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騒乱の夕暮れ



「じゃあ、そろそろ私戻るから」


「……送ります」



 帰宅もとい帰城の意を示した初美に、顔を青くさせた水明は力のない返事をする。

 先ほどから詰め寄られたり、説教をされたりと大変な目に遭ったため、すでに元気を失い、げっそりとしていた。

 まだ昼過ぎで空は晴れやかにもかかわらず、ここだけ暗澹としていることこの上ない。

 初美がみなに帰りの挨拶を済ませると、レフィールやフェルメニアも椅子から立ち上がる。



「私たちも一緒に行こう」


「そうですね。みんなでお送りしましょうか」


「え? ……えっと、私は別に大丈夫なんですけど……」



 知らぬ間に全員に送られることになったが、初美は迷惑だろうと断りを入れる。

 だが、彼女たちが意図するのはただの見送りだけではなく、



「違い、ます。みんなで囲んでいれば、見つかりにくいのです」



 リリアナの言葉に初美は「あ、なるほど!」と手を叩く。身を隠すのは、ローブだけでは心もとない。全員で壁を作って歩けば、憲兵たちにも勇者がいるとバレることはないと考えてのことだった。

 話がまとまり、水明たちは初美を囲んで宿舎から出る。宮殿の方に向かってしばらく通りを歩いていると、ふと初美がレフィールたちに謝罪した。



「さっきはごめんなさい。いろいろ怒鳴ったりして」


「別に私たちは気にしていないよ。謝らなくてもいいことだ」



 そんなレフィールの爽やかな返答に、水明が「えっ?」と反論有りげな声を出すが、すぐに彼女から睨まれた。先ほどよってたかって言葉でボコボコにされたのを思い出し、意気消沈気味の水明は何も言えなくなる。



「……まったく、スイメイ殿が誤解するようなことを言うから悪いのですよ」


「どうしてなの……」



 怒られまくった理由がいまだわからず、項垂れる水明。彼がそんな状態の中、レフィールが初美に、



「ともあれだ。さっきはいろいろあったが、仲良くいこう」


「え? 仲良くって」


「それはそれ、これはこれということだ。分けて考えるのが一番いい」


「……そうね。うん、よろしくお願いします」


「なんの話かは知らんが。仲良くしてくれるならありがたいです……」



 ようやくだが、話は穏やかな方にまとまったらしい。水明が和やかになり始めた空気に安堵の息を吐き出していると、何かの気配を感じ取ったリリアナが声をかけてくる。



「すいめー、前の方が騒がしいです」


「うん?」



 水明はリリアナの知らせに従い、前に目を凝らす。どうやら、通りの前方で何か騒ぎが起こっているようだった。



「なんだ? 真っ昼間から暴動? 冗談だろ?」



 騒ぎの規模から考えるに、どうも喧嘩程度の争いとは思えない。遠目に暴れているように見えるし、悲鳴にも似た絶叫が連鎖している。

 そのうえ、怒号や物騒な音も大きくなっているように感じた。



「なにかあったのかしら?」


「ふむ、これは穏やかではありませんね」



 水明は騒ぎのする方から足早に逃げてきた男に訊ねる。



「すいません。前のアレ、何かあったんですか?」


「わ、わからねぇ。連中、さっきまで説教してたと思ったら、急に暴れ出したんだ」


「連中?」


「俺もよくわからねぇんだ。知りたいんなら他の奴に訊いてくれ」



 そう言って、男は騒ぎから逃げ出すように水明たちの後方へそそくさと去っていった。

 これでは埒が明かないと、水明たちは流れる人の波を逆進する。次第に周囲の者たちが騒ぎの規模に気付き始め、次々に出していく。



 やがて、目の前に現れたのは、



「こいつらは……」


「前に見た、反女神教団とかいう者たちだな」



 人の波が途切れ、前にいた者たちがいなくなるとそこには、金属製の杖を携えた白の修道着らしき衣服を着込んだ者たちの姿があった。レフィールが言った通り、以前訪れた街で見たカルト宗教臭い連中である。



 その者たちは一人二人ではなく、かなりの大人数で行動しており、手にした杖を地面に打ち付けて、大きな音を鳴らしたり、軒先や塀を叩き壊したりしている。

 しかも、一言もしゃべらず、無言のまま、だ。黙々と流れ作業に徹するように暴力行為、破壊行為を繰り返すさまからは、どこか言い知れぬ不気味さが感じられた。



 周囲から「何をやっているんだ!」「やめろ!」など怒号や制止の声が響くが、彼らはまるで聞こえていないかのように無視を決め込んでいる。水明たちが到着する前に、説得を試みた人間も多数いるのだろう。だが、その全ては徒労に終わっていたようだ。



「こっちに、来ます」


「どうする……って、訊くまでもないか」


「取り押さえるに決まってるでしょ!」


「無論だな」



 水明の訊ねを、愚問だと断じる初美とレフィール。彼女たちは率先して前に出ると、それぞれの得物で暴れている教団員たちをぶっ叩き始めた。初美は鞘に仕舞ったままの状態の刀で、的確に相手の急所を打って動けなくさせ、レフィールも同じく鞘に仕舞ったままの巨大剣で、教団員を地面に押さえ付けるように叩く。



 聞こえてくるのは潰れたカエルのような悲鳴。

 二人の手練れに出張られて、なすすべもなくその場に倒れていく教団員たち。彼らは彼女たちに太刀打ちできず、状況はすぐに終息するかと思われたが、気付けば辺りの路地から同じような格好をした連中がわらわらと湧いてくるのが見えた。



「ちょっと一体どこから出てくるのよこいつら……」



 初美の困惑の声を耳にしつつ、水明は教団員たちの出どころを探ろうと、遠見の術を使う。他にどのくらいいて、どこから現れるのかを白服伝いに追っていくと、



「おいおいおい……こいつら暴れてんのはここだけじゃないぞ!?」


「どういうことです?」


「街の東西南北いろんなとこで同じように暴れてやがる。まだ宮殿の方には行ってないみたいだが……」



 それでも、街の各地に出没し、同じように暴れている。水明がそう伝えると、初美が目の前の教団員を叩き伏せ、振り向いた。



「八鍵、一番激しいところは?」


「まて…………武器屋街の方だ。そこで暴れてる連中は杖だけじゃなくて他の武器も持ってるな」


「おそらく工房の製品を盗んで使っているのだろう。スイメイくん、憲兵の動きは?」


「そこら中から出てくる白服共の対応に追われて手一杯って感じだ。……つーか数が足りないぞ? 普段あんなにうろちょろしてるのに、この前の件で警備を強化しているって話じゃなかったのかよ?」


「たぶんだけど、宮殿の方に回したんだと思う」


「で、そのせいで周りがガラ空きってか? それにしたって少ない……あ」



 自分の口にした言葉でひらめいた。というような表情を見せる水明に、フェルメニアが訊ねる。



「どうしたのです?」


「すいめーも気付きましたか」



 水明はリリアナに無言の頷きを返す。一方気付いていたのはリリアナだけではないようで、レフィールにも目配せをすると頷いた。

 気付いていないフェルメニアと初美に、水明が説明する。



「おそらくは警備の補充要員に紛れ込んでたとかそういうのだろ」



 初美はその端的な説明で察したか、嫌なものでも思い出したかのように表情を歪めた。



「うわ、どこぞのテロ組織の手口みたい」


「あー、それまったくの同感だわ」



 多少手口は異なるが、確かに耳にすると、欧米各地で起こっているようなテロリズムが思い浮かぶ。旅行者や移民、難民に紛れ国内に国内に侵入し、テロリズムに及ぶのだ。

 この手口も、似たようなものと言えなくもない。

 周囲の教団員が片付くのを見計らって、水明が初美に訊ねる。



「それで、どうする? 宮殿に行くか?」


「武器屋街の方が危ないんでしょ? そっちに行くわ」


「ですよね~」



 さすがの責任感と言ったところだろう。こういう真面目なところは、記憶を失う前と何ら変わっていない。



「では、私が道を開け、ます」



 リリアナはそうたどたどしく言って、武器屋街のある方角にいた教団員たちに人差し指を突き付けた。腕は視線上に一直線に伸ばし、肩口から指先に至るまで全くの水平。



 そして、彼女は少しだけ前に押し込むような些細な身じろぎを見せる。



「どんどん!」



 そんな擬音のような言葉を口にした直後、リリアナの向けた人差し指の一直線上にいた教団員が、後ろにいる教団員に恐ろしい勢いで叩きつけられた。

 白い塊の中から、次々と悲鳴が上がり始める。



「うげ!」


「おい、何をやってっ、ぐは!」


「な、なんだ!? お、おい! ぶふっ!」



 まとまって行動していたため、無論ながら衝突は連鎖していく。その間にも、リリアナは「どんどん!」という、稚拙な擬音を口から溢れさせているため、状況は止まらない。



 遠間から、実体のない攻撃に、前方の教団員は成す術もなく吹っ飛ばされていった。

 一方それを見ていたフェルメニアが、不思議そうな表情をする。



「スイメイ殿、いまリリィの使ったのは?」


「あれは脱魂魔術の一種、幽体の体脱を利用した魔術だ。自分の精神殻(アストラル・ボディ)を伸ばして直接相手の精神殻(アストラル・ボディ)にぶつけて攻撃しているのさ」



 脱魂魔術と言えばそれに当てはまる術はかなり多く、随分と広義なものだ。その中でこれは、いわゆる幽体離脱を利用した、自分の幽体を操作する脱魂技法の一種である。



 杖、指などの先を向けることによって、飛んでいく幽体に指向性を持たせ、その伸びた幽体で相手の精神殻を直接相手の身体から押し飛ばす。精神殻(アストラル・ボディ)肉体(フィジカル・ボディ)は切っても切れない存在であるため、精神殻(アストラル・ボディ)を押し飛ばされるとああやって身体まで引っ張られて、一緒に飛んでいってしまうのだ。




 いわゆるアストラル・アタックに属するため、強力な魔術とも言えるだろう。

 水明がそう説明すると、何故かフェルメニアが不満そうな声を上げた。



「…………この魔術、私は教えられてませんが」


「そういえばそうだったな」


「そういえばではありません。どうして教えてくれないのですか?」



 教えられていないことに腹が立ったのか。フェルメニアが責めるような口調で迫って来る。



「そんな、教えるのがちょっと前後したくらいで怒るなよ……」


「ちょっとではありません! これは契約違反です! リリィ的に言わせれば訴える案件ですよ!」


「そう言うなよ、技術的にはそんなに高度なものじゃないんだしさ」


「それでもです!」



 叫ぶとは、思いのほか強情だ。彼女にしては随分と珍しく、我がままを言っている。

 そんな中、二人のやり取りを脇で聞いていた初美が、わずかに非難めいた声を上げた。



「ちょっと、そういう話はあとにしない?」


「そ、そうでしたね。申し訳ありません……」


「もうすぐ、崩れます。穴が開いたら、走り出しましょう」



 リリアナの声掛けを受け、走り出した水明たちは橋を渡り、やがて武器屋街へと到着する。

 当然そこにも、水明が見た通り教団員たちがいるはずだったのだが――



「騒ぎが収まってる?」



 鍛冶工房やそこで作り出された商品が売られる店が連なり、他の地区とは一風変わった様相を持つ通りは意外にも寂然としていた。

 軒先置かれた木箱や看板などが破壊されたような跡はあるが、いまは暴力的な音は聞こえてこない。まるで、嵐が過ぎ去ったあとのような状況だった。



「ねぇ、ここが一番激しいって」


「ああ、ついさっきまではそうだったが……さて、どういうこった?」



 水明は怪訝そうに辺りを観察する。周辺には誰もいない。武器屋街の人間やドワーフたちは店の中にでも引っ込んだのか。暴れていた教団員たちもいないのは、やはり不思議だった。

 そんな中、前方から歩いてくる影が見える。一人ではない。揃った足音も聞こえてくる。



 おいでなすった。そう思った水明たちの前に白服の教団員たちと共に現れたのは、



「これは……」


「こうくるのか」


「意外、です」


「おいおい、マジかよ……」



 フェルメニア、レフィール、リリアナ、水明と、白服の教団員たちを引き連れた人物を見てそれぞれ驚愕の声を上げる。

 しかして、その人物とは。




「――お待ちしておりました。連合の勇者、ハツミ・クチバ」




 教団員たちを後ろに、まるで初美がここに来ることが前もってわかっていたかのような言葉を言い放ったのは、水明たちとは因縁浅からぬ、シスタークラリッサであった。

 一人、彼女のことを知らない初美が、訝しげな表情を見せる。



「ネコミミの、シスターさん……?」


「クラリッサと申します。どうぞお見知りおきを」



 そう言って、クラリッサは初美に向かって優美な礼をする。

 一方、先ほど水明たちの態度を見ていた初美が、彼に訊ねた。



「ねぇ、知り合い?」


「まあ、ちょっと縁があってな。だが――」



 水明が答えている途中、まず問い詰めるような質問を投げかけたのはレフィールだった。




「シスタークラリッサ。あなたの後ろにいる者たちが起している騒ぎを、あなたはご存じか?」


「はい。存じております」


「見れば、後ろの者たちとは無関係ではない様子。これはどういうことでしょう? 納得できる答えを頂きたい」



 そう、厳しく答えを求めたレフィールに、答えを返したのはクラリッサではなく、



「…………はぁ。納得できるも何もないんだよなぁこれがさ」


「ジル!」



 ジルベルトがため息を吐きながら、路地からふらりと現れる。そしてまるで自分は向こうの陣営だと言わんばかりに、クラリッサの隣に位置を取った。

 格好はいつもの動きやすそうな服。しかし、その華奢な肩には似合わないほど巨大な斧槍が担がれている。手のひらからあまるほど太く長い柄に据え付けられた、巨大な鉄塊にも思えるような斧刃と槍の穂は、前に出せばジルベルトの身体を隠してしまいそうなほどに大きい。



 彼女が斧槍を肩から地面に降ろすと、鈍く大きい音と共に大地が揺れた。



「よ、合法ロリ」


「だから言葉の意味がわかんねぇっつってるだろうがこの幼児性愛者が…………つーか、意外とお前は落ち着いてるな」


「まあな。シスターが初美の名前を出した時点で、状況は把握したつもりだ」



 わけ知った口振りの水明に、初美が訊ねる。



「八鍵、どういうこと?」


「デジャブだ。インルーのときとなんとなく似てないか?」


「あ!」



 それを訊いて、なんとなくあのときと状況が似ていることに、初美は気付いたか。驚きの声を出す彼女に、クラリッサが言う。



「気付いていらっしゃるなら、お話しが早そうですわ」


「ではシスターたちは、スイメイ殿や勇者殿を襲ったという龍人の仲間ということですか?」


「はい。白炎殿の仰る通りですわ」


「それでこいつらもシスターたちのお仲間ってわけですか。救世教会のシスターがそれに反対する組織の人間を引き連れてるとは、何とも皮肉な話ですね」


「確かに。笑い話にはもってこいですわね」



 くすくすと上品な笑いを見せる。一方水明たちはクラリッサたちが敵ということが判明し、それぞれ臨戦態勢を取った。

 その様子を見て、何ともやるせ無さそうな声を上げたのは他でもないジルベルト。



「あーあ、なんでこうなるんだか……」


「まったくだ。ジル、君がそちらにいるということは、君も敵ということになるのか?」


「そうなるだろうな。アタイは正直御免なんだが……」



 ジルベルトの口調からは、随分と乗り気でないことが窺える。仲の良いレフィールと敵対するのは、やはり彼女にとって心苦しい部分があるのだろう。

 そんな彼女を叱咤するように、クラリッサが声をかける。



「ジル。文句を言っても仕方ありませんよ」


「どうにもならないことはわかってるがさ……どうしてこう狙いすましたようにレフィたちが敵に回る流れになるのかって思ってさ」


「それはまだわかりませんよ?」


「あ?」



 クラリッサの謎めいた発言を、ジルベルトが不思議がる。すると、クラリッサは初美の方を向いて、



「勇者ハツミ。私たちはあなたの力を必要としています。どうかついて来てはもらえないでしょうか」


「理由は?」


「いまはまだ、着いて来ていただきたいとしか」


「お断りします。私にはやらなきゃならないことがありますので、他の人を当たって下さい」


「どうしても、と言っても?」


「どうしてもダメです。こういうことをするような人たちなんて信頼できるとでも?」



 やはりというべきか、交渉決裂である。インルーの仲間と公言する時点で、話にならないことは明白だろう。

 クラリッサは初美の次に、水明に対して水を向ける。



「スイメイ様たちには、黙って見過ごしていただきたいのですが」


「お断りします」


「でしょうね」



 水明たちが敵対する姿勢を見せる間もなく、クラリッサはわかっていたというように頷いた。



「クララ、そんなこと今更訊かなくても答えなんかわかりきってるだろうが。インルーからあいつが勇者の身内だって報告があった時点で、みんな敵に回るなんて聞くまでもない」


「一応、ですわ」



 ジルベルトの苦言に、クラリッサは落ち着いた様子で返答する。そして、



「では、レフィールさんのお相手は私が致しましょう」


「悪ぃ」


「いいえ。ジルはスイメイ様たちをお願いします」



 誰が誰を相手にするか確定した直後、周囲の路地から見計らったように白服の教団員たちが現れる。取り囲まれたことを察し、水明たちは背中合わせに円を組んだ。



「あのドラゴン野郎の仲間ってことは、油断できないぞ」


「そうよね。それはともかく、どう動く?」


「まず何かあっても大丈夫なように逃走経路だけ作っておきましょう。誰がどう対応するかは……」


「ご氏名があった通り、私がシスターの相手をしよう」


「レフィール。気を付けて、ください。シスターはおそらく、ライガ族の獣人、です」


「やはりライガ族か……」



 リリアナの選定眼に、レフィールも同意する。それを聞いたフェルメニアも、苦虫を噛み潰したような顔になった。



「なあリリアナ、そのライガ族ってのは?」


「ネコさんなどの獣を祖とする獣人の一つです。おそらく数ある獣人種の中で最強と言っても過言ではないかと」


「うわマジかよ……」


「龍人とかいうのに引き続いてなんなのよもう……」



 またしても強力とされる種族の登場に、げっそりとした声を上げる水明や初美。そんな二人とは対照的に、レフィールは好戦的な声を上げた。



「相手にとって不足はないな」



 八重歯を剥いて不敵な言葉を呟くレフィール。その一方、水明は周囲の教団員たちを見回して言う。



「俺たちはまず白服共をどうにかする。メニアはジルベルトを警戒していてくれ」


「わかりました」



 水明たちが算段をする最中も、白服たちはじりじりと迫って来る。レフィールがクラリッサのいる方に向かって飛び出すと、クラリッサは修道着の左右の袖に手を入れた。



 ――暗器か。そんな予感にレフィールが身構えると、間もなくクラリッサは左右の袖から手を出した。しかしてその指には、赤と黄色の粉末、おそらく顔料と思われる塗料が付いていた。

 クラリッサは袖をまくり、自分の顔と腕とそれぞれに指でシャープな線を引くかのように、すっ、すっ、と独特の模様を描いてく。



「あれは……」



 水明はどこか既視感のある行動を見て、目を細める。あれはまさか、と彼が思う間もなく、

クラリッサは態勢が整ったのか。鋭い鉤爪を伸ばし、顎下まで上の犬歯を伸ばした。

 クラリッサの変貌に、初美と水明が驚きの声を上げる。



「さ、サーベルタイガー?」


「おいおいスミロドンはネコ属じゃねぇぞ……」



 二人が目を丸くする中、クラリッサの周囲に獰猛な魔力が漂い始める。まるで、肉食動物の放つ殺気がはっきりとした力を得たような、目に見える死の空気。

 彼女が醸し出す雰囲気から、水明が思い当たったのは、



「……族霊崇拝(トーテミズム)


「よく、ご存じで」



 水明が静かに漏らした呟きを、クラリッサは耳ざとく聞き取ったか。顔に笑みを浮かべ、水明の言葉を肯定する。一方水明は彼女の返答に、驚きに表情を引きつらせた。



「俺の台詞ですよそれは。何でシスターがそれを知っているんです?」


「これに関しましては、秘密とさせていただきます」


「くっそ、ホント裏がありまくりやがるぜアンタらは……」



 水明が苦そうに呟いていると、クラリッサと相対するレフィールが訊ねの声を上げた。



「スイメイくん! シスターのあれはなんだ!?」


族霊崇拝(トーテミズム)。俺たちの世界にある類感魔術に属する術だ! 様々な象徴的事物、動植物の力を、それらを真似ることによって取り込もうとする技法で、おそらくシスターもいまのフェイスペイントとボディペイントで加護を得ようとしているんだと思う。こういうやつの対象は主に獣が多いんだが……」


「ということは、シスターが得ようとしているのはライガ族の祖獣である剣虎(ライガ)の力か」



 祖獣、ということは、獣人としての獣の部分に当てはまる生物のことだろう。クラリッサも元来その力は持っているだろうが、おそらくいまのトーテム・リチュアルは、その力を何倍にも増幅させる役割に使うのだと思われる。



 獣人である時点で、シスターの氏族の祖先と象徴(トーテム)が親類関係であることは間違いない。そして先ほどの儀礼行為もあり、トーテミズム成立の二つの条件はクリアされていると言っていい。

 だが、焦点となる問題はだ。



「トーテミズムは俺たちの世界の魔術だが、術理が原始的だからこの世界でも成立した可能性はなくはない。しかし、だ」


「シスターはさきほど、スイメイ殿の用いた名称、つまりスイメイ殿の世界の言葉を肯定した。ということは……」



 クラリッサは、いや、クラリッサたちは、あちらの世界に何らかの関わりを持っているということだ。

 水明はそれを察し、ローミオンのことを思い浮かべる。彼女たちの周りには、水明たちの世界に関係する何らかの影がちらついているらしい。



 やがて、レフィールとクラリッサの武威がせめぎ合う。



「クラリッサ・ライガ。参ります」


「我が身となりし精霊の力よ。我が意志に疾く応えよ……」



 レフィールがその言葉を唱えるや否や、青空を冒すように赤い風が渦を巻いて舞い上がり、周囲の空気を侵食していく。一方のクラリッサも、武威を発するや否や、それが獰猛な魔力として現界し、銀色の斬撃のように周囲へと発散された。



 やがて衝突する両者。レフィールが強力な斬撃を次々と繰り出すが、クラリッサはそれを速く鋭い動きでかわし、お返しとばかりに爪による猛攻を繰り出す。

 トーテミズムによって強化されているためか、それとも周囲に出来た獰猛な魔力の結界じみた支配領域(ルールエリア)が形成されているためか、レフィールがその周囲に作り出す赤い風の影響をまるで受けていない。常ならばそれに吹き飛ばされ、レフィール自身がその風に乗って直角な移動を敢行するのだが、それが出来なくなっている。



 レフィールの戦闘能力と互角かそれ以上。つまり、クラリッサは魔族の将軍であるラジャスに匹敵する力量を有していることになる。

 一方その戦いをわき目に、水明たちは周囲に群がる教団員たちをそれぞれの戦い方で、打ち倒していく。初美が剣技によって、フェルメニアは風の魔術(グラウネック・エア)を行使、リリアナは先ほど使った指さしの魔術を連発し、次々と蹴散らしていった。



 最後に、水明がフィンガースナップによる打擲音をリズムよく奏で、指弾の魔術を連続で放つ。周囲にいた白服の教団員は瞬く間に地に伏した。



「周りの取り巻き共は終わった! 俺もそっちに加勢するぞ…………ってな!?」



 水明がレフィールに向かって叫んだそのときだった。彼の足もとに、突然魔法陣が描かれた。この場で魔法陣を発現させられることができる水明には、まるで身に覚えのないもの。描かれている文字数字の意匠も、まるで見たことがない。だが――



「足が取られっ!? おいまさかこれはっ……い、異界送りだと!?」



 あたかも底なし沼に踏み込んだかのように、魔法陣の中に沈んでいく水明の身体。もがきつつも飛行の魔術を使用し、魔法陣からの離脱を試みるが、術の効果か水明の魔術は無効化され、その身体は半分ほど地面の中に埋まってしまう。



「スイメイ殿、私の手に!」



 掴まってください。そう言ってフェルメニアが手を出すが、水明はその手を逼迫した表情で払う。



「ダメだ! ミイラ取りがミイラになっちまう!」


「ですがっ!」


「俺は何とか出来る! すぐ戻るからメニアたちはそいつらを……」



 水明が全て言い終える前に、彼は魔法陣の中に沈んでいった。

 水中に物体が沈んだときのような波紋が、魔法陣を震わせる。その様をなすすべなく見ていたフェルメニアたちは、驚愕に絶望じみた表情を浮かべ、呟いた。



「す、スイメイ殿……」


「まさか、すいめーが」


「ちょっと、嘘でしょ……」



 水明が魔術に取り込まれるという事態は、彼女たちにとって天地がひっくり返るほどの衝撃だった。

 そしてその事実から生まれるのは、いまだかつてないほどの焦り。



「いまのは、一体誰が……」



 水明ほどの魔術師を陥れる手腕を持った者が存在する。フェルメニアは周囲を見回すが、それらしいことをしたと思われる相手はいない。それが更に、焦りを増幅させる。



「フェルメニア。話は、あとです。いまは全員で、目の前の敵を」


「もう相手は一人よ」



 リリアナや初美がフェルメニアに声をかけ、ジルベルトへの集中を促すと、不意にそのジルベルトが青空に左腕を掲げた。



「残念ながら、まだいるんだよ」



 そう言ってジルベルトが指を鳴らすと、まだ他に控えていたのか。路地から教団員が次々と現れる。

 倒しても倒しても減らないことに、初美が呻くような声を上げる。



「キリがない……」


「そんなワケねぇだろ。救世の勇者に、インルーと互角の魔術師、精霊の神子、お国を代表する魔法使いたち。お前ら相手じゃどんだけいても少ないっての。だから――」



 ぶんと、ジルベルトが腕を振り回す。直後、強力な力の波が振った腕を起点に発生し、叩きつけるような風が生み出され、それと共に地面が砕けて吹き飛んできた。

 ジルベルトの攻撃に、フェルメニアが真っ先に反応する。



「――風は我が守り。外周に満ち、そして向かうものを弾けよ!」



 フェルメニアの咄嗟の魔術行使で、衝撃波や固まった土塊が彼女たちの手前で弾かれる。

 その様子を見たジルベルトは、よくやったとでも言うように、ニヤリと口もとに笑みを作る。



「おう、さすがだな」


「いまのは、何を……?」


「いまの? なぁに、腕を振っただけさ。なんてことはないぜ、龍人の奴も似たようなことできるしな」



 ジルベルトはさほどの技ではないというように、そう軽々しく言って退ける。それが、どれほど力を持たなければできないことか、想像するには能わない。



「ほら、いくぜ!」



 ジルベルトは、その場で腰を回して振りかぶった。間合いは遠いはずなのに、どういった意図があるのか。初美は間合いの外からの斬撃を考慮してすぐに二人に注意を促す。

 だがその予測は外れ、ジルベルトが全身の力をかけるようにして斧槍を振ると、柄から斧刃の部分が飛び出してきた。



「なっ!? 仕込み武器!」


「おうよ! アタイ特製のチェーンハルバードだ おらおらちゃんと避けろよ!」



 フェルメニアの驚きに、ジルベルトは得意げな様子で返す。斧槍の先端部分は鎖によって繋がれており、鎖の擦れる音と共に伸びてくる。

 斧槍の先端は遠心力とジルベルトの操作によって変幻自在の軌道を描き中空に舞い上がると、フェルメニアたちに向かって真っ逆さまに落ちてきた。



 死角からの攻撃に対し、フェルメニアは咄嗟に飛び退いて回避。そして流星の如く地に落ちた斧槍の先端にはどれほどの力が込められていたのか、大地を爆発させたかの如く吹き飛ばし、そこら中に岩弾をまき散らした。



 破壊の余韻を凌いだフェルメニアが、苦々しげに呻く。



「なんて力任せな戦闘……」


「生まれてこの方こういうケンカしかしたことなくてな。ま、能がないのは許してくれよ」



 ジルベルトは笑って、斧槍の先端を柄へと戻す。そんな中、リリアナが前に出た。



「フェルメニア。援護します」


「助かりま……」


「あーっ! お前は下がってろよ! あたしは小さな子供と戦いたくはないんだ!」



 リリアナが前に出ると、急にジルベルトが喚き出す。レフィールとは戦いたくなかったり、子供とも戦いたくなかったりと、いろいろと隙のある手合いである。



「では、戦わなければ、いいのです」


「そうもいかねーんだよ! ああああああもう! おい白炎、リリアナ・ザンダイクを盾にすんなよ?」


「当たり前です!」



 命令口調のジルベルトに、言われるまでもないとフェルメニアは叫び返す。すると、その状況に対応するため、今度は初美が飛び出した。



「フェルメニアさん。私が前に出ます!」


「申し訳ありません勇者殿!」



 有言実行。即座に駆け抜け、ジルベルトへとまっしぐらに向かう初美。刀は鞘に納められ、脇に携えており、いつでも『抜き』が出来る状態。走り込んで斬りつけるつもりだ。

 だがそんな彼女に向かって、何かが流星の如く飛来する。



「くっ――」



 間髪容れずその何かに反応した初美は、すかさずミスリル製の大太刀を出して受け止めた。銀色の刀身にぶつかったのは、オリハルコンの短刀二つ。

 剣先からたどって相手を見ると、そこには真っ白な修道着のフードを目深にかぶった少女がいた。



 少女はオリハルコン製の短刀を逆手に持ち、手数で攻めてくる。その激しい斬撃に対し、初美も応戦。二本対一本の戦いにもかかわらず、巧みに捌き、徐々に後ろへと下がる。

 覆いの間から少女の目元が時折見えるが、その瞳はどこか虚ろで、焦点があっていないようにも思えた。



「私の相手は、あなたってわけ?」


「…………」



 訊ねるが、しかし白づくめの少女は答えない。聞こえていないような反応は他の白服たちと同じだが、どうも様子が異なっている。

 しかして、初美の問いに答えたのはジルベルトだった。



「そいつはお前さんのお仲間さ」



 一瞬仲間と言われセルフィたちのことを思い浮かべるが、すぐに他に思い当たる者がいることに気付く。



「お仲間って……この人も勇者ってこと!?」


「そうさ。相手をするにはもってこいの相手だろ?」



 その侮るような問いに、初美は眼光鋭く睨みを返す。少女の目は虚ろで、意志が灯っているようには思えない。ということは、だ。



「あなたたちについて行くと、こういう風になるってわけね」


「断らなきゃあな」



 ジルベルトはそう言って、再び斧槍を構える。

 中天にあった陽光が、西日になり変わらんとしている最中のことであった。





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