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グリード・オブ・テン



 魔族との戦闘が終息し、帝国本陣は奇襲前の落ち着きを取り戻し始めていた。

 後始末もあるため、まだほとんどの者が忙しなく動き回っているが、混乱や危機感から来る剣呑な空気はもうすでにないと言っていい。



 とまれ状況だが、帝国側も被害は相応に被ったが主力となる者たちは健在で、大きな痛手と言えるようなものではなかった。帝国の兵士たちが早々にまとまることができたこと、フェルメニアの活躍、黎二の戦い振りなどが効いたと思われる。



 そして、黎二が手に入れた圧倒的な力によって敗北した魔族の将軍、グララジラスといえば――まだ生きていた。多くの意識を統合する核たる部分を剣撃によって傷つけられ、その身体の半分は崩壊しかけてはいたが、尋問のため生かされていたのだ。



 それは黎二が殺しにとらわれずに、理性を残していた証左でもある。

 大天幕の後方で囲みを作り、抵抗も逃亡も許さない状況。黎二の一撃によってすでにそれはかなわないことだが、万が一に備えるのは当然のこと。無論黎二たちも、先頭に立ってその囲みを構成し、剣を突き付けている。



 兵士たちの囲みを割って、レナートが前に出た。他への指示がやっと終わったか。周囲にゴーガンたち十二優傑を侍らせ、身の安全を確保しつつ、グララジラスへと訊ねる。



「魔族の将よ。何故我らの背後を突くことができた?」



 それは、レナートが抱いていたかねてよりの疑問だったのだろう。だが、魔族の将軍が人間の問い掛けに素直に答えるはずもなく。



「……貴様らに、利することを……我らが口にすると、思うか……」


「そうだな。答えるはずもないか。ならば、力づくで聞きだすだけのこと」



 レナートは腕を振り上げて、侍らせていた十二優傑たちを動かす。言葉の通り、苦痛を与え、尋問するつもりなのだろう。

 だがその一方、グララジラスは苦しみの渦中にありつつも、喘鳴のまじった力ない嘲笑を彼に浴びせる。



「魔族の将よ。何が可笑しい?」


「可笑しいさ……。可笑しいに、決まっている……だろう? 我らに苦痛を与えて、情報を吐かせるなど、貴様ら人間は実に……実に愚かだ……」



 その言葉は嘲笑いは、屈しないという意思の表れか。グララジラスが絶えず笑い声を響かせる中、近くでグララジラスを眺めていたジルベルトが口を挟む。



「そんなの訊いても無駄だと思うぜ? そいつら魔族はアタイたちとは違う考え方を持った生き物だからな。暴力で脅しても、痛みを与えても、何したって吐かねぇって。基本的なところ命を惜しむ概念が取っ払われてるんだ」


「そうよ! 邪神ゼカライアの悲願を叶え、魔王ナクシャトラの誉を成すのが、我ら魔族の在り方よ! 苦痛も死も怖くはないわ!」



 高らかに叫んだあとも、笑声の重唱が響く。ノイズの混じったようなけたたましいそれは、確かに死の間際の狂笑にほかならなかった。

 尋問しても吐かせられない。ならば、やるべきことは一つか。レナートが黎二にとどめを頼むように目配せをした、そんなときだった。



「――当然だ。そうでなくては、無能以下のゴミでしかないのだからな」



 どこからか舞い降りて来た声は、帝国北部の峻厳よりもなお厳しく辛辣な一声。女の声か男の声か判然としないが、あまりに美麗であり、切り捨てるような言葉でなければ聞き惚れてしまいそうなほどのもの。

 しかしてその美しい声様に、黎二たちには聞き覚えがあった。

 いや、忘れるはずもない。



「この声は……」


「まさか!」



 黎二はグララジラスに剣を下すことも忘れて、隣にいたティータニアと共に声のした方へと向く。見ればそこには、長い白髪を流す赤目の鬼神、イルザールの姿があった。



「お前は……」


「久しいな勇者。まさかお前がグララジラスを倒してしまうとは。中々に予想外だったぞ?」



 仲間を倒したことを喜んでいるかのようなイルザールの不可解な言葉に、しかし黎二は、



「見ていたのか?」


「ああ、見物させてもらっていた。最初からな」



 くくく……という静かな、しかし確かな喜色の混じった笑い声。何がそんなに嬉しいのか。

 一方、イルザールのことを何者だとも知らないレナートが、グラツィエラに訊ねる。



「ライラ、あの者は……?」


「魔族の将軍です。それも強力な……」


「あれが、魔族だと……?」



 困惑にとらわれたのは、イルザールの姿が魔族というよりは人間に近かったからだろう。レナートはおろか十二優傑、帝国の兵士までもどよめきを発し――だがすぐさまグラツィエラの指示を受けて魔法を用意し、剣を抜いた。



 そんな中、前に出る者が一人。自治州でイルザールと渡り合ったイオ・クザミである。



「再び我が前に顔を出すとはな。デミオーガよ」


「相変わらずの口だな小娘。お前はあとで食い殺してやるからいまは待っていろ」



 イオ・クザミとイルザールがそんなやり取りをかわしたその折――



「――そろそろ、出てもよろしいでしょうか?」



 どこからか響く声。その声の出どころを測りかねていると、イルザールの影から魔族がふらりと現れた。

 金髪で、前髪を軽く額にかけた細面。わずかな陰気をまとい、見た目かなり人間に近い容姿だが、風変わりな角を生やし、闇色の力に括られているため、魔族だということがわかる。



 しかしてその魔族は出しな、唐突に紳士のするようなお辞儀を見せる。



「ひとまず、おめでとうございますと言っておきましょう。アステル王国の勇者、レイジ・シャナ。己が求めを蒼い輝きの彼方まで届かせたこと、心よりお喜び申し上げます」


「お前は――」



 何故名前を知っているのか、そして蒼い輝きのことを知っている。黎二がそう問うよりも早く、影から現れた魔族は口を開く。



「ああ、そうでしたね。初めまして私の名前はリシャバーム。魔族の将ではありませんが、似たようなことをやらせてもらっている者です。どうぞお見知りおき下さい」



 敵に対する口振りではないほどに馬鹿丁寧な言葉遣いで、自己紹介をするリシャバーム。余裕な態度を見せているだけなのか、それとも自己紹介をする暇があるほどに、この状況は取るに足らないものなのか。



「イルザール、リシャバーム、なぜ、いまごろ……!」



 一方、いち早く口を開いたのは、グララジラスだった。声には確かな怒りが混じっており、遅ればせてやってきた彼らに対して非難が向けられている。



 だが、イルザールはそれを一顧だにもせず。



「グララジラスよ。助けに来なかったのを恨むか? 愚かなことだ。貴様の弱さの罪を他者に転嫁させるとは、魔族の将にしては随分と惰弱なことを」


「貴様……所詮貴様は我らとは違うということかっ」


「当然だ。俺は邪神から生まれたものではないからな。考え方も違うというわけよ」



 イルザールとグララジラスが諍いをしている一方、グラツィエラが、



「みな構えよ! こやつらは油断できる相手ではないぞ!」



 兵士たちもすでに戦闘態勢は取っていたが、グラツィエラの号令がかかったことにより、すわ動き出さんというところ。目の前には魔族の将軍格が二体。しかも連戦であり苦戦は免れないような状況だった。



「贄共が、やる気か?」



 不敵な表情で牙を剥いたイルザールに、黎二が叫び返す。



「今度はこの前のようにはいかないぞ!」


「グララジラスを倒した程度でいい気になるなよ? まあそこの魔法使いの女と、ドワーフの女は、なかなか喰いごたえがありそうだが……」


「お前の相手は僕だ!」



 フェルメニアとジルベルトに向きかけたイルザールの意識を、オリハルコンの剣を向けて引き付ける。

 そして、戦いと相成ろうとしたそんなとき。



「お前とここでやってもいいが――む?」


「ふむ。邪魔ですか――」



 イルザールとリシャバームは何かに気付き突然その場から飛び退る。その直後、空から緑色の、稲妻のような閃きが黎二たちとイルザールたちの間に突き刺さった。



 強烈な一撃に震動が起こり、土煙が舞い上がる。やがてその中から、緑髪の中から白銀の角を生やした一人の男――インルーが現れた。

 和装のような白い服をまとったその姿を見たジルベルトが、急に怒り混じりに叫び出す。



「てめぇ龍人! なんでこっちに来てんだよ!? こっちはお前の持ち場じゃねぇだろうが!?」


「いや、なになに。あっちは早々に片付いてしまったのでな。面白そうなことが起こると聞いて、駆けつけて来たのよ。まさか――これほどことが起こるとはな」



 そう言って、不敵な笑いを更に深めるインルー。何か幸運にでも行き当たったのか。見覚えのない男の登場に黎二たちが困惑する中、背後から彼らにも聞き覚えのある声が通って来る。



「テメェ勝手に行くんじゃねぇよ!」


「面白いものを見つけて、ついな」



 そんな返事の返った先には、水明の姿があった。

 彼に向かって、黎二が叫ぶ。



「水明!」


「おう、いま戻ったが、なんかとんでもないことに――」



 と、水明が言いかけたそのとき、反対方向にて強烈な怒気が膨れ上がる。その場所はいま黎二たちが対峙していた方にあり、ともすれば鬼神イルザールの居る場所からだった。


 赫赫とした目がさらに燃え上がり、皮膚にしびれを来たすほどの武威が迸る。しかしてその怒りに燃える視線は、過たず緑髪の龍人、インルーへと向けられており――



「貴様、銀露……」


「――く、はははははは! 久しい! 久しいではないか人喰らいよ! まだ生きていたとは、存外しぶといではないか貴殿も! なんだ? 北の奥地で冷や飯でも喰らって生きのびていたか?」



 そう、鬼神の眼光を受けても愉快そうに笑い出すインルー。そんな彼の態度に、イルザールはぎりっと歯噛みの音を鳴らして、余りある怒りを表出させる。



 一方黎二たちは、一貫して余裕を貫いていた相手が、怒りと悔しさに震えているのを見て、困惑するばかり。ここに来て、知らぬ者が次々と現れ勝手に話を進めているのだから、戸惑うのも無理はない。

 とまれ、インルーはイルザールに対し獰猛な笑みを見せ――



「俺はついている。まさかここに貴殿がいようとは。まあ羽虫共と一緒にいるのは意外だが」


「ついているのは俺も同じだ。やっと貴様に借りが返せるのだからな」



 バチバチと火花を散らす両者。一方は、再会を――否、再戦を喜ぶような顔を見せ、一方は怒りをと共に涎を拭う仕草を見せている。



 その二人の態度とやり取りを聞くに、既知の間柄であり、因縁がある様子であることは確かだった。

 強烈な武威のぶつかり合いを前に、黎二がふといつものクセで、水明に声をかける。



「水明……水明?」



 呼び掛けに、しかし水明は答えなかった。見れば彼はただ一点を見詰めており、もしやすればこの武威の拮抗で金縛りにあっているのかとも黎二に思わせたが――真実水明には、そんな鬩ぎ合いなどすでに眼中になかった。



 そう、その二人以上に巨大な存在が、彼の目の前にいたのだから。




「――どうした? 幽霊でも見た顔をして? それほど意外なことでも起こったのか?」



 ふいにかけられたその声言葉が誰から発せられたものだったかは、黎二たちには即座にはわからなかった。

 聞こえたのは、低く冷たくしかし若々しい男の声。だがその声音にどこか聞き覚えがあるのを思い出す。それが先ほど会話した相手のものだということに気付くまでには、さほど時間はかからなかった。



 そう、そんな言葉を発したのは、リシャバームと名乗った魔族であり――



「なんで、お前が……」



 それは、怪訝と驚きがない交ぜになった呟きだった。それは言葉通り、幽霊でも目の当たりにしたかのような怖れを含んだ声。しかしてそれを発したのは、固まっていた水明に他ならず、彼はリシャバーム見詰めたまま、



「なんでお前がここにいる……いや、なんでお前が生きているんだ――」




 ――クドラック・ザ・ゴーストハイド。



「クドラック?」


「ゴースト……ハイド?」



 水明からリシャバームに向かって投げられたその名前に、イルザールと黎二の二人が反応する。両者とも知らぬ名前に眉をひそめていると、リシャバームは先ほど黎二と会話したときとはまったく違う口調で、先ほど発したような低く冷たい男の声を聞かせる。



「久しぶりだな八鍵水明。意外か? そうだろうな。オレはあのときお前に滅ぼされたはずなんだからな」



 その愕然とした顔が胸にすくとでもいうように、くつくつと薄い忍び笑いを漏らすリシャバーム。そんな彼に、水明は、



「……どういうことだ? なんでお前が生きている? そんな姿になってる?」


「それは当然抱く疑問だろうが……簡単な種明かしも面白くないな」


()れるんじゃねぇよ!」



 水明が怒気も強く叫び返すが、リシャバームは答えない。一方、リシャバームの隣にいたイルザールが、懐疑の視線を彼へと送る。



「リシャバーム、その贄は、貴様の知り合いか?」



 イルザールが訊ねると、リシャバームは一転して、言葉遣いを先ほどの丁寧なものに戻し、答える。



「ええ。彼は私がここに来るきっかけを作った男なのですよ」


「お前がここに来るきっかけ、だと?」


「ええ」



 リシャバームは頷くが、イルザールにはわからなかったか。その一方で、水明は無視されたことで怒りが増したらしく、いましがたよりも大きな怒声を張る。



「クドラックっ……答えやがれ!」


「そう急くなよ星落とし。オレは魔族の側で戦うことになった。お前が知るには、それだけで十分だろう? それ以外に何か必要か? オレの戦いの目的なんて、お前にはわかりきってることじゃないか?」



 ――そうそれは確かに、彼との因縁浅からぬ水明にはよく知っていることだった。リシャバーム、いや、クドラック・ザ・ゴーストハイドの戦う理由。それは、いつどこにいようと何をしようと、ただ一つしかないのだから。



 ならば、



「……ならどうしてお前が魔族の側についているのに、こんなにお粗末な戦い方なんだよ? お前の目的がいまもあのときと同じなら、一体お前は何を考えて動いてやがる? 本気でその気があるのかよ?」


「もちろんあるさ。いまも昔も、オレの悲願は変わっていない」


「にしては」


「魔族を無駄に失うような用兵をしている、か? そうだな。確かにオレはそんなことをしているし、いまのお前からは、いまのオレの動きは不可解に見えるだろうからな」



 薄笑いから一転、影を帯びた陰鬱な笑いを響かせるリシャバーム。ひとしきり笑いが落ち着くと、彼は、



「そろそろ種明かしをしてもいい頃合いか。それを聞きたい者は、お前以外にもいることだしな」



 そう言って、リシャバームはイルザールの方を一瞥し、解き明かしを始めていく。



「星落としよ。お前ももう知っているとは思うが、魔族は邪神が生み出す眷属だ。邪神はほかの神格のそれと同じように、駒を増やしながら敵対する信仰を圧迫し、世界への干渉力と生み出せる駒の数を徐々に徐々に増やしていくのが仕事でもある」


「どこぞの神と一緒だってことか?」


「そうだ。だが、順調に駒を増やしても、そのうち問題が出てくるわけだ。最初の弱い状態の干渉力で生み出した駒が、周囲の変化に追いつけず、段々と力不足なっていくというな。だが新しく良いものを生み出そうとするにも、すでに作ったもので席が埋まっているという状況になっている。では――」



 ――それを改善するには、この場合どうすればいいか、というそんな話さ。これはな。



 その恐るべき一文で全てを悟った水明は、驚愕も露わに呟く。



「な、じゃあリソースの増加じゃなくて、すでにキャパシティを空ける作業に入ってるってことか……?」


「その通りだ。なに、いうなれば戦略系のアドベンチャーゲームだよ。最初は内政値や軍政値が低くて質の低い兵士しか揃えられないが、それが高まってくるとより良い兵士が揃えられるようになる。ではそうなった場合、質の低い兵士の行き所はどこになるかということだ。いまの、役に立たない魔族(ゴミ)共の行く末だな」


「…………」



 瞠目のまま、魔人と呼ばれる男を見詰め続ける。

 魔族の行く末。ここまで話されれば、その答えを出すのはもう難しくはないだろう。戦略ゲームならば、データの上で兵士を内政パートで破棄するか、戦争パートで特攻させて使い潰すしかない。ただ、現実にはゲームにはない情がある。それでもそれがまかり通るというのなら。



「仲間でもねぇのかよ……」


「わかっているだろう? この世を浄化しようとしている俺に、真の仲間などあり得ないんだよ。生きとし生けるもの全てが、俺にとって等しく汚穢なんだからな」


「それで自分より弱いものに付くと?」


「そんなことはないさ。あれは俺が忠義を尽くすに足りる存在だ」



 あれは――その言葉が指すものは、邪神か、それとも魔王か。ともあれここでは関係ないことだと、聞くべきことを終えた水明は、このあとあるだろう決戦に向け、魔力を練り上げる。もうすでに、黎二に対する隠蔽などどうでもよかった。



 ――最悪、ここで全滅ということさえあり得るのだから。

 先ほどのフェルメニアを超える勢いで魔力を高め始めた水明に、フェルメニアが叫ぶ。



「スイメイ殿!」


「下がってろ! こいつは魔族なんていう半端な生き物じゃないぞ! この前言った不死身の魔人だ!」



 その言葉で、フェルメニアは察することができたのだろう。これが以前、霊基体(エーテル・ボディ)の話をしたときに出た、死から解き放たれた(リッチ)なのだと。

 唾を飲み込む音を鳴らして、切迫した感情を表出させる。



 他方、さらに剣呑になった空気に他の者たちやあのイルザールでさえ驚きを見せる中、水明の魔力の指向する先にいるリシャバームは、水明に対し顎をしゃくり、



「今日は頼れるお仲間はいないぞ? アルツバインの人形姫も、ジラード・ザ・メルキアもな?」


「それでも俺は退かない」


「そうだ。それでこそだ星落とし。オレの相手はお前のような諦めの悪いものが相応しい」



 リシャバームはそう言って、戦いに応じるような態度を取るが、次の瞬間には何故かその態度を変化させる。



「まあ、今日は戦いに来たわけではないんだが」


「なんだと?」



 水明のその問いを待っていたとばかりに、リシャバームはにやりと笑みを作り、翻る。

 彼が振り向いたそこには、隊伍を作り、囲いを作っている帝国の兵士たちの姿があった。

 何をするのかなどという問いは愚問。魔に堕ちし十人(グリード・オブ・テン)。これらに人の情はない。それで、全てだった。



「まさか――やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「――位相切断(ダイム・パニッシュメント)



 その鍵言の直後、空間が上と下に別れ、境界の線を虚空に残し、ズレた。

 それはさながら、何もない空中にペンで一本、線を描きこんだかのよう。しかしてその線に重なる部分にあったのは、帝国の陣地の大部分と、その場にいた兵士たちに他ならなかった。



 落ちる首。首。首。一瞬にして周囲に首がごろりと落ちる。まるで、性質の悪い冗談のように。ズレの境界と重なっていた部分、人の首の高さにあったものが全て、天幕も、背後の丘陵も、全てが真っ二つに切り離された。



「ば、かな」


「そんな」



 その被害を免れたのは、水明の近くにいた彼の仲間と黎二たち、インルーにジルベルト、そしてレナートや十二優傑のみ。あまりの異様な光景と、それを起こした恐るべき力の発現に、黎二やグラツィエラが呆然と呟く。



 そんな中、叫び声を上げたのは、やはり水明だった。



「クドラック、てっめぇええええええええええええ!」


「――何をそんなに怒っているんだ星落としよ? 俺は救ってやったんぞ? 俗世の苦しみというしがらみにとらわれてる者たちを、これだけ! こんなにも沢山! 死は救いだ! 何よりも勝る救いなんだよ!」


「そんなことをして! お前は神にでもなったつもりか!?」


「神? 違うな。俺はそんなものじゃない。最初から最後まで、この世を彷徨う咎負い人だ。全ての生物の罪を引き受ける! そう! 咎負い人よ! はは、ははは、はははははははははは!!」



 リシャバームの上げるそれは、正しく狂笑であった。

 その様に、イルザールでさえ、奇異なものを見ているのかのような視線を向けている。



「全ての生きとし生けるものに救いあれ! 俺が全ての汚穢を取り除いてみせる!この世から! 一つ残らず!」



 リシャバームは高らかに叫び終えると、突然スイッチを押したように切り替わる。



「さて、終わりました。引き上げましょう。ああ、それと、忘れていましたね」


「リシャ……バーム」


「グララジラス、あなたの役目はここで終わりました。あなたも御許へ還りなさい」


「貴っ様ぁあああああああああああ!!」


「あなたは何を怒っているのですか? 邪神の御許ですよ? 役目を終え、もとあった場所に還るのです。それに勝ることなどないと思いますが?」


「このようなことをナクシャトラ様が許すはずが――」


「――あの方は「すきにせよ」とのことです。弱きものに、この世を生きる資格はないと。それは魔族であるあなたも、わかっていることでしょう?」



 それを聞いたグララジラスは、言葉を失った。死を恐れないはずの魔族も、魔王に見限られたのには絶望を禁じ得なかったのだろう。



「ふ、ふ、ふははははははははははははははははははははは!」



 再び響く哄笑。それに合わせ魔術が起動し、グララジラスはせめぎ合う位相と位相に押し潰されて、消滅する。やがて、クドラックとイルザールを残す全ての魔族が、帝国本陣から消え去った。



「さてと、ここはあなたがた、帝国と勇者に勝ちは譲りましょう。まあ、これでは痛み分けでしょうが」



 そんなことを宣うが、痛くもなんともないはずだ。魔族を全て作り替えようというのだ。いなくなるのがもとからの予定ならば、いついなくなろうと構うまい。



「クドラック……」


「八鍵水明。いずれ貴様とも決着を付ける。だが、ここはその舞台ではない。いずれ、あのときのようにオレたちの戦いに相応しい戦場を用意しておこう。それまで神秘の深奥にひた走り、お前たちの夢を練り上げておくがいい」



 そう口にして翻り、リシャバームはあの言葉を口ずさむ。



 ――涙を呼ぶ者よ覚えておけ。この世には、払えぬ悲しみの雨のないことを。



 ――苦しみを運ぶ者よ覚えておけ。この世には、取り去れぬ痛みの炎のないことを。



 ――我ら結社が魔術師が、魔術王ネステハイムの名の下に、その誰しもの願いを叶えんがために。




「そう。どこにいようとこのオレが、ことごとく全て消し去って見せよう。生きとし生ける者たちを生という苦しみの渦中から、確かに救い出さんがために――」



 そんないびつな陶酔にとらわれた言葉を残し、魔に堕ちし十人(グリード・オブ・テン)、魔人クドラック・ザ・ゴーストハイドは、鬼神イルザールと共に位相の狭間へと消えていったのだった。





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