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とり憑かれた女



 現在、ネルフェリア帝国の帝都フィラス・フィリアにある八鍵邸の路地は、わずかな緊張で満たされていた。

 それは戦いの前触れがもたらす緊迫でもなければ、言い知れぬ予感が誘う不気味さでもない。そう、たとえればこれは、召喚術により喚起した悪魔と対峙したときのような、そんな剣呑さとその視線の交差だろう。



 しかしてその妙な空気の原因は、いま八鍵水明と対峙する少女にあった。

 女子の制服の上下に、季節外れの赤いマフラー。手には指なしのグローブが付けられており、どこかこじらせた感のある出で立ち。艶のある長い黒髪を流し、愛らしい小顔にはくりくりとした大きな双眸が埋まっている。

 常ならば友人である安濃瑞樹――とするところだが、いまばかりはそうとは言えない違和感が彼女にはあった。



 こちらを見据える目は、黒と金の虹彩異色(オッドアイ)。普段の彼女ならば両眼とも黒であるはずなのに、どういうわけか色違いで、いつもは優しげに曲げられる口もとが、いまはまるで悪魔の嘲笑さながらに、挑発気味に曲げられている。

 いつもの彼女からは想像もつかないような変貌ぶり。



 そう、いま水明の目の前にいるのは、イオ・クザミ。そう名乗る、安濃瑞樹ではない『何か』なのだ。

 言葉を交わしたのはさてどれほど前だったか。水明とイオ・クザミが(しじま)の中で視線をぶつけ合っていると、イオ・クザミはしびれを切らしたかのように呆れ顔を見せる。



「――それで、そろそろ我も通してもらえるのか?」


「……正直な話、お前みたいな不気味なヤツを家の中には入れたくはないな」


「む――?」



 水明の言葉で、イオ・クザミの顔が険しくなる。それもそのはず、相手が正体不明なのだから水明の言い分も真っ当だと言えるだろう。



 そんな彼に、イオ・クザミがやはり呆れ顔で何か言いかけると、



「が――そうも言ってられないのは確かだからな」



 そう言って水明は、まるで彼女の出入りを認めるかのように、背を向ける。

 胡乱な相手を入れるのは、確かに水明としても気が進まないことだ。だがそれではいつまでたっても話が進まないし、それにここで彼女を追い払っては情報を得られなくなる。

 それは、水明にとって胡乱な者を家に招くよりも、不本意なことなのだ。



 彼女が一体何なのか、害があるのかないのかを確かめるには、言動の端々から読み取ることが必要になってくる。であれば、家に入れるのは避けられないことであった。



 すると、イオ・クザミはさもこれは嘲弄だと言わんばかりに笑い出す。



「面倒な人間だな貴様は。本当はもっと単純に生きたいのに、理屈をこねずにはいられない。それでは鬱憤が溜まるのではないか?」


「うるせー。魔術師が理屈こねないでどうするんだよ? いちいち面倒臭いぐらいに理論づけして、自前の理屈を組み立てて、それで初めて魔術にするんだぜ? 職業病を否定したらおまんま食い上げだっての」



 上手くいかない苛立ちのせいかぶっきらぼうに言うと、イオ・クザミは自分から発した軽口を放り捨てて、細めた目を向けてくる。



「で? 我は入れてもらえるのか? どうなんだ?」


「……害がないのは本当なんだな?」


「我は意味のない問いは嫌いだ」


「好きなだけ意味ないことくっちゃべってるヤツがよく言うぜ」


「ふん。我がお前たちを害する気ならば、(ハナ)から油断させにかかっているだろうが。それくらいいちいち言わなくてもわかっていると思うが?」


「確認だ確認。何も言いたくないなら、せめて何かしないってことくらいはを自分の口から言わせたいんだよ」


「我が嘘をつくとでも」


「だからお前の口から言わせたいんだよ」



 水明がしつこく食い下がるのは、無論イオ・クザミをけん制するためだ。こういった底を見せない手合いは、嘘はつかなくとも不利益を黙っていることがままある。ゆえに、何かしないということだけでも宣言させるという、ある意味苦肉の策なのだ。



 そう、純度の高い精霊であれば、決して嘘はつけないはずだから――



 やがてイオ・クザミはあきらめたように辟易とした表情を見せた。



「我は貴様らに害を成すつもりはない。でなければ助けなどせぬよ」


「それでお前にどんな利益があるのやら」


「好意を素直に受け取れんとは、随分とひねくれているのだな?」


「これが俺の役割だ。黎二も瑞樹も良い奴だから、俺が疑り深くなきゃいけないんだよ」


「ククク、お人よしとは言わないところがまた甘い」



 そう言ってどこか愉快そうに笑うイオ・クザミに、水明は苦虫を口の中で噛み潰したように顔を歪めて、背を向ける。

 そして顔の横に出した人差し指をクイクイとまげて、着いて来いと示した。

 水明のそんな態度にも、イオ・クザミはと言えば、やはり「不遜な奴め」と言って笑うばかり。何を考えているのかは、いまだ杳として知れない。



「…………」



 ふと水明は目を側めて猫たちの様子を窺う。悪い精霊の気配に敏感な猫ならば、イオ・クザミに対して威嚇などの行為を見せるはず。だがいま路地にいる猫たちは至って普通であり、その場でにゃあにゃあとじゃれあっているだけだ。



 ということは、悪魔がとり憑いたということではないのだろう。これで懸念は一つ消えた。ともあれまだ他の可能性もあるため、油断はできないのだが。



 水明はイオ・クザミを家に案内しつつリビングに入ると、リリアナ以外の全員が、イスに座り、テーブルに着いていた。



「フェルメニア、リリアナは?」


「リリィはネコ成分を補給中です。部屋に何匹か連れ込んで遊んでいるようですね」


「なるほど」



 動物好きのリリアナらしい。猫とはご無沙汰であるため、久しぶりに目一杯遊びたいのだろう。



「まあ、全員そろわなくとも、我は構わんがな」


「なんでお前はいきなりそんなに偉そうなんだよ……」



 部屋に入るなり、やたら尊大な態度を取るイオ・クザミに対し、水明は呆れを催さずにはいられない。何言いやがると目配せすると、イオ・クザミは「付き合え」とばかりに悪ノリをした表情が返してくる。



「いいか我がライバルよ? 我は偉いのだ。この宇宙(ソラ)の果ての誰よりもな。ゆえにお前も我をそれこそ主人の如く敬うがいい。いや、敬う権利を十日一割でくれてやろう。尻は舐めさせるわけにはいかないが、靴の裏の泥くらいは舐めさせてやってもいいぞ」


「誰が舐めるか。というかそんなに誰かに敬われたいんならどっかで新興宗教でも興してろ。その方が確実だ」


「おお! それも良いな。よし、法人ができた暁には団体の名前は暗黒の母教団(マザーオブダークネス)……いや、生命空間パロット三法行パナ波……」


「おいやめろ混ぜるな! それはなんかいろいろとマズいから!」


「なにを言う。やれと言ったのは貴様ではないか」


「マジでやれって意味じゃねえよ!」



 水明が叫んでもなお立て板に水の如く妄言を吐き散らすイオ・クザミに、水明はしきりに目配せで止めろと訴えかける。だが、イオ・クザミはそれすら手玉に取るように玩弄するような笑みを浮かべた。



「よいか? 我にとって貴様の名前を読むときは、好敵手――いわゆるライバルと読むのだ。そんな相手の言うことを素直に聞き入れる我だと思うか?」


「ああああああああこの話の通じない感じをなんでこんなところで味わわなきゃいけないんだよぉおおおおお!」



 話をかみ合わせようとしないイオ・クザミに、さすがの水明も頭を抱えて叫び出す。天然ではなく、わざとやっているのだからなおさら性質(たち)が悪い。



 そんな二人にやり取りを見ていたフェルメニアとレフィールが、目と口をまん丸に開けて、感想を口にする。


「すごいですね」


「すごいな……」



 二人には、ここまで水明が遊ばれてしまうとは思っていなかったのだろう。連合ではガイアス、そしてルメイアに引き続き、三人目である。



 そんな中、ふとフェルメニアが水明に疑問の問いを投げかける。



「あの、スイメイ殿。結局ミズキ殿がこんな風になってしまったのは、どうしてなのでしょうか?」


「それは……俺にもよくわからん。まあ、もとに戻るまでこうなんじゃないのか?」


「え、えー……」



 お手上げという、なんとも水明らしくない答えに、フェルメニアはどう返答していいかわからないような微妙な声を漏らす。



 水明とフェルメニアがそんなやり取りを行っている横で、黎二は頭を抱えながら「どういったことだって? そんなの黒歴史だよ……黒歴史……はは」と呟いている。その懊悩、同様の被害者である水明にとっては察するに余りあることであった。



 一方でそれについてはティータニアを含め、彼女たちには輪をかけて何が何だかわからないだろう。



「……それよりもだ。別れていた間の細かい話をしようぜ?」


「……うん、そうだね。いま僕たちが優先しなきゃならないのは、そこだと思う」


「うむ、では始めるがよい」


「いいからお前はさっさと座りやがれ!」



 水明はそう言ってイオ・クザミを座らせたあと、先に自分たちのところで起きたことを話し始めるのだった。





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