないから、もっと強くなっておかないと。
とは、居残りを決めたときに彼女が口にした言葉だ。ただドイツに付いて行ってなにもしないよりも、みっちり剣の修行に励んだ方がいいという、彼女らしい向上心の表れである。
しかし――
「……三人とも、もっとリラックスしろよ」
「とは言うがな、スイメイくん」
「この巨大な鉄の塊が空を飛ぶというのがいまだに信じられなくて」
「落ち着かない、です」
窓際の席にいたリリアナが、水明の手をぎゅっと掴む。いつもはあまり動じる素振りを表に出さない彼女も、こればかりは不安なのだろう。
リリアナの手の上に優しく手のひらをかぶせると、後ろの座席からハイデマリーがひょっこりと顔を出した。
「水明君の言う通り、そんなに固くならなくても大丈夫だって」
「……ハイデマリー殿は落ち着いていますね」
「ボクはドイツと日本を行き来しないといけないから、ひこーきは頻繁に利用してるんだ。もう慣れたものだよ」
ハイデマリーがそう言うと、フェルメニアはまるで憧れの対象でも見るような、輝きに満ちた視線を彼女に送る。
「さすがはハイデマリー殿!」
「ふふん。姉弟子の威厳ってやつだよ」
一方でハイデマリーは無表情ながら、得意げな応じの声。安心させるためというよりは、多分に自慢が含まれている。だがもちろん、それだけではフェルメニアの不安は払拭できなかったようで、
「でも、でもですよ? もし何かあって落ちたら……」
「それ言うのは縁起でもねぇからやめろ。マナー違反だ」
「うぐぅ……ですが、この鉄の塊には、なんの神秘も働いていないんですよ? なんの神秘も!」
結局、フェルメニアから泣きが入った。異世界の技術と言えば魔法であり、最も信頼のおける技術が神秘的な力なのだ。もともと科学に信頼を置くこの世界の人間よりも、不安の振れ幅の度合いというのは、大きくなる傾向にあるのだろう。
だが、
「なにかあれば飛行の魔術使えばいいって思えばいいんだよ」
「は――!?」
気付きの声と、想定外だったという表情。フェルメニア、久々のポンコツ発揮である。
「……こう、なんというか。いや、もちろん放り出された場合は他にもいろいろやらなきゃならんことがあるから、難度はそれなりにあるけどよ」
「じょ、常識にとらわれてしまっていただけです!」
「リリアナもな」
「……迂闊、でした。いまのうちに、そうなったときのことを想定して、おきます」
「しなくていい。しなくていい。ここで浮遊とか練習しようとするな。計器に影響が出るから」
腕を伸ばして飛ぶような、泳ぐようなそぶりを見せるリリアナを、水明が注意すると、彼女は丸投げに走る。
「そう、ですね。なにかあれば、すいめーが、なんとかしてくれますか」
「スイメイ殿! 頼りにしていますよ!」
「スイメイくん。私は空を飛べないから、特によろしく頼むぞ」
「だから大丈夫なんだってば……」
一人は後ろの座性から顔を出し、両隣はしがみついてくる。そんな三人娘は、訴えるようにジッと見つめてきている。
「わかったわかった。俺が何とかするから……そのときはないと思うが、マリーもよろしく頼むぞ?」
水明が後ろを向くと、ハイデマリーは何故か不服そうにして、
「……ボクは助けてくれないの?」
「……? いや、お前は助けなくても大丈夫だろ?」
「それはそうだけど」
「ならいいだろ?」
「むぅ……」
ふと、ハイデマリーはぷいと顔を背けた。何か気に障ったのか。
空から落ちたくらいで手助けするなど、逆に彼女から馬鹿にしてるのかと言い返されそうだと思ったのだが、答えとしては不満だったらしい。なかなか難しい。
ともあれ、不安そうなフェルメニアたちも、一度大丈夫なことが分かれば帰りは問題ないだろう。あとは離陸と着陸、ふとした揺れと、乱気流が大きな敵だと思われる。
水明がそんなことを考えていると、ふとハイデマリーが彼の頭を突っついた。
「ねえ水明君。そう言えばさ、この前のあれってなんだったの?」
「この前のアレ?」
「うん、そう。千夜会からのお手紙だよ。秋月さんも追加で持ってきてたでしょ?」
「ああ、あれか……あれはまあ、またあとで話す」
「いまでもいいんじゃない? 時間はたっぷり十二時間ちょいあるよ?」
「まあ、な」
水明がハイデマリーの提案を適当に濁したそのとき、
「当機はこれから――」
スピーカーから、キャビンアテンダントの声が響く。すると、まだ身を固くしていたフェルメニアが、身体をびくりと跳ねさせた。
「な、何か声が! 声が出てきましたよ!」
「離陸前のアナウンスだ。シートベルトちゃんと締まってるか確認しろよ」
「機長はダーフィット、副操縦士は白石――」
「……そうか。もうそろそろか。女神アルシュナよ。私にあなたの慈悲と加護を」
「祈るな祈るな。召される前みたいな悟った声音を出すなって」
「フランクフルト国際空港までの所要時間は――」
「すいめー、ぺんぎんさんは、空を飛べないんです、よ……?」
「それ以前にぬいぐるみは飛べんわ!」
直前になってわいわいぎゃあぎゃあ騒ぎ出す異世界組の面々。
水明は、離陸して機体が安定するまで、フェルメニアたちの不安に頭を抱える羽目になった。