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小さくなるといつもこう


 水明とレフィールが内輪で話をするそんな中、内緒話に気が付いたらしいティータニアが、声をかけてくる。



「スイメイ。何をしているのかはわかりませんが、そろそろ次の話に移ってもよろしいですか?」


「あ、ああ。よろしく頼む。それで、次は?」


「その、次はですね……」



 水明が失態を誤魔化して訊ねると、ティータニアは視線を逸らし、どこか言い難そうに口ごもる。その態度で次の議題が何なのか理解できた。



 やはりと言えばやはりか。全員が申し合わせたようにイオ・クザミに顔を向ける。そして、誰から言い出すわけでもなく、はあと疲れたようなため息が吐かれた。



 しかし、そんな態度を見せられたにもかかわらず、イオ・クザミは余裕そうに笑っている。



「くくく、他人をこうも嘆息させてしまうとは、この美貌、我ながら恐ろしいものよ……」


「…………」



 イオ・クザミの見当違いも甚だしい台詞で、一同の頭が一斉に重くなった。どこをどう都合よく解釈すればそんなことになるのか。



 ともあれ、水明がこの件について切り出す。



「……で、これは?」



 彼が訊ねると、やはり答えたのは黎二だった。



「さっき話したイルザールとかいう魔族の将軍と戦っているときに、突然こうなっちゃったんだ」


「こう、ねぇ……ちなみに前触れとか、きっかけとかは?」


「……戦っている最中だったから、さすがにそこまではわからないよ」


「うーん」



 水明は唸りながら、険しい顔で考え込む。だが当然頭の中に何か生まれるわけでもなく、水明はイオ・クザミの方を見た。「どうなんだ?」と説明を求めるように、視線で水を向けたのだが、彼女は意味深な笑みを浮かべるばかり。わかっているが、素知らぬ振りをしているのだろう。「他の奴には言うな」と言っていた以上、ここで何かを語るつもりはないらしい。



 すると、黎二が腕を組んだまま唸る。



「やっぱり、別人格が生まれちゃったとかそういうのかな?」


「どうなんだろうなぁ」


「やっぱり僕たちじゃ専門外だよね……」



 はぁと吐かれたため息が、やたらと重く感じる。どうすれば治る――もとに戻ってくれる展望が見えないため、不安ばかりが募るのだろう。水明も迂闊に他の人間に話せないため、これにはとぼけて同調するほかない。



 そんな態度の水明に、フェルメニアが訊ねる。



「スイメイ殿。スイメイ殿やレイジ殿はミズキ殿のイオ・クザミ殿を知っているご様子ですが、イオ・クザミ殿とは一体何者なのですか?」



 固有名詞で埋め尽くされ、傍から聞けば混乱しそうな彼女の問いに対し、レフィールも背伸びをするように身を乗り出してくる。



「私も気になる。君たちは何か知っているようだからな」


「それは……あまり言いたくないな。これを言っちまうと瑞樹の過去の傷を抉って、そこにさらに塩を念入りに擦り込むことになる」



 水明のたとえに、フェルメニアはうっと顔を嫌そうにゆがめ、



「なんとも泣き叫びたくなるようなたとえですね……」


「いや、実際泣き叫ぶだろうしな。枕に顔を埋めて足をバタバタさせてる瑞樹の姿が思い浮かぶ」



 水明の言葉を聞いて、黎二もその姿をまぶたの裏に幻視できたらしく、目を瞑ってうんうんと頷いている。



 イオ・クザミが何なのかを語らないと、彼女たちには訳がわからないだろうが、さすがに説明しないのは致し方ないというほかない。



 ――イオ・クザミ。瑞樹にとり憑いた何某かが名乗るそれは、彼女が中学生の頃に作ったとある設定だ。その頃の彼女はいわゆる中二病とか邪気眼とかいうその歳の頃特有の困った病気を発症しており、ことあるごとに「意味のない意味ありげな素振り」や「古風な喋り方」「変わった格好をする」など、他とはだいぶ外れた奇異な行動を取っていた。



 その一つが、このイオ・クザミという彼女の中に封印された別人格(設定)であり、友人である水明や黎二の頭を悩ませてきたものの一つでもある。

 おそらく彼女にとり憑いた何かは、黎二たちに憑依(ポゼッション)を悟られないために、彼女の記憶にあるイオ・クザミを忠実に再現しているのだろう。そうすることによって、とり憑いていることを悟られぬようにしているのだ。



 瑞樹にとり憑いて何がしたいのかは、いまだ読めないが、ともあれ。

 過去を振り返っていた水明が一人唸っていると、気が付けば、会話はイオ・クザミの戦い振りについて移っていた。



「さっきから好き放題言いおって。我があの場で活躍し、みなを救ったことについて感謝の念はないのか?」


「確かにそれはそうなんですけど……」



 素直に礼が言いにくいと複雑そうに顔をゆがめる黎二に、水明が問う。



「そうなのか?」


「うん。さっきイオ・クザミさんは魔族の将軍に対してそうでもないようなこと言ってたでしょ? 瑞樹がイオ・クザミさんに変わってすぐ、複数の属性を混合させた魔法を魔族の将軍に向かって撃ち込んだんだ」



 黎二の説明に、ティータニアも当時の驚きを添える。



「あれは驚きでしたね。よもやあのような術があろうとは……」


「うむ。我の魔法は強力だったであろう?」


「うん。それは確かに」



 黎二の素直な感想に、イオ・クザミは満足そうにしている。褒められたり、讃えられたりするたびに快い表情を見せてはいるが、内心はそこまで単純ではないはずだ。



 水明がイオ・クザミの内面を窺うそんな中、ふいに黎二が何かに気付いたように、不思議そうにフェルメニアを見る。



「レイジ殿、いかがしましたか?」


「いえ、先生は驚かないんだなぁと思って」


「え?」


「いやだって、複数の属性を混ぜた魔法を使ったんですよ?」



 不思議そうな顔のままの黎二に、フェルメニアも不思議そうな表情を返す。つまり黎二が抱いた疑問とは、イオ・クザミの使った魔法について、フェルメニアがまるで反応しなかったことなのだろう。この世界では属性の混合――要は複合した要素を持つ魔法などはぶっとんだ技術なのであろうし、一方水明から教えを受けているフェルメニアにとっては、すでに通り越した域にある。



 それについてやっと思い当たったフェルメニアが、咳払いを一つ挟んで答える。



「……その、レイジ殿や姫殿下がご覧になられた魔法は確かに珍しい技術でしょうが、よくよく考えればそれほど飛びぬけたものではないのです」


「というと?」


「先ほどレイジ殿は複数の属性を混合させたとおっしゃられましたが、属性を混ぜるというよりは両方の性質を合わせ持った魔法を使ったのではないですか?」


「……?」



 フェルメニアの話を受け、レイジは首を傾げる。おそらく彼は「どちらも同じことではないのか」と思っているのだろう。確かに似たようなことだが、実際は大きく違う。



「属性の混合とは……つまり新たな概念の創造とも言えるのです。たとえば火と水の属性を混ぜ合わせたとして、そこからできあがると思われる属性は何でしょうか。それは当然、私たちの知り得ないものとなるでしょう。それを踏まえてレイジ殿の言葉が正しいのならば、イオ・クザミ殿は新しい属性を生み出したということになります。……ちなみにですが、イオ・クザミ殿の言っていた呪文をお教えいただいてもよろしいでしょうか?」


「ええと確か、火よ土よ……あっ」


「なるほど。やはり分離されていますね」



 黎二が気付くと同時に、フェルメニアが納得の頷きを見せる。そして、



「――その魔法は呪文の冒頭部分からすでに、二つの属性を利用すると宣言されています。これによって行使される魔法は『二つのエレメントの力を使った魔法』となりますので、エレメントを混合させた別系統の魔法とはなりません。属性の混合はエレメントの観点から考えても、八属性以外のエレメントの存在を示すことになりますので、私もあり得ないとは申しませんが、あまりに可能性の低い話になります」



 そこで一度句切って、フェルメニアは説明を続けていく。



「魔法とはエレメント同士の相性、つまり相剋関係によって反発してしまうものがあると考えられています。ですが当然相性の良い属性も存在し、相性(そうじょう)によって助け合うこともあります。基本的にはこの考えはこの世界の魔法に対しての考え方ですので、二つの別の属性、二つの別の魔法は反発するものと前提を置いて考えなければなりません。ですので、魔法同士をくっ付ける、属性同士を掛け合わせるといった考えではなく、両方の要素を持った魔法を使ったと見るべきでしょう」



 魔術と魔術を混ぜるという話であれば、基本的には完成した魔術同士が混ざるということはないと言える。魔術で生み出したただの炎に、魔術で生み出したただの風――つまり術の拘束から解き放たれた現象同士を組み合わせるといったことならば可能だが、そうでなければ必ずと言っていいほど反発するのだ。



 一方、この世界の魔法で言うと、魔法のほとんどはエレメントの力を利用したものとなる。

 エレメントの補助があるため、同属性同士であれば、たとえ違う魔法同士であっても魔法同士を混ぜると言ったことは不可能ではないだろう。



 だがその反面、エレメントの力が介在しなければ魔法は行使できないし、属性がエレメントとして存在しなければ当然魔法にすることはできないということになる。つまり、属性同士を混合して新しい属性を構築するということは実質不可能なのである。

 そう考えれば、二つの属性を混ぜ合わせて、と考えるよりは、二つの性質を合わせ持ったと考えるのが妥当だろう。



 フェルメニアの説明で、二人とも得心したような表情を見せる。



「確かにそう言われればそうかもしれませんね……さすが先生です」



 気付いて内心感嘆としているのか、神妙な顔で言う黎二に、しかしフェルメニアは首を横に振った。



「私の話はただ単に考え方の違いを示したにすぎません。ですが」


「はい。そう考えると、僕たちにも使えそうな気がしますね」



 その言葉で、黎二が正しく理解していることがわかる。

 そう、フェルメニアが伝えたかったのが、それなのだ。混合という言葉にとらわれ、黎二たちが難しく考えすぎていたのを、彼女なりに解きほぐして、受け入れやすくしたのだ。



 考え方を変える。ものの見方を変える。というのは神秘学においてはもっとも重要なことだ。見る視点、角度を変えることによって、それまで見えていたものがまた別の表情を見せ、別のアプローチから答えを出すことが可能となる。それはどの分野でも同じだが、形而下にあるもの、形而上にあるものそれらを主に学問とする神秘学では、意味を穿ち答えを突き詰めるというのは、真理に迫るための大事なプロセスだ。



 ふいに黎二がフェルメニアに訊ねる。



「では先生も使ったりはしているんですか?」


「いえ、私は……確かにやろうと思えばできなくはないでしょうが……」



 そう、件の魔法、いまの彼女にならばできなくはないだろう。むしろいまの彼女になら、簡単といって差し支えない。だがそれを使うよりは、魔術を使って戦った方が強力で効率も良いのだ。属性もエレメントにとらわれることはないのだから、自由自在な結果を生み出せる。

 説明した手前、実はもっと強い術を使えるという間の抜けた話であるため、少しだけ答えに困ったフェルメニア。そんな彼女が、むむむ……と渋面を作っていると、イオ・クザミはその内心を見透かしたのか、口を挟んでくる。



「我の魔法は強力だぞ? なんなら試してみるか?」


「いえ、術の強さを疑うわけではないのですが……」



 挑戦的な態度を見せられ、さりとて乗るわけではなく困惑するフェルメニア。彼女に代わり、水明が言う。



「やめとけよ。いまは」


「なんだつまらん」



 水明の咎めの言葉を聞いて、イオ・クザミは不満げに鉾を収める。

 いまは大人しく退いたが、イオ・クザミの自信が示す通り、彼女の魔法は確かに強力だろう。もし瑞樹にとり憑いた何らかがこの世界に関連した精霊だと推測した場合、エレメントとの接続が、人がそうしたものとは打って変わって各段にレベルの高いものとなる。そしてひいては、魔法も強力になるはずなのだ。



 たとえフェルメニアが同じ魔法を使ったとしても、イオ・クザミには及ぶまい。



 イオ・クザミが不満げな顔を作る中、リビングにリリアナが現れる。

 ドアからひょこっと顔を出して中を窺い、それが終わると素早く部屋に身を入れて水明たちのもとへ。いちいち可愛らしい仕草に、女性陣は顔をほころばせる。



 しかし入ってきたリリアナは空いていた席に座るかと思いきや、何故かイオ・クザミの方へと向っていった。そして彼女がイスに座るイオ・クザミをじっと見上げると、イオ・クザミがにやりと笑みを向ける。



「猫と戯れるのは終わったか? ん?」



 イオ・クザミはさながら童と戯れるかのような表情を見せるが、リリアナは応えない。ばかりか顔を渋くさせ、水明の方を向く。



「すいめー、みずきはまだ、おかしなままなのですか?」


「……まあ、見ての通りだ」


「おかしいとは失敬な。我はいついかなる時も常に正常だぞ?」



 無視と物言いに対しイオ・クザミは眉を寄せるが、リリアナは険しい顔のままで、



「いいえ、そうとは思えません。なにか良くないものが、とり憑いている気が、します」



 正しくは何かよろしくないものであり、それ自体なのだが、ともあれ。リリアナは黎二やティータニアとはまた違い、イオ・クザミのこの状態をのっぴきならないことだと感じているのだろう。それは、この世界では闇の力と呼ばれている悪意の力に脅かされてきた感覚があるがゆえのものだ。さすがである。


 ふとイオ・クザミが顔をしかめ、リリアナの顔を覗き込んだそのとき、



「えい、です」



 ――ぎゅ。



「ふうっ!?」



 まるで待っていたというように、リリアナがイオ・クザミの両方のほっぺたを掴んだ。

 その行為に、リリアナ以外の人間の目が点になる。突然何をするのか。いや、ほっぺたを掴んだのだから、やることは一つしかないわけで――リリアナはイオ・クザミのほっぺたをぎゅうっとつねり、粘土でもこね繰りまわすかのように引っ張り回す。



「ふが、きひゃまはにおふる!」


「みずきを出しなさい。いえ、早くみずきから、出て、いきなさい」


「こらリリィ!」



 ぎゅうぎゅうとイオ・クザミの頬をつねり、物理的に追い出そうとするリリアナ。彼女のそんな行為を見兼ねたレフィールが、慌てて止めに入る。

 瑞樹はリリアナがふさぎ込んでいた当時、彼女を元気づけるため、いろいろと構ってあげていたと聞く。いま、リリアナがイオ・クザミの頬をつねっているのが――もとい、追い出そうとしているのがそのためなのだろう。彼女なりに恩義を感じているため、こんな過度な行為に走らせているのだ。



 やがてリリアナはレフィールに引き剥がされて、イオ・クザミから離れる。しかし彼女はまだあきらめてはいないようで、イオ・クザミに対してビシッと人差し指を突き付けた。

 おそらく今度は指さしの魔術(アストラル・ショット)で何かしらのショックを与えようというつもりなのだろう。それには水明もすかさず声をかける。



「リリアナ、それは止めろ」


「何故、です? もしみずきに、何かがとり憑いているのであれば、これで追い出せるのでは、ないですか?」


「いや、たぶん無理だろう。やめておけ」


「む……わかり、ました」



 その言葉で、リリアナはしゅんとしながら腕を下げる。一方で、黎二とティータニアは訳がわからないといった表情。



 ――アストラル・ショット。それは自身の精神殻(アストラル・ボディ)を伸長させ、相手の精神殻(アストラル・ボディ)に直接打撃を与える術だ。

 これは覚醒時に、精神殻(アストラル・ボディ)肉体(フィジカル・ボディ)と結び付いているという性質を利用したものである。



 ここで言うアストラル・ボディは、魂を包む意識の殻――大雑把に言えば意識と魂といったものをない交ぜにしたような概念に相当する。それは『意識』という側面を持ち合わせているため、眠っているときや気を失っているときなどは肉体との結びつきから離れ、消失しており、この状態の相手には指差しの魔術(アストラル・ショット)は通用しない。

 現在、瑞樹の意識はなく、指差しの魔術(アストラル・ショット)は通用しない状態と思われがちだが、実際はとり憑いた何者かの精神殻(アストラル・ボディ)が瑞樹の肉体(フィジカル・ボディ)に結びついている状態であるため、指差しの魔術(アストラル・ショット)の影響を受けてしまうことになる。



 リリアナの狙いは、瑞樹のとり憑いた何者かに指差しの魔術(アストラル・ショット)を敢行し、あわよくば無理やりにでも引き剥がして、瑞樹の精神の覚醒を促そうとしたのだろう。

 前定上、覚醒時の引き剥がし――つまり幽体離脱に相当する事由を再現することはまず不可能だ。しかし、いま意識の表層に出ているのは持ち主の魂ではないため、精神殻(アストラル・ボディ)肉体(フィジカル・ボディ)との結びつきはさほど強固ではなく、引き剥がせる余地がある。



 これは強引なエクソシズムに相当すると言えるだろう。そう言った観点からいくとリリアナを目の付け所は良いものだと言えるが、現時点でそれを行っても、瑞樹にとり憑いた何者かの存在を消し去るわけではないため、たとえ追い出せたとしても再びとり憑かれるのが関の山だ。



 せめて本当の名前さえわかれば、行動を束縛できるため、再度の憑依を阻害できるのだが。

 リリアナに顔をつねられたイオ・クザミだったが、何故か愉快そうな表情で彼女のことを見詰めていた。



「眼帯の少女よ。なかなかバイオレンスでデンジャラスではないか。うむ、その格好といい気に入った。我の弟子にしてやろう」


「遠慮します」


「ふむ、そうだな。我が弟子になるにあたって暗黒洗礼名(ダークネス・コードネーム)が必要となるな。……うむ、まず仮にだが、龍王の邪眼を秘めし黒き使者、龍王眼(ドラゴンアイズ)漆黒幼女(ブラックロリータ)とでもしようか」


「カードゲームかよ……」


「ちょっとカードゲームっぽい名前だよね……」


「話を聞いて、くれません……」



 イオ・クザミはリリアナの拒否の訴えをまるで聞くことなく、弟子にする準備(?)を粛々と進めて行く。そんなイオ・クザミの唯我独尊状態に、周囲の面々は呆れ半分であり、困り半分でもある。当初からイオ。クザミに対しそうであったと言えば、そうなのだが。


 しかし八鍵邸の混乱はまだ終わらない。ひと騒動終わってすぐ、またひと騒動が舞い込んできた。



「――む?」



 唐突に異変を感じた水明が、唇をへの字に結んで怪訝そうな声を出す。



「スイメイ殿。どうかされましたか?」


「お客だ。しかも……おいおいおい、勝手に家ん中に入ってきたぞ!?」



 帝国にある八鍵邸は、日本にある八鍵邸と同じく、対侵入者用の結界等、感知および監視の魔術が施されている。そのため、侵入者、訪問者についてはその情報がダイレクトに水明へと伝わり、今回も水明の頭に直接その情報が入ってきたのだが――



 驚きの表情を浮かべる水明に、フェルメニアが訊ねる。



「スイメイ殿、何者ですか?」


「って、こいつはあの危険女じゃねぇか!?」


「な、なに――っ!?」



 水明の抽象的な言葉に、叫び声を上げたのはレフィールだった。危険女で察したのだろう。水明がこの世界でそんな風に言う相手は、いまのところ一人しかいない。



 急にレフィールが挙動不審になり始めたことで、隣にいたリリアナが眉をひそめる。



「どうしたの、です? レフィール」


「マズい状況になったんだ! ど、どこか隠れる場所はないか!?」


「隠れる場所、ですか? それくらいなら、どこにでもあるで、しょうが」



 そう言ってリリアナが視線を向けたのは、リビングの隅にあるキルトのかけられた机だった。確かのあの下ならば、いまのレフィールなら身を隠すことができるだろう。ただ、やたら狭そうで、隠れることができても窮屈な思いをすることになるだろうが、しかしレフィールは是非もないと言うように、赤い風になってまで飛び込んでいった。



 ……しばらくして、レフィールの身体は机の下に収まった。だが、赤いポニーテールの先がはみ出ていて、ゆらゆらと揺れている。



 見たままそのまま、頭隠して尻隠さずであった。

 身を潜める、というには随分と不完全な状態だが、どこか声をかけにくい雰囲気であったため、誰も何も指摘しない。



 すると、ティータニアが水明に苦虫を噛み潰したような顔を向けてくる。



「スイメイ、危険女ということは、グラツィエラ皇女殿下ですか?」


「ああ。そういやティアもあの女のことは嫌いだったな。お引き取り願うか?」



 水明が訊ねると、リビングの隅から「追い出せ! 追っ払え!」と叫び声が上がる。しかし水明はティータニアに訊ねたわけで、訊ねた相手を蔑ろにするわけにもいかず、困った様子でティータニアに視線を向ける。



「いいのです。まったくもって不本意ですが、よしなにしてください」



 ということは、そのまま通せということか。ここに来たと言うことは、何か用があるのだろう。だが、やはり彼女とは反りの合わない相手なのか、本意ではなさそうなため息を大きく大きく吐き出した。

 黎二にも視線を向けると、彼も頷いた。通してくれというのだろう。



 やがて、リビングのドアが開かれる。現れたのはやはり帝国の皇女、グラツィエラ・フィラス・ライゼルドだった。

 護衛もなく、一人。それは揺るがぬ自負ゆえのものか、帝都内とはいえ、一応八鍵邸は敵地であるはずなのだが、警戒は一切していない様子。

 そんな彼女は開口一番、一同に向け謝罪らしき言葉を口にする。



「すまん。報告が重なってな、遅れた」



 到着が遅れた。それはまるで来ることが決まっていたと言うような口ぶりだ。

 水明たちが怪訝に思っていると、グラツィエラは何かに気付いたか、リビングの隅へと視線を向ける。

 無論そこにはレフィールが隠れている机があり、当然ながらポニーテールが揺れていた。



 グラツィエラの視線がだんだん険しいものに変わっていったのは、言うまでもない。



「……ところで、あれはなんだ?」



 その訊ねに、レフィールのポニーテールがピクンと跳ねる。レフィールの隠れ方ではこちらが見えず、グラツィエラが何を指して言ったのかわからないだろうが……雰囲気で察したらしい。

 妙な間に堪えられなかったか、彼女は諦めた様子で机の下から出てくる。そして、



「ふ……ばれてしまったか」



 レフィールも一応は観念したらしい。だが、往生際が悪く、何事もなかったかのように澄ました態度を取り、さきの失態を有耶無耶にしようとしている。カッコつけているのに、全然カッコついていないのがまた悲しい。



 一方、そんなレフィール(小)を見たグラツィエラは、表情を更にゆがめ、



「……これはなんだ? 随分と見覚えのある相手だが」


「え? いやえっと、私は、その……」



 まだ気付かれていない。レフィールはそう考えたのか、この期に及んで誤魔化しにかかろとするが、しかし黎二とティータニアの口の方が早かった。



「レフィールさんです」


「神子殿ですね」


「ああああああああ言っては駄目だぁああああああああ!!」



 二人は特に悪意などなかったのだろう。事実をそのまま告げただけ。だが、それはレフィールにとって致命的なことだったらしい。

 絶叫のあと、妙な雰囲気が漂う静寂の中、「うっ……」というレフィールの声が響く。



「神子殿だと? これが?」



 グラツィエラが確認に訊ねると、頷く一同。人が小さくなるなどにわかには信じがたいことだが、グラツィエラはレフィールに見覚えがあるためか、そんなわけがないだろうと笑い飛ばすこともない。



 一方でレフィールは妙な観念をしていて――



「ふ、ふふ! やるのか? やるなら私も受けて立つぞグラツィエラ殿下! 今回はこの姿になっても精霊の力を使えるのだからな! 来るなら来い!」



 そう言って彼女はまるでボクシングのシャドーのように、グラツィエラに向かってびゅんびゅんとパンチを繰り出している。拳速がかなりのものなのが、何とも微妙さを増大させるが、ともあれグラツィエラの方といえば、いまだ呆けた様子。口を開けたままであった。



 やがて、いろいろと飲み込むことができたか、いやそれとも込み上げてきたのか。



「――ぷ! わははははははははは! なんだこれは!? 愉快すぎるではないか! ち、小さく、小さくなるだと!? いくらなんでもそれは反則だぞ神子殿! ははははははははははははは!」



 笑い続けるグラツィエラ。まさに抱腹絶倒――とまではいかないが、彼女は身体をくの字に折り曲げ、腹を抱えて豪快な笑い声を上げ始めた。



 笑われているレフィールといえば、悔しさがそうさせるのか、すでに涙目になりつつある。



「くそぉおお! 笑うな! 私だって好きでこうなったわけではない! これ以上笑うな! 笑うつもりなら私だって容赦しないぞ!」



 泣き顔で手足をジタバタさせ、いつになく剣呑なことを言い始めるレフィール。そんな彼女に対し、グラツィエラは笑いをこらえながら、



「い、いや、いまは止しておこう。神子殿には借りがあるが、これではさすがに弱いものいじめになるからな。弱いものいじめはよくないのだろう? 神子殿?」



 含みのある物言いをして、意味ありげな視線をレフィールに向けるグラツィエラ。どうやら、前に因縁があったときのことをあげつらったらしい。言われた方はぐうの根も出なかったか、悔しそうにひと震えしたあと――



「う、うわああああああああああああああああん!」



 レフィールは悔しさ全開の叫び声を上げて、部屋から飛び出していった。

 そして、追い討ちのように上がる、グラツィエラの笑声。



「わははははははははははははははは!! 駄目だ。これは、ゆ、愉快すぎる……」



 言葉に「してやったり」というような嫌みはないゆえ、純粋にレフィールの反応が面白かったのだろう。どかっとイスに腰かけて、絶えず笑い声を上げている。



 一連の流れに口を挟めなかった一同と言えば、レフィールのことを気の毒に思いつつも複雑な表情のまま唸っていた。





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