今日はお出かけ
本日二話目
――水明が日本に戻ってからの数日間は、それこそ目まぐるしく過ぎて行った。
水明はその期間、文字通り奔走。日本支社に事情の説明をしに行ったり、学校に通っていなかった関連の問題を、彼自身を含め、黎二、瑞樹、初美の分を魔術で調整しに行ったり、保護者にも魔術をかけたりと、調整に調整と魔術の仕事に追われていた。
水明が用事に忙しくしている間、異世界組である三人はと言えば、レフィールはお隣朽葉道場に足しげく通ったり、フェルメニアとリリアナは書斎の魔術書を読みふけったり、動画を見たり、ハイデマリーと魔術の話をしたりと、それぞれ思い思いに過ごしていた。
当然、朽葉家との交流もしており、全員でお邪魔をしたり、雪緒の作った和食をごちそうになったりもした。
ただ水明は、初美の弟である馳斗から、やたらと呆れたような視線を向けられていた。
そして、水明はやっと日本での面倒を片付け終え、あとはドイツにある結社の本拠に向かって説明と、千夜会の仕事を残すのみとなった。
ドイツに旅立つ前に、一度みんなでお出かけしようということになり、リビングに集まってそれぞれ案を集めたのだが。
「……私はハツミ嬢の言っていた本物のケーキが食べたいな」
とは、レフィールの言である。彼女も甘いお菓子が好きなため、以前から食べたいと言っていた。
「私は、ぺんぎんさんのいる場所に行きたい、です」
リリアナは、テレビで見た動物の姿が忘れられないらしい。初めに行くのは動物園かと思っていたが、どうやら水族館になりそうだ。
「フェルメニアは?」
「私は書店に行ってみたいですが――動画を見ているのも勉強になります」
確かに彼女の言う通り、映像を見ているだけでもかなりの情報が入ってくる。壮大な自然現象を見るだけでも、魔術製作のインスピレーションにつながるのだ。
フェルメニアは他の二人と違い、特にいますぐどこへ行きたいというものはなかったので、お任せということになった。
「移動手段は?」
「もう運転手を呼んである。そろそろ来るころだな」
水明は車が運転できないので、専属の運転手に来てもらうのが常となっている。もちろん水明が所属する結社にかかわる、魔術側の人間だ。
水明、フェルメニア、レフィール、リリアナ、ハイデマリーは出かける準備をして外に出る。見れば、八鍵邸の前に黒いバンが一台、停まっていた。
そしてその脇には、灰色のスーツを着た男が立っている。黒髪を切り揃えた、爽やかそうな青年だった。穏やかで大人しそうというよりは、静謐な雰囲気をまとっていると言った方がしっくりくる。
水明たちが近付くと、青年は落ち着き払った所作で、頭を下げた。
「ご当主。お待たせして申し訳あしません」
「いえ。秋月さん、今日はよろしくお願いします」
専属の運転手――秋月に対し、水明が軽く頭を下げる。それに合わせ、フェルメニアたちも頭を下げて、秋月に順々に簡単な自己紹介をしていった。
すると、リリアナがくいくいと水明の服の袖を引く。
「すいめー。やっぱりすいめーは、ぼんぼん、なのですね?」
「ぼん……あのなリリアナ、その言い方は止めてくれよ」
「だがお大尽であることに間違いはないな」
「なちゅらるに、ご当主と言われていますしね……」
レフィールもフェルメニア呆れ混じりに頷いている。確かに、これを見せられれば、お貴族さまと言われてもおかしくはないだろう。彼女たちにとってこれは、専用の馬車があるようなものだ。それで庶民だなんだのと言われても、納得などできるはずもない。すでに家が大きいのだから、いまさらという話ではあるのだが。
フェルメニアは自動車に興味があるのか、黒のバンに触れる。
「てれびでも見ましたが、これが動くのですね?」
彼女が興味深そうに唸っていると、秋月がにこやかに肯定する。
「はい。そうですよ。燃料を使って動力を動かしているのです」
「……あ。そう言えば、私たちのことは?」
「ああ、秋月さんにはあらかた事情は話してる。だから、会話に気を付ける必要はないぞ」
秋月への説明の折、「そうなのですか、わかりました」で済んでしまったのはなんとも言えないが……彼も父の代から八鍵家にかかわる者。初美の両親のように、ちょっとやそっとのことでは『あり得る』で納得できるのだろう。
「――ごめん、お待たせ!」
そんな話をしていると、駆け足と共に初美がやって来た。この日はいつもの制服姿ではなく、私服に身を包んでいる。スカート。カチューシャにはコサージュがあしらわれ、可愛らしい。
「来たか」
「あ! 秋月さん。今日はよろしくお願いします」
「はい」
初美は秋月に挨拶をして、他の面々とも朝の挨拶を交わす。
そして、乗車となるわけだが。
「助手席はどうする?」
「助手席ですか?」
「ああ、車を運転する秋月さんの隣だよ」
そう言うと、異世界組三人は自分が乗りたそうに視線を動かし、うずうずとし始める。
自分がと言い出せず遠慮しているのは、みな仲がいいからだ。
「……三人で順番に、でいいだろ?」
「そ、そうだな。うん!」
「ですね!」
そんなこんなで、初めて車に乗り込んだフェルメニアたちは、シートの柔らかさに驚いていた。異世界の馬車には柔らかいシートやスプリングがないため、快適さが段違いだからだろう。
ふと、秋月が鞄から封筒を取り出す。
「ご当主、これを」
宛名のない封筒は、やはり見覚えがある。先日郵便屋が届けてくれた千夜会のものと、ほぼ同じようなタイプのものだ。
「これは……どうして秋月さんが?」
「つい今朝方、支部に届けられたものです。ついでに持って行ってくれと頼まれまして」
「さっそくこの前の件の催促かねぇ……」
水明がそう言いながら、封筒の中身を開ける。やはり、代執行の依頼に関連する資料が入っていた。
「……………」
「ご当主?」
「……いや、なんでもない。そろそろ行こうか」
水明はそう言って出発を促す。なんでもないわけでは決してないのだが、日本にいてはどうにもならないことだ。いまは事の推移を見守るべきと、今日の予定を優先する。
「では、どこへ向かいましょうか?」
「じゃあまずは駅前の店でも行って、なんかつまめるものでも買うか。そのあとは……」
「す、水族館に行きたい、です!」
まず、リリアナが声を上げた。いつもは控えめで主張はしない方だが、動物が見たくて居てもたってもいられないらしい。シートの上でパタパタと跳ねる姿が、なんとも可愛らしい。
それでいいかどうか尋ねるように視線を向けると、四人とも頷いた。
「水族館は決まりだな。じゃあまず、それでお願いします」
「かしこまりました」
秋月がキーを回してエンジンをかける。すると即座に唸り声を上げる内燃機関。自動車の息吹を初めて直に体験した三人は、その音と震動に、やはり驚いた様子を見せる。
「わ、わわわっ!?」
「これは……」
「すごい、です。神秘的な力が、まったく、働いていません」
フェルメニアたちはシートやら窓やらを見回すが、音や振動の正体は無論見えない。秋月が一通りの説明をして、やっと落ち着きを取り戻し始める。
…………ともあれ、まずは駅前のコンビニに入り、気軽につまめるお菓子を買ったのだが……それがいけなかった。
フェルメニアがコンビニで買ったお菓子を食べながら、感涙にむせび泣いている。
「チョコレート……これは神の食べ物です」
やはり神の食べ物は、チョコレート、マヨネーズ、プリンが定番か。車内で板チョコを掲げ、まるでそれが天からの頂き物だとでもいうように、ありがたがっている。
「しゅーくりーむ。おいしい、です。はむ」
「この世にわたあめやケーキに匹敵するお菓子があるとは……このあいすくりーむは至高だ」
三人、きゃいきゃいわいわいお菓子を食べている、というよりは無心に貪っている。甘いお菓子にスナック菓子、なぜそれを選んだのか問い質したくなる酒の肴まで。しかもハイデマリーも輪に加わって、あれはいい、これはいいと評論をし始める始末である。
図式としては、お菓子を楽しむ四人を、水明と初美で微笑ましく見ていると言ったところだ。
「三人とも、あまり食べ過ぎるなよ? ほどほどにしないと健康に悪い」
「……し、嗜好品ですからね」
「それに、これからメインがあるんだからな。腹いっぱいにすると損するぞ?」
「――! そうだな。ケーキがあるんだったな!」
興奮した声を上げたのは、レフィールだ。ケーキを食べるのを楽しみにしていた彼女は、お菓子に伸ばす手を控えめにする。
一方、そんなものなどへいっちゃらな少女が、幼気な態度で小首を傾げた。
「そうかな?」
「お前は例外だっての」
「ふふん。天才だしねー」
「それはさすがに関係ねえって……」
ハイデマリーは基本的にお菓子を主食としている。子供のわがままや夢を、そのまま貫き通すスタンスだ。健康に悪いとは思うのだが、その辺、問題は全くないらしい。さすがはホムンクルスである。果たして一体どうなっているのやらだ。
ともあれ、なんだかんだ楽しいお出かけになりそうだなと、水明が賑やかなことを内心で喜んでいると、ふと車窓の外に何かを発見したフェルメニアが、にわかに取り乱した。
「……す、スイメイ殿スイメイ殿!」
「なんだ?」
「あ、あれは……あれは一体なんなのでしょうか!?」
その言葉を聞きつけたレフィールも、眉をひそめて窓の外を注目する。そして、
「む……随分と不気味な造形だな。異形の生物か?」
「はぁ? 異形の生物ぅ?」
はて、何を言っているのかこの少女たちは。まったくわけがわからない。ここは日本だ。現代日本。そんな神秘が大きくかかわりそうなものが、真っ昼間の街中にいるはずもない。
水明は怪訝に思いながらも、フェルメニアたちと同じように車窓から外を見る。
しかして、そこにいたのは――
この街のゆるキャラだった。
「…………えぇ」
「あ、あれは一体……周りにいる子供たちを襲おうとしているのでしょうか……?」
「隣にいる女性はなんだ? あの異形を使役しているのか? 手に魔杖のようなものを持っているぞ?」
「あの冒涜的な姿……おそらく、なんらかの邪神の影響を受けているに、違いありま、せん」
クラゲとくまが合体した着ぐるみ、そして共演している女性スタッフを見て、警戒を強めるフェルメニアとレフィール。彼女たちにとってマイクは魔杖で、クラゲの触手を模したにょろにょろは、邪神の悪意の表れか。遅れてそれを目の当たりにしたリリアナも、何が起こってもいいように魔力を高め始めた。
もちろん、それらが何なのか知っている面々は、拍子抜けだった。
秋月が苦笑いを浮かべながら、「ああ。くらモンですね」と口にする。
ゆるきゃら『くらモン』――ひと昔前に流行ったタコのような宇宙人の身体に、デフォルメされたクマの頭部が乗っかっているという不思議なゆるキャラだ。なんでも、クマタイプのゆるキャラが流行ったのを好機と見て、この造形を取り入れたらしい。
なんじゃもんじゃ。
くらモンは、そういう演出なのか、常にその身体を身じろぎさせている。左右にふわふわと揺れている様が、見ている者の不安を助長させるのは、一体どんな魔術がかかっているせいか。
あれができたころのこと、水明はいつもの三人で見物に出かけたのだが、そのとき瑞樹が「私のSAN値が削られていくよー」と言っていたのを思い出す。確かに彼女の言う通り、あれを見ていると、神秘に関わる水明も、なんとなくだが不安な気持ちにさせられて仕方ない。
すると、ハイデマリーが説明を始めた。
「あれはね。生き物じゃなくて、中に人が入った着ぐるみなんだよ」
「きぐ……可愛く、ない、です」
「まったくだ。そもそもなぜあんなに可愛くないんだ? ぬいぐるみは総じて可愛くあるべきものだと思うが?」
声を上げたのは、レフィールとリリアナだ。可愛いもの大好きな二人が、特に不満そうにしている。
「地元の特産物をアピールするために、あんな合成生物にしたらしいよ? 日本ってヘンだよね」
「一応ゆるキャラには可愛いのもあるんだぜ?」
「でも全体の数パーセントでしょ?」
「それは否定できない」
とまあ、そんな一幕から、ちょっとしたお出かけが始まった。




