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降り立つは、蜃気楼の男



 果たして、黎二の叫びと共にあふれた蒼い極光は、すぐさま収まった。

 一体何だったのか。目に焼き付いた残像がやっとなくなり、彼の姿を認めると、そこには先ほどと変わらない様子の黎二がいて――



「――我がラピスの碧き煌めきに晶化せよ剣霊。結晶剣、離界召喚」



 突如彼が、何某かを高らかに叫びあげる。その瞬間、握られた手の中から蒼い光が溢れ出し、それが集束すると、一本の剣が握られていた。



「お、おいおいお前、いつの間に武装化させられるようになったんだよ……」


「黎二くん! それ、もしかして例の伝説の武具! うわっ! すっごいかっこいいよ!!」



 白磁の長細い刀身に、蒼い宝石――砕けた紺碧が飾られた剣、結晶剣イシャールクラスタ。冷ややかな蒼い霧と稲妻を周囲に湛えたそれは、確かに黎二の手に収まっている。静かに、しかして途方もない力を溢れさせて。



「黎二!」


「とどめはこれで刺す! 水明は瑞樹と一緒に下がってて!」


「待て! そいつがサクラメントでとどめが刺せるモンなのかどうかはまだわからないんだぞ!」


「大丈夫! だから……」


「大丈夫ってお前は一体何を根拠に……」



 黎二の自信に満ちた態度に、水明は眉をひそめて呻く。彼のあの有り余る自信は何なのか。あまりに不思議だが、しかし黎二は持ち直したばかりのゴーレムへと迷いなく突っ込んでいく。



 すると、瑞樹が、



「水明くん、黎二くんのあの武器だとどうして倒せないかもしれないの? なんていうか、すんごくすごいものに見えるけど」


「確かにサクラメントはとんでもない代物だ。だが、あれには砕けた紺碧(ラピス・ユーダイクス)が埋まってる」


「ラピス?」


「鍔元にあるあの蒼い宝石のことだ。あれは根源と繋がっていて、少ない魔力でこれまで消費されたとされる全てのエネルギーを引き出すことができる。それは言わば無限の循環であり、永劫回帰に相当する」


「こんげんで、えねるぎーで、えーごーかいき……」



 水明の説明には気配りがなかったため、専門用語が山積み。それゆえ瑞樹の頭は理解しきれず、パンク寸前となる始末。湯気を上げつつ、ポンコツな表情を見せる彼女に、水明は呆つつれも要約する。



「つまりだ。これから黎二がとどめを刺そうとしているゴーレムには、ニーチェの思想が利用されている。だが、そのとどめを刺すためのあいつの武器には、ニーチェの思想を肯定する要素が含まれているんだ」


「それだと、なんかマズい感じなの?」


「わからん。さっき俺はニーチェの思想に対立する要素を使ってゴーレムの守りに揺らぎを作ったが、今度は思想を補強してしまうような要素を持ったもので影響(こうげき)を与えようとしている。砕けた紺碧(ラピス・ユーダイクス)の影響で守りが補強される前に、黎二が倒し切るのが早ければ問題ないが、もし先に無敵が復元されるか、二撃目が必要となるなら――」


「ふ、復活するってこと?」


「最悪打倒の機会を失って、俺たちではもう手出しできなくなる。向こうの強みを、俺たちの手で補強したことになるからな」



 水明が瑞樹に説き明かしていく最中にも、黎二は歩みを進め、ゴーレムの正面へと近づいていく。左右に動き攪乱させることもなく、真っ向から討ち果たすつもりなのか。



 やがて一歩一歩踏み出すごとに、サクラメントがその力を吐き出し始める。



「おいおいおいおい……やっぱやべぇなありゃあ……」


「うわ、うわわ! これっ!」



 庭園を、風が駆け抜ける。それはあまりに強烈な風であり、それらは黎二の周囲へと集っていく。やがて風は砕けた紺碧が発する蒼い光をまとって、彼の四周へと放たれ、彼とゴーレムの周囲にさながら祭壇か神殿の如く結晶の柱を打ち立てていく。それは吹きつける冷気で霜柱が立ち上がる映像を、何十倍速にして見せられたかのような有り様。



 にわかに建てられた巨大な結晶の柱はその先端から蒼い稲妻をひらめかせ、その場に鎮座。動きの鈍いゴーレムが稲妻に囲まれると、その身を戒め、土くれでできた巨大な身体を瞬く間に結晶内に閉じ込めてしまう。まるで氷漬けだ。そんな現象を想起させる目の前のそれは、水晶のように透明で、しかし砕けた紺碧(ラピス・ユーダイクス)のように蒼く蒼く輝いていた。



 結晶で閉じられ、動けなくなったゴーレムに対し、黎二がおもむろに切っ先を差し向け、蒼い光を渦巻かせる。すると、刀身に蒼い結晶が現れ始めた。



 やがてそれは瞬く間に巨大化し、一本の剣を模り始める。そして、



「――結晶封殺剣(クリスタリオス)破獄(ゼウド・ラス・シアラ)!」



 結晶の檻にとらわれたゴーレムに、回避する術はない。結晶の剣による絶対不可避の一撃によって、ゴーレムは結晶もろとも、蒼い稲妻をまき散らして粉々に砕け散った。



「やったぁ!」



 ゴーレムの打倒を目の当たりにした瑞樹が、喜びの声を上げる。そんな彼女と共に、水明は黎二のもとへと近づくと、彼はどこか満足そうに結晶の散りゆく様を見詰めていた。



「ひとまずお疲れさん」


「うん、でも……」


「ああ、倒したのは厄介なゴーレムだけだ。アイツはまだぶん殴ってねぇ。それに、聞かなきゃならんことが沢山ある」


「……そうだね」



 水明がそう言うと、何故か黎二は満足げだった顔を曇らせた。どうしたのか。それはともあれ、ハドリアスに視線を向けると、ハドリアスの顔が険しさを帯びているのが見えた。



「あの方の技を破るか……予想以上だな」


「バカ言えよ。あれは破れるようなモンにしてたの間違いだ。そうじゃなかったら、勇者の力を弱点になんて据えねぇだろ? 最初から最後まで試しで通しやがって……」



 そう、まさかそれが都合よく勇者の力――女神の加護が弱点ではあるまいに。おそらくは、そこまで行きつけるかどうか、試したのだろう。

 水明は独り言のように苛立ちを吐き出すと、そのまま姿勢を正す。



「水明?」



 かけられる黎二の困惑の声を余所に、水明は丁寧な口調で切り出した。



「――そろそろ、姿を現していただきたい。それとも私たちの実力は、まだあなたのお眼鏡に適うようなものではないのでしょうか?」



 唐突に丁寧な言葉を口にし始めた水明に、黎二も瑞樹もハドリアスでさえも困惑する。しかして上位の魔術師に対する最上の礼儀に則った彼に、呼びかけた相手――蜃気楼の男は静かに応えた。



「――いいや、上手くやったと言っておこうネステハイム卿の弟子よ。思っていたよりも早く答えに行き着いたのは、賞賛されてしかるべきものだな」



 称賛と共にハドリアス邸の屋根の上に姿を現したのは、ウェーブがかった薄紫の長い髪を持った大柄の男だった。その男は屋根から飛び降りると、落下の速度や衝撃などなかったようにふわりと着地。ハドリアスの隣へと並び立つ。



「ゴットフリート殿……」


 まさか姿を現すとは思わなかったか。驚きの表情を顔に貼りつけるハドリアス。そんな彼に、蜃気楼の男――ゴットフリートは水明に薄紫の視線を据えたまま、落ち着き払った様子で答える。



「礼に則られては、吾も姿を見せなければなるまいよ。ルーカス。貴公が悪びれる必要はない」



 踏み出す彼に、ハドリアスは軽い会釈で答える。

 一方の水明も、自分の胸の右寄りに右手を当て一歩前に出、薄紫の視線に赤い視線を返す。



 そして、



「私の名前は八鍵水明。我らの魔術が祖にして偉大なる魔術師フォン・ネステハイムのもと、真理を求める徒の一人。魔導の先達たる師に名を訊ねる失礼をおして、あなたの名前をお伺いしたく」



 その訊ねに、ゴットフリートはその名を口にする。



「吾が名はゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ。……いまだ神秘に身を浸す身だが、いまは末枯れた名を持つ者よ」


「……神を、利用した哲学者」



 やはり予想は当たったか。水明は、そう、ぎりっと歯噛みする。連合で対峙したときからずっと当たりを付けていたのが、この名前だ。自分よりもはるかに上位、首魁(マジェスティ)級の魔術師や魔に堕ちし十人(グリード・オブ・テン)に匹敵するほどの魔術師。

 蜃気楼の男、ゴットフリートは穏やかな薄い笑みを作る。そして、



「退くがいい、ネステハイム卿の弟子よ。いまのお前では、吾をどうこうすることはできん。相向かって立つならば、本来の力を取り戻し、相応しい力を手に入れてから来るがいい」


「それを、わかっておいでか」


「無論。それはここに呼ばれた吾も通った道よ。吾の道に異を唱えたくば、己がやるべきことを済ませてから、再び吾のもとを(おとな)うがよい」



 彼は水明にそう言うと、次は黎二に――黎二の持つサクラメントに目を向け、



「勇者。それは騎士ライゼアの剣だ。大事にするがよい」


「これを――いえ、あなたはあの人を知って」


「あの男も吾も、呼ばれた身だからな」



 どこか懐かしむように薄い笑みを作るゴットフリートに、黎二は、



「――ッ、あなた方はどうしてこのようなことをするんですか!? この世界が魔族の手に落ちてもいいと思っているのか!?」


「そうは思ってはいない。だが全てを答えるには、まだ時が早い」


「時が早い?」


「それを答えては、支障が出ると?」


「そういうことだ」



 水明の問いに、ゴットフリートが頷く。



「では、魔族に手を貸しているわけではないのですね?」


「無論だ。いずれ魔族は、邪神ごと滅ぼさねばならぬものと認識している」


「その言葉は、信じても?」


「よい。ただ、その先を聞きたければ」



 ここでも全力を使えるようにしてから、再び前に立てというか。



 ゴットフリートとやり取りを交わしていると、フェルメニアやレフィール、そして屋敷の中にいたティータニアやリリアナ、そしてエリオット、閉じ込められていた初美も現れる。



「ティア!」


「レイジ様、あれが黒幕ですか?」



 もとに立ったティータニアは、ゴットフリートを首魁と定め、目を細める。ゴットフリートの持つ言い知れぬ雰囲気が、彼女にそう思わせたのだろう。次いで、彼女はその隣へ視線を向ける。



「姫殿下」



 その場に静かに跪いたハドリアスに、ティータニアは睨むような視線を向け、



「公爵。その者に並び立つということは、お父様に剣を向けると考えてよろしいのですか?」


「誓って二君を戴くことは。我が君は、生涯アルマディヤウス陛下ただ一人にございます」



 真剣味を帯びたハドリアスの声に、ティータニアは何かを推し量っているのかしばし押し黙る。しかしてそんな彼女に、声をかけたのはゴットフリートだった。



「この国の姫か」


「…………」



 黙ったまま視線だけくれるティータニアに、ゴットフリートは続けて口にする。



「いまルーカスの口にした通りだ。彼の剣は一貫して彼の奉じる王に対し捧げられたものに他ならない。もし吾がそなたの父に刃を向ければ、ルーカスは迷わず吾の敵になるだろう」



 その言葉を聞いたティータニアはしばしの逡巡……もしくは思考のあと、不承不承といった様子で、



「……退きましょう」


「退くって……」


「この状況ではいかようにもできません。ハドリアス公爵を裁くにしても、彼を裁くいわれはどこにもないのです。エリオット殿は自分のご意志でここにいたのに過ぎないのですから」



 ティータニアの言葉に、困惑を隠せない黎二。そんな彼は、隣に立つ水明に視線を向ける。



「……水明は、それでいいと思う?」


「正直、俺にはどうすればいいかわからねぇ。あの貴族サマはぶん殴ってやりたいが、こうまで場が改まっちまった以上、ここでぶん殴るのは考えなしのやることだ。状況が複雑すぎる」


「それでいいの?」


「戦って勝つとか負けるとかの話じゃねぇんだ。そもそも俺たちの勝利ってなんだってなる。目的(エリオット)を達成しちまった以上、勝利はしているし、そのあとの余剰は余計な手出しになる。いままでは勢いで良かったが――」



 余勢はしぼみ、なおかつ一度冷静になる場も設けられた。これで手を出してしまえば、言い訳など利かないだろう。



 水明も忸怩たる思いを表情に露わにする中、ふとゴットフリートが黎二に向き直る。



「勇者。貴公に一つ、忠告しておこう」


「なんです?」


「自分を失いたくなければ、女神の意志に抗うことだ。それ以外に、貴公に道はない」


「……僕は僕の意志で戦っている! それ以外にない!」



 ハドリアスと似たようなことを指摘され、思わず叫び返す黎二。一方、フェルメニアが水明の横に立ち、動向を訊ねるように声をかける。



「スイメイ殿」


「行くぞ。これ以上はさすがにどうにもならん。みんなも」



 水明がそれぞれに視線を向けると、初美が不服そうにため息を吐いた。



「すっきりしない終わり方ね」


「こういう状況では仕方ないさ。あの男を殴るのは、次回へ持ち越しだな」



 レフィールもやはり、不服か。水明と同じようにハドリアスをぶちのめしたく思っていたため、不完全燃焼は否めない。



 とまれ、これ以上はどうにもならないと、水明たちはその場から後退る。

 ゴットフリートは退く様子を見極めると、ハドリアスに何やら声をかけ、二人屋敷の中へと去って行った。



 彼らの去る様子を見て、黎二がふいに訊ねてくる。



「水明、さっきライプニッツって言ってたけど、もしかして、あの?」


「そうだ。数学者にして哲学者。自分の理論を証明するために、神を利用した男だ」



 その名は有名でなくとも、知る者は多いだろう。表向きは数学者、哲学者、科学者、思想家だが、彼の生きた時代は物理法則が成熟されていないがゆえに、その当時のあらゆる学問に精通するだけで、神秘にも秀でるということになる。



 つまり、神秘学者(まじゅつし)、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ。ルルスの大いなる術(アルス・マグナ・ライムンディ)を受け継ぎ、世に結合術(アルス・コンビナトリア)を唱えた男に他ならない。






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