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月下龍人



 静けさに満ち、誰の侵入を阻む黒鋼木(ブラック・ウッド)森はいま、火炎が上げる轟々という気流がせめぎ合う音と、目を焼くほどの灼熱の中に落ちていた。

 水明と初美が魔将ヴィシュッダを倒した直後、突如現れたインルーと名乗る龍人の発した竜の咆哮――竜哮(ドラゴンロアー)によって、森の木々は焼かれ、もはや場に残るは余燼と残り火、そして、もとが何だったかもわからないような残骸のみ。天を見上げれば夜の脅かす炎の色が、闇の下で赤く波打っている。



 その場にいた水明と初美以外の全てが、竜哮の威力によって吹き飛ばされ、水明が求めた英傑召喚の遺跡も跡形もなく消え去っていた。

 いま二人の視線上にいるインルーは、炎の上に。その身体は、文弱の青年という形容がよく似合うほど細身で華奢。背に流れる癖のない緑色の長髪も相俟って、戦いとは縁のない貴人にさえ見紛うほど。しかしその実、数体の魔族を片手で吹き飛ばすほどの力を持ち、その足は根の太い大樹のように地に蟠踞(ばんきょ)して身体を支えている。



 見た目通りとはいかないのは、その身にまとう武威もそう。科学的には解明できない重圧が、彼らの周りを席巻していた。

 一方、剣を正眼に構えた初美は、舞い上がる火片が金の髪にかかるのも厭わぬか。警戒から来る緊張を緩めぬままに、翠色の瞳きりりと鋭く、インルーの問いに訊き返す。



「私に、一緒に来てもらう……?」


「そうだ。理由は未だ明かせぬが、お前の力が必要でな」


「私みたいな小娘の力なんて、たかが知れてると思うけど?」


「お前の力だけならな。だが、お前にはその身が持つ力だけではない別の力が宿っている。違うかな?」



 その言葉が暗に示すのは、初美の持つ勇者の力か。だが、勇者の力が必要だと言うには、



「でも、いまの様子だと魔族を倒してくれっていう理由じゃなさそうね」


「無論だ。連中のことなどは二の次よ。ことが上手く運べば、奴等など途中で消え去る運命なのだからな」



 不敵に言うインルーの目的は、勇者が呼ばれる理由とはまた違うらしい。だが、



「正直言って、不審過ぎる。まず一緒に来てもらうって何? 私の意思は関係なし?」


「我らにとって、必要だからな」


「普通まず先に信頼とか築こうって、思わないの?」


「信じて付いて来いという弄言など元より口にする気はない。なにぶん、お前を丁重に扱うつもりなどないのでな。どう思われようと構わんよ」


「どういうこと? あなたは私に何をさせるつもりなの?」


「理由は明かせぬと言った……が、なに、単にお前を我らが使うということだ」


「人をものみたいに……」



 インルーの言い様に、あからさまに顔を歪め、気を悪くする初美。使う、使えないなどの言葉を言われても頭に来ない人間など、ほとんどいないだろう。

 一方初美を斜め後ろに庇う水明は、赤い視線を差し向けながら、口を挟む。



「そういう後ろ暗い部分ってのは、普通言わないでおいて誤魔化すんじゃないのか? 連れてくんならもっと甘い言葉で誘うのが定石(セオリー)だろ?」


「確かにな。だが、事実我らは勇者を使うのだ。騙すつもりはないさ」


「む……?」



 理由を明かせないという不審さを持つにしては、やたら堂々している。そんなインルーのいささかちぐはぐな対応に、水明が眉間にしわを寄せていると、



「その前に、まずは、だ」



 インルーはそう言って、勇者のことは二の次とでも言うように水明の方に向き直った。



「黒衣の男よ。貴殿の名前を伺いたい」


「俺の?」


「そうだ。我が咆哮を見事防いだ貴殿の名だ。是非にとも耳に入れておきたい」



 そう言って、黄玉のように輝く瞳を真っ直ぐに向けてくるインルー。



「それは、あらかじめ聞かなきゃならないことなのか?」


「当然だろう。名を求めるのは強者への礼儀よ。もしや名乗る名前などない、などつまらぬ答えは止めてくれよ?」



 そんな失望させるなという意思を暗に伝えてくる彼は、やはり底知れぬ武威に包まれたまま。だが、先に礼を取るのは、魔術師の礼儀に通じるものがあると水明は思う。

 これを拒否する理由がないゆえに、礼に則るとして、水明は口を開いた。



「結社所属魔術師、八鍵水明……アンタらに合わせると、スイメイ・ヤカギと言った方がいいか?」



 彼の訊ねの声に、何故かインルーの眉がピクリと跳ねる。



「スイメイ・ヤカギだと?」


「そうだが?」



 自分の名前が、どうかしたのか。インルーの反応を水明が不思議に思っていると、彼は身体に漲らせていた力をふっと解いた。



「そうか。では貴殿がローミオンを」


「あ?」


「いや、謝罪と礼を申さねばなるまいと思ってな。なれば、戦う態勢は相応しくない」



 言った途端、インルーがまとっていた武威が掻き消えた。それよりもなによりもまず水明が気にしたことは――



「どういうことだ? 俺の聞き間違いじゃなかったら、いまアンタ、ローミオンって言ったな?」


「そうだ。エルフのローミオンだ。帝立大図書館で司書をやっていた男。貴殿がいま思い浮かべた通りだ」



 水明が出した困惑の訊ねを肯定するインルー。一方で初美は話がわからず、蚊帳の外に置かれている。だが、言い様がわからないのは水明も同じで、



「アイツのことで、謝罪と礼だと?」


「帝国でローミオンが起した事件、貴殿が決着を付けてくれたと聞き及んでいる。身内の不徳にけじめを付けてくれたことについて、代表して礼を言わねばならないのだ」



 そう言って、インルーは「――かたじけない」とわずかに首を揺らす会釈程度に、軽く頭を下げた。



「……つまり、ヤツはアンタの仲間だったってことか?」


「そうだ。同じ理想を目指す同志の一人だ。いや、だったと言うべきだな」



 彼にとって仲間意識は、すでに過去のものか。ローミオンと聞けば水明も彼への不審さは募るが、さりとてローミオンも闇に呑まれる前は、真っ当な望みを持っていたことは知っている。

 だが、



「よくはわからんが、謝るくらいだったら最初から手綱くらいちゃんと握っておけよ。いくらなんでも救われないぜ? アイツだってよ」


「それについて返す言葉もない。奴の意思が――いや、奴が闇にとらわれてしまっていたことを見抜けなかったのは、全て我らの落ち度だ」


「その口振りじゃあ、あの騒ぎは本意じゃない、と?」


「概ねその通りだ。無論話は帝国で騒ぎを起こしたことではなく、あの少女に害を成したことだがな」



 ということは、帝国での騒ぎで彼、いや、言い回しから判断して『彼ら』に利するものがあったということか。あの事件で、リリアナやローグ以外に被害を被ったものと言えば――



「口が過ぎたな」


「こっちとしてはもっと話してくれてもいいんだが」


「遠慮させてもらおう。貴殿は勘が良さそうなうえ、焦りの内にあっても抜け目ない」



 瞳の内に刃を潜ませながら、インルーはそう口にする。やはり、及び腰が抜けきらないのはこの男に見透かされていいた。



 すると彼は、ふいに憂いに揺れる瞳を見せ、遺憾そうなため息を吐く。



「ローミオンは、我らの方で処分するつもりだった。だが、こちらが奴を討つ前に、貴殿が倒してしまってな。挽回とはいかなんだ」



 言葉の最後に、今更そんなことを言っても言い訳にしかならんがな……と息が吐かれる。未練めいた物言いをする彼の声には、どことなく自らの不始末を恥じる自嘲じみた音が宿っていた。

 しかし、それよりも気になるのは、



「ローミオンの件はわかった。だが、俺がヤツを倒したのを何でアンタが知ってるんだ? 図書館には俺たちを監視していたヤツはいなかったはずだぞ?」


「それはこちらの情報力とだけ言っておこう」



 不敵な言葉だ。だが、それを口にできるだけの情報網は間違いなくあるだろう。水明のことを知っているのが証拠たり得る。

 訊くべきことを聞き終えた水明は、軽く肩を竦めて口を開く。



「なあ、感謝してくれてるんだったら、ここで退いてくれないか?」


「断る。勇者を連れて行く目的もそうだが、なにより俺は貴殿に興味がある。闇に堕ちたローミオンを圧倒した、貴殿の力にな」


「……っ! 勘弁して欲しいぜ」



 インルーから向けられたのは、やはり獲物を見つけた肉食獣が見せるような獰猛な視線と笑みだった。グラツィエラと同等かそれ以上の、戦闘に楽しさを見出すタイプの手合いだろう。竜種、そして戦闘狂。水明にとっては狂人の次に相手にしたくない人種だ。

 苦虫をかみつぶしたようなひどい渋面を見せる水明を見て、不意にインルーが不思議そうに目を細める。



「よくわからんのだが、お前は何故そんなに怯えている? それだけ力があるならば、それほどまで臆病にならずともいいだろう? 不思議だな」


「余計なお世話だ。こっちにも事情があるんだっての」


「そんなものか。……まあいい、そろそろ始めたいのだが、そちらはどう出る? 俺は二人いっぺんでも構わんぞ?」


「戦う前提かよ」


「いままでの話から、勇者の娘が付いて来いと言って大人しく付いてこないことは承知済みだ。なら、力づくで連れて行くことになるのは明白だろう?」


「…………」


「そう険しい顔をするな。それが嫌なら、俺に勝てばいいこと。簡単な話だ」



 顔をしかめて睨む水明に単純明快な回答を出し、インルーは不敵な様子のまま再び武威を身体にまとわせた。




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