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売られたケンカを買いました



 黎二とティータニアが帝国と魔族の戦いに参戦を表明してから、アステル王国の対応は早かった。

 勇者が先んじて魔族との戦いに対し意欲を見せたことと、自国の姫がそれに追随したことで、座視することができなくなったらしく、すぐさま帝国に対する支援をすると発表した。



 ティータニアが表立ったことで、動かざるを得なくなったのだろう。のちの連絡で、情報が王都に伝わっていなかっただけだということが判明し、ティータニアがほっと安堵していたのが印象的だった。



「よかったですね」


「まだ安心はできんさ。ああは言いつつも、準備に時間がかかると言ってすぐに出てこないというのもない話ではないからな」



 とは、黎二とグラツィエラとのやり取り。上手くはいったが、思い通りにことが運ぶかは、彼女の言う通りこれからの戦い次第である。何故情報が止まっていたのかその原因もいまだ判明していないため、王都の意思に反して軍が動かないということもあり得るし、もしこの戦で帝国が劣勢に追い込まれれば、二次被害を防ぐため意に反して手を引かざるを得なくなるということも、ない話ではないのだ。



 帝国は終始優勢を保たなければならないという条件は念頭に置いておかなければならない。

 ともあれ現在、水明たちは魔族が軍を進めている場所から概ね手前の地域にいた。

 帝国北部は山岳地帯で、標高の高い山がいくつも連なっており、いま水明たちがいるところはまだ低山地域でなだらかだが、これ以上先に進むと起伏が激しくなってくる。



 そうなれば数を全面に出した用兵はおろか、陣地の作製もままならない。そのため、本陣を手前の丘陵地域に築きつつ、魔族を迎え撃とうというわけだ。

 崖を背にした本陣は広く取られ、数多くの天幕が並んでいる。それ以外にも即席の防壁や、馬防柵のような丸太を削り出して作ったバリケード、魔法使いや弓使いが籠る塹壕や掩体などが幾重にも渡って築かれていた。



 軍が動き出してからまださほど日数は経っていない。それにこの土地は風も強く風害に晒されやすい荒れ地でもある。そんな状況でも現代の建築能力にも勝るとも劣らない速度で陣地が築けているのには、魔法の力に依るところが大きいだろう。

 帝国では陣地作成の際、土や岩を、地形の変動を必要とする作業には土属性の使い手が、木材などを必要とする作業には木の属性の使い手がといった具合に専門の魔法使いが多数集まり、要害に巨大な陣を築くらしい。



 その辺りのことは魔法使いの豊富な帝国の強みだろう。

 安普請とはまるで無縁な陣の一画で、水明は澄みきった空を見上げて口を開く。



「さすがにこう高い場所だと冷えるな……」



 それは吹く風の涼しさゆえの、誰に言うわけでもない独り言。息が白くなるほどではないが、帝都フィリア・フィラス周辺との気温差で、いまはかなり肌寒く感じていた。



 現在の季節は初夏。暑くなり始めても帝都にいるときは北部ゆえ過ごしやすい環境だったが、山脈の上空を流れる風の関係上、少し北に行くだけでもこの辺りはどっと寒さが増すらしい。吸い込む息は常に爽やかで、メントール系のお菓子を食べたあとのような気分にさせられる。喉すっきり、息爽快もむべなるかなであった。



 山地特有の濃い青空をひとしきり眺めたあと、水明は砂利道に視線を落とす。そこにはまだ小さいままのレフィールが、赤いポニーテールを揺らしていた。



「レフィ、身体の方はどうだ? 間に合いそうか?」



 水明の元に戻るかどうかの問いに、レフィールは静かに答える。



「手ごたえはある。もう少し……あと数日中にはもとの姿に戻るだろう」


「なら、大丈夫そうだな」



 レフィール自身手ごたえを感じているならば、特に問題はないだろう。小さくなってからはこまめに魔法陣を作って、力を戻すための儀式を行っているため、期間を考慮してもそろそろといった具合である。



 小さくなっている間のブランクについては、彼女にとってさして問題のないことらしい。精霊の力を持つ身ゆえなのかどうかは不明だが、そう言った面は羨ましい限りである。

 着ているふりふりの服はこの戦場において違和感甚だしい。だが、遠くの空を見る姿はどこかしら郷愁を醸しており、さまになっている。この肌寒い環境下にあってもへいっちゃらなのは、生まれがここよりさらに北にあるためか。



 まだ兵士が忙しなく動く陣地の隅で、二人青空を眺めていると、ふいに背後から声がかかる。



「スイメイ殿、レフィール」



 呼び声に振り向けば、兵士たちをかわして歩いてくるフェルメニアの姿があった。



「どうしたんだ? フェルメニア」


「奥の大天幕で今後の方針を示していただけるそうです。レイジ殿や姫殿下もいま向かっていますし、特に何かなければ来てほしいとのことです」


「わかった」



 水明は頷いて、フェルメニアとレフィールを伴い奥の天幕に向かう。

 物資が雑然と積まれた一画や物見やぐら、近侍する武官たちが詰める天幕を通り過ぎ、二度の照合を終えてやっと大天幕の前までたどり着く。



 中に入ると、進発前の将軍や参謀などが粛然とした様子で掛けていた。フェルメニアの案内に従い、すでに到着していた黎二たちの近くに腰を下ろす。



 しかして本陣を与る大将は、グラツィエラの兄であり、帝国の第一皇子でもあるレナート・フィラス・ライゼルドだった。

 ブロンドの長髪に玉の髪飾りをいくつもつけた、豪奢な装束にその細身を包んだ美丈夫。隣にはグラツィエラを従え、上座に堂々と鎮座している。



 帝国での事件のときもそうだったが、かなり現場に出てくるタイプ人物らしい。この場合は時期帝位継承に向けての実績づくりでもあるのだろうが、それはともあれ。



 レナートは一人静かに「揃ったか……」と呟くと、立ち上がって水明や黎二たちの方を向いた。



「まず客将たちに挨拶しよう。ティータニア王女殿下、よく来てくれた。あなたの参陣がなければアステルは動かなかっただろう。礼を言う」


「私も本国の出方には疑問を抱いておりましたので。お役に立てて光栄ですわ」



 レナートの謝意にティータニアが優雅な所作で会釈する。

 ただの挨拶にしてはいささか大仰なきらいもあったが、その後も建前や世辞の言い合いのような、端々に胡散臭さが匂うやり取りを終えたあと、レナートは黎二やフェルメニアにも礼の言葉を贈る。



 やがて、その眼差しは末席に座るリリアナの方にも及び、



「この場で部下ではなくなった者に声をかけるというのは不思議なものだな。リリアナ・ザンダイクよ」



 レナートはさながら皮肉でも見せ付けられたときのような、わずかな笑みを顔に作る。声に咎めるような音が混ざっていないのは、十二優傑から離れたのが曲がりなりにも交渉の結果だからなのだろう。



「私は、すいめーが参陣するので、付いてきました」


「異世界の客人殿か」


「ええ。ご無沙汰しております」



 水明はレナートに向かって軽く会釈をする。らしい態度を取ったつもりだったが、その様子にグラツィエラはもとより、レナートも少し面食らったような表情を浮かべた。



「ふむ? 今日は以前のときとは喋り方が違うのだな」


「今回はあのときとは立場が違いますので」


「そうか。気を遣っていただき痛み入る」



 前回は事件の交渉――リリアナとローミオンの交換などもあり、微妙な立場だったが、今回は協力しに来たのだ。敵ではない、扱いも丁寧、年上、ならば水明も配慮しなければならない。一方レナートも対する者が異世界の客人という微妙な立場であるゆえ、扱いは相応だ。



「まずは貴殿にも礼を。連合と自治州を動かす策を教示していただいたこと、感謝する」



 レナートの謝意のあと、グラツィエラが愉快そうな笑みを向けてくる。



「まさかレイジにあんな声明を出させるとはな」


「ああ……」



 その件でまさか改まって礼を言われるとは思っていなかった水明は、その策を持ちかけたときのことを思い出す。

 それは八鍵邸での会議の終盤のこと。連合と自治州が動かないという話が解決しなかったおり、



 ――援兵や支援をしないんなら、助けに行かないって言ったことにしてみろよ。



 リビングのイスに座りながら黎二に向かって、半笑いを浮かべながらそう提案したのだ。

 悪戯心満載で、悪魔の囁きじみていたと言われたのも記憶に新しい。



 ともあれそれには黎二も頷き、連合や自治州を動かす一手と相成ったわけだ。

 救世教会名義でそんな通達が出されると、さすがに静観を決め込んでいた自治州も連合も泡を喰ったらしく、援兵や物資等の支援を即決した。魔族に襲われて危機に陥っても、勇者が救援に来ないというのがよほど効いたのか、女神から見放されるかと思ったのかは定かではないが、勇者の権能はかくも強烈だというのが再度確認された一件であった。



「まったくの奇策だったな。あれは我らでは到底及び付かんものだ。最初は北方から来る難民さえ受け入れてくれれば御の字だったのだが、予定外に余裕が出たしな。会心の一手だったぞ」


「いえ、さほどのことではないと思うのですが……他に誰も思いつかなかったのはいささか疑問が残りますね」


「それは、この世界の人間にとって勇者に強制することが忌避されているからだろう。勇者に仇を成せば、そのツケが必ず返って来るという過去の事例もあるからな。他の国を救わないと言わせるなど、行動を制限する最たるものだ。それは女神の意思に反している。たとえ思い付いたとしても恐れ多くて言い出せん」


「なるほど、土台からして無理だったということですか」



 話を聞いて、水明も納得する。レナートの言う通り、他の国も勇者を女神の使い――つまり絶対的なものと位置付けており、アステルもサーディアス連合も強硬に黎二や初美を操ろうと考えることはなかった。ハドリアスの強迫じみた行為は例外だろうが、勇者に強制させるのは、たとえ悪意がなくとも気が引けるのだろう。もしそれで勇者の不興を買えばどんな厄災が降りかかってくるかわからないしなにより、女神に対する反逆ともなり得るため、下手に謀略を巡らせることができないのだ。



 ふと気付けば、周囲から向けられている視線の厳しさが、大きく緩和しているのに気が付いた。大天幕の中に入ったときはどこの馬の骨を見ているような視線ばかりだったが、勇者と一緒に召喚された友人だと知ったおかげで、視線が含む剣呑さが失われたばかりか、感心、感嘆とした、好意的なものへと変わっている。



 貴族や軍人であっても、勇者関連の物事に関してはかなり神聖な扱いをしているようだ。



「――では早速だが今後の動きについて確認したいと思う。この中には知っている者もいるだろうが、先鋒はすでに動かしており、魔族の足止めをさせている。気君らにも各領地からの援軍や支援等が届くまで、魔族の足を止めるために各方面に動いてもらいたい」



 机に手を突いておおまかな指針を飛ばすレナート。要は準備が整うまで時間稼ぎをしろということだが、それに対しレフィールが疑問有りげに手を挙げる。



「レナート皇子殿下。この規模で兵を分け、足止めをするには散発的過ぎるきらいがあります。愚考ながら、足並みを揃えて迎え撃った方がよろしいのでは?」



 彼女はレナートの指示を聞いて、戦力の逐次投入といった悪手を連想したのだろう。確かに任務は足止めではあるが、戦闘での消耗等を考えれば、足止めのみに多数の兵を送ることは、戦力を無駄に浪費していると考えても別段おかしなことではない。それなら、この陣地や地の利を十全に活かして迎え撃った方が戦術的に妥当ではないかということだ。



「……?」



 しかしレフィールの忌憚ない意見に、返答はなかった。代わりに、目を皿のように丸くしているレナートが印象的で、レフィールの方は怪訝そうに首を傾げる。



「レナート皇子殿下、いかがしたのです?」


「ああ、いや。いま気付いたのだが、貴方はノーシアスの神子殿で間違いないのだろうか?」


「え、ええ、そうですが」


「そうなのか……ううむ」



 レフィールだと確認したレナートは唸り声をあげる。その懊悩混じりの渋面は、さながら自分の目や記憶がおかしくなってしまったかのような、自己に対する困惑を表しているかのよう。



 そんな彼の疑念を氷解させんと、グラツィエラが聞こえよがしに言い放つ。



「兄上。神子殿はどうも精霊の力のせいであんな風にちんちくりんになってしまうことがあるようなのですよ」


「ちんちくりんとはなんだ!! ちんちくりんとは!!」



 抗議の声をあげるレフィールに対して、嗜虐的な笑みを差し向けるグラツィエラ。確信犯だ。彼女をからかうために、わざと言ったのだろう。



 レフィールはひとしきりグラツィエラを睨んだあと、小さな身体にはまるで似合わない咳払いを挟んで、まだ唖然としているレナートに言う。



「少々事情があっていまはこんな姿をしていますが、数日中にもとの姿に戻るでしょう。ご心配なく」


「そ、そうか。精霊の力を与る身というのも大変なのだな……」



 これでレフィールの身体に対する話は終わりか、レナートはそれ以上何も訊ねることはなかった。

 ……曰く人は人知の及ばない現象を目の当たりにしたとき、それに対する思考を放棄することがあるというが、これもそれと同じなのだろう。



 一方で周囲の反応だが、この件に対して疑いや文句は一つも出なかった。これも、先ほど勇者の権能の話と同じ理由だからだと思われる。



 とまれ、話が終わったあとの切り替えは早いようで、レナートはすぐに唖然とした顔をもとに戻す。



「さて、それで先ほどの質問への答えだが、足止めに尽力するのは、おそらくだが援軍が予定されているよりも到着が遅れると見越したゆえでのものだ」


「と、言いますと?」


「神子殿の言う通り、部隊をいくつも分けるより、一つにまとめて一気にぶつかるのが戦において肝要だ。現兵力を残らず使って足止めをしたあと、合流した援軍と共に魔族を押し返す。手堅い戦だ。当初は私もそう考えていたが、状況の推移からこの陣で足並みを揃えることはできないこともあり得ると判断した。それゆえ、現兵力で各方面から進軍する魔族を足止めしつつ、ここよりも後方で決戦をする――確実を取ったというわけだ」



 どこか自嘲気味に説明をしたレナートに、今度はティータニアが手を挙げる。



「レナート皇子殿下。それでは、この陣を放棄するというように聞こえますが?」


「その通りだ。ティータニア王女殿下はもったいないという風に思われるかな?」


「浅慮ながら」


「いや、愚妹のように意地の悪いことを言ったな。我が軍は魔法使いが豊富ゆえ、この陣程度を捨ててもあまり痛手ではないのだ。つまり、魔族を釣るのだよ。準備が整うまで足止め程度にとどめ、陣を放棄し速やかに退き下がる。その後、後方に用意させてあるここより大規模な陣で決戦に臨む、というわけだ」



 なるほど現状において妥当な策だろう。無理に手柄に急がず、多くの兵で相手をすることに意識を置いている。

 レナートの言った通り陣をそのままにして撤退すれば、泡を喰って逃げ帰ったと思わせられるし、それを見た魔族の部隊が調子に乗って単独で追撃に出てくれれば儲けものだ。後方の陣で待ち構え、各個撃破することも不可能ではない。地面を移動する魔族と空を移動する魔族、足の速し遅しによっても行軍に差がつき、なおかつこの険しい山岳地帯である。向こうも足並みを揃えるには困難であるため、策に嵌まる公算が大きい。



 ただ、前回初美が罠にかけられたときのように、人の考える戦術の常識を超えた動きをされれば、一転して危なくなるというのも念頭に置かなければならないだろうが。



 ともあれ、いまさらそれを発言してもどうにもなるまい。水明が心の隅に留めおこうと顎をさすっていると、レナートは水明たちの動きについて言及する。



「ついては客将である勇者殿たちは本陣預かりとし、柔軟に動けるようにしていただきたい」


「はい。承知しました」



 黎二はレナートの指示に何の疑問もなく頷く。

 その一方でティータニアやレフィールは「でしょうね」「だろうな」と半分諦観気味な様子でそれぞれ言葉を呟いていた。



 黎二が椅子にもたれていた水明に肩を寄せる。



(……ねぇ水明。二人共レナート殿下の言うことわかってた風だけど、どうしてだろ?)


(始めの内に他国の人間に手柄を取らせるのがマズいことだからだろ。まずは帝国の将に手柄を取らせないと、士気に響く可能性があるからな。戦慣れしてそうなティアとレフィは、俺たちが扱いにくい戦力だってことを重々承知してるんだろ)


(ああ……)


(帝国の将兵が初戦で勝ち星を挙げることができたら、状況によって投入、もしくは後方での決戦まで待ってもらうってところかね)



 初戦での勝利や一番槍は、昔の戦場において最も重要なものだ。もしそれを得たのが客将であるティータニアだった場合、勲一等は彼女のものになる。そうなれば帝国の人間には面白くない話だろう。同じ理由で、アステルで呼ばれた黎二も避けられたというわけだ。柔軟に動けるよう陣に留めるとはよく言ったものである。



(そんなことも考えなきゃならないなんて大変だね……)


(まったくだ)


(じゃあぼくたちは、他の国を動かしただけで役目を果たしたってわけなんだ)


(大部分はな。まあ勇者である分、ちゃんと決戦の方も期待しているだろうがな)



 とは言ったものの、黎二の言う通り役目の大きな部分は終わっただろう。戦において基本的に有名な人間の扱いなどそんなものだ。名前を宣伝(プロパガンダ)に利用されるか、敗北の責任をなすりつけられるかのどちらかしかない。

 水明たちや黎二たちの動きについての話が終わると、今度は帝国の将兵たちの細かい割り当てに移り始める。先ほどまでは大人しく聞いていた彼らが、勲功を得るために危険な任務を率先して受けようと躍起になって争い始めた。自分の軍はいかに果敢だの、いかに危険を顧みないかだの、お国のためだのと、声高に叫ぶ。



 そんな手柄争いの前段階が終盤に差しかかった頃、ふいに入口の幕が開かれる。



 布が擦れる音に視線を向けると、大天幕の入り口にローブをまとった大柄の人物が立っていた。

 挨拶に際し、ローブのフードが取られると、そこには老爺の顔があった。白い髪、垂れた頬、歳月を感じさせる無数のしわ、そして疲れたような表情の中に埋まった落ちくぼんだ目には、炯炯とした眼光。そこにいたのは老いの中に決して老残とは言わせぬという強い気骨を備えた、ある種齟齬を孕む在り様を持った老人だった。



 跪いた老爺が頭を下げると、レナートが声をかける。



「ゴーガンか。いかがしたか?」


「まず、軍議の最中にまかり越したこと、両殿下に謝罪いたしまする。揃い踏まれた各将軍方も平にご容赦いただきたく存ずる」



 そう言って今一度頭を下げる老爺。レナートの質問を切って謝罪を挟み、その謝罪の中に揃った将兵に対し己は劣らぬ地位だと言わんばかりの不遜な物言い。言動からして老獪さを匂わせる。この様子ではこの老爺も帝国の将兵――かなり位の高い魔法使いなのだろう。



 水明が老爺を見据えていると、リリアナがささめき声で耳打ちしてくる。



「あの方は、ゴーガン・バートウッド・ゴルト。帝国十二優傑の筆頭、です」


「ということは」



 リリアナやローグのもと上司に当たる者か。帝国の命運を左右するような戦いであれば、出てくることもまた必定だろう。



 謝罪をしてから口を開こうとしないゴーガンに、レナートが再度訊ねる。


「それで?」


「は。この度は殿下にお願いしたい儀があって参った次第」


「ほう? そなたがか? 珍しいこともあったものだ」



 頼み事は稀なのか、レナートが意外そうに目蓋を上げると、ふっとゴーガンの視線が水明たちの方にかかる。



「どうした? 勇者殿たちに何かあるのか?」


「この度は彼らも参陣し、戦うと聞き及んでおりまする」


「そうだが? それがどうしたのだ?」


「一言で言えば、不満、と申しましょう」


「不満だと? そなたは勇者の参陣が不満と申すのか?」



 レナートがどういうことだと咎めにも似た視線を送ると、ゴーガンは素知らぬと言った表情で続ける。



「もう決まったことであれば、我らも異を申すつもりはありません。ですが彼らの中には抜けた者もおりまするゆえ、我ら十二優傑の中でも納得はできないという声が上がっているのです」


「別に彼ら全てに指揮権があるというわけではないし、お前たちに指示を飛ばすわけではない。にもかかわらず納得しかねると?」


「指揮権があるかどうかという問題ではないのです」



 ゴーガンは、レナートの言葉を言下に斬った。その言い様の意味を計りかねているレナートは目を細め、代わりにいち早く察したグラツィエラが、鼻を鳴らす。



「ふん。要は自分たちと轡を並べるに足るかどうかということか」



 グラツィエラの解き明かしを、ゴーガンが頷いて肯定する。すると、それに反応したのは、誰でもなくティータニアだった。



「老骨、救世の勇者であるレイジ様や私に不満があると無礼を言うか」



 ゴーガンの不満の言葉は、彼女にとって許容を超えた発言だったのか。普段の、です、ます口調から一転、高い身分にある者が使うような厳しい言葉遣いで言い放つ。場の雰囲気は彼女の気によって徐々に昂り、剣呑へ。次におかしなことを言えばこの場で斬撃も辞さないとばかりに、眼差しは怒りに満ち充ちている。

 それにはこの場に居合わせた各将軍ですら、額に汗を浮かべるほどだった。ティータニアは薄明の斬姫と渾名される剣士。従える空気は、抜身の刃を凌駕する鋭さを持つ。



 だがそんな刃風の檻に晒されてなおゴーガンには余裕があるのか、変わらない様子で言葉を紡いでいく。



「いえ、勇者殿や薄明の斬姫と謳われるティータニア王女殿下の実力は疑いようもありませんゆえ、不満などいささかも。ですがそれ以外にお連れする者たちの中には、十分と呼べるほどの者がどれほどおりますでしょうか」



 誰が、と特定はされなかったが、資質を問うとの言葉が向かう先は、水明やイオ・クザミ、リリアナなのだろう。黎二やティータニア以外、そして『抜けた者』とあらかじめ前置きがあったため、間違いはない。直截ではないゆえ、嫌悪も募る。



 すると、グラツィエラが口を開く。



「ゴーガン。先に言っておくが、救世の勇者とティータニア王女殿下以外の者もみな、私が連れて来たという扱いだ。そなたそれでもまだ不満だと?」


「恐れながら」


「爺め」



 グラツィエラは強かとして譲らないゴーガンを一睨みしたあと、不満げに吐き捨てる。今度はグラツィエラのお付きや、幾人かの将軍の怒りも高まったらしく、大天幕内部の剣呑さに拍車がかかった。



 ……この場合、たとえ不満があろうと、黙殺すればいいだけの話。だが、問題になるのは彼ら十二優傑の影響力だ。勇者の仲間の力に問題があり、それをゴーガンほどの地位がある人間が軍議で呈したと周囲に伝われば、そこには少なからず不満が生まれ、士気にかかわるだろう。それは、軍を維持する上でよろしくない。明確な不満の矛先ができあがれば、それは必ず影を落とすのだ。



 ゴーガンは自分の主張を通すため、軍の士気を人質に取ったと言える。

 戦争では力となるため、裁くわけにもいかない。グラツィエラならばもしやすればであるが、いま本陣の総大将はレナートだ。



 しびれを伴う空気の中、ゴーガンが口を開く。



「勇者レイジ殿、ティータニア王女殿下、白炎伯に関しましては、不満はございません」


「では、それ以外の者の資質を疑うというのか」


「は。十二優傑の中で名が挙がったのは、リリアナ・ザンダイクと異世界の客人たちでございます」



 ゴーガンの指定した者の中には、レフィールが入っていなかった。もしかすれば彼もレナートと同じように、小さくなっているから気付いていないのかもしれない。



 イオ・クザミは面白くない冗談でも聞いたかのように目を細める。



「ほう? 我の実力を疑うというのか、いい度胸だな。枯れ枝を寄せ集めて太く見せようとする張りぼてのような分際で、よくもまあほざくものよ」



 イオ・クザミの傲岸不遜な物言いに、ゴーガンの眉が危険な角度で吊り上がた。



「娘。口の利き方に気を付けよ」


「それは我の台詞よ。貴様こそ口の利き方がなっておらんではないか? 歳を食い過ぎて言葉遣いの大切さも忘れるほど耄碌したか? ん?」


「…………」



 ゴーガンは静かに睨み付けるのみだった。言い争いは不毛と判断したのだろう。やがて熾烈な眼差しでの交錯に区切りを付けて、今度はリリアナの方を向く。



「リリアナの実力は貴様も知るところだと思うが?」


「これまで十二優傑として活躍した功績と、帝都の事件解決に一役買ったという事柄がありましょうが、結局は抜けた者。十二優傑からも資質への疑いは避けられませぬ」


「抜けた者では信がおけないか」


「我ら十二優傑だけではなく、各将軍や兵たちもそうでしょう。例の事件で評判は高かろうとは思いますが、それゆえ気に入らないという声の多さも、また同じこと」



 ゴーガンは言うが、しかしリリアナは不用意な発言はするつもりはないのか。言われるがまま黙って聞いている。


 やがてリリアナに対する話が終わると、今度はくぼんだ目の視線が水明へと向かった。



「あとは、俺、と」



 ゴーガンは特に言うこともないのか、大きく頷いてそれ以上は何も口にしなかった。



「それでゴーガン。そなたはどうしたいというのだ?」


「その三名、我らで試させていただければ」


「試す、とは?」



 レナートの問いに、ゴーガンは白々しい様子で天井を仰ぎ、



「そうですな。十二優傑(われら)の内の三人と手合せする、というのはどうでありましょう?」


「そなたの要望はわかった。だが、それによってそなたたちが得る利がわからんな。彼らの実力がわかったとして、それがそなたたちにとってどう良い影響を与えるというのだ? そも仮にお眼鏡にかなわなかったとしても、戦わせないということはあり得ないぞ? こちらも魔族相手だ。人員は一人でも多い方がいいからな」



「無論結果がどうあれ戦いに加わるのは結構なこと。ただ、我らに必要なのは試したという事実のみにございます」


「なるほど。そなたら十二優傑の矜持を示す、ということか」



 レナートはゴーガンの腹積もりを理解したらしく、得心がいったような声を出す。

 よもや手合せすることによって部外者(じぶんたち)の実力を周囲に伝え、蟠りを失くすという粋な計らいではあるまい。十二優傑から上がる異論を封じ込めるというのも理由の一つだろうが、話の流れからして、部外者との戦いを餌にし、周囲に十二優傑の権威を改めて示そうというのだろう。水明たちはその生贄にされたのだ。勇者を試すのはていが悪いが、勇者の仲間であれば落としどころになるだろうし、勇者よりも与しやすい。無論勝てば、勇者をダシに十二優傑の名声を高められるときたものだ。



 勇者という星が他所から流れて来たいま、もとある星を一際強く輝かせようとする思惑が透けて見える。



 ともあれ話が進み、ひいては決まりつつあのではないかという境まで来ていることに、水明は辟易とした様子でため息を吐く。



「めんどくせぇの」



 億劫さを隠そうともせず吐き出したのは、組織という体質そしてこれから起こるだろうことに対してだ。

 だが、水明にも覚えがないわけではない。向こうの世界にも、こういった輩はいるのだ。魔術師に限らず、実力を持っている者というのは往々にして傲慢になりやすい。バッティングした相手の実力を疑い、その場の優劣や主導権を力ずくで得ようと喧嘩を吹っかけてくるのだ。



 それではあまりに野蛮であるため、向こうの世界では先立って千夜会が仲立ちするわけなのだが、この世界にそんな強烈な権威など存在するはずもない。



 ゴーガンは水明の吐き出した所感を不遜と思ったか、じろりと粘り気のある視線が注いでくる。だが、これまで数多くの魔術師と渡り合ってきた水明には、そんな陰惨な凄みなどすでに柳に風である。往々に口にしがちな感想にまで気を遣うつもりはないと、向けられた視線を一顧だにすることもなく鼻を鳴らした。

 そしてくぼんだ目の視線が離れた折、視線細く目を側め、改めてゴーガンを見る。

 見た目はそのまま大柄な老爺であり、モスグリーンのローブに身を包む老練の使い手だ。それもエレメントの魔法のみならず、あらゆる神秘に節操なく手をつけて来たのだろう。少なくない影響に堪え切れなくなった証左の端々が、身体に表れ始めているのが見て取れる。



 眼には白濁が生じ、指先はまるで末枯れた草木のように薄黄ばんでいる。この分では内臓の方もよろしくないのだろう。頑健そうな見た目に反し、酷使され切った身体はもうボロボロだ。だが、内から並々ならぬ獰猛さが垣間見えるのは、神秘を志す者ゆえか。その瞳に老いた狒々が見せるような光を湛えるのは、神秘を渇望してやまない者の持つ業だろう。



 それには水明も同類めいたものを感じないわけでもないが、身体を見るとやはりイオ・クザミが内面を見通して評したように、枯れ枝を寄せ集めた張りぼてという所感がしっくりくる。



 果たして、ゴーガンの所望する試合は、イオ・クザミの言葉で叶うことになる。



「我は構わんぞ。侮るものを蹴散らす。愉快な話ではないか。日本人が大好きなシチュエーションだ」


「私も、かまいません」



 その言葉に続いたのはリリアナだ。気後れなど一切ない、揺るぎない自信が垣間見える頷きは、新たな神秘を得たせいか。

 しかして、最後に答えるのは、水明。



「わーった。俺もやろう」



 二人の承諾で、結局彼もやらざるを得なくなる。最近流されがちだなと思いつつも、水明は諦めのため息を吐くのだった。



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