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己が己であるために


 ――それは、薄桃色の肉の山に、目や細く小さな手足が無数に生えた異形だった。

 魔族の一将、グララジラス。人型でも、四足歩行の獣型でもない。ただの肉塊。そう表現することしかできないような存在だ。まるで瘤や腫れが治らずにただひたすら増え続けて出来上がったような、そんな形質を連想させる、もの。



 果たしてこれを魔族と、生き物と断じることができるのか。一際異型な存在であり、自ら「なんであるか」と名乗らなければまったくわからないほどに、生物の取るだろう姿形とかい離している。



「イサの礫よ――」



 グララジラスの声が響くと、銃火の弾丸と化して放射される小さな小さな鉄片。闇色の火花を弾けさせ、ひゅん、ひゅん、と風を貫く音がいくつも聞こえては、散弾を受けたような穴が無数無限に開いていく。

 目に捉えきれないその攻撃に対し、黎二、ティータニア共に回避に走るほかはない。



 グララジラスの苛烈な攻撃に、反抗の機はまだ見つけられずにいた。



「くそ、これじゃ近寄れない……」



 近付けば礫弾が振りかかり、かといって離れることもできないこの状況。様子見をするにも、前提として止まっていれば撃ち抜かれる。進めず、退くこともできず、ままならない。

 一見してどんな戦いをするのか判然としなかった相手だ。鈍重な見た目でありどう動くのかさえ見当もつかなかったが、それがこの不利を招いてしまったということだろう。



 さながら弾が尽きることのない、いくつもの機関銃と対峙しているかのような気分にさせられる。

 だが、近寄れないならば、遠間から討てばいいだけの話。



「――地よ! 堅牢なる大地に我は請う! その脈動を激甚なる揺動となして我が足元へ! 蟠踞なる其は虚空を貫き悪意を破断す不尽の(うてな)! っ、グランドゲイザー!」



 早口で地属性の呪文を詠唱し、溜めることなくすぐさま鍵言を解き放つ。

 するとグララジラス周囲の地面から、土を固めたような巨大な柱が、その肉の山目掛けて無数突き立った。

 大地柱の狙いはおざなりで定まっていなかったが、それでも範囲が広く、数も十分あったため、グララジラスの身体が尖った柱の先に削り取られる。



 しかし――



「このような姑息な技で我らを討てると思ったか勇者!!」



 ノイズを反響させたような不快な絶叫と共に、グララジラスの瘤のような肉の身体が、削られた部分を補うように、もこ、もこっと膨れ上がる。肉の増殖は意のままなのか。グランドゲイザーの大地柱が消えたときには、肉を削り取られたことなどなかったかのように、グララジラスは元の状態に戻っていた。



「再生するのかこいつは……」



 そう呟くと、背を炙っていた焦燥がさらに募る。傷つけても治ってしまうことの脅威は、次手の判断を鈍らせるのだ。迂闊に手が出せなくなるし、生半な攻撃では無駄となってしまう。



 攻めあぐねて歯噛みしていると、背後からティータニアの声。



「レイジ様。私が一瞬前に出ます。魔族の将の気が私の方に向いている内に、回り込んで攻撃を」



「わかった――」



 ティータニアの進言を呑み、彼女から離れる。他の魔族がグララジラスの攻撃を厭って距離をとっているのをこれ幸いと、素早く回り込むように動き始めると、ティータニアは果敢にも正面から斬り込んでいった。



 相手を翻弄するような俊敏な動きで左右へ動き、残像ともつかない「ブレ」を錯覚させる。無数の目があるグララジラスでさえも彼女の動きを正確にとらえることができないか、対応するために前方に集中し始める。



 ――図に当たった。



 策が成ったことを確信し、グララジラスの後方へ。魔族を剣で斬り払いながら進み、曲線を描くように崖を駆け上がると、ティータニアが大きく後退したのが見えた。



「はぁああああああああ!」



 好機と断じ、気合い一閃。グララジラスの後ろからオリハルコンの剣を振りかぶらんとしたとき、ティータニアにだけ注がれていた視線の一部と、肉の中に埋まっていた目が動き出し、ぎょろりと自分の方を向いた。



「く――!?」



 小さな手や足の一部も、目の動きに追随するように、ざわざわと動き出す。そして自分に向かって放射される鉄片――イサの礫。散弾の範囲から逃れるように、身をよじって地面に身体を投げ出し、転がるように回避する。だが、転がったその場所にも、イサの礫の狙いが向き――



「――く、土よ! 我を囲みては堅固たる防壁となれ! この命のあとには如何なるものも通すことまかりならん!ロームウオールライジング!」



 防御の呪文を詠唱し、寝転がる自身の前方に魔力のこもった土の壁を作り出す。あらゆる攻撃から身を守るはずのそれは、その予想通りイサの礫の初弾を防いだ。

 だが、機関銃となぞらえたように、その攻撃は絶え間ない。初撃を防いでも次々と鉄片が発射され、次第に削れていく土壁。これでは数秒も保たない。そう直感的に悟ると、急いで身を起こしてその場から遠ざかる。



「なんて攻撃の苛烈さだ……」


「舐めるなよ勇者ぁ! 我らがそのような幼稚な策に陥ると思ってか!」



 グララジラスの怒鳴り声が飛んでくる。



 ……背面への正確な攻撃に覚えたのは困惑だ。何故グララジラスはあのような芸当ができたのか、と。正面にいるティータニアに集中していたはずだし、多くの目のその視線も、確かに彼女に向いていた。

 だが、目や手足の一部が別の動きをした。まるで、多数の器官が独立しているかのように。多数の器官が存在するかのように。



「――そうか」



 そう、おそらくこれは――



「お前は、群体、なのか」


「そうよ! 我らは一にして幾百の軍勢である! 貴様ら人間のせせこましい攻撃で滅びるようなものではないぞ!」



 グララジラスはその身の長を高らかに叫ぶ。それでずっと、「我ら」という不可解な一人称を口にしていたのか。手足、目、それ擁する肉片が全て独立し、イサの礫を放つならば、攻めにくいことこの上ない手合いである。



 ……マズい。口の中に嫌な苦味が広がっていく。魔族の将軍に苦戦することもそうだが、そうでなくても魔族軍の懐深くに入り込んでいるのだ。もたもたしている余裕はない。



「レイジ様! ここは……」


「く……僕には荷が重い相手なのか……?」


「当たり前だ。ここで貴様は朽ちるのだ。我ら魔族を侮ったこと、後悔しながら逝くがいい」



 グララジラスが号令のように発すると、それに合わせ、周囲の魔族が迫って来る。囲んで押し潰そうというのか。だがそれに対応をするにも、自分はティータニアと共にグララジラスと戦うので精一杯。グラツィエラは他の十二優傑たちとレナートを守っており、こちらに出せる援護はない。このままでは手が回らず、倒されてしまうのは必定。



「……っ、ティア、どうしよう?」


「ここは一度退くのが肝要かと。味方の方に向かって一転突破をかけるほかないでしょう」


「っでもそれじゃあ、あの魔族の将軍に背中を見せることになる」


「はい。ですので、私が殿軍を務めます。レイジ様はいち早く魔族の囲みを突破し、体勢を立て直すのです」


「それは駄目だよ! そんなことをしたらティアが!」



 それは承服しかねると、ティータニアに叫ぶ。だが彼女は、



「大丈夫です。レイジ様、私を信じてください」


「ティア……」



 彼女を盾にして退がるのは容認できないが、しかしそれに変わる手立てを挙げられないことも、また事実。このままでいれば、共倒れは確実だ。ゆえに、ティータニアはここでその身を削る所存なのだ。

 黎二は歯噛みする。また、無力を感じなければならないのかと。仲間に守られなければならないのかと。



 そして、苦渋の決断をしなければならないと思われた、そんなときだった。



「――地よ。堅牢なる大地に我は請う。その脈動を激甚なる揺動となして全ての足もとを脅かせ。蟠踞なる其はあらゆるものの基盤にしてよりどころ。なれば虚空を貫き、悪意を破断し、不尽の(うてな)と化して突き崩せ。グランドゲイザー・リファイメント!」



 少女の声で響く呪文と、聞き覚えのない鍵言。しかしてそれは、先ほど黎二が使った魔法をさらに強力にした魔法だった。

 鍵言の直後、たちどころに隆起する地面。黎二の使った魔法では巨大な柱が真上へと突き立ったが、いま発現した魔法はヤマアラシの針を見るかの如く、土塊の大剣が斜め上方へと突き出て行く。

 しかして魔族たちは、過度に鈍磨な刃に割り裂かれて四散し、ことのほか簡単に絶命してしまう。やがて魔法の効果が消え、隆起した地面が均されると、土煙の合間から魔族の死骸をまるで起伏した地面の一部のように踏み越えて、少女――イオ・クザミが現れた。



「……まったく、我の前で勝手にしみったれた雰囲気を作るでないわ」


「イオ・クザミさん……」


「うむ。我が婚約者(フィアンセ)よ。我のことを忘れていたことについては、あとで日本海溝よりも深く深く追求してやるからそのつもりでいるがいい」



 ビッと人差し指を威勢よく突き出して、不満をあらわにするイオ・クザミ。このような状況下に置かれても、彼女はいつものように、余裕綽々の様子である。だが、彼女の態度とは裏腹に、魔族の囲みはまだ崩れていない。帝国兵の下へと続く戻り道は、すぐにふさがれた。



「イオ・クザミ殿、レイジ様をお願いします。私は後ろで――」


「だから不利な状況だと勝手に決めるなというのだ」


「ですがこれでは!」



 ティータニアは食い下がると、何故かイオ・クザミは大きなため息を吐く。それはまるで、意味もない悩みを抱えている者に呆れているかのようで――



「何を勘違いしているのだ貴様らは。ここで戦っているのは我らだけではないだろうに。強いのが自分たちだけだと、本気で思っているのか?」


「え――?」



 イオ・クザミの言葉に困惑を覚え、思わず声を上げてしまう。

 強者は他にもいる。彼女はそう言うが、しかしこの状況を打破できるだろう戦力は、自分かティータニア、イオ・クザミ、そしてグラツィエラぐらいしかいない。自分たちは進退に窮しているし、グラツィエラや十二優傑は他の対応で手一杯。ゆえにティータニアはイオ・クザミに託そうとしているのだ。



 他に誰がいるのか。そう思ったそんな折。

 にわかに、味方側の方から、強力な魔力の昂りが感じられる。それは大地の震えを伴う震撼として身体に伝わり、さながら強力な力が解き放たれる直前の共振のようにも思えた。



 グラツィエラの使う土属性の魔法か。そんな推量が湧いたのもつかの間、遮蔽物のないこの場で不自然な反響を伴い鳴り渡る、女の詠唱(ことば)

 しかしてそれは、



 ――魔力炉心。白火、即発臨界!



 厳しく、しかし優しさも兼ね備えたそんな声の訴えが聞こえた、その直後だった。

 周囲を小刻みに揺るがしていた強力な魔力の昂りが、爆発的に膨れ上がる。やもすれば吹きつけてくる魔力の波動。それは強い熱を伴い、あたかも地表に太陽でも舞い降りたかのような錯覚さえ抱かせるほど。衝撃波と熱風をかけ合わせたようなそれに、自分たちはおろか魔族さえも、その場に釘付けになってしまう。



 そして、ふいに身体を襲うひどい寒気。それは怖い話を聞いたときや、心霊スポットに行ったとき、嫌な予感を覚えたときに身体を襲う、あの誰でも一度は感じたことのある身の震えだ。身体を震わせていた震撼のその全てが、寒気へと転化したのだ。



「こ、これは?」


「スイメイ? いえ、一体誰が……?」


「くくっ、なるほどな。奴めここまで仕込んでいたのか。へらへらしている割にやることは抜かりないとは、我が呪縛(ちゅうにびょう)を刺激するくらいうらやましくなる対応ではないか」



 こちらの困惑を余所に、訳知った様子で不敵な笑みを浮かべるイオ・クザミ。何か知っているのか。そう問いかける間もなく、次の呪文が響いてくる。



「――雨よ雨。我が深奥に果てることなく降り注ぐ熱き熱き火の雨よ。いま白煙が如き雲霧を天に頂き、地を埋める悪意へ仮借なき白火の洗礼を。世を乱すもの。世を汚すものには一切の容赦をかける慈悲なし。さすればこの浄化を天が下す裁きの火と戒めよ」



 ――|雨叢雲に燃ゆる白(Rainblaze cloudier)。



 放たれた鍵言は、レインブレイズクラウディア。造語混じりに聞こえたその言葉は、さながらこれから放たれる魔法の特殊性(オリジナリティ)を示すかのよう。



 地面に白く輝く大魔法陣が広がり、それと対を成すように青空に同じ魔法陣が構築される。それらはそれぞれ反対に回転し始めると、その間に白い電流を迷走させ、それに触発された晴れやかな空は、徐々に白雲を生み出して、渦を成していく。

 広がりゆく曇り空。だがその事実に反し、その下は真昼のような明るさだった。

 魔法としては起動が遅い。しかもこれだけを見ればただ雲を作るだけの魔法のようにも思える。だが、やはりそれだけではないようで、ぽつり、ぽつりと雨粒のようなものが落ち始めた。



 戦場にしとしとと降り注ぐ雨。雲に覆われた空のせいか、小さな雨粒は白いようにも見える。糸のようでいてねっとりとした尾を引いて、下界にいる魔族のもとへ。過たずに向かっていく。



 しかしてそれは雨粒ではなく、白光するプラズマだった。

 降り注ぐは、灼熱の糸か雨か。降られた魔族たちに触れると、その身は白い炎の塊へと変換されていく。無論彼らに抗う術はない。魔法に対し抵抗を持つ闇色の力をまとっていても、降り注ぐ雨を遮る術を持たないゆえに全身が常に雨に晒され、守りにほころびが生じ、やがて炎に。白い炎に。それらはすぐに弾けると、近くの魔族にも延焼していく。その速度は瞬く間と言えよう。



 野に火を放つかの如く白い炎は広がり、近場にいた魔族はそのほとんどが消滅してしまった。



「…………」



 その惨状に、黎二は絶句するほかなかった。それと同時に、ひどい寒気が背筋を襲う。

 魔法の威力ではない。確かに威力も大きいが、真に恐れを抱いたのはその範囲にだ。天を覆い曇り空を作り、その下にいる全ての標的を白い炎へと変じさせてしまった、その驚くべき範囲に。

 しかも、蒼天に垂れこめた雲はいまだ増大の様子を見せており、間もなく本陣全てをその下に落としてしまうかというほど。



 ――規模が違い過ぎる。



 もはや魔法と言っても正しいのかすらわからない異変に言葉を失い、隣にいるティータニアも驚きと警戒に目を細めている。イオ・クザミは不服そうに眉をひそめたまま。



 そして、驚きにとらわれているのは黎二たちだけではなく。



「な、なんだ!? この魔法は!? こんな規模の魔法などあり得ないぞ!?」



 そんな驚愕の重唱を張り上げたのは、魔族の将軍グララジラスだった。

 魔族の将軍であっても、このような魔法など初めて見るのだろう。黎二とティータニアを相手に立ち回っていたときも常に余裕があったその態度が、いまは崩れひどい困惑を来している



 やがて、白炎の間を割って歩み出て来たのは、この魔法の使い手――フェルメニア・スティングレイ。



「――この程度あり得ないと断じるのは、それこそ愚知というもの。この世にあり得ないことなど、わずか一握りしかない。私のしたことなど、そのあり得ないことに比べれば斯くも容易いことにほかならない」


「この魔法、貴様の仕業か!」



 語気を強めたグララジラスの問いに、フェルメニアは静かに頷く。そんな彼女に、困惑を訊ねとしてぶつける、グララジラス。



「なんだお前は!? 勇者でないにもかかわらず、どうしてそれほどの力が扱えるのだ!? 貴様本当に人間か!?」


「いえ、それが――」



 ――つい先日、それを辞することに決めましたので。



 静かに、素気なく告げられたその言葉に、誰も彼もの背筋にふっと、怖気と寒気がない交ぜになった感覚が駆け上がった。



 辞する。その言葉がかかったのは、グララジラスの発した末尾の部分に他ならず――



「じ、辞する、だと……? 人間が人間を辞めるとでもいうのか……?」


「それについては魔族の知ったことではないと申しておきましょう」


「な、舐めおって……」


「それはそうと、私ばかり気にしていていいのですか? 敵は、私だけではありませんよ?」


「なに――?」



 訊ねにも似たグララジラスの声のあとに聞こえてきたのは、豪快な雄叫びだった。



「おらぁあああああああああああああああ!」



 やたらと粗暴で雄々しいが、しかし声音は少女のもの。

 どん――という腹の底に響くような重低音と共に、まだ白い炎と化していなかった魔族たちが粉塵を伴って宙へと舞い上がる。その身体は四散しばらけ、受けた攻撃の威力の凄絶さ物語った。

 ついで、燃えていた魔族の垣根が強烈な衝撃波によって吹き飛ばされる。斯くしてその垣根の先にいたのは、巨大な斧槍(ハルバード)を持った瑠璃色髪の小柄な少女だった。



 その少女は、まるで汚いものにでも触れてしまったかのように、顔をしかめ、手をひらひらぶんぶんと払っている。表情は決して、人類の敵と戦っているようなものではなく、不快害虫を追い散らしたようなもの。



「あれは……」



 ティータニアが誰に問うわけでもなく口にすると、それにフェルメニアが答える。



「姫殿下、あれはお味方です。いまは一応、と頭に付きますが……」


「いまは?」


「まーな」



 ティータニアの訊ねに返答したのは、お味方と呼ばれた少女。会話を耳ざとく聞いていたか。そのまま彼女は黎二やティータニアに向かって斧槍を突き付ける。



「よう、救世の勇者に薄明の斬姫。アタイの名前はジルベルト・グリガ。今日のところはこのアタイがちょっとばかし手を貸すぜ? ああ、あと「どうして?」だの「何が狙いだ?」だの野暮ったい質問は受け付けないぞ? そんなモンはあんたらのあずかり知らぬ話ってヤツだからな! せいやっ!」



 そう言って彼女が再び斧槍を振るうと、その巨大な先端が柄から離れ、柄とを結ぶ鎖と共に周囲の魔族を蹴散らし始める。

 フェルメニアの魔法と合わせ、その場にいたほとんどの魔族が打倒、無力化された。



 それに歯噛みするのは、無論ながらグララジラス。



「こ、この数を、たった二人で切り崩したというのか……」


「ハッ!! こんな非力な羽虫共ばっかり寄せ集めてどうこうしようなんざ考えが甘いんだよ! 人間舐めんなバーカバーカ! あ、アタイはドワーフだったわ……」


「それに、私たちの力だけではありませんよ。ここには帝国の兵たちもいるのですから」



 フェルメニアがチラリと後ろに視線を向けると、そちらではすでにグラツィエラが兵をまとめ上げ、残りの魔族の殲滅に入っていた。



「みな、奮起せよ! レイジたちを援護するのだ!」



 グラツィエラの指示に対し、帝国の精鋭たちは「は!」と声を張り上げて応じている。当初は混乱に追い込まれ劣勢だったが、あの様子では早い段階で体勢を整え、邀撃に移っていたと思われる。



 しかしここで活路を開いたのは、間違いなくフェルメニアの魔法だったと言えよう。グララジラスもそれを重々弁えているらしく、彼女に向かって怒気と共にイサの礫を放つ。



「小娘が!」


「――障壁よ。展開せよ」



 それに対し、呪文を呟いて対応するフェルメニア。即座に彼女の前に濃密な魔力の壁が現れ、グララジラスが飛ばした無数の鉄片が遮られる。



「我らがイサの礫の前に魔法の盾などっ!」


「残念ながら、これは魔術の障壁ですので」


「何をっ!」



 その後もイサの礫は間断なく発射され続けるが、フェルメニアの講じた障壁は崩れない。先ほど黎二が作った土の壁は瞬く間に崩されたというのにもかかわらず、彼女はそれよりも短い詠唱、聞いたこともない呪文、鍵言なしで、それを凌ぐ盾を作り出した。



 やがてイサの礫が効かないことを悟ったグララジラスが放射を止めると、フェルメニアも障壁を消失させる。そして、



「魔族の将。私にそんな攻撃は通じません。観念しなさい」


「ぐ……! このような、ことが……」



 まとう魔力を更に強く高め、威圧するかのように凄むフェルメニア。そんな彼女に、ティータニアが感心したように笑顔を見せ、



「やはり白炎殿は頼りになりますね」


「い、いえ、そんな滅相もありません……」



 先ほどの凄みから一転、フェルメニアは照れ始める。敬服する自国の姫に褒められて表情が崩れるが、しかし魔力の高まりはそのままで、油断は一切挟んでいない。



 やがて魔族を掃討し終えたグラツィエラも合流する。



「残りはあの化け物だけか」


「ええ。魔族の将軍、グララジラスと名乗りました」



 答えたのはティータニア。先ほどの戦いのせいか彼女の声音には重苦しさが混じっていたが、しかしグラツィエラは不敵に笑い。



「これだけ戦力が揃えば、いくら魔族の将とて……」


「グラツィエラ殿下、油断は禁物ですよ」


「それくらい言われずともわかっているさ。なあレイジ…………レイジ?」



 グラツィエラは声をかけるが、黎二からの返答はなかった。その様子の違いを、彼女が不可解に思っていると、ふいに黎二はグララジラスに向かって踏み出す。



「レイジさま!?」


「おい! お前は何を先走っているのだ!」



 黎二が突然一人突出したことに、二人の姫は焦り出す。

 引き留めるような声に、しかし黎二は振り向きもせず。



「こいつは僕が一人で倒す。みんなは手出しをしないで欲しい」


「しかしレイジ様――」


「僕が一人でやらなきゃならないんだ」



 ティータニアの声を、黎二はそう言って振り払う。自分がやらなければならないのだと。無論その意志の出どころは、先ほどの戦闘からだ。ティータニアを犠牲にしなければならないという選択を迫られるほど不甲斐なかったがゆえに、いまそれを乗り越えるため、一騎打ちでなければならないのだ。



 決意に踏み出した背中に、それでも食い下がろうとするティータニアの前に、邪魔をするようにジルベルトの斧槍が突き出される。



「――やらせてやれよ。誰にだって、一人で踏ん張らなきゃならねぇときがあるんだ」


「あなたは……」


「あれは儀式だ。男が一人の戦士になるための、な。あんただってそういうの、あっただろ?」



 そう言って、片目を閉じて笑顔を見せるジルベルト。戦士になるには踏ん張りどころがあるという真理を持ち出されては、ティータニアは何も返すことができなかった。



 黎二が一人前に出ると、グララジラスが騒ぎ出す。



「貴様一人で我らを倒すだと? 貴様の力で我が倒せぬということは先ほど証明済みではないか! 気でも触れたか!」


「おかしくなんてなっちゃいないさ。ただ、それが僕のやるべきことだから、やるだけだ」


「舐めるのも大概にしろ小僧が! 女神に分不相応な力を与えられただけの存在が、それを自分の強さと勘違いしたか!」


「これが仮初の力だってくらい、僕も重々分かっているさ。だから……だからこそ! どこかでそれを乗り越えなきゃいけないんだ!」


「我らを踏み台だと抜かすかぁ!!」


「そうだ!! 僕はお前を倒して踏み越えて行くんだ!!」



 吼える。吼えてグララジラスへと踏み出す。

 叫び返した言葉の通り、乗り越えてゆくために。

 近付くと間髪容れず発射される、イサの礫。それを、グララジラスの周囲を回るようにしてかわしていく。



「威勢よく吼えておいてかわすだけとはその程度か! 勇者ぁああああああああああ!」


「く……」



 イサの礫が顔を掠め、頬を切り裂く。威勢を駆って前に出たが、そのまま翻弄するように動き続けるのが精一杯で、攻める好機は見当たらない。それはおろか、勝機すら見つからない。否、そんなもの、元よりないのだ。最初に苦戦を強いられていた時点で、勝てる見込みなど潰えている。



 だがそれでも、それでも自身はここで踏み出さなければならなかったのだ。たとえ蛮勇と言われようとも、たとえ愚かだと言われようとも。ラジャスに苦戦し、エリオットに手を抜かれ、イルザールに屈しかけ、ここでもまた中途半端なままでいては、このあともずっと半端者でいることに甘んじなくてはならなくなる。



 自分には、頼れる仲間がいるから。そういまも、後ろから心配の声をかけてくれる仲間がいるから。

 力を合わせて倒そう。無理をするな。聞こえてくるのは、そんな優しい声ばかり。

 いつもこんな風に、誰かに助けられている。だがそれで、本当に勇者なのか。そんなことで、本当に勇者と呼ばれていいのか。助けることもなく助けられてばかりでは、ただ神輿に載せられただけの、高いところで有頂天になっただけの滑稽な道化ではないか。



 そんなのは認められない。決して。実を伴わない虚飾には、なんの意味もないのだ。

 そう、自分がそんなまやかしで、いいはずがない。



「負けない……」


「女神のためにか!? それとも人間のためにか!?」


「違う! 勇者も女神のこの世界の人たちも関係ない! これは全部、僕のためにだ!」



 そう、だからそう。飛躍のときは、いまなのだ。これまで燻っていた。仲間の好意に甘えていた。そんな半端な自分と、ここで確かに決別す(わかれ)るために。



 たとえ飛ぶことができなくとも、自ら飛ぼうとしなければ決して飛ぶことはできないゆえに、いまここで踏み出さねばならないのだ。



 だから――



「僕は……僕は強くなる! 強くなりたいんだ!!」



 自分の思いを、願いを、自分に叫び訴えた、そんなときだった。



 ――欲するのならば求め、訴えよ。



「え……?」



 ――大いなる力に繋がる窮極の門は、いつ、いかなるときも、お前の中に存在する。



「だ、誰――?」



 頭の中に突如として響いた無機質な宣告に、図らずも誰何の声を上げる。

 気付けば己は、泥のような闇の中にただ一人放り出されていた。



「な、何が? これは? ど、どうして……」



 不可解な事態を目の当たりにして、にわかに困惑にとらわれる。自身は確かに、帝国軍の陣地、グララジラスの正面にいたはずだ。にもかかわらず、それらのものは見回してもどこにもない。どこにもいない。どころか、周囲は闇に覆われ、遠く先に光のようなものが見えるのみ。



 まるで、長い長いトンネルの真ん中に置き去りにされてしまったかのよう。

 どうして。どうして自分はこんなところに。そんな疑問や困惑が絶え間なく浮かんでくる。

 だが、それらはすぐにかき消されてしまった。



 そう、暗闇の奥にあった小さな光が、蒼く、蒼く見えたから。



「あ――」



 遠く輝く蒼に魅入られたように、陶然とした言葉を漏らす。意図せず。頭の中もまた陶然とした声音と同じ、ぼんやりとしたまま。先ほどまであった克己を叫んだ熱も、いまは消え去り、蒼い光のみに占められていた。

 この光には、見覚えがあった。それはサクラメントに据えられた宝石が放つ、あの光に他ならない。

 瞬間、はっと理解できた。自分は何よりあの光を目指さなければいけないのだと。あの光の先に、全ての答えが待っているのだと。



 だから、駆け出した。駆けて駆けて、思い切り駆けて――蒼い光をつかみ取った。

 直後、頭の中に溢れてくる文言(ことば)。声なき声の音声(おんじょう)であり、しかしてそれは。



 ――我がラピスの碧き煌めきに。



 ――晶化せよ剣霊。



 その文言を繰り返すと、にわかに蒼い輝きが強くなる。広がったその輝きが手の中に集い――しかし最後の文言を聞く前に、目眩く光は消えてしまった。



 ……気が付けば、トンネルのような闇も蒼い光もそこにはなく、景色は帝国軍の陣地に戻っていた。

 目の前で、グララジラスが嘲笑う。



「ふん。何をするのかと思えば、ただ光っただけだとはな」



「…………」



 言葉の通りならば、自分はいまここで蒼い光を発していたのだろう。自分の右手には、いつの間にか武装化前の結晶剣(イシャールクラスタ)が握られている。無意識につかみ取ったか、それとも先ほど掴んだ蒼い光が、これだったのか。



 結晶剣は淡い光を放ち続けており、先ほどの見せた蒼い光の余韻を残しているかのよう。

 グララジラスの言う通りだ。ただ光っただけ。きっと、自分はずっとこの場所にいて、蒼い光を手のひらから溢れさせただけだったのだろう。その証拠に、サクラメントはイルザールと戦ったあのときのように武器には変じていなかった。武器へと変えるその文言を最後まで知ることができなかったゆえに、それは当然の帰結だろう。



 だがそれでも、自分はあのとき蒼い光をつかみ取った。道が見えた。扉が見えた。あの蒼い輝きのその深奥で、あの声なき声を聞いたのだ。



 ゆえに、手に入れた力は――ゼロではない。



「なん――!?」



 オリハルコンの剣を持ち直し、イルザールを圧倒せしめたときと同じ速さで動くと、驚愕の重唱が聞こえてくる。



 おそらくは、自身が目の前から消えたように見えたのだろう。

 この魔族の将軍は、イルザールよりも強くない。力量如何、あらゆるものが劣る。格段に劣っているのだ。そんな相手に負けているようでは、この先の苦難は計り知れないものとなるだろう。だから――



 目晦ましをするのも、この一度きり。この程度の相手正面から勝ってこそ、強者と謳われるのに相応しい。



「…………」



 一歩。また一歩と踏み出して、無言のまま、オリハルコンの剣を振るう。飛んでくる銃弾のような礫を打ち払い。地面を躙る。強靭な一歩に、靴が土に沈み込み、靴の端から土が泡立つようにめくれ上がった。



「…………」



 近付くたびに、グララジラスの声が――聞こえない。もはやそれは音として聞こえなくなった。騒ぎ立てるような雑音が、音ではなく文として頭に認識されるようになる。「バカな」「こんなことが」そんな、困惑の極みに落ちたような認識する方も情けなくなる文の羅列。先ほどまで苦戦していた相手の心胆を寒からしめているのが、如実に理解できる。だが、そこに喜びなど微塵もない。そんな優越感(もの)を得るために、自分は踏み出したわけではないのだから。



 もう魔族の将軍との距離は、数歩ともない。剣を伸ばせば届く領域だ。そんな至近で、魔族の将軍は諦めも悪くイサの礫を撃ち出そうとする。だが遅い。撃ち出す前触れすら見切られている時点で、すでに勝利の行程は始まる前から潰えているのだ。



 剣を携え迫る自身に、グララジラスが叫ぶ。



「我は軍勢! 剣での攻撃など我が前には無意味と知れ!」



 聞こえてくるのは、怒声。いや、なけなしの虚勢だろう。劣勢に陥っている状況下で、その身の強みを声に出し、己を奮い立たせるそれだ。確かに言う通り、群体というのは厄介ではある。



 だが、



「――そうかな?」


「なに?」


「お前が群体という存在だろうとも、お前の意識が一つになっているってことは、どこかにその意識を統率する司令塔があるはずだ。それがなければ、お前はバラバラになって混沌と化してしまう。そうだろう?」



 真実を突き付けられたグララジラスの声音が、ひどい焦りへと変化する。



「なっ、なぜ、それをっ……なぜお前がそれを知っているのだ!?」


「光……」


「なに?」


「あの蒼い光が、僕にそう教えてくれたんだ」



 己が想念(おもい)に応えてくれたあの蒼い光。あの光に触れたとき、声なき声の囁きが教えてくれた。あれは決して、お前が倒せない相手ではないのだと。

 しかして振り下ろされる斬撃は、グララジラスの奥底に埋まった小さな急所を、過たず切り裂いたのだった。








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