第三回戦、水明の戦い
時間は進み、第三回戦。
「きさまきさまきさまきさまぁああああああああああ!」
舞台の上で、骨太な叫び声が上がる。
「俺は十二優傑の一人であり、栄えある帝国貴族だぞ!? それが何故貴様のような平民相手に苦戦しなければならないのだ!!」
それは、怒号の中に確固とした焦りが滲んだ訴え。
「ありえん! こんなことはありえん!」
無論それが向けられているのは、この試合の対戦相手だった。
「つーかさ、ホントわっかりやすい性格してるよなアンタ……」
その対戦相手、勇者と同じ世界から来たという平民の少年は、呆れ声を以てそう評する。
――そう、帝国貴族であるバールダン・ドストフ・ゼゲントは、陣地の一画に造られた舞台の上で、これまでにない苦境に立たされていた。
ここでいう苦境とは、戦いの劣勢からくるものではなく、攻めあぐねていることからの焦りが生み出す苦しみだ。無論まだ勝ち負けの是非には遠いゆえ余裕や猶予はあるのだが、バールダンが追い込まれているのは間違いなかった。そう、精神がだ。
バールダンの持つ十二優傑の地位は、確かに金で買ったものだ。だが、それでも魔法の実力は他の十二優傑たちにも引けを取らないという自負は持ち合わせていたし、実際さほど劣ったものでもなかった。由緒正しき伝統貴族の家に生まれ、魔導院を卒業し、南方国家との戦争にも従事、幾多の経験を備え、資質も申し分なかった。
その上、バールダンにしか使えない魔法行使術もあるとくれば、その自負が多少行き過ぎたところで、問題にはならないだろう。
――魔法の多段行使術。独特の句切りや抑揚を操り、呪文を絶え間なく詠唱。魔法と魔法の間に、間隔を一切作らないことにより、素早く苛烈な魔法行使を実現する技。それが、バールダンの頼みとしている珠玉の一手。
それを用い、これまで幾多の戦いに勝利してきた。戦争はもとより、魔物や多くのはぐれ魔族も倒して来た。
にもかかわらず、そんな自分が、舞台の上でまったく手玉に取られている。
(バカな! バカな! バカな! こんなことがあってたまるか!)
相対するのは、アステルで勇者と共に呼ばれたという平民の少年だ。顔も冴えず、取り立てて挙げるようなところも見当たらない、平々凡々とした男である。市井の有象無象という言葉を誰かにあてがうとしたら、真っ先に名前が挙がるだろうことは間違いない、そんな風貌の、俗世の象徴である。
そんな者と戦う前に、ゴーガンにこう言って見せたのだ。
――あのような不様な戦い方を見せた同僚たちに、この貴き血を持つ私が手本となる戦いを示してやりましょう!
――戦う相手が、あのようないかにも田舎者丸出しの! 冴えない! 貧相な男というのは不満ですな!
そして、対戦相手たる平民の男に対しても、
――君は魔法を使えるかね? いやそもそも魔法というものが何か知っているのかね?
――いや使えるというだけでは知っているということにはならないのだよ。知識を有し、使えることができて初めて、知っているということになる。違うかね?
聞くところによると、勇者が呼ばれる世界は魔法とはまるきり無縁の世界であり、魔法はこの世界に来て初めて覚えたものだという。英傑召喚の儀があって半年そこら。そんな小僧に、魔法に触れて数十年である自分が相手では、それこそ戦いにもならないだろう――とそう思っていたのだ。
だが、蓋を開けてみればどうか。平民の少年はまったく奇想天外な魔法の使い方で、こちらの魔法を凌いでいった。
その捌き方が余裕のないものであれば、また話は別だろう。それではこちらが追い詰められることの理由にはならない。だがこの男は、まるで子供と遊んでいるかのように、鼻歌まじりで自分と戦っているのだ。自身がいくら本気で臨んでも、向こうは終始一貫して同じ態度で臨んでいる。
当然その様子を見て、観客たちはざわめいている。そのざわめきを占める大部分は、困惑だ。それも十二優傑が手玉に取られているからという理由ではない。魔法の凌ぎ方が、これまで見たこともないようなものだからだ。
まるで誰も気づかなかった盲点を周到に、小賢しく小突きまわすかのように戦う様は、彼の十二優傑筆頭、ゴーガン・バートウッド・ゴルトでさえ、驚愕の色を隠せず瞠目している。
こちらが火の魔法を撃ち出そうとすれば、火を煽るはずの風の魔法で暴発させ、水の魔法を放てば、普通は土の魔法で防御するのが定石であるにもかかわらず、木のエレメントに訴えて、全ての水分を吸収させて消し去った。得意の多段行使術を使っても、こちらの魔法同士を干渉させるように立ち回り、指先一寸たりとて触れることはない。
そんな状況に苛立ち、急いで魔法を撃ち出すと、平民に当たると思われた直前で魔法がその力を失って消えてしまう。
「な――!?」
その様はまるで、先ほどアールス・メルフェインがリリアナ・ザンダイクの出した犬に対し魔法を放ったときのよう。一方その平民と言えば、九間先で笑っている。冷笑なのか、嘲弄なのか、それとも単に、愉快さを面に表しただけなのか。その内心は杳として知れないが、笑っていられるほどに余裕があるということだろう。
「馬鹿にしおって……!」
ともすれば憤死すらしかねないほどに、怒りを強くする。だがその強い怒りの感情でさえ、戦いの糧にすらならないのか、二つ、三つと、矢継ぎ早に魔法を行使するも、やはり凌がれて終わってしまう。
――勝負事にありがちな事象だ。次にどんな手を打とうとも、見透かされたように相手に凌がれてしまう。それゆえ焦りが募り、冷静な選択ができなくなる。
まるで、底なし沼だった。一度は嵌まれば抜け出せないような、これはそんな戦いだった。
「じゃ、そろそろ今度はこっちからやろうか。――風よ。我が意志に応え、敵を切り裂け。ストライクウィンド」
平民はそう挑むように言って、小手先の魔法を放ってくる。放たれた風の魔法は攻撃というにはお粗末で適当、しかし無視できない程度の威力がある。とはいっても、十二優傑である自身にとって、なんら問題にはならない。だが煩わしい。いちいち防御しなければならない程度の力があるため、ひどく苛立つのだ。
「――土よ! 我を囲みては堅固たる防壁となれ!この命のあとには如何なるものも通すことまかりならん! ロームウオールライジング!」
土を隆起させ硬質化。堅固な防壁を眼前に造り出すと、風の魔法はそれに衝突して霧散する。
「このような魔法くらうと思ったか! 愚か者め!」
「一発だけじゃあそうだろうな――風よ。我が意志に応え敵を切り裂け×7。風刃衝・七重展開」
「な――!?」
平民のふざけた詠唱と鍵言のあと、ストライクウィンドの魔法が七つ発生し、硬質した土壁を襲う。計七つの魔力が集積されたそれは巨大な圧力のうねりを作り上げ、防壁を破壊する。
「そんな……たかが低位の風魔法で私の作った防壁が破られるなど」
あり得ない。こんな魔法で手玉に取られているのかと思うと、腹が立って仕方がない。
「な、ならばこれならどうだ! ――火よ! その身をさらなる威容と変え、燃やし尽くしの権化とならん! フレイムザングランディ!」
「んじゃま――緋よ。其が見せる深き黒と朱の混交によって、あらゆる目から赤き色彩を奪い取れ。色失せし炎に、炎たる資格はない。いと小さき赤色泥棒」
撃ち出したのは、巨大な火球の魔法だ。それに対し、平民も火の魔法を行使する。発生させたのは、こちらの魔法と比べれば、さながら豆つぶのような赤、緋色。だが、それを舞台いっぱいに出現させ、対抗する。質に対し量で攻めるのか。しかし巨大な火球の熱量は、豆つぶ全て合わせたとしても、届きはしない。
緋色の火球が弾けた。魔法の破裂は連鎖していき、順当に大火球も飲み込まれる。それとともに視界を埋め尽くす赤はその色濃さを増大。その影響か、大火球の赤い色味がひどく褪せてしまったかのように錯覚されていく。
炎は灰色に。灰色になったことで、ふとそれが何なのか、わずかに疑問に思ってしまう。
果たして放った大火球は――豆つぶのような火と共に消失した。
おそらくは多数の魔法の火を用い、火のエレメントの影響力を狂わせ、大火球を消滅に追い込んだのだろうと思われる。
「先ほどから姑息な技をっ!」
「面白いだろ? 赤は炎の象徴だ。その温度の高低が表す色味にかかわらず、神秘の炎は赤ければ赤いほど質が良く、強力なものとされる。それゆえ、色味がなくなればなくなるほど、炎としての力が失われるということだ」
「色がなくなるから力も失われるだと!? 意味のわからないことを! 魔法からエレメントの加護が失われることはないわっ!」
「やれやれこれがピンと来ないとは、センスがないとしか言いようがないな」
「ちぃ、火の魔法が利かないのならば、今度は別の魔法を使うまで……」
「――いや、残念ながらそろそろ息切れする頃だな」
「なに?」
「インターバルのお時間だよ。シンキングタイムと行こう」
平民は大きく肩を竦めたかと思うと、わけの分からない繰言を発して唐突に無防備な体勢を取る。肩の力を抜き、固まった筋肉をほぐすように首を、肩を回してくつろぎ始める有り様だ。戦いの最中であるにも、関わらずである。
「貴様は馬鹿か? 試合の最中にそんなことをするなど――」
こちらの指摘は、しかし平民には聞こえていないのか、まったく意に介そうとしない。
その舐めきった様子にさらに憤慨し、魔法を行使する。
「――雷よ! か! か、かみな……」
だが、何故か呪文が口から出てこない。
「か……か……」
息が上がり、喉が震える。それと同時に、訳もなく冷や汗が全身から滲み出し、動悸が激しくなる。言葉を、呪文を、それ以上紡げなかった。声が、出てこなかった。
――脳が詠唱を拒否している。そんな言葉が脳裏をよぎる。
「はぁ、はぁ……」
息を切らせたまま平民の方を向くと、失望にも似た感情を滲ませる呆れ顔があった。それはまるで、こうなることが前もってわかっていたかのような、そしてそれを予期できなかった自分を見下げたような、そんな顔。
すると、平民は学者が研究対象でも観察するかのような視線を向け、
「やれ、理論はわかっていたが、正直見るのは初めてだな」
「なに……が?」
「アンタ、魔法の無理な連続行使は止めた方がいい。アンタは他の人間よりもそうなるまでのキャパシティが大きいから無茶ばかりしてるようだが、ラジエーターやウォーターポンプの機能まで強力なわけじゃないんだから、結局そうやってオーバーヒートを起こすことになる」
「だ、だからさっきから意味の分からんことを!」
「まじゅ……魔法使いならニュアンスでわかれよ」
そう言ってこちらの言葉を切り捨てる平民の男。あり得なかった。よもや平民相手にこんな不様な姿を晒すなど。
「俺は貴族だ! 特別な人間なんだぞ!? こんなことが起こるはずがないっ……貴様、また何か姑息な技を……」
詰るように問うと、平民の男は大きなため息を吐いて――ふいに何を思ったか笑みを深める。それは鼻にかかった笑声と、黒さをまとう不気味な笑いに他ならず、
「くくく、そうだな。いや、ばれちゃあしょうがないよな?」
「貴様、やはり……」
何かしていたのか。こちらが非難に目を剥くと、平民の男は不敵に顎をしゃくった。
「ほら、そこを見てみろよ?」
そして、ぱちんと指が弾かれる。しかして人差し指に弾かれた親指の示す先に、あったのは――
★
「何が……」
舞台の上に、帝国貴族――バールダン・ドストフ・ゼゲントなる者の声が響く。
かくして、水明が指を鳴らして示唆したそこを、バールダンは不用意にも見てしまった。
だが、当然そこはなんの変哲もない舞台の一部であり――
「何もないじゃ……はっ!? まさか!」
「バカめかかったな!!」
その示唆の意味に気が付き振り向くが、もうすでに遅かった。バールダンが哀れな道化と化している間に、水明は彼の眼前まで迫っていたのだ。
一方それを見ていた黎二とフェルメニアはというと、
「水明ェ、いくらなんでもそれはないよ……」
「スイメイ殿……」
二人の落胆した声が響く。
そう、水明の取った戦術とは、いわゆる、「UFOだ!!」とか「ブタが飛んでる!」とかの時折漫画に出てくるような、こすっからい騙し討ちだ。成功率は異常に低く、まさに化石とも言えるような戦術だが、水明のこれまでの戦い振りと演技によって、バールダンは敢え無く謀られてしまったというわけだ。
そして、バールダンに降り注ぐ拳打の雨あられ。水明は身体の中心部にあるいくつかの急所に拳を打ち込んでいき、最後に顎下目掛けて、猿臂をかち上げた。
水明の思惑に気付き、しかし成す術もなかったバールダンは倒れ様。
「ご、あ……こ、こんな古典的な手に……」
「かかった奴が悪い。というか周囲をちゃんと把握してないとか基本からやりなおさなきゃならないレベルだろ。いくらなんでも人を舐め過ぎだってのバーカ」
水明の罵りを前に、バールダンはばったりと倒れ伏した。
結局面白くもなんともない戦いであったが、ともあれ。
「ま、それだけのぼせてれば、考えられる頭にはなってなかったろうがな」
傲慢さ、そして上気が及ぼす思考の鈍麻を揶揄する痛烈なアイロニーは、当然バールダンには聞こえなかった。
許容を超える連続行使を行い、魔力的息切れを引き起こし、頭が熱に浮かされていた。そんな状況ならば、隙が生まれないという方に無理があるだろう。当初から格下相手と侮っていたようだが、そんな想像力のない者はかくも御しやすいというこれがその証左である。相手に対する軽視がピークになったときに生まれる油断は、相手との力量差が大きければ大きいほど、広い空白を生んでしまうのだ。
それゆえに、この息切れだ。以前にグラツィエラが魔術融解現象に嵌まったときとはわけが違う、あまりに低レベルな失敗だと言える。
魔法の絶え間ない連続行使、それ自体は決しておかしいものではない。エントロピーを把握しなければならないという条件が加味されるが、向こうの世界にはある意味必須と言っていいほど必要な技術であり、誰だってやっていることなのだ。だが、こちらの世界の魔法使いには、魔力炉がない。それゆえ、余熱や魔力を蒸気に変えて放散することができず、ああやって息切れを起こしてしまうのである。
この敗北の原因の最たるものは、盲目か、はたまた視野の狭窄か。
――人が地球の全容を眼で捉えることができないのと同じだ。その本質が小さければ小さいほど、目の前にあるものを捉えることができなくなる。それがたとえ大きなものではなかったとしても、観測するものの資質に依るのであれば、それは同じことではないだろうか。
水明がそんなことを考えつつ、舞台から降り、黎二たちの方に耳を傾けると、
「ねぇティア。水明の戦いもさっきの戦いと同レベルなんじゃ……」
「私はあんなことをする男に負けたのですか……許せません」
「スイメイくん。これは説教をしなければいけない案件だな」
黎二は呆れたまま、ティータニアは水明に対して怒りのオーラを燃やし、レフィールに至っては説教する気満々でいた。
「えぇ……」
第三回戦、水明の決まり手は騙し討ち。
★
全ての試合が終わった直後の、陣地の一画。
「こ、このようなことが、あるはずが……」
十二優傑の敗北など、露ほども考えていなかったのだろう。陣地の隅で全ての試合を見届けたゴーガンは、呆然とした様子で繰り返し繰り返し同じことを呟いていた。
彼の中では、選んだ十二優傑たち全員が、対戦相手に勝つはずだった。万が一にアールスがリリアナに負ける可能性もあるにはあったが、その後スレインとバールダンが確実に勝利をもぎ取るだろうと思っていた。
だが、結局はどうか。十二優傑の新鋭とベテランが、揃いも揃って敗北してしまった。しかも、後二人はあまりに不様な負け方で。
十二優傑の長として、到底納得できるものではなかった。だがそれ以前に敗北の衝撃が強すぎて、物言いをつけようということさえもいまのゴーガンには考えつかなかった。
瞠目したまま、頭の整理すらままならない彼のもとに、側付きを従えたレナートが現れる。
「ゴーガンよ」
「れ、レナート皇子殿下……」
敗北に頭を揺さぶられていても、目上の者に礼を取れるだけの知性は残っていたらしく、ゴーガンは慌てて膝を突く。するとレナートは、そのまま部下を諭すような口ぶりで確認を取る。
「試合は終わった。これでそなたも文句はあるまいな?」
「……は。十二優傑ともあろう者たちがあのようなお見苦しい戦いを見せてしまい、誠に申し訳ございませぬ」
「仕方あるまい。こればかりは戦った相手が悪かったのだ」
「ですがあのような姑息な戦いで十二優傑が手玉に取られてしまうなど……。アールスの戦いはまだいいとしても、これでは栄えある帝国軍の誇りに傷をつけたも同然。私は何らかの責任は取らなければならないと感じておりまする」
「責任か」
「は!」
引責。それは、ゴーガンの苦肉の一手だった。要は、死なばもろとも。ここで十二優傑が責任を取ることになれば、対戦相手たちにも何らかの責任を負わせられる余地ができるのだ。アールスとリリアナの戦いはぐうの音も出ないほどのものだったが、他二つの試合は戦っている相手の態度には疑問を抱かざるを得ないものだ。
責任を取る代わりに、抗議を通す。そうすれば、完全な敗北ではないため、十二優傑のなに付く傷は多少なり軽減されることになる。同情の声が大きくなれば、万々歳だ。
それゆえ、ゴーガンはどうか受け入れて欲しいと深々と頭を下げた。しかし、レナートはその思惑に気付いているのかいないのか。若干柔らかめな声音と共に、首を振った。
「ゴーガンよ。この試合、周りの者には気楽な手合せということで触れ回っている。責任の所在など、もとから存在しないのだ。ゆえに引責の必要はない」
「ですが……」
ここで有耶無耶にしてはならないと、ゴーガンがさらに食い下がったそんなときだった。
「――ならば、今後は差し出がましい仕儀は控えることだな」
尊大な言葉遣いで背後から声をかけて来たのは、グラツィエラだった。
「グラツィエラ皇女殿下……」
「なんだ、険しい顔をしおって。不服か?」
「おそれながら。この度の一件は、戦った者たちだけの責任ではございません。我ら十二優傑全員の威信に、ひいては十二優傑のお一人であるあなた様にもかかわってくるのですぞ」
「そなたがそれを企てておいてどの口がいうのやら。どうせ奴らの戦いに難癖を付けて傷を浅くするつもりなのだろう? そなたの魂胆などお見通しだ」
鼻で笑うグラツィエラに、ゴーガンは言い返すことができず押し黙る。すると、グラツィエラは鼻にかかった笑いを収め、一転して真面目な顔になり、
「……まあ思惑の子細はどうあれ、だ。そなたが帝国の現状を憂いてやったというのは私も重々理解しているつもりだ。同盟国が乗り気でない現状、十二優傑がここで改めて活躍すれば、帝国の強さを内外に示せるからな」
「皇女殿下もわかっていらっしゃるのならば……」
「ゴーガン、兄上も先ほど言っていたであろう? 相手が悪かったのだ。今回はそれで我慢せよ」
グラツィエラが窘めても、ゴーガンは納得がいかないらしい。それは長く魔法使いとして活躍してきた自負があるゆえか。表情は硬くとも、鈍く輝く目の光が、得心がいかないと訴えていた。
ゴーガンの心の機微を読み取ったグラツィエラが、ため息一つ吐いてから、口を開く。
「そなたも見ただろう。リリアナはすでに闇魔法から解き放たれ、強力な使い手になっている。舞台でイオ・クザミと名乗った者は、自治州で魔族の将軍の撃退に一役買った。そのような者たち相手に、納得がいかないなどと大人げのないことをほざいてどうするというのだ?」
「しかし、最後に戦ったあの男。あの男はあまりにもおふざけが過ぎるのでは」
「お前にはあれがおふざけに見えたのか?」
「あの戦い振り、対戦相手をおちょくっているようにしか見えませぬ」
「……ふむ。兄上にも、そう見えたのでしょうか?」
グラツィエラが畏まって訊ねると、レナートは表情にわずか渋い色を見せ、
「そうだな。真実はどうあれ、傍から見れば誠実さに欠けた戦いだったと言えなくもない。ライラ、お前にはそう見えなかったのか?」
「やはり、知っているといないでは、見方の差が大きく出るようです。特に一度戦っていると、あの男の戦術や魔法の冴えに底知れぬものを感じます。……まあ最後のアレは無論、問題外ですが」
そう、最後はあんな終わり方だったが、グラツィエラの視点からは、バールダンの性格を看破したうえで術中に嵌めたということは十分に考えられることだった。以前に嵌められていることも相俟って、見てくれだけでは判断できないのである。
「おそれながら皇女殿下。あの男のどこに底知れぬものがあるのでありましょうか? 皆目見当もつきませんぞ?」
「……やれやれまだわからんとは、そなたも耄碌したものだな。あの中であれが一番、たちが悪いのだぞ?」
「あの男が?」
「そうだ。それにあの戦いをおふざけとはそなたは言うが、裏を返せばあの男にとって、あの戦いはふざけたやり様で乗り切れる程度のものだったということだ。もともとバールダンが舐め腐って臨んでいたから、あそこまで遊びが入ったということもあるのだろうがな。……そうだな、そなたバールダンの油断には何か言い返すことはあるのか?」
「…………いえ」
バールダンの落ち度に対しては、庇う気はないか。
レナートが何かを思い出したように、
「ライラ。お前が以前客人殿と戦ったときは、圧倒したと聞いているが?」
「あとで聞いた話ですが、私と戦ったときはどうやら死にかけるほどの深手を負っていたらしいのです。業腹なことですがね」
怪我人に勝っても嬉しくはないか。グラツィエラの声に、不服さとやり場のない思いが入り交じる。
「だが、十二優傑がああも軽々しく倒されてしまうとはな……」
レナートの評価はそれほど高くない。十二優傑と同じかそれ以下と考えている節がある。
そう、レナートは知らないのだ。あのことを。
「兄上、先にあった魔族のアステル進攻、以前にご報告していたと思いますが」
「ああ、一万近くの魔族や魔物が倒されていたというあれだな。それがどうした?」
「……やったのは、あの男だそうです」
グラツィエラの神妙な態度と言葉に、レナートは表情を険しくさせる。
「……馬鹿な。魔族が一万だぞ? いくら強いとはいっても、それを一人でなど」
「まさかティータニア殿下が嘘をつくことはありますまい。それに、リリアナ・ザンダイクがこの短期間であれほどの力を付けたのです。強さの証拠としては十分かと」
「……あの客人殿は勇者ではないと報告を受けたが?」
「ええ。それは間違いないそうです。ですが、向こうの世界には魔族共を圧倒したあの男すら凌駕する使い手がごろごろいるとか」
「それは真か?」
レナートの驚愕混じりの問い掛けに、グラツィエラは神妙な様子で頷く。それを見て絶句するレナートを尻目に、グラツィエラはゴーガンの方を向いて、
「ゴーガン。奴に闇討ちなど考えるなよ? そんな手を使えば、さすがに冗談では済ませてくれないだろうからな」
グラツィエラのそんな言葉に、ゴーガンは頷くことしかできなかった。
……他方、水明がレフィール(小)とティータニアに説教されていたというのは、また締まらない話であったが。