夏のイベントと言えば、アレ!
黎二と話をし、初美と再会を果たしたあと、水明は戦いの地である帝国北部から、帝国にある拠点へと戻っていた。
本来であれば帰還後すぐにエリオット救出に動くはずであったが、黎二やティータニアの要望で、彼らが戻るまで待つこととなり、まずクリスタにいましばし待たせるという旨を伝え――さて待っている間どうしようかといったところだった。
フェルメニアとリリアナは伝手を用いて情報収集などにあたったが、水明にはやることと言えば一つしかなく――
「えーっと、こっちが書き写した魔法陣とそれの分解図で……」
水明のやるべきことそれは、彼がアステル王城キャメリアから出た理由であり大きな目的、英傑召喚の陣の解析と帰還の魔法陣の作成だった。
……だが、術式や魔法陣の作成は順調に進んでいるわけではなかった。
そう、目下絶賛停滞中なのである。
「ここをこうして、あっちの式を典礼化して……ああそうか、これはダメだしなぁ……」
情報を記入した百枚以上の羊皮紙を、床に並べて動かしてを繰り返しては、違う違うと否定して、うーんうーんと唸り出す。作業は完全に手詰まりの状況だった。
「早くあっちに戻らないといけないんだぜ……? ここにきて詰まっちまうなんてアリかよ……」
口をついて出たのは、あからさまな焦りの声だった。だがそれほど、水明が急いているのは、状況がよろしくないからに他ならない。
そう、魔族の将を倒し、敵の数が減ってきているかと思いきや、逆に増える一方なのだ。しかもそれは、強敵と呼べる者ばかり。蜃気楼の男に加え、リシャバームこと魔に堕ちし十人クドラック・ザ・ゴーストハイド。両者ともに水明をしのぐ魔術師であり、苦戦は免れない。蜃気楼の男に関してはまだ立ち位置が不鮮明なため、確定的なことは言えないが、クドラックに関しては必ず自身が決着をつけなければならないため、現状維持に甘んじていれば確実に状況は悪くなるだろう。
あれがクドラックである以上、立ちはだかり、立ちはだかられることは間違いない。それだけの因縁があるのだ。
ではもしそのとき、水明がいまのままであったなら、そも敗北は確実である。
向こうの仲間がいないこともそうだが、現状、水明は思うように全力を出せていない状態にあるのだ。こちらの世界とあちらの世界とでは、星の存在、精霊の有無、空間のゆがみ、霊脈の関係等々の条件に差異があり、思うように力が発揮できないでいる。水明の魔術の代名詞である流星落も、対応する星がないため魔術自体が形骸化し、半分もその力を引き出せてはいない。
そして流星落を筆頭に、サイキックテンペスト、覇拳ラグラインベルゼ、魔力炉の無限化。使えていないもの、必要なものはまだまだある。
あちらの世界に戻って全力を引き出せるようになるかどうかはわからない。だが、向こうの世界にはこちらの世界にはいない、魔術の深淵を覗いた先達たちがいるのだ。彼らに教えを乞えば、解決の糸口もしくは代替する力くらいは得られるだろう。
「……人に頼るってのはあんまり性に合わないんだけどなぁ」
一人前の魔術師は、ぶち当たった問題は自分で解決するのが、当たり前のことだ。だが、そうも言っていられない。状況はそれだけ、思っている以上に逼迫している。悠長にしていれば、黎二はおろかこの世界の人間すべて、リシャバームによって滅ぼされてしまう可能性もあり得るのだ。
とまれ、それを解決するにはまず、向こうの世界に戻る術をどうにかするのが先決となっているわけで――
「どうしたもんかねぇ……」
手元には、アステル王国で自分たちが呼び出されたときに使用された魔法陣と、連合北部で手に入れた最古のオリジナルのデータが揃っている。
これを利用し、この世界に残された召喚術の知識と自分が持っている降霊術の知識を合わせ、帰還の魔法陣の作成をしているのだが――
(あと一手、あと一手足りない)
龍の目のピースが欠けたパズルを前に、歯噛みする水明。苛立ちで無意識のうちに貧乏ゆすりをしてしまうほどに、行き詰まったことへのフラストレーションが溢れている。
データは揃っているのだ。足りないのは、イメージ。この魔術が発現したときに、自分たちの視覚が捉えるその形。ワープなのか、ドアを開けるのか、穴を穿つのか、はたまたテレポーテーションなのか。この情報がどういった形状に組みあがるのか、いまいちそれが固まらないのだ。
無論、このまま無理に魔術を発動すれば、間違いなく失敗する。形になっていなければ、それはいわば机上の空論だ。どういった形か想像できていない以上、未知という不確定要素が加わり、術が不安定になって致命的な失敗を引き起こしてしまうだろう。
そうなれば、どうなるかは想像するに難くない。かのフィラデルフィア実験よろしく、同化現象や事象捻転による返礼風により、あらゆる災厄が己の身体に降りかかってくる。
――未完成の魔術はパンドラの箱と同じだよ。
それは以前、結社の盟主ネステハイムから諭された言葉だ。自分は状況に追い詰められたとき、分の悪い賭けにでることがままある。インルーとの戦いで『ゆえなきゆえの光』を求めたのもそう。大博打を打つため、そんな言葉を贈られたのだ。
それは、魔術の深奥にある希望を求め、身に余る力を行使し、災厄をその身に受けてしまうことを皮肉った言葉。それをしかと覚えておけと、言い渡されたのである。
ならば、理非を論じられる落ち着いた状態のいま、それに手を出すわけにはいかないのである。
だが、目下の問題が解決しない以上、気分は出口の見えない真っ暗なトンネルの中にいるかのようだ。
「あーいい案が思いつかん! それもこれも暑さのせいだ……」
そう水明の思考を妨げるのは、目下の問題だけではなく、気温もそうだった。帝国は北方地域で、しかも初夏にもかかわらず、うだるような暑さになったのだ。北の山から帰ってきたばかりゆえ、気温差に慣れないというのもあるだろうが、そうだとしても急に三十度近くなっているのにはめっきり参っていた。
水明が暑さを含め悶えていると、ふいに部屋の外から声がかかった。
「スイメイ殿、いまよろしいでしょうか?」
「ああ、フェルメニアか。入っていいぞ、どうした?」
声の主はフェルメニアだった。水明が声をかけると、静かにドアが開かれる。
「失礼します――それでどうでしょう? 魔法陣の作成は捗っていますか?」
「全っ然。詰まった。どんづまりだ」
「ほう、それはスイメイ殿らしくありませんね……」
「俺らしくないってどういう意味だよ?」
「いえ、いつもなんだかんだ涼しい顔をしてこなしてしまうので……魔術のことに関してはですが」
「魔術はってどういうことだよ?」
「女性関係とか」
「うぐ……それは別にいいだろうが」
「そうですね。それよりも私はスイメイ殿を苦しませていることの方に興味があります」
そう言って、にこにこし始めるフェルメニアに、水明は特に怒ることもなく、
「なんつーか、術式の答えが出ないとか、典礼化が難しいとかではないんだよなー。あとは発想っていうか、ふとした閃きというか心象のイマジンというか……」
「難しいのは理解できます。この世界でもずっと、帰還の魔法陣は作ることができないと思われていましたから……ちなみに召喚する場合の『いめえじ』はどういった具合なのですか?」
「大本のヤツは吸い寄せるような感じなんだよ。掃除機……じゃわからんよな。こっちのイメージで言うと強力な風の魔法で無理やり引っ張る流れを作るんだ」
「ではそれを逆にしてみればどうでしょう?」
「いや、それはダメだ。吸い込む場合だと到達地点は安定するが、空気の流れで押し出した場合は方向が安定しなくて到達地点がおかしくなる。そうなったら俺たちは目的の場所に戻れない」
「ふーむぅ。では向こうの世界までの通路を作ればどうでしょう?」
「それだと目詰まりを起こしちまうような気がしてな。……くそやっぱり掃除機がネックなんだよなぁ……」
英傑召喚の魔法陣を参考にして魔術の形を想起したとき、イメージが掃除機で固まってしまったことが、水明を悩ませている原因だった。一度そう思ってしまうとそこから脱却できないというのが、痛いところである。
大きなため息を吐く水明。彼がひたすら鬱々としているそんな中、フェルメニアがパンッと柏手を打って小気味良い音を響かせる。
「ところでスイメイ殿、気分転換をしてはいかがですか? もやもやとした気分を発散させれば、いい案が浮かぶかもしれません」
「気分転換か。確かに一理あるな……だけど、一体なにをするんだよ?」
「ふふふ……そこは私に一計が」
「……は、はあ。で、それは?」
フェルメニアのどこか含みのある表情に、胡乱げな表情を作る水明。一方フェルメニアは不気味な笑みをわざとやっていたのか、表情を一変させて、明るく快活な笑顔を咲かせる。
そして、口にしたのは――
「私がスイメイ殿におすすめしたい気分転換それは、ぷうるです!!」
「は……?」
フェルメニア・スティングレイによる、唐突なプール開き宣言だった。
★
フェルメニアの発した意外な言葉に、水明は一瞬硬直していたが、すぐに我を取り戻して、リアクションを取る。
「いや、あの、ぷうるって、プールですか!? あの!? 夏に学校の授業でやったり、家族連れで賑わったりする、あの!?」
「そうです! 北の陣地から帰る前に私はイオ・クザミ殿から聞いたのです! スイメイ殿たちの世界には、夏の暑さをしのぐために、わざわざ巨大な容器に水を張って、みんなで入って熱くなった身体を冷やすということを! 私はその話に大変興味を持ちまして……」
「いやまず夏の一大レジャーに対してそういう風情のない言い方しないでくれよ……」
フェルメニアの身も蓋もない台詞を聞いて、水明はなんとも言えない気持ちになる。身体を冷やすのはまあ確かだが、そんな言い方だと完全にサウナに入ったあとの水風呂だった。
「初夏にもかかわらずこのうだるような暑さですし、どうです?」
「どうですって……まずそんなものどこにあるんだよ?」
「外に出ればわかります。ほら、行きましょう!」
そう言って、フェルメニアはノリノリで水明の腕を引っ張る。にこにこと愛らしい笑顔を見せ、それはまるで親を遊びに連れ出す幼子のよう。可愛らしい。水明は「意外とこんな一面もあるんだなー」というような感想を抱きながらも、状況はまったく見えないが大人しく付いて行き、しかして外にあったのは――
「はぁああああああああああ!」
「てぇああああああああああ!」
剣と刀のぶつかり合い。そして剣士と剣士の雄叫びだった。
「…………」
玄関のドアを開けた向こう側で、絶え間なく繰り返される斬撃。まったく予想していなかった事態を目の当たりにした水明は、呆気に取られて立ち尽くす。
玄関先で行われているのはもちろん、剣の手合わせだ。部屋では外の音を遮断していたため、聞こえなかったが、雄叫びの主たちはレフィールと初美。
剣の理に精通した二人の、一種避けられない戦いである。
片や大剣で、もう片方は長刀。どちらも女の子が持つには相応しくない得物だが、彼女たちが持つとひどく様になっており、違和感がない。そして、その扱いには不備もない。
ゆえに、不用意に間に立ち入ればミンチになってしまうこと請け合いだ。そう、これは鉄と武威と丁々発止の物騒な音が溢れる、紛うことなき修羅の庭。夏の風物詩である水浴びなど、どこを探しても見つからなかった。
「……プールなんて幻想だったな。なんかすごく物騒なものしかない。剣士とか剣士とか剣士とか剣士とか」
「ち、違いますスイメイ殿! それは早合点です! レフィールとハツミ様が手合わせをしているだけで、ぷうるは別にあります!」
肩を顕著に落としてぶつぶつと疲れた声を発する水明に、フェルメニアはなんとか細胞よろしく、プールが存在していることを強調する。
ともあれ、広場ではいまだ真剣での手合わせが続いていた。大剣を上段に構えるレフィールと、対して長刀を下段に構え地の構えで応じる初美。やがて両者示し合わせることなく動き出すと、玄関先で再び白刃が交錯した。
「はぁ!」
「せい!」
ぎぃんと刀と剣が打ち合い、一際大きな金属音が鳴り響く。片や刀を当てずに決め込みたい初美と、刀に剣を当てて隙を作りたいレフィール。その争いはレフィールに軍配が上がり、初美の刀は思わぬ軌道に逸らされた。
だが、初美もさるもの。伊達に|ソードオブソード第四位の娘ではない。逸らされた軌道から、瞬時に美麗な動きで正しい体勢を取り戻し――
「っ、ならこれはどう?」
「刀が……」
再度の剣撃。しかし先ほどまで打ち合いの音が響いていたが、レフィールの剣が空振り始める。刀は目に見えて、そこにあるはずなのに、大剣を合わせようとしてもまるで当たらなかった。
「これが君の剣の技かっ」
「まあね」
苦慮を顔に滲ませるレフィールに、初美が返したのは不敵な笑み。
そう、太刀打ちになりそうに見えて、剣同士がぶつからないのは、俱利伽羅陀羅尼幻影剣の術理ゆえだ。幻影剣の名の通り、幻惑の太刀となる。視覚に頼れば外され、向かってくる殺気にのみ集中すれば、容易に虚実にとらわれてしまうのである。
レフィールほどの剣士となれば、問題なく対処できそうなものなのだが――
(あのレフィが、剣撃に追いついていない?)
水明には、レフィールが初美にいいように手玉に取られているのが意外だった。初美の実力も高いため、そういったことがありえないとは言わないが、レフィールほどの実力ならば、もっと様になる立ち合いになるはずである。
――いや、空振りをしていても初美が確固とした一手を入れられていないため、それはそれでとんでもないことなのかもしれないが。
だが、やはり彼女らしくはなかったようで、初美が唐突に手合わせの終わりを申し出た。
「……レフィールさん。今日はここまでにしましょう」
「……ああ」
劣勢の状況で終わりを告げられたにもかかわらず、レフィールは大人しく受け入れた。普通は食い下がるような場面だが、それでも何も言わなかったのには、彼女としても思うところがあるからなのか。剣を背負いなおして、目をつむる。
すると初美が、申し訳なさそうな表情をして、
「ごめんなさい。なんか気が入らないっていうか」
「そうなのか? ハツミ嬢の武威は充溢していたと思うが……」
「失礼かもしれないけど、その、レフィールさんの方が、ね」
「…………」
初美の濁した指摘を受けて、レフィールはどこか気落ちしたように目を伏せる。心当たりがあるのか。そんな彼女に、初美は遠慮がちに言葉を選びながら話し始める。
「私も確実なことは言えないんだけど、レフィールさん、何か焦ってるように思うの」
「焦っている……か」
「気持ちだけ先行しているっていうか。そんな印象だった。もちろん、剣撃に武威や力が乗って申し分なかったけど。でもさっきの戦いでは、レフィールさんは私を見てくれてなかった」
「それは……申し訳ない。折角の手合わせで剣を曇らせるなど、私の不徳の致すところだ」
剣が曇る。剣は剣士の心を映す鏡だ。迷いがあれば、剣先は定まらないし、憂いがあれば前に出ない。焦っていれば、剣よりも意識が先行してしまい、実のない剣となる。
やはり、帝国と魔族の戦いの折、手ひどい敗北を喫したことが、彼女の落ち込みようの原因なのか。
「大丈夫か? やっぱりこの前のことが」
「……わかっているんだ。わかっているんだが、どうしてもな」
「レフィ……」
「私は奴に勝てなかった。あれから強くなったと思っていたが、蓋を開けてみればあのざまだ……」
そんな風に悔しさを漏らすレフィールはすぐに何かに気付いたか、焦ったように顔を上げ、ぶんぶんと首を振った。
「――いや、すまない! こんな顔をしていてはダメだな!」
レフィールは暗い気分を振り払おうと試み、にこやかな顔を見せる。だがやはりそれは空元気に他ならない。隠された鬱屈とした蟠りを解決するのは、生半なことではないのだろう。敗北の悔しさはやはり、研鑽を積んで打ち倒すことでしか解決できないのだ。
すると、フェルメニアが注目を集めようとポンッと手を叩く。
「そうです。レフィールも気晴らしをしましょう。発散させた方が、よい考えが浮かぶというものですよ?」
「フェルメニア殿、しかしだな……」
「気にしていても仕方ありません。それに、私たちの周りには頼れる方々がいるではありませんか? 意外となんとかなります。ほら、今回は私もなんとかなりましたし」
それは、以前から力不足を悔しんでいたからの言葉だろう。だが、彼女も強くなるきっかけに至り、魔法使いから魔術師となって、一段も二段も飛躍を果たしたのだ。
名案が浮かぶ。強くなろうとすれば強くなれる。そんな風に鬱屈とした空気を吹き飛ばそうと口にした彼女に、レフィールはどこか寂しそうな表情を見せ、
「そうだな。一人だけ急激に強くなってしまって、フェルメニア殿にはどこか抜け駆けされた気分だよ」
「え、いや、その……」
そんな風に言われれば、フェルメニアも戸惑うか。調子に乗ったことで傷つけてしまったかと右往左往狼狽えだす彼女に、レフィールは一転しておかしそうに笑いながら、
「冗談だ。フェルメニア殿は相変わらずおやさしい」
「わ、私を担ぐとは……レフィール」
地団太を踏む彼女に、レフィールは再度、はははと笑い出す。だがそんな中にも、どこか瞳が憂いに揺れていたように見えたのは気のせいか。
担がれたことで思った以上にご立腹になったフェルメニアをレフィールが宥めていると、ふと手合わせを見ていたセルフィが真剣な表情で口をはさむ。
「やはり白炎殿はお強くなられているのですね?」
「え? ええまあ。以前よりはですが……」
フェルメニアは少しばかり自信が欠けたように口にするが、セルフィの方はそうは思っていないらしい。それは、魔法使いとしての強さをまとう雰囲気から感じ取ったのだろう。
やはり真剣な口調のまま、
「いえ。私には、いまの白炎殿は一回りも二回りも大きく見えます。何かを得た……いえ、新しい境地に行き着いたのでは?」
「少々身体の機能を作り変えたことで、出力が増えたのです。それにより、強さがあとから付いてきたと言いますか……」
言い表しにくそうにするフェルメニアに、レフィールが訊ねる。
「ふむ。フェルメニア殿。できることが増えただけなら、それは器用になっただけということでは?」
「いえ、魔法使いや魔術師は魔力もそうですが、大きな結果にするための出力が重視されます。もともと私は魔力が多かったのですが、それを結果にするための出力の大きさに伸び悩んでいまして、それを解決する手段を講じたことで、他の面でも向上したのです」
「ふむ……リリィ。リリィはどう見ているんだ?」
レフィールが横を向いて、広場にしつらえた椅子の上で猫と戯れていたリリアナを呼んだ。彼女は膝の上で撫でていた猫を下ろして、ちょこちょこと歩いてくる。
話の方は聞いていたのだろう。内容を訊ねることもせず、すぐ、
「はい。やはり、大きな結果を生み出せるようになる、ということは、魔法使い……魔術師にとって重要かと」
「そう簡単に変わるものか?」
「フェルメニアは器用なのもそうですが、物覚えの速度が速いのです。ここでいえば、対応力や順応力、でしょうか。私の場合は闇魔法一つしか使えなかったので、どうもそれを基礎にして考えてしまい、術が以前と似通りがちですが、フェルメニアの場合は、やろうと思えばいろいろなものに手を広げられると、思います」
だろう。これまでは出力や魔力量に限定されていたが、それが取り払われたいまは、様々なエレメントの力を難なく操ることができる。その証拠に――
「もう八属性は完璧だろ?」
「はい。別のあぷろおちでエレメントに呼びかける術もわかったので、好き放題使えますよ」
「では白炎殿はすべての属性を使いこなすことができるのですか!」
「ええ、まあそうなりますね」
「なるほど、すでに救世の勇者に匹敵する実力があるということですか……」
「いえさすがにそこまでは……」
と、賞賛にも近い驚きを見て、フェルメニアは謙遜する。そんな彼女を前に、水明はセルフィに対し、
「あー、あんま褒めないどいてくれ」
「べ、別に私は調子になんて乗りませんよ!」
「いやーその顔じゃあ説得力ないわな」
調子に乗らないと言いつつも、フェルメニアの顔はにこにこだった。褒められてすごく嬉しそうである。そういったところは、キャメリアにいたときとあまり変わらないようである。
しかしてそんな顔を見られてしまったフェルメニアは、照れ隠しのように話題の焦点をすり替えにかかった。
「そ、そんなことよりぷうるです! ぷうる!」
そんな彼女の言葉に反応したのは初美で、
「そういえば終わったらみんなで入ろうって話だったわね」
「みんな知ってたのかよ?」
「ひきこもってた人は知らないでしょうけどね」
「うぐ……」
含みのある流し目と笑みを見せる初美に、水明は口ごもる。気の置けないやり取りができるよう記憶が戻って良かったのか、悪かったのか。もちろん良かったのではあるが悔しいのは否めない。
ともあれ、
「では、ぷうるを見せますよ! 皆さん! あちらを見てください」
フェルメニアの指示に従い、一同は彼女の指差した方向を見る。玄関前の広場の一角に、これ見よがしに大きな布がかけられていた。
「あれが?」
「そうです! ぷうるです! では、布を取りますよ!」
フェルメニアの気合に合わせて、リリアナの気のない「おー」の声が聞こえてくる。やがてフェルメニアが魔術を発動すると一陣の風が巻き起こり、布がくるくると綺麗に巻かれ、取り払われた。
しかしてそこに現れたのは、広場の一角を占有するほど大きな石造りの水槽で、地面に埋まるようにして設えられていた。
「ホントにプールができてやがる……しかもなんだこのデカさは?」
「ふふふふ……それはもう大きければ大きいほどいいと聞きまして」
しかもそこそこ深い。おそらくリリアナくらいの背では水面から顔が出ないだろう。
「だが、どうやってこれを?」
「魔術を使えば楽にできましたよ? 材料はその辺の壁から拝借しつつ、魔術を使って錬成して……」
「……それ、ダメなヤツじゃね?」
「バレなければ良いのです。大丈夫。建築物が壊れるほどにはいただいていないので、スイメイ殿の世界言葉で言う、万事おっけいというやつです。それにどうせ帝国のものですしね」
いいのか。まあ、迷惑が掛からないのならば構わないか。
だが、他に問題がある。
「プールがあっても水着がないといけないんじゃないか?」
まさか裸か。水明はそんなしょうもないことを想像してちょっとドキドキしてしまうが、当然そんなことにはならないらしく。
「問題なしよ。水明がひきこもってた間に、みんなで買って来たから」
「は!? この世界水着売ってるのかよ!?」
「うん。なんか帝国だけみたいだけどね。ほら、この国ってお風呂文化とかあるから、みんな水浴びとかも好きなんじゃない? ほら」
見せられたのは、女性用の水着だった。材質は向こうの世界と比べあまりよくないし、機能性もあるのかよくわからない形だが、水着の役割はこなせそうにはなっている。
だが――
「俺のはないぜ?」
そう、自分は買ってきてはいないので、水着はない……と思われたのだが、そこはちゃんとフォローされているらしく、リリアナが手に持った紙袋を開いて見せてくる。
「すいめーのは、何がいいかわからないので、何種類か、買って、きましたよ」
「あ、これはご丁寧にどうも……って、すでに準備万端かよ!」
「もちろん、です」
そう言って、えっへんと胸を張るリリアナ。いろいろと買ってくるソツのなさはさすがである。
「これでみんな入れますね」
「じゃあ着替えてさっさと入りましょ」
フェルメニアのあとに続いて、紙袋を持ち上げる初美。意外にも足取りは軽く、ノリノリであることが窺えた。
そんな中、ふいにセルフィが、
「折角なのですが、私は遠慮させていただきます」
「え? セルフィは入らないの? どうして?」
「はい。私は猫ちゃんたちがいればそれでもう何もいりませんので」
どうやらハーフエルフのお姉さんは、すでに猫に骨抜きにされてしまっていたらしい。プールよりも猫に触れ合っている時間の方が惜しいのだろう。猫にやられてしまった者よろしく、ふにゃっとしている。
そもそも、彼女の周囲は猫だまりになっていた。お得意の魔法を用いて涼しくしているため、暑気から逃れたい猫たちが集まってきているのだ。ウィンウィンの関係である。
基本的にここは水明が手を加えているため、過ごしやすくなっているのだが。
セルフィの猫だけいればいいという言葉に、リリアナはうんうんと頷いている。猫好き同士、わかり合っているのかもしれない。
「では、準備をしましょう!」
もう果てしなくノリノリなフェルメニアの元気いっぱいの号令のあと、帝国の八鍵邸は更衣室になったのだった。




