ふわふわ、きゅーん
「――さてと、三人は何してるかねぇ」
水明はいまは一人。そんな言葉を呟きながら、星空を見上げて外を歩く。
初美を家に送り届け、彼女の両親に説明を受け入れてもらえたことにより、悩みの一つが解消されて、胸の内にひとまずの安堵が広がっている。
まだ説明しに行かなければいかないところも多く、相手によっては魔術をかけて強制的に不安を取り除いたり、辻褄合わせをしたりとしなければならないが、初美のところが良い結果で終わり、かなり心が軽くなった。
であれば鼻歌も自然と歌ってしまうというものである。
しかして水明は、我が家へ到着。アンティークな扉を開け、リビングに入った。
すると、まず真っ先に見えたのは、テレビの前に張り付くリリアナの姿。
「ぺんぎんさん……」
聞こえてくるのは、隠し切れない興奮の声。
ぴかぴか光るテレビ画面に、きらきら輝く紫の片目を向けている。
……どうやらちょうど、動物の番組が放送されていたらしい。最近ではゴールデンで動物を紹介する番組が多く放送されているため、チャンネル変更で折よく当たったのだろうと思われる。
「あざらしさん……」
どうやら動物メインではなく、北極と南極を比較する特集らしい。その一環で、極圏に生息する動物が出ているのだ。
「しろくまさん……」
ペンギン、ゴマフアザラシ、シロクマ。それらの動物は、どれも異世界では見なかったものだ。いや、もしかすれば異世界の極圏に行けばいるのかもしれないが、生活範囲では決して見ることはできないだろう。
やがて番組の内容が動物から別のものにクローズアップされるが、リリアナは特に未練そうにするわけでもなく。
「白くてふわふわ、ふわふわ、です」
両手を身体の前で動かしているのは、ペンギンやゴマフアザラシを触っている妄想をしているためだろうか。陶酔というか、これはもはや酩酊状態に近い。動物の可愛い成分を一気に摂取しすぎて、脳回路がパンクしているのだろう。
ふわふわ、ふわふわと独り言を繰り返し、最後に「きゅーん」と不思議な鳴き声を発してソファの上に悶え転がってしまった。
一方、フェルメニアとレフィールも、テレビ画面を覗いていて、
「うむ……ここはすべて凍っているのか。ノーシアスにもこんな光景はなかったな」
「わわっ、氷の台地が崩れましたよ! すごい規模ですね……」
「これは壮大だな」
「ええ……」
二人で考察したことを話し合っている。
そんな会話を聞きながら、水明は人形の配置換えをしていたハイデマリーに声をかけた。
「なあ、三人とも箱の中に人がいるとか言わなかったか?」
「それベタ過ぎるよ水明くん。いくらなんでもそんなこと言うわけないじゃない」
だとは思うが、それは漫画やアニメによくあるお約束だ。やっぱりちょっと聞いてみたい気もする。
だが、利発な彼女たちがそんな原始的な想像をするわけもなく。
「あれが遠くの情景を投影しているということは私たちにもわかりますよ? ですが事象を鮮明に記録に残して投影できるというのは、やはり驚きましたね」
「『でんわ』や『えあこん』、魔力も火を使わない電灯。パッと見ただけでは使い方のわからない不思議なからくり……スイメイくんに最初に注意はされたが、まさかここまでのものとはな」
「ええ。恐るべしですね異世界……」
二人は驚嘆と恐れが綯い交ぜになった表情を浮かべて唸っている。
「これで驚いてたら付いて行けないぞ? これよりとんでもないものは、まだまだあるんだからな」
「…………」
「…………」
彼女たちはまだ、車や電車などの実物も見ていない。現代ではそんなものが行き交い、しかも庶民が簡単に利用できるのだ。テレビでもそうだが、昼間に外に出ればと思うと、そのときに受ける衝撃の度合いは計り知れない。
「そう言えば、ハツミ嬢はどうしたんだ?」
「ああ、今日は久しぶりに家族水入らずだよ。かなりの間、家を空けていたからな」
「そうだな。それがいい」
うんうんと満足げに頷くお姉さんである。レフィールはもう家族と会うことができないため、その大事さがわかっているし、そう言った再開を喜んであげられるのだ。
ふと、ソファに目を向ける。まだリリアナは、縮こまって転がり、妄想の中にいる。
「リリアナー。おーい」
呼びかけると、やがて起き上がってきていつになくキラキラした笑顔を向けて来た。
「すいめー、ふわふわ、です! ふわふわ、でした!」
「……そ、そうだな」
「あれを、また見ることは、できないの、ですか!?」
「うーん。録画ができればなぁ……俺は基本的に失敗するし」
「ボクは天才だけど、存在自体が神秘だから無理だよ。水明君の家の家電は処理されてるから辛うじて動かせるけど。水明君、動画はどう?」
「無理。パソコンとかになると触ったら画面が青くなる」
水明が精密な電子機器を触ると、すぐに不機嫌になってしまうのだ。神秘に身を浸す人間は、神秘性を帯びてしまうせいで、科学的な法則に悪影響を及ぼしてしまう。
単純な電子機器であればまだ問題ない。だが、パソコンなどのように精密さが増してくると、途端に機嫌を損ねてしまうのだ。
水明もそれで何度学校のパソコンを故障させたことか。電源が付かないのはもはや当たり前。ブルースクリーンはもはやトラウマになりつつあるレベルである。
ともあれリリアナは、可愛い動物たちを見られないことがわかって、残念そうに俯いた。
「……そう、ですか」
「気を落とすなって。見たいなら明日にでも初美に頼んで動画で見せてもらおうぜ」
「また、ふわふわを、見れるの、ですね!」
動物を見れることに、諸手を上げて喜ぶリリアナ。彼女の態度にほっこりしつついた水明は、ふとやらなければいけないことの一つを思い出した。
ふわふわと言えば、ふわふわした者を呼ばなければならないと。
「……っとと、やばいやばい、忘れるところだったわ」
水明は焦りを見せつつ、ベランダのところまで一跳ねする。その勢いでベランダを開けたが、もちろん、室内に新鮮な空気を取り込みたいというわけではない。
水明はどこからともなく小さなハンドベルを取り出して、外へと身を乗り出し、軽く振って音を鳴らした。
軽快なベルの音が反響し、闇空の彼方へと飛んで行く。
その様子を見たレフィールが、不思議そうに首を傾げた。
「それは?」
その言に続いたのは、ハイデマリー。
「ウサギの郵便屋さんだよね」
「ああ。こっちに来る前にいろいろ手紙を書いといたから、まず送っとこうって思ってな」
――魔術師という生き物の中には、文明の利器を嫌い、それを使うまいと固執している連中が沢山いる。家に電話を置かないだけではなく、俗世にかかわらぬよう山奥に隠遁している者までいる始末。
そんな魔術師たちのために、郵便屋と呼ばれる専門の連絡職が存在するのだ。
指定の呼びベルを鳴らすと、どんな場所にいようとすぐに現れ、郵便物を届けてくれる。
……もちろん異世界は別なのだが。
やがてどこからか、サンタが鳴らすようなベルの音が、シャンシャン、シャンシャンと聞こえて来る。その音が止むと、庭にある茂みが、がさがさ、がさがさ。小動物でも潜んでいるかのように揺れ動いた。
「え?」
「これは……」
それにまず驚いたのは、フェルメニアとリリアナだ。魔術の働きを感じさせない出現のせいで、戸惑ったのだろう。
やがて庭の茂みから、一人の少女がぴょんとウサギさながらに飛び出してくる。
赤いぶかぶかのズボンに赤のサスペンダーが取り付けられ、上には白いシャツ。郵便物がはみ出さんばかりに詰め込まれた赤い斜め掛けのバッグ。赤い帽子には作り物の白い耳がぴょこんと可愛らしく飛び出ている。
背の大きさはリリアナよりも少し大きい程度。肌の色は健康的な東洋人のもの。顔の造形も、また同じだ。
腰には短いイチイの杖と、それに付随するようにまりものような緑のぽんぽんがいくつか。ベランダ前に来た彼女は、丁寧な一礼をする。
「郵便屋。ご無沙汰」
水明がそんな声をかけると、郵便屋は柔らかそうな頬を膨らませて、愛らしく怒り始める。
「お久しぶりです水明さん! 一体今までどこ行ってたんですか? 水明さん宛てのお手紙がそれはもう大量に大量にわんさかどっさりありますよ?」
「すまんすまん。というかちょっとおかしなことに巻き込まれててな」
それを聞いた郵便屋はというと、
「あっ……」
「……おい。あってなんだよ、あって」
察したという、彼女のあけすけな態度に、水明の目の開き具合が半分になる。しかしそんな水明の様子も関係なしに、郵便屋は大きなため息を吐いた。
「いえ、やっぱりいつものヤツだったんですね」
「うん。いつものヤツだね」
「お疲れ様、です」
リリアナのその言葉は、もちろん水明に向いたものではない。
水明以外の全員が、納得とばかりに頷いていた。
「なんでお前らはそれで納得できるんだよ……」
「だってさ」
「すいめー、ですから」
そんな風に容赦ないハイデマリーとリリアナ。そんな彼女たちを尻目に、あらかじめ用意していた方々への手紙を、郵便屋へ渡す。
すると、自分宛ての手紙が返って来た。郵便屋が呪文を唱えると、どこぞのネコ型ロボットのポケット顔負けなくらい、赤いバッグからどさどさと手紙が落とされる。
「うげ、すげぇ量」
「半年分……のはそうでもないですが、急に行方が分からなくなったので一応手紙だけでも出しておこうっていうのが多かったですかね……っていうか水明さん一体どこに行ってたんですか?」
「ああ。ちょっと、な」
「それにそちらの方々、見ない格好をしてますね? あ、もしかして水明さんのご趣味かなにかですか?」
「違うわ! …………ったく、しかも代執行の仕事まであるのかよ」
「それ、水明さんご指名の案件です。他の方では対処できないようなので、お手紙はお預かりしていました」
「……いつぐらいからだ」
「うーん。二か月くらい前ですかねぇ」
「大丈夫なのか?」
「急ぎではないらしいですよ?」
「つまり千夜会に大きな害にはならない案件、と」
「はい」
千夜会とは、世にある魔術組織を取りまとめる機関だ。神秘が明るみ出ないよう、魔術組織を監督し、また各魔術組織の仲立ちなども行っている。
代執行の案件は、魔術師が起こす犯罪である神秘犯罪の取り締まりや、終末のケ物の発生、局地的な神秘現象の鎮静化などの神秘災害案件等々の、個々の魔術結社では解決できない重要なもので占められる。
にもかかわらず、急ぎではない。ということは、今回の依頼が千夜会の被害に直結したものではないかもしくは、神秘の存在が明るみに出る危険性が極めて少ないかのどちらかということになる。
消息不明の代執行に回しておくなど、万に一つでも、解決できればいいだろうという風にしか思っていないのだろう。水明以外の者では対処できないなど、基本的にあり得ない。
見た目にも高価とわかる小箱を開けると、中から赤薔薇のシーリングワックスで封をされた黒封筒が現れる。高度な魔術が込められた封蝋を、逆魔法によって除去すると、中から一枚の手紙が。魔術師の捕縛および封印、抹殺に関する依頼書だ。
「スイメイくん、それは?」
「ああ、委託されたお仕事だ。こっちじゃ魔術組織を統括する機関が神秘犯罪を監督していてな、見逃しては置けないくらい「おいた」をやった犯罪者を確認すると、こうして依頼書を送って来るのさ」
そう言うと、フェルメニアが不思議そうに首を傾げ、
「ならば、それを出した機関が捕まえればいいのではないですか? わざわざ魔術組織に下ろさなくても、自前で用意すればいいと思いますが……」
レフィールもリリアナも、同じように思っているような素振りと視線を向けて来る。
「もちろん自前でも抱えてるさ。でも、取り締まりをやるには基本的に人員がカツカツでな。だからと言って別のところから引っ張って来るにしても、自前で育てるにしても」
「要求基準に見合う実力の魔術師はそうそういない、ということですか」
「そういうこった」
要求基準は高い。魔術師の実力は本人の才能と努力が大きくかかわるため、一定の訓練を施せば確実に要求以上の人員を確保できるような仕事とはわけが違う。まだ芽も出ていない才能ある原石を探すのは、宝くじを当てるような作業でもあるし、かといって別の組織から引っ張ってくるなど組織も当人も承諾しえない事柄だ。
それゆえ、外部に委託するという手法を取る他ないのだ。
――千夜会、魔術部門より、代執行の及ぼすところを結社が八席、八鍵水明に通達。
以下対象者に強制執行をされたし。
対象者は○○○○○○。
世に出てまだ浅くはあるが、グランド級相当の腕前を鑑み、危険度はBないしAとする。
代執行に当たり、当該対象の生死は問わない。
当該対象の結界魔術、特に拘束結界には十分に留意すること。
執行に当たって当該対象に関連すると思われる品を同封する。
有効に利用されることを願う。
当該対象の詳細な情報に関しては、以下に記載する――
依頼書の中身に一通り目を通した水明は、独り言のように口にする。
「危険度Aで、生死は問わない(デッドオアアライブ)……とはな。また随分なことをしでかそうとしてやがるな……」
その言葉に食いついたのは、代執行の仕事を良く知るハイデマリーだった。
「そうなの?」
「え? ああ……」
「……? なんか歯切れ悪いね。どうしたの?」
「いや、なんでもない」
無邪気に顔を近付けて来るハイデマリーに、水明は動揺を見せつつも、すぐ高価そうな小箱の方に目をやる。
「同封した品は……これか? ……げっ!」
見れば、中には透明な収納袋があり、ドロップ型の青い粒がいくつか封入されていた。
一見した限りでは、錠剤ではないかと思われる。
「今回のはクスリが関わってるのかよ!? これで緊急じゃないとかどんだけ悠長なんだよ千夜会は!」
薬物ということは、中毒者が蔓延する可能性が最も高い。基本的にその被害の対象になるのは、魔術と一切かかわりにない一般人だ。魔術師ならば対処法を持っているため、中毒にならないように服用するのが常である。それゆえにこの手の薬物のかかわる神秘犯罪は、一般への蔓延が最も危険とされるのだが……。
ハイデマリーが黒髪を揺らして、首を傾げる。
「一般に出回る危険性がまったくない品ってことかな?」
「それか、一般人なら中毒性もなにもないとかな」
「飲んだら一撃必殺的なヤツだね」
抵抗力のない者が服用すれば廃人確定。もしくは、効果が切れたら死亡ということだ。
好奇心旺盛なハイデマリーが、青い薬に顔を近付ける。
「それ、舐めてみてもいい?」
「飴玉みたいだからって得体のしれないものを口に入れようとするのはやめなさい」
「そう? ボクが舐めた方がわかると思うけど」
「それでも、ダメだっての」
「水明君ってさ、こういうとき意外と過保護だよね」
「意外もなにも過保護でもなんでもねぇわ! まったく……」
いくら彼女が人造生命体で人とは違うと言えど、影響を絶対に受けないということは保証できない。だからこそ、そんなことはさせられないのだ。
「ないと思うが……郵便屋。これに見覚えは?」
「ないですね」
「検邪聖省は動いているか?」
「ないと思いますよ? 完全に千夜会以下内内の案件です」
郵便屋はそう言って、耳をぴょこぴょこ動かす。
すると、何故かリリアナが近づいてきた。
「お……」
「お?」
「お耳が、動いています」
彼女は郵便屋の格好を見て、先ほど動物を見ていたときのように目をきらきらと輝かせていた。真面目な話をしていたはずの場の雰囲気が、彼女の喜色に満ちた声のせいでガラガラと崩れていく。
「お耳を触っても、いい、ですか?」
「え? あ、はい、ちょっとくらいなら」
郵便屋はそう言って身体を傾け、作り物のウサ耳を触りやすいように、頭を傾ける。
「貴方も郵便屋になりますか? いまなら、オプションでウサ耳も付きますよ?」
「少しだけ、心惹かれ、ます……」
「おい、俺の弟子を勧誘するな」
「弟子ですか? ……あ! 水明さん。可愛い女の子しか弟子にしないって噂、やっぱり本当だったんですねー、あー」
「んなワケあるか! たまたまだ! たまたま!」
「冗談ですよ。冗談」
ニシシと笑う郵便屋に、水明は疲れたようなため息一つ。すると、
「あ、水明さんため息とか幸せ逃げちゃいますよ?」
「ため息程度で幸せが逃げるんなら、俺は今頃不幸で死んでるっての。……じゃあ、手紙の方よろしく頼む。チップは日本円でいいな?」
「はい」
「お代と迷惑料込みで、ほら」
お小遣いをねだるように両手を出す郵便屋に、気前よく札束を渡す。この類の仕事に対し、値切るなどケチってはいけない。心証一つ悪くなったせいで、たまたま配送に送れるなんてことが……ないとも限らない。もちろんそんなえり好みするような連中ではないが、こういった信頼を重視する仕事関係には、必要である。
「頼んだ」
「承りました。確実にお届けします」
郵便屋は大きく礼を執ると、塀へぴょんと一跳ねして、着地と同時に消えてしまった。