第一回戦、リリアナVSアールス
――帝国十二優傑の一人、アールス・メルフェインはいま、兵士という名の観客に四周を隙間なく囲まれていた。
といってもそれは彼女だけでなく、現在この陣にいる他の十二優傑も同じことであり、勇者の仲間にも言えることだろう。
包囲と聞けば悪いように聞こえるかもしれないが、理由は至極真っ当なものだ。
その答えが目の前にある広い石の土台であり、勇者の仲間。彼らとの試合の舞台である。
これらは全て、十二優傑の筆頭であるゴーガンが用意したものだ。
それは他国で呼ばれた勇者や薄明の斬姫、これら部外者である者たちに、帝国の強さを示し、決して彼らがこの戦場の花形ではないことを見せ付けるためのものであり、ひいてはアールスがこの試合で戦う者として選ばれた一人、ということになる。
……そう、アールスはいまでこそ十二優傑の地位にあるが、もとは帝国南方にある小さな農村の娘に過ぎなかった。
村は常に働き手を要するゆえ、当然ように上には姉と兄が、下には弟や妹がおり、アールスも働き手の一人として生を受けた。そして成人になるまで兄弟姉妹と共に父母を手伝い、ゆくゆくは他の娘たちと同じように村の男衆に嫁いで、この村で一生を終えると思われていた。それが、農民の娘として生まれた者の生涯だからだ。
だがその当たり前の生涯は、村に魔導院の魔法使いたちが現れたことで変わることになる。
ときは現皇帝によって強兵論が推し進められていた時期であり、その一環として魔法の才を持つ者が広く集められていた。
それゆえアールスの住む農村にも、帝都の魔導院から魔法使いが派遣されたのだ。
彼らに選ばれる条件は、至極簡単なものだ。魔法を使える素養があるかどうか。そしてそれが、魔導院の定める基準よりも大きなものか。すぐに村にいる成人前の男女が集められ、魔法使いたちによって計測が始まり、中でもアールスに大きな資質があることが判明した。
あとは言わずもがなわかるだろう。アールスは多額の手当てと引き換えに帝都に招聘され、魔法使いの一人となり、やがて十二優傑の一人に選ばれた。
とんとん拍子の道のりであったが、それは決して緩やかなものだったわけではない。一端の魔法使いになるためまず入れられた魔導院では、田舎者ゆえ、そして生まれ付いて小麦のように浅黒い肌ゆえ、他の院生たちに馬鹿にされる日々。嫌がらせなど、それこそ数えきれないほどあった。
それでもアールスは決してあきらめず魔法を学び、やがて院内でも頭角を現し、実戦に堪え得ると判断された頃からは、多くの戦場にも立った。
その結果が、王族を除き当時最年少での十二優傑選出である。それはアールスにとってこの上なく名誉なことであり、彼女の誇りでもあった。魔導院で自分を馬鹿にしていた者たち――生まれや才を鼻にかけていた者たちを、たゆまぬ努力で上回ったのだ。それが彼女の自信に繋がり、ひいては自己認識へとなったのは、全く当然のことだろう。
持ち前の才覚と努力によって、最年少で十二優傑となった少女。それが、アールスに対する世間での評価だ。
だが、それは数年前、あっさりと砕かれてしまうこととなる。
それが、リリアナ・ザンダイクの存在だった。十二優傑の一人、ローグ・ザンダイクの幼女であり、エレメントの中でも光と対を成して強力で発露も稀有な、闇属性の使い手として、アールスの記録を五年も待たず塗り替えたのだ。
アールスの十二優傑入りをとんとん拍子と評すならば、リリアナは瞬く間にといったところだろう。リリアナはローグ・ザンダイクの肝入りでいくつかの試験を受けたあと、魔導院への入学はおろか、さほど戦場にも立たず、十二優傑に選ばれたのだ。
これで不平が出ないはずがない。同じ僻地の村に生まれた者であるにもかかわらず、見出された者が十二優傑というだけで、苦労したアールスと同じ地位に至り、最年少の称号を奪ったのだ。おくびには出さなかったものの、内心は憤懣やるかたなしである。
リリアナへの敵愾心は、彼女が任務をこなし上の評価を高めるごとに、募っていった。
時折任務で顔を合わせるだけでも、苛立ちが溜まっていった。
それゆえ今回、出奔したはずの彼女の参陣に強い不満を表したのも、アールスなのである。
アールスは湧き上がった怒りを胸に溜め、舞台へと歩いて行く。その歩く先はリリアナ・ザンダイクを負かす花道でもあった。
――この胸に溜まった蟠りに決着を。そして真に優れている者はどちらなのかを、ここで示す。
改めて内意を熱く燃やしていると、舞台の手前で二人の人物が振り向いた。
どちらも、アールスと同じくこの戦いに選ばれた人間である。
「――おいおい、そんなに力んでちゃあ戦いに障るんじゃねぇのか先輩? あんたほんとに大丈夫なのかよ?」
ささやかな決意に水を差すように、声をかけて来たのは十二優傑の一人である、スレイン・ゾヌーフだった。少し前に十二優傑に選ばれた青年で、年上だがアールスの後輩でもある。高い才覚を持つが、この男はそれを鼻にかけ、常に他者を侮り小馬鹿にした振る舞いを取る。そのため、アールスはスレインを認めていなかった。十二優傑とは、誇り高いだけでなく、高潔な存在であるべきなのだから。
「――アールスよ。貴様も十二優傑の名に恥じぬよう、せいぜい力を見せつけるがいい。まあ平民出の貴様ではそれに相応しい勝利しか得られんだろうがな」
スレインに次いで、壮年の男が声をかけてくる。気障ったらしいような、口にする言葉がいちいち鼻につく典型的な伝統貴族の男、バールダン・ドストフ・ゼゲント。当時たまたま空位となった十二優傑の座に実家の権力を使って滑り込んだ、十二優傑にそぐわない者である。魔法使いとして強い力を持っているのは確かだが、技術が甘く実力が伴わない。そのくせ権謀術数には無類の才を発揮するため、優傑落ちをせずこれまで居座り続けているという、スレインとは違う意味でたちの悪い男だ。
古今東西、強力な魔法使いが変わり者であるのは常であるが、いまの十二優傑はそれより酷い連中ばかりだ。現在まともなのは、グラツィエラとゴーガンくらいのものである。
だがスレインやバールダン以上に、リリアナ・ザンダイクは十二優傑の座にそぐわない者だろう。
ローグ・ザンダイクという親の七光りで十二優傑の座に就き、ちょろちょろと動いているだけの存在だ。
(十二優傑はそこまで甘くはないぞ)
これ以上親の威光を笠に着た者や、実力を伴わない者に大きな顔をさせるわけには行かなかった。並々ならぬ努力を必要とした自分自身の誇りにかけて。
舞台に上がる直前、現十二優傑の中ではグラツィエラを除き最も尊敬に値する人物がアールスの前に立った。
十二優傑筆頭、ゴーガン・バートウッド・ゴルトである。
「……アールス、わかっておるな? もと同僚、年下だからといって手は抜いてはならぬぞ? この戦いには我ら十二優傑の誇りがかかっておるのだ」
「は。心得ております。自ら捨て去った十二優傑という名がどれほど重いのか、あの愚かな娘に私の水の魔法を以て示して参ります」
頭を下げたあと視線を合わせると、ゴーガンは満足そうに頷いた。
再び彼に一礼して初戦へと踏み出すと、舞台の上ではすでにリリアナが待っていた。
「まさか出奔した者が、おめおめと姿を見せるとはな。いまさら十二優傑に戻りたくなったとでも言うのか?」
「別に私は、十二優傑になりたくて、ここに来たわけではないですし、それに、私が十二優傑になったのは、大佐の支援をするためです。大佐のいない十二優傑になど、未練はありません」
「よく言う。この戦で評判を上げ、レナート様やグラツィエラ様から声をかけられるのを待っているのだろう。子供のくせにこざかしいことだ」
「…………」
罵りの言葉を吐き捨てるが、しかしリリアナは澄ました表情のまま。そう、この娘はいつもこうだ。子供のくせに、まるで子供っぽさがない。悪意をぶつけられたならば怒るなり、悲しむなりすればいいものを、お前の挑発などなんの痛痒にもならないのだというように、いつも澄ました顔をしている。だから癇に障るのだ。この娘の何から何までも。
「十二優傑に相応しい者の力を見せてやる」
「どうぞ、ご随意に」
それぞれ言葉を口にして、構えを取る。「始め」と声をかける審判役など、この戦いにはいない。これは十二優傑の権威を示すだけの戦いであり、ただの試合ではないからだ。十二優傑が部外者に、誰にでもわかる敗北を与えなければならない。
ゆえに、アールスは一瞬で決めるつもりだった。初手で決着をつけられれば、それは圧倒的で完全な勝利となる。それこそ十二優傑に相応しい戦い振りだろう。
「――水よ。汝、荒ぶる水塊と集いて撃て。疾風を越えて、敵を貫け」
口にするのは、水属性の魔法の呪文である。アールスが持つ魔法の才――すなわち村で魔法使いたちに見出された大きな資質というのが、水の属性なのだ。
……アールスには、水以外の属性は扱えない。同じ十二優傑の魔法使いたちが複数の属性の魔法を操る中、彼女にはたった一つだけである。だがそのたった一つの能が、誰よりも強大であり、誰より精密に操れるため、十二優傑となれたのだ。
「――行け、アクアビュレット・ラピットスタータ!」
手のひらをかざすようにしてリリアナに向け、鍵言を口にする。それと同時に、手指の先にこぶし大ほどの水の弾が渦を巻きながら発生、すぐさま射出された。
撃ち出された瞬水弾の速度は、目に映ることはない。しかもリリアナは片目が見えないゆえ、死角も生ずる。彼女相手にはうってつけの魔法だった。
だが、撃ち出された瞬息を一撃は、まるで弾道を予期していたかのようにかわされた。
「な――?」
リリアナはさながら野ウサギのように一跳ねしただけ。ただそれだけのささやかな動作で、瞬水弾は舞台の外側に張られた防御障壁に衝突して散ってしまった。
かわせないはずだった。それが、何のことはないというような表情で凌がれた。この魔法の存在を知っているならまだしも、リリアナには一度として見せたことはない。にもかかわらず、この結果である。
驚いたが、すぐに気持ちを切り替える。かわしたということは、彼女にも多少なり実力はあったということだろう。予想とは違ったが、推測と現実に多少誤差があっただけだ。その誤差を埋めてしまえば、リリアナに勝機など一切ない。
「――水よ! 汝、荒ぶる水塊と集いて撃て! 疾風を越えて、敵を貫け! アクアビュレット・ラピットスタータ!」
繰り出したのは、先ほどと同じ瞬水弾の魔法だ。しかし、今度は一発だけではない。手指の先に生まれた瞬水弾の数は計五つ。離れた位置に立っているリリアナに狙いを付け、順繰りに撃ち出していく。リリアナがかわしていくうちに、体勢が崩れ、最後には撃ち抜かれるという推測を胸に抱いて。
だが――
「もう、終わり、ですか?」
瞬水弾は、生み出した五つその全てがかわされた。軌道など見えていないはずなのに、ひょい、ひょいと、子供の投げた石ころをかわすかのように、どうしてこうも軽々しくかわされてしまうのか。
「ッツ――、舐めるな!」
リリアナの訊ねを挑発と捉え、声を張り上げる。そして、次の魔法の準備をしようとしたとき、リリアナが魔力を高ぶらせた。
周囲の空気に少女の魔力が浸透し、まるで揮発した酸が混じったかのようにピリピリと肌を刺激し始める。これこそリリアナ特有の魔力の発露。
「では、私もそろそろ、動きましょう。――隠者よ。幽界の狭間に隠れし、影の僕よ。いまその深淵から、万物を震わせし戦慄の産声を上げよ」
リリアナが不可思議な呪文を諳んじ始める。エレメントに対する呼び掛けのないそれが紡がれると、突如としてリリアナの足もとに闇色の魔法陣が現れ、次いで周囲の空間に虫食いのような黒い闇がいくつも現れ始める。これも、お得意の闇属性の魔法なのか。周囲に闇泡沫が浮かび、消え、そしてまた浮かび、繰り返す都度、現れる闇泡沫の数が増えてゆく。
闇属性の魔法は、相手に直接打撃を与えるものではなく、基本的には相手の精神に作用するものがほとんどだ。昏睡状態に陥れたり、苦しめたりと、中には防御できなかったりするものなど、おどろおどろしい術がいくつもある。
周囲の闇泡沫は増え続ける一方だが、闇魔法の危険性とそれに警鐘を鳴らす危機感に後ろ髪を引かれ、攻撃の手を出しにくい。攻撃、防御、そのどちらかを見極めるまではと手をこまねいていると、やがて彼女の目の前の空間が、宙に浮いた闇に焼かれているかのように爛れ始める。ぐずぐずと溶けるように捻じれた空はゆっくりと渦を巻き始め、まるで歪んだガラスを透して見ているかのように、透明な非対称の模様を見せ始める。
やがて、中心に灯る青白い光。渦を巻いた透明な空間が次第に青白い光を滲ませ始める。
果たしてこれは何なのか。一体何が起こっているのか。こんな魔法、記憶にない。魔導院でも戦場でも、こんな魔法は見たことがなかった。
防御の魔法に踏み切り呪文を口にし始めると、やがて青白い光と闇泡沫、そして爛れて渦を巻いた空間が収斂したその先に、一匹の獣が現れた。
獣――おそらくは姿形からして犬だろう。周囲に常にしみ出しているかのような青白い光を湛えた身体に、吸い込まれそうなどに真っ黒な眼窩の空いた、リリアナの背丈ほども体高がある大きな犬だ。
魔法らしきそれの顕現が終わると、リリアナは犬のもとまで歩み寄り、その頭を慈しむように撫でる。
「――いまからあなたの名前は、吠える者、です」
闇と鬼火から生み出された犬にリリアナが名を与えた瞬間、黒だけだった眼窩に真っ赤な魔力の光が宿る。そして次の瞬間、ハウラーと名付けられた犬は天地をどよもす咆哮を上げた。
ビリビリと痺れるような音の波が、舞台を、いや、陣地全てに広がって行く。
大音声とも思える代物だが、何故か不思議と脅威には感じなかった。
「……何の魔法かは知らないが、たかが獣如き作るだけの魔法など」
言葉のあとに素早く呪文を唱え、犬に向かって瞬水弾を撃ち出す。だが犬はまるで指示を待っているかのように微動だにせずにいる。これではていのいい的だった。撃ち込んだ瞬水弾は目にも映らぬ速度で駆け抜け、後塵に従えた水飛沫をほとばしらせて、ハウラーを撃ち抜いた。
「見たか! …………え?」
――撃ち抜いた、はずだった。早すぎた勝ち誇りの声は瞬時に困惑へと移ろい、大きな疑問を残して消えてしまう。ハウラーは一切の音を立てずその場にいるばかり。瞬水弾は思い描いていた未来を裏切って、ハウラーに当たる直前、消失してしまったのだ。
まるで見えない何かに、打ち消されたかのように。
目の前で起きたことに驚き、瞠目する。
魔法が魔法に当たって消えることはない。相反する属性の魔法同士を作用させるなどのことであればその限りではないが、これが特にそう言った条件に当てはまらない魔法同士の衝突である以上、瞬水弾はあの犬に対し何かの影響を与えるはずなのだ。
なのに、消えた。消えてしまった。
それにはリリアナにも何かしらの驚きを与えたのか、金色の片目を細めてハウラーを見詰めている。
「これが、威格差消滅、ですか……」
どういった現象なのかはよくはわからないが、それに悩まされている暇はなかった。
「瞬水弾が効かないなら……」
「いえ、あなたの番ではありません。行きなさいハウラー!」
リリアナが指示を出すと、犬が動き出し、舞台を飛び跳ね、駆け、こちらに近づいてくる。その速度や動きはさながら獣よう。いや、そのまま獣なのか。
だが、たとえ人とは違う動きをしようとも、そう簡単にはやられはしない。こちらは十二優傑であり、これまでいくつも戦場に立ってきたのだ。その程度の動きにやられるようなら、ここに立っていること自体あり得ない。
青白い犬――ハウラーは周囲に青白い光を滲ませながら、左右への移動を交えつつ駆けて来る。
「――水よ。汝は我が意と同じくあるがゆえに、柔軟にて強靭。我が指先から延び、あらゆるものを断ち切る刃とならん。ブレードアクトリキッド!」
こちらは魔法で迎え撃つ。無論、水の属性。指先に魔法で絶えず流動する水の刃を発生させ、鞭のようにしならせてハウラーを斬りつける。
水の刃は水飛沫の音を常に響かせながら、蛇さながらにうねってハウラーのもとへ。先ほどの瞬水弾とは違い、ハウラーは水の刃に対し積極的に回避を行った。
水の刃しならせ、周囲を薙ぎ払うも当たらない。大きく距離を取る。リリアナとは対極の場所。自身を挟み込むような位置取りだ。
「く――ちょこまかと……ならばこれならどうだ!」
そう言い放って、渾身の呪文詠唱。
「――水よ。汝、我が前にて渦を巻き、全てを飲み込む災禍とならん。その身にあらゆる痛みを内包し、我が敵をその抱擁にて鏖殺せよ! ハイドロントオブセスフィアー!」
鍵言を口にした瞬間、舞台全てを包むように水が生じ、一方向に流動を開始する。
兵士たちの驚きの声が聞こえ、防御障壁を作る魔法使いたちが焦りの声を上げ始めたのも束の間、水の流動は次第に加速。水の竜巻を作り出す。
自分もその中心に取り込まれているが、この魔法は術者には影響しない。巨大な渦は徐々に狭まり、敵を渦の中に沈めるのだ。
容赦のない規模だろう。だが、容赦するなと言われた以上、死のうがどうなろうが構うまい。いや、むしろ死んでくれた方がこちらとしては御の字である。そんな陰鬱な笑みを心の中に作りながら魔法行使を続けて行く、そんな最中。
――犬が吠え声をあげた。
天へと向かって迸ったのは、唸り声のような音だ。それがどんな音なのか、文字をあてがえない。犬や狼ならば、誰でも聞いたことがあるあのありふれた吠え声を出すが、いま目の前にいるこの獣はまるで雷が地のずっと底から響いてくるような、そんな震動を口から吐き出している。もしあれを子供の頃に『世界にあまねく地揺れを起こしている魔物』だと言われれば、何の疑いもなく信じてしまうだろう。
しかしてその吠え声の威力は絶大だった。空気が震撼し、いま舞台外から狭まっていた渦を、そして周囲に張られた防御障壁までもを一瞬にして消し飛とばしたのだ。
「そんなバカな!?」
そのあり得ない現象に、吃驚せざるを得なかった。周囲の観客たる兵士も、魔法使いたちも、そして自分と同じ他の十二優傑たちも、一様に驚きの声を上げている。
闇属性で作り出した獣型は、犬のような攻撃を繰り出すだけ魔法のはずだ。にもかかわらず、それ以外の力を以てこちらの魔法を消し飛ばした。
魔法とは、ただ一つ決められた動きをするものだ。定められた規則と違うことができるはずがない。
だが、どうしてそれが可能な存在がここにいる。低く唸り、こちらを窺うようにしてたたずんでいる。まるで、闇の力を持った「本当の獣」が、そこにいるかのよう。
ハウラーに気を取られていると、ふいに背後から薄い足音が聞こえてくる。気付けば、リリアナ・ザンダイクが迫っていた。
――しまった。そんな言葉が喉もとにせり上がって来る。リリアナは帝国一と謳われる剣士、孤影の剣将ローグ・ザンダイクの娘。魔法だけでなく、剣の心得も持ち合わせていると耳にしたことがある。ならば無手であるにしろ、接近されてはマズい。その思いが舌打ちとなって表れる。だが、間合いに迫るリリアナは、思いの外速い。
しかしてリリアナは近付きながらに、呟き始める。
「――我が手は昏き願いを委ねししがらみ。此方を彷徨いゆく者よ、この倦み病める接触をはなむけと心得、失意に凍えよ」
――倦み病める接触。リリアナ・ザンダイクがそう呪文を口にした瞬間、彼女のギャザーグローブが付けられた右手から、ハウラーのものと同じ青白い光が溢れてくる。それはさながら墓場に時折現れ夜光すると言われる『彷徨える魂』のよう。
払いに出されたリリアナの手が、回避の遅れた自身の腕を掠める。そして気付けば、背後から犬の唸り声。
それを聞いて咄嗟に、なりふり構わず回避を取る。体勢はおざなりに、ただかわすことのみに集中して。舞台の上を転がると、先ほどまでいた場所でハウラーの顎が噛み合わさった。
反射的に動かなければ噛みつかれていただろう。
冷や汗が背筋をじっとりと濡らすのを感じつつ立ち上がろうとする――そのときだった。
「う、ぐ――? な、なんだ?」
突然、片方の腕が上がらなくなった。
異変に気付いて腕を見遣るが、特に怪我などしていない。だが、何故か腕を思うように動かせなくなったのだ。
まるで、寝起きに身体を襲う怠さや懶さが、全て腕のみに集まったかのような錯覚にとらわれている。
そう、その腕は先ほど、リリアナの青白い光の接触を受けた右腕に他ならない。
さっきの魔法の影響か。それを悟って歯噛みしていると、ふいにリリアナが口を開いた。
「どうし、ました? 手を抜いているにしては、あまりにお粗末でしょう? 栄えある十二優傑の実力を、私に見せていただけるのでは、なかったのですか?」
「っ――お前!」
時機を計ったような絶妙な間での挑発に、堪らず激昂してしまう。それが最初に告げた言葉を逆手に取ってのものゆえ、効果のほどは絶大だった。
あからさまな怒気をぶつけるが、しかしリリアナは心得顔で、
「この程度の挑発に乗ってしまうなんて、それこそ十二優傑として、どうなのですか? 子供の言葉くらい、右から左に、聞き流してしまえばいいことでしょう? それとも、それができないほど、私に言われるのが嫌だったのですか? いえ、そうですよね? あなたは、そういう人ですから」
「黙れ! いますぐその口を閉じろ!」
「あなたは、自分が好きすぎるのです。だから、自分に迫る相手が特に気に入らない。大好きな自分が脅かされてしまうから。違いますか?」
「なんでもかんでも知った風な口をっ……私は、私はお前のそういうところが気に入らないんだよっ!!」
「それも、知っています。いまさら叫んでまで言うことでもないでしょう?」
「黙れぇえええええええええ!!」
リリアナに向かって、湧き上がった激情を叩きつける。
魔法使いが冷静さを欠いてはいけない。冷静さを保てなくなればそれは必ず魔法に影響が出るゆえ、それは厳として言い渡されていたことだ。だが、怒りは抑えられなかった。自分を罵ることはおろか、あまつさえ十二優傑を軽んじたのだ。それは許容の目方を大幅に超える行為だった。
だが、怒りに任せ吼えたことで、現状が変わるわけでもなかった。勢いに任せ魔法を紡ぐが、中途半端な魔法ではハウラーはおろかリリアナにまで効果を成さず、かといって詠唱の長い上位の魔法を放とうとすると必ずハウラーが割り込んでくる。
そして前にはリリアナ・ザンダイクが。後ろには、青白い獣ハウラーがいる。
不公平だ。不公平だった。そんな言葉が、意図せずのど元をせり上がってくる。一対一の決闘にもかかわらず、こちらは一人と一匹を相手にしなればならないのだ。卑怯だ。卑怯以外の何物でもない。そう言いたくあるも、十二優傑の矜持がそれを許さない。
しかも、リリアナ・ザンダイクはそれすら見越しているかのように。
「別に、ハウラーを下げても構いませんよ? あなたがその場でこれを卑怯だと高らかに訴えるのであれば、ですが」
こちらの気持ちを斟酌しない言葉をぶつけてくる。訴えればいいと言うが、そんなことできるわけがなかった。そうしてしまったが最後、十二優傑の矜持は地に落ちることになる。
これがただの二体一ならば、苛立ちにすらならないだろう。自身の感覚は鋭く、周囲にいる観客が驚きで持っていた果物を落としたことでさえ、如実に判るのだ。ならば直近で怒る事象など、いわずもがなだ。たとえ十人の刺客に囲まれたとしても何の脅威にも感じないだろう。だが、目の前の少女と青白い犬には、それが能わない。囲まれた際の防御策が、どれもこれも通じないのだ。
リリアナが、またぼそぼそと呪文を口にし始める。とめどなく並びたてるそれは、まるで自分を貶める罵倒のよう。そしてそれに合わせ、周囲の様相も変調していくのだから忌々しいことこの上ない。だからいますぐにでも、あの口を塞ぎたかった。
そう、絶え間なく移ろいゆく現象、こちらの失言をあげつらうかのような挑発的な言葉、いま自身を脅かす全ての根源たるあの舌禍を封じてしまわんがために。
ゆえに、全力を、名誉も誇りも、全てを懸ける。憎悪の怒りを胸に燃やして、魔力を渾身まで高め上げる。
――だが、しかして自身の魔力の高まりは、それを上回る魔力の高まりによって打ち消されることになる。
「我らの周りにあって、我らに目には見えぬものよ――」