帰陣
平原にて交戦中だった連合の軍と魔族の軍の戦いは、すでに終結していた。
戦いの結果は痛み分けという形で終わったが、敵の戦力を読み違えた連合の軍は魔族の軍に比べ相当の被害を受けていた。
現在は前線の砦を本陣としてその周辺に営地を造り、軍を保持している。
天幕には、生き残った将軍と、ヴァイツァーたち初美の仲間、そしてルメイアとレフィールたちの姿もあった。
そしていま、彼ら彼女らの控える天幕の中は、むせるような熱気を孕んでいた。
軍を今後どう動かすかについての軍議が、白熱しているからだ。
策を吟味する立場にあるヴァイツァーに、将軍や参謀が次々に方策を提言する。
「ヴァイツァー殿下、ここは一時軍を下げてはどうでしょうか? 峡谷地帯に引き込めば、兵を有利に動かすことも……」
「いえ、峡谷地帯では不利を被る可能性がありますぞ。魔族の中には空を飛ぶことができる連中もいる。ここは思い切って一気に戦線を下げ、軍を立て直すことも視野に入れた方が……」
「どちらも論外だ。勇者殿が戻って来るまで、我々は引くことは出来ん」
ふと挙がった及び腰な意見を、しかしヴァイツァーは一喝する。だが、将軍、参謀たちも意見はそうそう下げることはできないか。うちの一人が食い下がった。
「しかしいつまでもここでこうしていても、状況は打開出来ません。また平地での戦いとなれば今度こそ我らは壊滅的な被害を受けます」
「それゆえ各所属国へ援軍を要請しているのだ。兵と物資が来るまで待て」
「待っている間も兵たちの不安は広がるのです! いま我らが確固とした方策を示し、兵を動かさねば、兵たちは策がないのだと思い動揺します!」
簡単には聞き入れない将兵たちに、ヴァイツァーは苛立ちが頂点に達したか。机をバンっと両手で叩き、椅子を蹴るように立ち上がった。
「確かにみなの言う通り、我らがまとまらなければ兵たちは動揺するだろう! だが、勇者殿を失ってしまっては今後我が軍が回復する見込みも立たなくなる! それに、我らを助けてくれた勇者殿を見捨てて逃げることが、本当に正しいとお前たちは言うのか!」
「……っ!」
「いいか! 勇者に救われる立場にある我らには、勇者を守る義務がある! それを蔑ろにする者に、勇者に縋る資格はない! 全員肝に銘じておけ!」
再びの彼の一喝は、全ての者を黙り込ませる威力があった。ぶつけられた心を問う言葉に、まるで縛られたかのように動けなくなる一同。
その一方で、軍議の末席に座っていたルメイアが、隣に座るレフィールに話しかける。
「……やれやれ、向こうは大変そうだね」
「他人事のようにおっしゃらないでください。ここではルメイア殿にも発言権はあるのですよ? 支部のギルドマスターとして、何か実になる発言でもしてください」
呆れ混じりなレフィールの苦言に、ルメイアは肩を竦める。
「あたしにゃ用兵の機微なんてさっぱりだよ。まあどんな結果になるのかは聞きはするけどさ」
「それでいいのですか……」
「いいのいいの」
適当極まりない返事をしつつ、煙管をぷかぷかやるルメイア。同じく席を与えられたフェルメニアやリリアナも、やる気のない彼女の態度に困ったような表情を浮かべている。
そんな彼女たちを余所に、ルメイアは控えていた兵士に声をかけた。
「……ちょいちょい、そこのあんた。斥候からの報告はどうなってるんだい?」
「は! 魔族の軍はすでに退いたとのこと。各境界砦からの報告でも、魔族は軍を撤退させているらしいとのことです。ですが進撃の有無については、まだ予断を許さないとのこと」
「それでも撤収はし始めてるんだろ? 変だよねぇ。最後はこっちが巻き返したとはいえ、どちらかと言えば向こうのほうが有利だったはずなのに。レフィ、あんたはどう思う?」
そう言って、ルメイアがレフィールに水を向けると、
「軍を退かせる理由は二つです。目的を果たしたか、維持できない損害が出たか。確かに魔族共にも損害は出たでしょうが、軍を退かせるほどとは思えません」
「それでは、魔族は目的を果たした。ということに、なります」
「リリィの言う通りだ。だがそうなると、問題はだ」
「その目的が何だったのかってことだね。……で、レフィ。あんたの出した答えはなんだい?」
「いま現在、連合の軍が被った不利は軍の損害と、勇者であるハツミ殿の消息不明です。軍への損害は完璧とは言い難いですし、そうなれは十中八九魔族たちの目的は、勇者であるハツミ殿にあるでしょうね」
レフィールの答えは、ほとんど断定に近かった。そしてその答えに怪訝な表情を浮かべたのは、フェルメニア。
「……ではスイメイ殿は失敗したと? そうレフィールは予想するのですか?」
水明の救援失敗は、彼の実力を知るフェルメニアには、にわかには信じられないことだ。
だが、レフィールはここで頭を振る。
「いや、フェルメニア殿の言う通りだとは限らない。魔族の策がハツミ殿を軍から分断することだけに集中していたなら、その時点で目的が成立していたという可能性もある。それなら軍を退く時機が前後しても構わないだろうし、それに向こうから勇者を倒したという宣言が出されていないからな。生きている可能性の方が高いだろう」
「なるほど、道理ですね」
勇者が倒されれば、魔族側は勇者の首を挙げたと大声を上げるだろう。そうなれば連合の士気は最低にまで落ちる。そしてそのまま損害を無視して攻め込めば、それが連合の軍の壊滅までの一番の近道となる。
「魔族共にそんな小細工してくる賢しさがあればの話だけどね」
「連中は狡猾です。人の弱い部分にすぐ付け込んでくる。だから勇者であるハツミ殿を狙ったんですよ」
そう言って、レフィールは今回の魔族の策に対する予測を締めくくる。
そして、どう思うかと訊ねてきたルメイアに、この談義で得られた答えを口にした。
「連合の軍は、ここは多少痛くともどっしり構えているべきでしょう。損害を恐れて下手に軍を下げれば、向こうに不利を悟られるだけですし、こちらの士気にもかかわる。最悪、退いている魔族の軍が反転させることになりかねない」
「で、それをあたしに言えって?」
あいつらに。ヴァイツァーたちに指を差してそう続けられた言葉に、レフィールたちが頷く。するとルメイアはヴァイツァーたちの方を向いて、またレフィールたちの方に視線を戻した。
向こうは、まだ討論の熱が冷めやらない。むしろ一層熱気が高まっている。何とかして軍を下がらせたい参謀を見兼ね、黙っていたガイアスやセルフィもいつの間にか軍議に口を出していた。
「ああああああああああやだやだやだー。あんなとこに飛び込むくらいなら、いまから魔族の軍勢に斬り込む方がまだいいよ。……ねぇ、ものは相談だがそうしないかい? いまからちょいと行って来てさ。ね? 良い考えだとは思わないかい?」
沢山ある尻尾をわさわさと動かし、ウインクを見せてまでアピールするルメイアに、レフィールはうんざりと息を吐く。
「どうしてこう獣人という人々は……」
「しかたないよ。こういう生き物なんだからさあたしたちは」
「クラリッサ殿が特殊なのですね……」
「だろうな」
「です」
レフィールの同意にうんうんと頷くリリアナ。そんな風に彼女たちが話す中、不意に天幕入口の掛け布が開いた。
同時に、兵士が息せき切って飛び込んでくる。
「ご、ご報告いたします!」
「どうした!」
反応したのは、軍議の中心にいたヴァイツァー。彼の訊ねに兵士は息を整えてから、嬉しそうに答える。
「勇者様が帰陣なされました!」
喜びの報告に、天幕の中から安堵の声と、どよめきが巻き起こる。ヴァイツァーはすぐにそれを制止して、再び兵士に訊ねた。
「それで、勇者殿はご無事なのか?」
「はい。自らの脚で歩いてこちらに」
合間を見計らって、今度はレフィールが訊ねる。
「勇者殿お一人か?」
「いえ、黒い衣服をまとった少年も一緒です。ですが勇者殿に肩を貸していただいているご様子でして……」
その報告に、レフィールが立ち上がった。
「怪我をしているのか!?」
逼迫した剣幕で詰め寄る彼女に圧され、兵士は尻もちを突く。それでも水明の状態が優先だと遠慮しないレフィールは兵士に答えを迫り、かくいう兵士は戸惑いながらもなんとか答えた。
「え、あ、いえ。見た目には怪我をしているようではないのですが、無事と言えるような様子でもなく……」
「要領を得ん! はっきりしろ! はっきり!」
「あんまり無茶をいうもんじゃないよレフィ。ほら、一端下がりな」
ルメイアが、二人を宥めると、リリアナが最もわかりやすく、二言。
「まずは、行きましょう」
「そうですね。スイメイ殿の様子が気になります」
そして、天幕の中にいた主要な者たちは軍議を一時中断し、ぞろぞろと天幕をあとにした。
★
黒鋼木の森を抜け、連合の領域まで戻ってきた水明と初美は、いまは砦に到着し、城壁の内部にいた。
初美は木箱に腰かけ、水明は地べたにどっかりと座り込み、小休止中。やがてそこに、レフィールやフェルメニアたちが駆けつけた。
彼女たちの姿を見とめ、水明が笑顔で手を振る。
「おー、ただいま」
「スイメイ殿。どうやらご無事のようですね」
水明の帰参の言葉に、フェルメニアは静かに返事を返した。
一方、レフィールが呆れの中に心地よい笑みを織り交ぜ、言う。
「君はいつもボロボロだな」
「それは返す言葉もないわ」
「お帰り、です。大丈夫ですか?」
「おう。すげー疲れてるけどな」
リリアナには手を挙げつつ返事をする水明。疲労と魔力不足で動くことはできないが、受けたダメージの大部分は回復していた。
ふとそんな様子を見ていた初美が小首をかしげ、水明へ訊ねた。
「その人たちは?」
「俺の仲間だよ」
「そうなんだ」
「そうそ」
「……どうでもいいけど、女の子ばっかりね」
「え? まあそうだな」
「ふーん」
含みのある返事をしつつ、視線を胡乱げなものへと変える初美。一方の水明は、彼女の態度が急に変わった意味を察せず、間の抜けた表情を見せる。
「なんだよ?」
「別に。それにしても暢気にしすぎじゃない? 助けに来て肩貸されて帰るって、しまらないことになってるくせに」
「あ? しょうがないだろ? 一人で歩くのしんどかったんだよ」
「かっこ悪い」
「勝手に助けにきといて言うようなことでもないけどさ。誰のせいだよ。誰の」
「う……それを言われると強く出れない……」
半眼を向ける水明に、初美は「ぐぬぬ……」と、呻くことしかできない。もともと根が真面目なため、真っ当なことを言われると返せないのである。
そんな中、天幕から出た第二陣が遅ればせて到着する。
木箱に座る初美目掛けて、セルフィが飛び付いた。
「ハツミ!」
喜びの声と共に、初美に抱き付くセルフィ。彼女の急な抱擁に初美は驚きと共に泡を食う。
「わっぷっ! セルフィちょっと急にそれは」
「ハツミ……無事でよかった」
「……ありがと。お陰様で私は無事よ」
嬉しそうに、安堵の声を出すセルフィに、初美も同じく安堵の声で謝意を口にする。
セルフィとの会話が落ち着いたあと、それを眺めていたヴァイツァーとガイアスが声をかけた。
「勇者殿。お帰りなさいませ」
「ええ、ただいま。みんなも無事でなによりね」
「これでようやく安心して酒が飲めそうだ」
「ガイアスはそればっかりね」
ガイアスの場を和ませる発言に初美も乗っかり、周囲には笑いが起きる。
一方そんな彼らに向かって、水明がにやりと笑みを浮かべた。
「おう、目的はちゃんと果たしたぞ?」
「…………そうか」
「ああ、とんでもねぇぜお前は」
片や複雑そうな顔で視線を逸らし、もう片方は気持ちのいい晴れ晴れとした表情を見せる。そんなやり取りがかわされる中、いつの間にか近くに木箱に腰かけていたルメイアが、煙管の煙を燻らせながら訊ねてくる。
「スイメイ。あんた肩貸されてきたって聞いたけど?」
「一体どうしされたのですか? スイメイ殿が動けなくなるほどとは」
「確かに。捜しに行っただけで、すいめーが動けなくなるのは、おかしいですね」
リリアナの疑問に続いたのは、ガイアス。
「魔族か?」
「それは、考えにくいです」
リリアナの断定に、うんうんと頷く他の水明パーティーの面々。彼女たちには、ただの魔族などいくら束になってかかっても、水明の脅威にはなり得ないと知っているのだ。
核心を知りたそうに、レフィールが視線を向けた。
「それで、スイメイくん」
「ああ、ちょっと強敵が出てきてな」
「つーことは、魔族の将軍か?」
「ん? 魔族の将軍?」
ガイアスの問いに、何故か首を傾げる水明。そんな彼を見て、初美が呆れ顔になった。
「いたでしょ? あんたもしかして忘れたの? 嘘でしょ? いくらなんでも……」
初美の呆然とした声音に、水明は血の巡りの悪くなった頭で考える。はて、魔族の将軍とはなんの話だったかと。
ううんと唸り、天を仰いで、地を見詰め、それでやっと『そんなのがいた』ことを思い出した。
「……あ。ああ、ああ! そういえばパチモン臭ぇ技を使うヤツがいたな!」
「ちょっとあんた……」
あたりに響く、初美の呆れ切った声。まさか、忘れていようなどとは思わなかったのだろう。頭痛そうに手を額に当てる彼女に、水明は苦笑いしか返せない。
インルーの衝撃が大きすぎて、完全にヴィシュッダのことを失念していた。
一方水明では要領を得ないだろうと判断したのか、セルフィが初美に問う。
「では本当に魔族の将軍が出て来たのですか?」
「ええ。魔族の将軍とは戦ったわ」
「戦ったが、あんな雑魚大した問題じゃなかった。それよりもだ」
「ま、魔族の将軍が雑魚……雑魚……ですか」
どうでもいい話だと魔族の事柄を飛ばしにかかる水明に、セルフィはフードの中で呆然と繰り返し呟く。魔族が大きな脅威である彼女たちにとって、水明の物言いは理解を逸するものだ。気付けば彼女だけでなく、ヴァイツァーやガイアスまでも両の眉を寄せている。
会話の先を促すように、訊ねるレフィール。
「口振りからして、魔族の将軍の他に君をそんなにボロボロにした相手がいるということだな?」
水明が「ああ」と頷くと、今度は初美が口を開き、
「魔族の将軍は八鍵のおかげで上手いこと倒したんだけど、そのあとにすぐそいつがきたの」
「それで、そのそいつとは?」
「自分のこと、龍人っていってた」
「ど!?」
「ドラゴニュートだと!?」
驚きの声を発したヴァイツァーとガイアスに、不思議そうな視線を向ける初美。
「……なんかマズいの?」
「マズいって……マズくはねぇが、いや、マズかったというかなんというか……」
答えたガイアスは驚愕に囚われており、どうも要領を得ない。では他に誰か……と、周りを見回してもみな随分と驚いており、唯一冷静そうだったルメイアに視線を向けた。
「はぁ……龍人だね。連合から北西の山脈に住んでる種族で、こっちの世界では最も強靭な肉体を持てるって言われてる。まあ実際とんでもなく強い生き物だ。俗世には関わろうとしない連中なんだけどね。というか、そんなのと戦ったのかいアンタ?」
「ええ」
「まさかそいつも倒したのかい?」
「とんでもない。痛み分けで精一杯でしたよ」
水明は「負け寄りのね」と付け足すが、それでもルメイアは「ほんと常識外だね」と呆れを深めた。
やり取りが終わると、水明はレフィールの方を見て、
「俺はレフィさんのご意見も参考にしたい気分ですね」
「私もルメイア殿と同意見だ。龍人は強い。それに彼らは、魔族の土地から近い土地に住んでいても、いままで滅ぶことなく種を繋いでいるくらいだ。多勢に無勢であっても余裕で戦える力があるだろう」
その話に水明は、インルーが現れた折、彼が魔族に対し口にした独り言を思い出す。
「あー。そういや羽虫とか言ってたもんなー」
「そうね……あれを見せられればとんでもないやつだってのも頷ける」
そのときの状況を思い出して二人が揃って深いため息を吐いていると、セルフィが疑問を口にする。
「ですが何故ドラゴニュートがハツミたちと?」
「さあ? ハツミを連れて行くって言ってたが、それ以上は聞き出せなかった」
「は、ハツミをですか!?」
「勇者の力が必要だとか言ってたが、どういうことなんだか」
水明が随分と重そうに首を縦に振ると、ヴァイツァーが怒鳴りかかった。
「貴様、何故そんな重要なことを聞いていない!」
「は?」
「勇者殿にかかわる大事だぞ! それを聞きだせないなど――」
「あーもーうるせーっての。力ずくで聞き出せるような相手じゃなかったんだ。仕方ないだろうが。あ? それともお前が代わりにやってみるか? こっちは最初から最後までトラウマフェスティバルだったんだぞ? ドラゴンだぞドラゴン! 世界七十億の人間とそれらが創り出した文明を単騎で滅ぼせる化け物とお前は戦えんのか!? あ!? あ!?」
「そ、それは……」
八重歯を剥き、目を三角にして憤る水明。ぐるるる……と獣のような威嚇までし始める彼を、フェルメニアとレフィールが「どうどう」と言って宥めている。
「俺は馬か!」
「落ち着いて下さいスイメイ殿。らしくないですよ……」
「らしくなくもなくなるわ!」
「スイメイくん。話がごちゃごちゃになっているぞ。君の世界で戦ったものとは違うんだろう?」
「違うけどドラゴンはドラゴンなんだ! うがー!」
「暴れてはダメだスイメイくん(ぎゅ!)」
「ぎゃぁあああああああレフィさん潰れる潰れる潰れる押しつけ過ぎだぁあああああああ!」
レフィールに両肩を押さえ込まれ、そんな姿に周囲の者は先ほどの話もあってか当惑の視線を送っていた。
(すいめー、らしくないですね)
(よほど追い詰められていたのでしょう。似たような状態のスイメイ殿を前に見たことがあります……)
フェルメニアがいまの水明の状態を重ねたのは、水明がこの世界を訪れた当初、謁見の間で大暴れしたときのことだ。あのときも水明は理不尽な事柄のせいで冷静さを失っていた。魔術を使って暴れないだけの自制は取れているのだろうが、さすがにこういったときは年相応なところが出てしまうのだろう。
やがて、水明が落ち着くのを見計らっていたか、ガイアスが訊ねる。
「名前くらいは訊いてないのか?」
「あ、ああ……名乗ったときにインルーっつってたよ」
「インルーねぇ……」
「ふん? はてそんな名前どっかで聞いた覚えがあるね……」
ガイアスは心当たりなしのようだが、ルメイアには聞き覚えがあったらしい。
ふと気付くと、セルフィが顔を青褪めさせていた。
「セルフィ?」
「……聞いたことがあります。百年ほど前、恐ろしく強い龍人がいたと。当時誰も倒すことのできなかった人を喰らう魔人を倒したと」
「それがあいつってこと?」
「確か、私の師はその龍人のことをインルーと言っていました。おそらくは……」
「……やれやれやっこさん、そんな相手だったか――つーか、百年前でってことは随分長生きだな」
水明がうんざりとした息を吐き出すと、それに答えるようにルメイアが口を開く。
「ドラゴニュートはエルフやドワーフと一緒で長命種だ。あたしもその人を喰らう魔人の話は聞いたことあるからね、たぶんその龍人も百から二百くらいは生きてるんじゃないか?」
「うへぇ……この世界長く生きてるヤツがそんなにいるのかよ。寒気がしてくるんだが」
自分の肩を抱いて震える素振りを見せる水明に、フェルメニアが訊ねる。
「長く生きているのがマズいのですか?」
「俺の世界じゃ長生きしてるヤツは大抵ヤバいって言う基準があるんだ。百年ものだってヤバい奴は相当ヤバい」
「む、スイメイ殿がそこまで言う相手とは……」
フェルメニアが顔を険しくさせて呟く一方、水明はその長生きの化け物たちのことを思い浮かべる。結社の盟主に、議長、妖怪博士。そしてグリード・オブ・テンの魔術師たちもそう、みな恐るべき力を持っている。
話の切れ目に、ふと初美が声を上げる。
「そろそろ話は終わりにしない? 私は大丈夫だけど……」
初美は少し遠慮気味に水明に視線を向ける。彼女の配慮に、水明は特に強がることもなく、
「俺はそろそろお休みしたい。今日はお開きにしようや」
初美も疲れていることを察し、ここは自分から休みを求める水明。男としては強がるべきところなのかもしれないが、勇者から休息を求めさせようとするのは兵の心理的に如何なものかと考えてのものでもあった。
休める場所に引き上げようと、立ち上がろうとしたとき、不意に背後に気配が立つ。その気配の主が誰か水明が確認しようとした折――
「スイメイくんは動けそうにないな。なら」
「へ?」
レフィールの声が聞こえたかと思うと、急に腕を掴まれた。そして、身体が引き上げられる。その後よくわからない回転とひねりが身体に加えられ、気付けば水明の身体はレフィールの背中に納まっていた。
「ちょ、@×〇△!?」
「スイメイくん、言葉になっていないぞ?」
「ならいでか! というか何をするんですかレフィさん!?」
「動くのが億劫そうだったから、おんぶしてあげようと思ったんだが?」
気遣いはありがたいが、男が女に背負われているため、周囲からは変な視線を向けられている。
「や、やめろやめろやめろ! 下ろせ! 俺は大丈夫だから下ろしてくれ!」
「駄目だ。疲れているのだろう。無理はしない方が良い」
「無理も何も女の子におんぶされるとか格好悪すぎるだろ!」
「それは仕方ない。君が限界まで力を使ったせいだ」
「それは俺のせいじゃ……」
ない、と言おうとした水明だが、ふと気付くと、ルメイアが忍び笑いを漏らしていた。
「く、くくく……」
「ちょ、笑うなそこ!」
「だって、ねぇ……」
「だってじゃねぇ! というかフェルメニアもなに笑ってやがる!」
「そう言われましても、スイメイ殿の取り乱しが激しいのが珍しくてですね。ふ、ふふふ……情けない姿を見ると笑いが止まりませんね……」
フェルメニアも水明に指摘されるが、愉快そうな笑みを浮かべるばかり。
それでも我慢できない水明に、今度はリリアナが、
「すいめー、人の好意に甘えるのも、大人の度量ですよ」
とどめを刺すのは、いつも無邪気なものである。結局おんぶから逃れられないことを悟った水明は、恨み言を盛大に叫ぶことしかできなかった。
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおお! お前らあとで覚えておけよぉおおおおおおおお!」
その後、一日ほど砦で休息を取った水明たちは、ミアーゼンへの帰路に就いたのだった。
続きはまだ明日です。