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魔将、紫電に消ゆ



 空を征く、魔族の群れ。

 さながらそれは、夥しいまでの黒鳥の大群が、空を塗りつぶさんとするかの如く大移動を行っているかのよう。



 ――魔族の将軍であるストレガは、魔族の軍の攻め手の一体として眷属たちを率い、ただひたすらに南下していた。



「人間の軍の中核へ奇襲をかけるゆえ、真っ直ぐに攻め寄せていただきたい、か。――ふん」



 空を悠然と羽ばたきながら不満げに一人ごちたのは、方針が決まったおり、策を提示したリシャバームに言われた言葉だ。



 ――おそらくこの戦いでも、人間の軍はこちらが単純な戦法を取ると疑わずにいるでしょう。



 ――それを逆手に取って、自分とイルザール殿、グララジラス殿が本陣を奇襲するため、ラトゥーラ殿、ストレガ殿には囮になっていただきたい。



 こうすれば人間の軍に大きな打撃を与えることができ、容易く倒せる、と。

 それが出立前、軍議で決まった内容だ。確かにその通り、裏をかくことができれば人間の軍に対し大きな被害を見込めるだろう。奇襲を受けた人間の集まりが混乱し、群れの体をなさなくなるのは、至極当然だと言える。

 だが問題は、その奇襲をかける相手である人間が、本当にそこまでしなければいけない相手なのかという話。



「たかが人間どもに策など弄さずとも、踏み潰してしまえばいいだけではないか。あんな虫けら如きに何を恐れることがあるというのだあ奴は」



 そう、策とは、それを弄さなければならぬほどの者を相手にするとき、考えなければならないものだ。力任せでは勝てない相手を制するために用いる、知の力である。

 だが、これから戦う者たちにそれが能うかと言えば、そんなことは全くない。



 人間の兵士など、決して恐れるようなものではないのだ。現に兵を率いて動き始めたあと、いくつかの人間の部隊にかち当たったが、どれもこれも一当てすれば容易く部隊は瓦解し、撤退を始めた。それも、逃げるのがやっとのほうほうの体で。

 多少の苦戦を強いられるのであればまだしものこと、それでは策を弄するに値するとは言えるはずもない。



 ゆえにこの策には疑問が尽きなかったし、そんな策を強いた者であるリシャバームに対する不信もまた深まったのだ。



「臆病風に吹かれおって。全く話にならんではないか。頭でっかちにもなり得ない愚物めが」



 不満が許容できる域を超えてから、自然と口から愚痴が溢れるようになってくる。

 リシャバームはことあるごとに、「策だ」「裏をかけ」「脅威になる前に潰してしまえ」など人間の力を恐れるかのようなことを言って、小細工に余念がなかった。そして魔族の中では新参者であるくせに、まるで自分の考えがナクシャトラの考えだとでも言うように、憚ることなく策を押しつけてくるのだ。



 これが腹立たしいことこの上ない。イルザールやラトゥーラのようにそれをするに見合う実力があるならまだしものこと、実力も不確かな分際で大きい顔をするなど、到底納得できるものではなかった。

 リシャバームに対し愚痴を、あるいは悪態を吐きながら飛んでいると、偵察に先行させていた眷属の一体が戻って来る。



 ――この先に人間がいる。おそらくは部隊からはぐれた兵士だろう。



 読み取った眷属の思考からは、あまり有益な情報は得られなかった。人間の部隊が展開しているというのなら蹴散らしてやろうとやる気も出ようものだが、たった二人のはぐれ(・・・)がいるだけとは。たかが虫けらの一つや二つ、捨て置いても良かったが、虫けら如き捨て置くため進路を変えるのも、また業腹である。



 そのままこの軍勢で蹂躙し、絶望のままに殺す。それが精神的にももっともよい選択だろう。目に付いたおり、胸の内に蟠るこの不満をぶつけてやればいいのだ。



 そんなことを考えている中、



 ――先行していた部隊が、どこにもいない。



「む?」



 ふいに眷属からもたらされた不可解な情報に、はてと疑問が生じるが――すぐに取るに足らないことだと頭を振る。

 いないということは、だ。どこかで迷っているのだろう。この先に先行させた魔族の部隊は、知能らしい知能がないものたちのみで構成されている歩哨たちだ。翼を持つ魔族たちならば言葉を解するほどの知は与えられているが、虫と獣を掛け合わせたような姿を持つそのものたちには、膂力しか与えられていない。となれば山の中で進行方向を見失い、さりとて方向を修正できるだけの知能もなく、彷徨っているといったところか。



 ――まさか、人間どもに倒されたのでは。



 眷属の懸念を、一笑を挟んで一蹴する。倒される。それこそ「ない話」だった。

 眷属の見て来た通りであるならば、この先には人間の部隊はない。にもかかわらず百を超える魔族が全滅させられたなど、あり得るわけがなかった。



 それもそのはず、その推測が正しいのならば、魔族を倒せる大部隊が山中を自在に動いて、目の届かないところまで去ったということになる。空を行く翼があるならばまだしも、そんなものを持たない人間がそんな芸当こなせるはずもなし、だとするならばその取り残された人間二人がやったとでもいうのか。それこそあるわけがない。



 眷属を下げ、進路そのままに南下する。すると間もなく、視界に開けた場所が入って来る。険しい山が連なる土地の中に孤立した、木々のない平坦な土地。

 そこには眷属の示した通り、ただ二人だけ男が立っているばかりだった。



 さかしらな人間どもが置いた部隊ではない。やはりただ取り残された哀れな兵士か。無論、これらに情けをかけるはずもない。邪神ゼカライア、魔王ナクシャトラの望みは、人間の根絶なのだから。



 ――ただ不可解だったのは、人間もこちらを見つけた様子であるにもかかわらず、驚きもしなかったということだが。



 大軍であるにもかかわらず、こちらを平然としたまま見上げている白衣の男と、黒衣の男。緑髪と黒髪。亜人種と人間との組み合わせはいささか意外だが――まあ、そんなこともあるだろうと気にすることをやめる。

 態度を変えない人間どもに図らずも興が乗り、一息で倒すことをせず降下を開始する。

 ばさり、ばさりと翼を空に打ちつけて必要以上に音を鳴らし、降り立った。



「――人間どもよ。貴様らも不運なことだな。こんな場所に取り残されたあげく、我らの部隊に見つかるとはな」



 威圧するように言い放つが、どちらも口を開くことはない。ただ、一人は泰然としたまま、もう一人は間の抜けたような表情を見せるのみ。



「どうした? 声も出ないか? 他の人間たちのように泣き喚いて許しでも乞うがいい。貴様ら人間がよくやる死の間際の余興を我らに見せてみろ」


「いや、そういうカッコ悪いのは遠慮しとくわ」



 冷笑を浴びせると、間髪容れず、間の抜けた顔をしている方が肩を竦めて答える。このような状況に置かれてこの軽口とは、態度を変えないことといい、中々に面白い。



「くくく……この大軍を見て、よくそんなことが言えるものだな。貴様の痩せ我慢は評価してやろう」


「いやー、別に痩せ我慢とか虚勢とかじゃないんだが……」



 そう言って、顔をしかめる黒衣の男。すると男は、隣の白衣の男に向かって小首をかしげる。そして、



「なんか先方勘違いしてらっしゃるみたいなんだが、どう思うよ? この数、脅威に思うか?」


「――ふむ、では逆に訊こう。このような羽虫の寄せ集めなどに脅威を感じるのか貴殿は? こんなものども、道端にある蚊柱と同じようなものだろう? そうではないか?」



 そんな白衣の男の訊ね返しに、一瞬、言葉を失ってしまう。



「――――」



 この人間どもは、一体何を言っているのか。驚きが強すぎて、上手く呑み込めない。こんな状況に置かれて余裕ぶった態度をとることはおろか、自分たち魔族のことを羽虫だと吐き捨てる。人間などという脆弱な生物が口にするようなことではなかった。



 あまりのことゆえ忘失にあったが、やがて目の前で繰り広げられた会話が、じわじわと理解されていく。それに比例して燃え上がっていく、怒りの炎。馬鹿にされたことが、今更になって盛大に火を噴き上げたのだ。



 そんな中、それにさらに油を注ぐ言葉が、黒衣の男の口から放たれた。



「確かに鬱陶しいだけだな」



 黒衣の男のその言葉で、炎の温度は頂点へと達する。高々雑魚の分際で、魔族をそこまで貶めようとは。



 そう、こんな人間どもを生かしておくことなど、断じて許容できることではなかった。



「貴様ら、楽に死ねると思うなよ……」



 己が口から絞り出されるように吐き出されたのは、死と苦痛の宣告。それに合わせ、腕を高々と上げる。これを振り下ろせば、眷属たちを動かす合図となるのだ。指示が下されれば、この人間どもは眷属に集られて、血の一滴残らず啜り取られて干からびて死ぬだろう。

 だがそれではまだ生温い。死の一歩手前ギリギリまで生かしておいて、嬲り尽くす。それが魔族を虚仮にした者へ与えられるべき罰だ。



 リシャバームに対し抱いていた不満はとうに消え去った。それを塗りつぶした怒り、そのままに、腕を鋭く振り下ろす――が。



「なに――?」



 直後、目の前で起きたことの意外さに、思わず声を上げてしまう。

 そう、腕を振り下ろし、動き出した眷属が人間を黒く塗りつぶすはずが、何故か思い描いた通りにはならず、襲い掛かろうとした眷属たちが眼前でわけもなく消し飛んだのだ。



 ――何が起こった。それを理解する暇もなく、目の前の二人の男は、



「簡単に倒せたな」


「まったくだ。多少歯ごたえくらいあって欲しいが……そんなもの羽虫相手では望むべくもないものか」



 二人態度を崩すことなく、世間話でもするように言い合う。何が起こったのか、わかっているようなていだが、



「貴様ら、一体何を……?」


「見た通りよ。なに、俺も見た通りなのだが」



 そう言って、不敵な笑みを浮かべる白衣の男。見た通り見た通りと繰り返すその意味深長な言い回しは、一体何を意味してのものなのか。その中身は杳として知れないが――



「き、貴様らはなんだ!? ここに取り残された兵ではないのかっ!?」



 疑問を叫ぶと、白衣の男は怪訝そうに眉をひそめる。



「ふむ? こやつめ先ほどからなにか勘違いしているようだが」


「俺たちは待っていたんだよ。魔族の将軍ってのが来るのをな。だが――」



 ――なあ、いつになったらそれらしいのが来るんだ? つーか、本当に来るのかよ?



 ――さあてなぁ。もしや来ないのかもしれんぞ? 予測が外れることは、この現世ままあることゆえな。



 白衣の男と黒衣の男の間でかわされたのは、そんなやり取り。まるで脅威と相対していないかのような口ぶりと態度。己が魔族の将軍と知らぬゆえに、出された言葉なのだろうが。



「この人間風情がぁ……ここまで我らを虚仮にしよってぇ……」



 それゆえに、怒りはその限界をさらに超える。地の底から響くかの如き声音が怒気を伝播させ、周囲の空気を引き絞り、辺りは剣呑へ。眷属たちすら震えを堪えきれない危殆の中、本性を表す。

 牙を剥き、翼を大きく広げ、顔をもとの青白いものへと変化させた。



 しかして、黒衣の男はそれに何かを感じ取ったか――



「あ? ちょ、こいつ吸血鬼じゃねぇか!!」



 本性を目の当たりにした黒衣の男が、唐突に狼狽え始める。貴き血族と気付き、やっと本来抱くべき恐怖の感情を得たのだろう。



「ふ、ふははははは! いまさら我のことを恐れたところでもう遅いわ!」


「くっ……ちょっとマズいかこれ……」



 黒衣の男は苦しげに呟いて、構えを取る。だが、その挙動はすでに遅きに失していた。練り上げた闇色の力を眷属たちの形に変えて、視界を覆い尽くさんとするほど多数解き放つ。



「まずは貴様からだ! 死ねぇえい!」



 処刑の宣告。放たれる翼主の類同(バットイド)。到達までの間に黒衣の男の魔力が高ぶるが、闇色の疑似眷属がそれすら押し潰す――はずだった。



 蒼天に響く、弾けるような音と、吹き飛ばされる翼主の類同、そして強烈な衝撃。



 ――パチン。そんな軽快な音色のあとに、己の身体は後方へ吹き飛ばされた。



「んぅ?」


「ぐ、ぐぅ……なんだとっ……」



 まったく予想していなかった攻撃を受け、後退る。何があったのか。またしても理解できない攻撃に、困惑ばかりが頭を占める。



 一方、黒衣の男は指をならしたあとのような姿勢で固まっていた。その表情も呆けたもので、すぐにそれは戸惑いへと移り変わる。ともあれ、その態度はあまりに場違いで――



「え? なんで指弾の魔術(それ)でダメージ入ってんだよお前? なに? 吸血鬼なんだろ? 吸血鬼なんじゃないの? え? え?」



 瞠目したまま困惑の声を辺りに振り撒く黒衣の男。何がそんなに不思議なのか。理解に苦悩しているのか。混乱を来しているのか。



 そんな黒衣の男に、白衣の男が、



「何かあるのか? 確かに連中は操る力は他の者に比べ強いが……顕著な特徴など血を啜るだけのものだぞ?」


「いや、血を啜るだけって……不死身とかさ、神祖とかさ」


「そのような話聞いたこともないが? まず、そうなのであれば魔族ではないだろう?」


「――え゛?」



 黒衣の男がやっと吐き出したのは、やたらと濁った疑問の声。そんな男に、やはり亜白衣の男は怪訝な表情で、



「一体こやつを何と勘違いしているのだ? 貴殿は」


「いやいやいやだってさ! だってさ! 俺たちの世界の吸血鬼ってのは、いわゆる超種に属する生き物で、遥か太古の時代から生きてて、人間が数個大隊単位で英雄や魔術師動かさないと倒せない存在で、そんで……」



 黒衣の男の不可解な勘違いに、白衣の男は首を横に振っている。その答えが相当に意外だったらしい黒衣の男はいましばしの忘失にとらわれたかのように口を半開きにして、そのまま。やがてこちらの驚きになど見向きもしない黒衣の男は、戸惑いを理不尽な怒りに変え、こちらを向いた。



「何じゃそら!? つーかモドキなのかよお前! ビビらせんなっての! びっくりして損しただろうが! お前もあれか? ヴィシュッダとかいうヤツと同じで見掛け倒しなのかよ!」



 黒衣の男は考えていたものと違っていたことに憤っているらしい。ともあれとにもかくにも、黒衣の男の口から出て来た名前の方が、自身には重大だった。



「貴様! ヴィシュッダを知っているのか!?」


「知ってるよ! ていうかこの前ぶっ倒したってのそいつ!」


「な、なんだと!? 貴様がか!? 我と同じ魔族の将を倒しただと?」



 詰問調で訊ねると、黒衣の男は何故か再び呆然となり――



「…………は? え?」


「な、なんだ?」



 黒衣の男は困惑から一転。それよりもなおひどい、唖然とした表情を向けてくる。そして、



「…………何? お前ってば、魔族の将軍だったの?」



 ひどく意外そうに、投げかけられたその言葉。それはさながら、あらゆる場所を探しても出て来なかった失せ物が何気ない場所から出て来たときのような、肩透かしをくった気の抜けようだった。



 いささか以上に呆けている男に向かって、白衣の男が笑いを浴びせる。



「そら、言った通りではないか。ここで待っていれば魔族の将が来ると」


「いやいやいや、なんでアンタがどや顔してんだよ? このタイミングで? おかしいだろ?」



 黒衣の男はそんな避難を口にするが、白衣の男は呵々、呵々と愉快そうに笑うのみ。

 いま目の前に敵がいるのにもかかわらず、見えてもいないようなその態度に、再び怒りが湧き上がる。



 ――殺してやる。全力で殺してやる。そう心に決め、なれば自身の独擅場である空へと飛び上がった。



「貴様ら人間では空を飛べまい! ここからならば手も足も――」



 出ないだろう。だが、そんな事実を突きつけられても、二人の態度は変わらずで――



     ★


      


 誰の心にも清々しさを呼び込むだろう、秋天の涼しさを感じさせる、澄み渡った青い空。



 ――そんな空を眺めたとき、ふいにこの魔族が気の毒かもしれないと思ったのは、結社の魔術師であるがゆえか。それとも父の願いを受け、救われぬ者を救う道を歩み出したがゆえか。

 魔術師八鍵水明は、魔族の将軍ストレガが空に飛び上がったのを見て、ふとした遣る瀬無さに心をとらわれ、ため息を吐いた。



「どうした?」


「……いやさ、なんつーか、始末に悪いなと思ってな。口ぶりはどう考えても驕り高ぶった悪党なんだが、結局のところあいつら魔族ってのは全部、邪神の思惑通りに動かされる駒で、人形だろ? 意思があろうとなかろうと、いや、意思があるからこそ始末に悪いんだ。あいつらに自由意志はないんだってな」



 見上げるままに口にしたのは、憐憫混じる感想だった。

 そう、魔族の全てが、いま口にした通り世界というボードに置かれた邪神の手持ちの駒ならば、人間を撲滅するという考えも、全て刷り込まれたものだということになる。



 ならば、だ。いまのように哀れと思っても仕方のないことではないか。姿形から思考の行き着く先まで邪神に都合よくデザインされ、ともすれば考えを改めさせることは不可能であり、誅される道しかないのであれば、遣る瀬無さも湧いてくるというもの。



 これが傀儡や人形と、どこが違うというのだろうか。

 人形が哀れと思っているなどと言えば、人形(ホムンクルス)であるとある同僚に怒られて一週間は口を利いてくれなくなるだろうが、この場合は救いがどこにもなさ過ぎて、そんな感情が芽生えるのだ。



 複雑な心境が顔に表れていたか、隣の龍人が笑い飛ばすように皮肉を言う。



「あれだけ虚仮にしておいてよく言うものだ」


「そりゃあ敵なんだから、挑発は基本自動的に出るんだよ。今回のはまあなんつーか、俺が勝手に混乱してただけなんだが……」



 いまのように救いのないものを垣間見てしまうと、敵味方如何にかかわらず、ふいに湧き上がってくるものなのだ。



 ――もしかすれば、これも自身が救わねばならないものなのではないか、と。



「貴殿の言わんとしていることは、まあわかるさ。だが、やるべきことは変わらんぞ?」


「…………」


「躊躇うのか?」


「クセだよ。こう、救われねぇ奴らを見ると、なんかな……」


「ならば、一思いに楽にしてやるべきだ。この世には必ず――」


「止めろよ。それ以上言うな。その先をアンタが口にしたら、俺はあいつを殺せなくなる」



 インルーの言葉の先を遮って口にする。それを、最後まで言わせるわけにはいかなかった。そう、救われないものは必ずいる。そんなことを聞いてしまったら最後、己は手を出せなくなる。手を出してしまった時点で、自分の夢は自らの手によって潰えてしまうのだから。



 忠告を遮られたインルーは、どうしてそこで笑い始める。

 それは、どこか愉快げなもので、



「青いな。持っている力とまるで釣り合わんくらい青い」


「……そういう連中の集まりの一人なんだよ俺は。そうあるからこそ俺は――」




 ――強くなったんだよ。



 口にすると、インルーの笑みが不敵なものへと変化する。何がそんなに愉快なのか。快いのかは定かではないが、急にインルーは笑うのを止めた。



 そして、



「なればこそ。なればこそよ。救える救えない。そのような自らを上にした考えを持つことこそが、身に余る驕りというものだ。そんな己が身のほどを弁えぬ考えを胸の内で後生大事に大事にしていれば、いつかそれはお前を焼く炎になるぞ?」


「その忠告はお生憎様だ。ずっと前に言われてるし、何よりいつもそれに炙られてひどい目に遭ってるよ」


「そうか」


「そうだ」



 そう。救うと言って首を突っ込み、いつも傷だらけになっている。それが己の持つ驕りへの、罰であり代償なのだろう。そんなことは、言われずともとうの昔に覚悟している。



 そうかそうだと言い合い二人静かに納得して、ならば再び魔族の将軍に目を向ける。

 向こうは一気に叩き潰すつもりなのか。手の届かない空中に陣取って、闇色の力を練りに練って、溜めている。



 あの場所ならば、拙速に走ることもない。こちらの攻撃が届かないのだから、ゆっくりと、確実に、必ず敵を倒せるものを用意するのは、ある意味道理と言えよう。



 それはこちらの攻撃が、本当に届かないのであればの、話だが――



「羽虫共よ。我が灼熱の吼え声を受け、骨も残さず逝くがいい――」



「――Permutatio.Coagulatio.Vis lamina……」

(――変質、凝固、成すは力……)



 尽くされた二者銘々の言葉は、魔族の将軍の撃破を期してのもの。片や恐るべき咆哮の宣告であり、片や水銀から剣を形作る錬金の術。

 先んじて変化を起こしたのは、龍人の方。その吼え声の前準備に、周囲に巨大な吸気の音をまき散らす。



「こぉおおおおおおおおっ……」



 それはさながら辺りの空気の全てを胸元に吸い込まんとするかのよう。

 そんなインルーに背を見せて、水明は自分の居まわすべき位置へと動き出す。



 やもすれば、その歩みの最中――



「……お前らが人間を滅ぼす以外に生きる目的がないっていうのなら、お前らは正しく邪神の作り出した傀儡なんだろうよ。哀れなモンだ。哀れなモンだが、他を害するように作り出されているなら、お前らが魔族かそうでないかに関係なく、やっぱりそれは居ちゃあいけないんだろうと思う。これまで随分消し飛ばしてきて、今更すぎること言ってるのは俺も自分でアホらしいとは思うけどよ――やれやれ、まさか魔族ってのがこんな業が深いモンだとは思わなかったよ」



 そう、どこか悲哀がない交ぜになったような言葉を空に投げかけて、作り出した水銀刀を構え、目を閉じる。



「――The shine of end revolve.Aqua horizontal hand.Sever the blue of blue」

(――澄み渡る青光に与うるは繧繝に変わる天つ空。水天髣髴。その境界はいまこのときのみ我が手の中に。斬り開け蒼天。その名は目映き蒼き青)



 両手に持った水銀刀を地面に向かって突き付けながらの呪文詠唱。不可思議な反響を伴う詠唱が響き始めると、足元に空色の大魔法陣が広がり、中天に放出された魔力が青い稲妻となって、浮き上がった塵を引いて空へ空へと舞い上げて行く。



 それに伴い魔力がばちり、ばちりと魔術行使を讃える喝采を上げ始めると、やがて構えた水銀刀に空のスペクトルが端から端から吸い込まれ、剣は蒼へ。強大な力は激しい余剰を巻き起こし、周囲に竜巻めいた強風圏を作り出すと、木も石も草も一緒くたにズタズタに引き裂いて吹き飛ばし、見上げれば青々としていた空はその色味を失って、暗夜の様相を呈していた。



 しかして、龍の口から吐き出される灼熱と、空に染まった剣の青光――




「――Breath blade distract!」

(――空を奪い蒼に清められた刀身よ、魔を打ち払え!)



 響く赤熱の咆哮と、蒼く、青い、清浄なる輝き。蒼と紅の混淆が黒で脅かされた空に輝くと、魔族の群れもストレガは一切の抵抗を許されることなく、紫電の波によって消し飛ばされたのだった。




      ★




 結局、魔族の将軍ストレガは率いていた眷属もろとも消し飛ばされた。

 いとも容易くという言葉で締めくくられて然りというほどの幕切れであったが、それに関しては相手が悪かったというほかない。決まり手は龍哮(ドラゴンロアー)に、上かの力を持つ蒼に清められた刀身(ブレス・ブレイド)。その両方が合わさった、稲妻の奔流を想起させる無慈悲な一撃だ。



 ストレガの視点からは、その様はあたかも、疾雷耳を掩うに及ばずであったろう。唐突に鳴り響く雷に対し耳を塞ぐのが間に合わないように、このストレガもまた、疾く強大な力を防げなかったというわけだ。



「――なんというか、運が悪かったな」


「まったくだな。この魔族の不運は本当に余りある」



 どこか滑稽さを思わせる幕切れであっても、命を奪ったあとゆえか、インルーも笑みを見せることはない。

 あっけなく終わった。これで魔族の将軍も残すところあと四体。どこぞで倒されていなければの話だが――だが、何か、何かが水明には腑に落ちなかった。



 それはそう、先ほどインルーと遭う前までずっと考えていたあのことが、どうにも頭の片隅から離れなかったからだ。



「どうした? 首の後ろが気になるのか?」



 インルーの訊ねに対し、水明は背を向ける。向いた方角はそう、帝国の陣地のある場所。



「――戻る。やけに嫌な予感がする」


「嫌な予感?」


「ああ、俺のよく当たる嫌な予感さ」



 そう忌々しげに口にして、身体強化の魔術を行使すると、インルーが、



「ふむ。では同道しようか」


「は?」


「いやなに。貴公が嫌な予感を持ったということは、俺にとっては楽しめることができたということだからな」


「――アンタほんといい加減にしろよな」



 水明は辟易とした態度でそう言うと、インルーは再び愉快げに笑い出したのだった。






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