金色の夕暮れ、遥けく彼方
――勝機は、確かに掴んだはずだった。
友の打ち出した作戦は完璧で、確かにあの土くれの巨人を打ち倒すための一助となり、あと一歩というところまで追い詰めた。
しかし、土くれの巨人は倒し切れず、いまだ動いている。
それはひとえに、自分が至らなかったがゆえだろう。自分にあの土くれを倒すだけの力がなかったから、あと一歩と、追い詰めるだけにとどまったのだ。
だから、願った。サクラメントに応えてくれと。求めたのだ。もう一度、もう一度だけ自分の声に、応えてくれと。
――果たして次の瞬間、自身が舞い降りたのは、これまで見たこともない世界だった。
それは以前のような長い長いトンネルの中でも、泥のような闇の中でもない。ハドリアス邸の庭にいたはずの自分は、麦穂が西日で黄金に輝く、まるで西洋の絵画の中の一景にあるような場所に立っていた。
「ここは……」
一体どこなのか。先を探ろうと辺りを見渡しても広がるのは麦畑しかなく、遠方に見える山脈には霧のようなもやがかかり、麓があるのかすら定かではない。ときおり吹いた風が麦穂を撫で、さながら金色の波のように、ざわざわとざわめくばかり。
そんな中をおもむろに、そしてあてどもなく歩いて行く。
いまだ先を示す標はないが、歩を進めるにつれやがて麦畑の奥に白い四阿が見えてくる。
さながらそこは、朽ち果てた遺跡か何かのようだった。近付いてみれば真っ白な支柱は崩れており、やはり真っ白な石畳と天蓋と、椅子とテーブルが置かれている。
「ここは一体……」
そう戸惑いを口にして朽ちても立ち尽くすばかりの柱に触れると、ひんやりとした感触と、軽くピリピリとした弱い電流のような痛みが伝わってくる。
真っ白な支柱は石柱のようにも見えたが、その予測に反し石柱ではなかった。金属。そうそれは金属だった。触ってそう、理解した。無論そう理解できたのは、これを、サクラメントを握ったときにも感じたからに他ならない。
「じゃあ、この白いの全部……」
四阿を構成するこのすべてが、サクラメントの刀身と同じ金属なのか。白磁の見た目を持っていながら金属であるという、摩訶不思議な材質に驚きながら、崩れた支柱を見上げていると――
「――おっと、まさかここに客が来るとはな。いや、この場合俺の方が客なのかもしれんが」
すぐ近くから聞こえたのは、若々しい男の声だった。しかしてその声に振り向くと、額に一文字の傷を持つ北欧系の男性が、四阿の椅子にだらけた様子で腰かけていた。
いつからそこにいたのか。自分がここに着いたときには確かにいなかったはず。突如としてここに現れ、しかしずっとそこにいたかのように腰を下ろし、腕も足も投げ出して思うままそこでくつろいでいる。
傷の男は金の髪を短く切り揃え、瞳は青。所々に装甲が付いた白い軍服に身を包み、片手には白い槍を。そしてその身には、物々しい雰囲気をまとわせている。
ただ左の耳だけエルフのようにとがり、それが三つ又になって分かれていた。右の耳は普通の人のものにもかかわらず、だ。
「あ――」
そして、それに気付いた瞬間だった。ふっと理解できた。この男は、人間ではないのだと。人間の姿をしているが、何か別の、もっと大きな生き物なのだということに。
しかしてその男はこちらの困惑も他所に、興味深そうに色々な角度から自分のことを見詰めてくる。その値踏みとまではいかない視線に戸惑っていると、何か気付いたのか意外そうな表情をして手を叩いた。
「ほほう? お前さん、人間の小僧か。まさかお前さんみたいな真っ直ぐそうなのが選ばれるなんて、世も末だね全く。ま、世の末なんてのはとうの昔から始まっているんだが――」
傷の男は自分の口にした言い回しがツボにでも入ったのか、一人カラカラと笑い始める。
そんな男に、自分は、
「あの、あなたは?」
「俺か? 俺はそれの所有者さ。お前さんがここに来たってことは、そこに『前』とか『元』って言葉がつくんだろうが――それはどうでもいいか。ま、つまりはそういうことだな」
「それ?」
「お前さんがいま手に持っているそれだよ、それ」
男の指が指し示した先を見ると、そこには固く固く握られた自身の手があった。
知らず知らずのうちに、握り拳を作っていたらしい。そして男の指先は、どうやらこの拳の中を指しているようだった。
男の頷きを見て、拳を開くと、そこには――
「サクラメント……」
「そう、結晶剣イシャールクラスタだ」
あったのは、イルザールとの戦いのとき、そしてグララジラスとの戦いのときに自分を助けてくれた神秘の武装、サクラメント。以前あの水明をして、とんでもないものと言わしめた、この世界で手に入れた武器、その装飾品時の姿だった。
だがこれは自治州の神殿に死蔵されていたもの。もと所有者と言うならば、男の言葉には腑に落ちない。
「これの前の所有者は、死んだって……」
「ああ、そうだな」
「そ、そうだなって……じゃあいまここにいるあなたは一体なんなんです?」
「さてな。だが、お前さんの言った通り、死んでるのは間違いねぇよ。俺が死んだときの記憶がちゃーんと残滓としてここに残っているからな」
男は自分の頭、こめかみをとんとんと指で叩いて、自嘲気味に笑っている。その豪放さと気さくさに、少しだけ戸惑っていると、一転男の表情は真面目なものになり、
「まあ、俺が生きてるとか死んでるとかいまのお前さんには関係ないことだ。それよりもなんだ、かけろや」
「は、はい……」
男に四阿の椅子を勧められ、そこにぎこちなく腰を下ろす。ひんやりとした金属の感触と、やはりピリピリとした刺激が、臀部から駆け上がってくる。
対して男の方は遠慮という言葉とは無縁そうに、どっかりと腰を下ろした。
「しかしなんだな。俺のときはこんなこと起こらなかったんだが、面白いもんだな。こういう形でいろいろと知らされることもあるのか。お前さん、そうそうないことに立ち会ってるのかもしれないぜ?」
訳知り顔でにやにやと笑う男に、率直に訊ねる。
「あの、ここは?」
「ここか? さあなぁ……俺も詳しくはよくわからん。ここがアストラル・ラインの只中なのか、サクラメントが集うソードの果てなのか、誰しもが行き着くという最果ての黄昏なのか。結局それを知ることはできなかった。ただ、根源に選ばれた者がたどり着く場所だってことは確かだろうな。俺やお前がここにいるんだ。つまりはそういうことだ」
「根源……ですか?」
確か、それは水明が以前サクラメントの話をしていたときに言っていたものだ。この世で消費されたすべてのエネルギーが行き着く場所であり、熱的終焉からこの世を救うための、鍵であると。
「……なんだ。お前さんもしかしてパンピーかよ? かー! なんだよそれはよ!? お前みたいな年端もいかねぇガキが何も知らないままそれを持っちまって、選ばれちまったのかよ? あーあ、ほんと世も末だわまったく」
「あの……」
「そこ、見てみろよ」
男の話が理解できず戸惑っていると、ふいに男が大きなため息を吐いて、指をさす。その先には、まるで墓地にある御影石のように黒い巨石がそこにあった。
「あれは、墓標……ですか?」
「墓標はやめろ。碑文って言え碑文って。まだ死んでないヤツの名前も載ってるはずだ」
椅子から離れ、近くに寄って見てみれば、確かに黒地にラピスの青で文字が記載されていた。文字は様々な国の言葉で書かれており、光っているのと、そうでないものの二種類がある。ふと視界の端に映った蒼い残像に目を奪われ、そこへ視線を向けると。
「……これ、僕の名前だ」
黒い碑文には、確かに遮那黎二と、自分の名前が青く記載され、輝いていた。
すると、男が、
「それはお前らで言う合格発表の貼り出しで、予約表だ」
「合格発表と、予約表?」
「そう、これでお前さんも死んだらめでたくあっち行きってわけだ。蒼い光の渦に呑まれてな。それか、連中に黄昏の井戸に還されるかのどちらかだが――」
男の言い様は、よくわからない。何か別の、とても重大なことを話しているのだということは直感的にはわかるのだが、それを言語化することも、そこから意味を見出すことも、いまの自分にはできなかった。
そして、
「んでだ。お前さんは一体ここに何しに来た――いや、こいつは愚問だったな。ここに生きて来るヤツは、抗う力が欲しくて来るんだもんな。お前さんも力を求めてここに来たわけだ」
その通りだ。自分は、立ちはだかるものを打倒するために、サクラメントに願い、この場所へとたどり着いたのだ。そう。そうだ。そうであるのならば、いま目の前にいる男こそが、きっとその答えにほかならない。
ゆえに、訊ねた。
「あの、僕はこれの使い方を教えて欲しいんです。僕はこれを自由に使えないから……」
「自由に使うってのは、捉えられる意味が多すぎるな。使いこなしたいのか、技が欲しいのか、それとも単にイシャールクラスタ独自の剣の術理が欲しいのか。俺にはわからん」
「……そうですか」
抽象的すぎると言いたいのだろう。男の素気無い言葉に、思わず肩を落としてしまう。すると、男はどこか呆れたような表情になって、
「おいおい、そんな顔するんじゃねぇよ。お前さんだってここまでたどり着いた剣士なんだろ? お前だって一つ思いを持ってここに来たんだろうが? それに、強さの行き止まりに着いちまったってわけでもないんだろ?」
「目の前の脅威を越えるために、僕はどうしても力が欲しいんです。なんでもいいから、戦う力が」
そう、嘘偽りない本心を吐き出すと、男は自らの耳を触りながら大きなため息を吐いた。
「……しゃあねぇな。手ぶらってのもきついんだろうし――そうだな。お前さんに一つ、技をくれてやろうじゃねぇか」
「技、ですか?」
「そうだ。だが……ふむ。自陣形象は、まだ早えだろうな」
「は、はぁ……」
「ま、奥義が適当だろうよ」
「エストライク?」
「そうだ。サクラメントの能力の残りカスを使った技のことさ」
「の、残り滓って……」
残りカス。聞こえの良くない言葉を耳にして、つい顔に出してしまう。すると男は含みのある笑みを見せ、
「ま、残りカスっつってもだ。いまのお前さんにしてみればとんでもない技さ。どれ、そいつを貸してみろ」
男が差し出した手に、持っていたサクラメントを譲り渡す。直後、蒼く眩い光が溢れ出し、その光が剣のような形を取って、やがてイシャールクラスタと変化した。
「見てな」
そう言って、彼は構えとも言えないような姿勢を取る。無造作な格好であり、しかし切っ先を目に見えない存在へと突き出しているかのよう。
そしておもむろに不敵な笑みを作ると、イシャールクラスタの蒼い宝石、砕けた紺碧から蒼い光が解き放たれ、その周りに浮かんだ二種類の白磁の輪が静かに動き出す。
周囲に行き場を失くした風が集まり始めたかと思うと、ぴき、ぴき、とまるで薄氷のひび割れのような音が周囲から鳴り始め、途端一気に結晶の柱がいくつもいくつも聳え立つ。
作られたるは巨大な蒼い結晶。男はその中心に狙いを定め、剣を突き出す。すると、周囲の結晶が青ざめた稲妻を伴ってその先端へと集い、巨大な結晶の中心へと届いた。
耳を塞いだ手ごと引き裂かれるような轟音が、衝撃波と共に辺りにまき散らされる。
目を向けると巨大な蒼い結晶の柱は砕け散り、細氷のようにパラパラと宙に舞っていた。
「――結晶封殺剣、破獄。結晶の中に敵さんを封じ込めて、ぶっ潰す。ま、さほど工夫の要らない単純な技さ」
「これが、イシャールクラスタの、奥義……」
見せられた光景に半ば呆然としていると、突然、麦畑に強風が吹き荒れ、周囲の景色が霞み始める。それはまるで、夢から覚める前兆のよう。
「――おっと、もうお時間みたいだな。やることやったら、用済みってことか。役目が終われば即さよならってのは、どうも味気ないねぇ……」
「じ、時間って!」
もう、終わりなのか。自分が欲しいものは、それだけではないのに。
そう思って焦りを顔に出すと、やはり男は察しているというように、
「そう不安がるなよ。単純な話さ。相手が強ければ、もっと強い何かでぶっ飛ばせばいい。それがこの世の当たり前だ。それにちゃっちいお人形遊びを終わらせるためのお膳立ては、お前のダチがしてくれたんだろ? あとはお前が全力をかけりゃいいだけさ」
「どうしてそれを――」
「それはいまお前が気にするような話じゃねぇよ。ま、サクラメントは現象事象を切り裂く剣だ。その剣で切り裂けないものは、誰が言ったか人と人との絆だけよ」
男はそう言って、愉快そうに笑っている。そんな彼に、まだ胸の内で淀んでいる不安をぶつけた。
「でも、今回の相手はそんな単純なものじゃないんです」
「あのお人形にかかってるまじないのことがまだ不安か? ……やれやれ、よく考えてみろよ? 一度ほつれたものをもとに戻すには、相応の手間が必要だろ? じゃあその手間がかけられる前に倒してしまえばいいって話だ。いまやった通り、サクラメントを突き刺す前に、結晶で隔離してぶっ倒せ。それで終わりだ」
男はそう言って、この話は終わりだと言外に切り捨てる。そんな彼に、まだかけていない質問を繰り出した。
「さっき言った自陣形象というのは?」
「そっちはいずれわかるさ。力が足りなければ欲しろ。そして、内なる声に耳を傾けろ。根源から選ばれた以上は、根源は必ずお前の想念に応えてくれる」
男はそう言って、持っていたイシャールクラスタを渡してくる。男が押しつけるように自身の手に預けると、その姿が徐々に徐々にと霞み始めた。
夢が醒め、その夢の登場人物もまた、いなくなるというそんな兆し。
「ま、待って下さい! これを武器にするやり方も、まだ僕にはわからないんだ!」
男は「それも知らねぇのかよ……」と霞んだ身体のまま呆れが混じったため息を吐き出す。
「一度しか言わねぇぞ? よーく聞きな」
そして、
――我がラピスの碧き煌めきに晶化せよ剣霊。結晶剣、離界召喚。
「お前が剣を欲したとき、そう言えばいい」
「離界、召喚……」
「そうだ。内なる声にそう答えれば、そいつは武器になってくれるさ」
口元を笑みで吊り上げる男は、帰り支度が済んだというように背を向ける。そして、言い忘れたことを思い出したかのように見返って指を差し、
「最後に一つ忠告しておくぞ? お前はこれから、とんでもない戦いに呑み込まれることになるかもしれない」
「とんでもない戦い? 魔王と邪神との戦いですか?」
「残念だがそれじゃない。魔王とか邪神とかちゃっちいものならまー頑張れば倒せるようなものだろうが、俺が言ってるのはもっととんでもないものだ」
「もっととんでもない……もの?」
邪神や魔王以上にとんでもないものとは、一体何なのか。戸惑って言葉に詰まっていると、男は、
「ま、かもしれないだ。俺とお前の認識にちょいと齟齬があったからな。もしかしたら、俺のいた世界とお前のいた世界は、違うものかもしれない。もしそうじゃなかったら、大変だってことさ」
男はそう言って、手をひらひらと振って麦畑の向こうを目指して歩き出す。そんな彼に、自身はもう一度追いすがった。
「あの!」
「……まだ何かあんのかよ? もう打ち止めだぜ?」
困ったように見返った彼に、訊ねたのは、
「あの、僕は遮那黎二と言います! あなたの名前を教えてください!」
もとは最初にしておかなければいけない質問が、最後の最後になってしまったと。そうあらんかぎりに叫ぶと、男は驚きで目を丸くして――途端笑い声を爆発させる。
「は、ははははははは!! そ、そうだな! そうだよな! 確かにそいつは大事だよな! ――俺の名前はライゼア・ルーベルン。ま、忘れたってかまわねぇぜ? お前にはもう用のない名前だからな」
「ありがとうございますライゼアさん! あなたのお名前は一生忘れません!」
「騎士ライゼアだ。俺の名前を使うなら、そっちで呼びな」
騎士ライゼアは、そう言い捨てて、再び歩き出す。やがてその姿も、麦畑と夕暮れと共に霞み、蒼い光に包まれる。
「――俺の相棒をよろしくな。せいぜい、上手く使ってやってくれや」
騎士ライゼアのその言葉を最後に、黎二の意識もまた蒼い光に呑まれたのだった。




