聖なる稲妻
初美たちが魔族の攻勢で散り散りになったあと、本隊のいる場所まで戻ることができたヴァイツァーは、休むことなく戦場の真ん中で指揮を取っていた。
「右翼を保たせろ! ヴァルヴァロの軍に伝令を出して左翼の一部を中央に回せ! 本体からの圧力を凌いだのち、右翼で反抗する!」
彼が本隊のところまで戻ってきていたときには、すでに中央に構えていた魔族は進軍しており、連合の四つの軍で構成された本隊と荒野の先の平原で衝突していた。
連合軍にはあらかじめ増員をかけており、魔族の軍は結果的に連合の軍よりも少なくなると見ていたが、しかし進攻を開始した魔族の軍団は予想よりもはるかに規模が大きく、現在は中央部で一進一退の膠着状態に陥っていた。
「く……。本陣に戻ることができても、この状況では如何ともしがたいか……」
趨勢が見える場所から指令を飛ばしたあと、ヴァイツァーは苦々しげに呟く。すると彼の横にいた軍の参謀が、畏まって奏上した。
「殿下! 戦況は五分と五分ですが、覆すには状況が芳しくありません! ここは一度戦線を引き下げ、立て直しを図った方が」
「馬鹿を申すな! 砦の後方まで下げると言うのか! そんなことをしては勇者殿の帰る場所がなくなってしまう! 彼女が戻ってくるまで、持ちこたえるんだ!」
「し、しかし……それでは軍が……」
壊滅はないにしろ、相当の被害が出る。だが、参謀もそれは口にできなかった。
「勇者殿を失っては、それこそ連合の軍にとって大きな打撃となる。我らが女神アルシュナから与るお力が、なくなると言うことなのだぞ?」
ヴァイツァーの言葉に、参謀は異議を唱えることはできなかった。戦場において、勇者の力は強大だ。初美の実力はもちろんだが、英傑召喚の加護の効果も絶大で、いままでの戦場では気力さえ失われなければ体力や集中力が尽きることがなかった。
その事実は軍にとって周知のため、参謀も軍を取るか勇者を取るかを秤にかけるとなると、簡単に答えを出すこはできなかった。
「話はわかる。普通の戦であれば正当な判断だ。だがいまの発言はよろしくない。軍の体面上も、私の精神衛生上においてもな。記録官! いまの参謀の発言は記録するなよ!」
記録官たちはヴァイツァーの温情に応え、返事をする。
そんな中、彼の視界の端にグリーンのローブがはためいた。
「ヴァイツァー王子」
「セルフィか。どうした?」
兵士たちの間から現れたセルフィに、ヴァイツァーが問う。彼女もヴァイツァーが本隊に合流できた頃に、本隊に戻ることができていた。現在は右翼の魔法使いで構成される三個連隊に付き奮戦していたのだが、それを放ってここまで来たとは、何かあったのだろう。
「たったいま、ガイアス師が西側から部隊を引き連れ帰投されました」
「戻ったか! それで、勇者殿は一緒なのか!?」
「いえ、それが。部隊の生き残りは連れてきたものの、勇者殿の行方はわからないと……」
「くっ……!」
淡い期待も天に届くことなく、歯噛みするヴァイツァー。すると、その会話に割り込むように男の音声が鳴り渡る。
「おいヴァイツァー! 戦況はどうなってやがる!」
「ガイアス師! あなたはお下がりをと!」
「フォーバーン殿! 王子殿下にそのような口の利き方は何事ですか!」
ガイアスは陣の後方へ下がることなく、セルフィを追いかけてきていたらしい。彼女と参謀の悲鳴が重なった。
しかしその一方で、ガイアスとヴァイツァーは気にした様子もなく状況を確認し合う。
「おい!」
「芳しくない」
「魔族のクソ共を押し返すことは!?」
「いまどうにかしようと動いている」
本隊が苦戦していることを知り、初美の救出が遠のいたのを悟ったのだろう。ままならぬ状況を苛立たしげに蹴飛ばすかの如く、ガイアスは地面を蹴りつける。
「あいつはオレたちが守らなきゃいきなかったのによ……」
「それを言うな。勇者殿にああ言われれば、我らは従うしかないのだ」
肩を落として地べたに座り込むガイアスに、詮無きことだと諭すヴァイツァー。初美の実力は知れたことだし、それ以外にもまだ把握していない力がある。そんな彼女に大丈夫だと言われれば信じざるを得ないし、勇者の命令であるため従うほかなかった。
「ガイアス師、お下がりを! 怪我は治っても、体力の方は限りがあるのですよ! さあ早く生き残りの方々と一緒に」
「わかってるが、この状況でできるかよ。オレはここでハツミの帰りを待つ」
「しかし……」
なおも食い下がるセルフィとは反対に、ここで権限を有するヴァイツァーは、
「勝手にしろ。だが邪魔になるなら……」
「おう! 置いていきやがれ。大事なものをはき違えるな」
どうも意思疎通は完璧であるらしい。憎まれ口なのかは判断しかねるが、そんな二人を見て、セルフィは落ち着かなさの混じった呆れのため息を吐く。
すると今度は陣の後方から、兵の一人が息せき切って駆けてきた。
「伝令! 先ほど宵闇亭のギルド員で構成された応援が到着しました!」
走ってきた報せは増援の連絡だった。しかし、いまのヴァイツァーたちにはその連絡も、さしたる朗報ではない。
「いま到着したところで……」
戦況が好転するわけでもないのだ。これがギルドの応援でしかない以上、軍隊規模で人間が動いてきたわけではない。それではこの数を圧倒するには足りなさすぎる。
「ですが構成員は高ランクの使い手たちに加え、あの山茶花の剣舞后もご一緒です。当分の戦線の維持は見込めるかと」
「確かにそれなら……」
「だが魔族の軍勢の進攻は勢いがある。そう思うようには――」
いかない。光明があるとセルフィが声に明るさを滲ませるが、ガイアスは渋い顔をしたままだった。だが、彼が言いかけた折、今度は陣の前方から伝令が現れる。
無論そちらは、たったいまも連合の兵士が戦っている前線であり、そこから急な伝令が飛んでくるということは、
「正面が魔族の部隊に抜かれました! 間もなくこちらに!」
「なんだと!」
「なにやってやがる! くそっ!」
にわかに降って湧いた危機に、ヴァイツァーとガイアスが怒鳴り、側にいた参謀が顔を青褪めさせる。兵士の壁に穴を開けられた。そして抜けてきてなお、その場で兵を殲滅せずに来る……ということは、指揮官狙いに間違いはない。
ヴァイツァーは剣を抜き、ガイアスも立ち上がる。
「応戦する! 参謀たちは後ろに下がって応援を呼べ! ここにいる者はすぐに陣形を整えろ! 魔族を迎え撃つぞ」
ヴァイツァーの号令に合わせ、その場の兵士たちは機敏に動く。槍兵は一番前に出て横並びになって槍衾を構築し、その両翼を固めるのは剣士たち。後方、ヴァイツァーのいる場所には魔法使いたちが立ち並び、初撃を魔族に対し正確に撃ち込むべく、詠唱のタイミングを見計らっている。
ガイアスもセルフィも準備を戦う整えると、魔族が見えてくる。
「多いぜ……」
前方の守りを抜けてきた魔族の数は、百を優に超えていた。巨大な魔物も魔族もひと塊になって、恐ろしい速度で突っ込んできている。
「まず魔法を撃ち込みます。そのあとは残りをお願いします」
セルフィの言葉に、ヴァイツァーとガイアスが無言で頷く。誰も彼も顔色は悪く、冷たい汗を垂らしていた。隊列の構築は間に合ったが、魔法使いの数が少ないため、初撃では最前列を走る魔物を吹き飛ばす程度。次の詠唱完了までは槍兵と剣士の仕事だが、そちらも魔族に比べて数が少ないため、援軍が来るまでに果たして保つのかどうやら。
ヴァイツァーたちは息を呑んで、魔族が魔法を受けるラインに来るまでを待つ。
間もなく、魔法使いたちが一斉に詠唱を開始し、すぐに魔法が撃ち込まれる。魔族に向かって砲弾のようになだれ込む火球。槍や剣が前方の爆発でオレンジに輝き、やがて炎の中から後続の魔族が次々と現れる。
魔族の勢いに衰えはない。考える以上に、被害を与えることはできなかった。
誰もが諦観に唾を呑み込み、悲観を持って臨もうとしている、そんなときだった。
塵の後方から、厳かで静かな女の声音が風に乗って辺りに響いた。
「――あまねく風をその伝えとし。揺らぎに映えるその炎を御もとへと。我が声よ届け、汝白く染まりしアイシム。我が声よ届け、汝あらゆる厄災を振り払えしアイシム。しかして我いま一度謳い、唱え上げん。イーヴァ、ツァディック、ロゼイア、デイヴィクスド、レイアニマ……」
響いてきたのは、呪文の詠唱だった。中空に白い魔法陣が現したかと思うと、すぐさまそれは輪転。魔法陣の回転が周囲の空気を掻き見出し、辺りに暴風を生み、そして白い魔法陣が白熱した光を放った。
「――薙ぎ払え! 白薙炎!」
白の炎を周囲にまとわりつかせた閃光が、甲走った悲鳴のような音を伴って魔族を横薙ぎに振り払う。
白光が横薙ぎに通り切ったあとわずか遅れて。乱された風が、舞い上がった砂塵が、魔族に向かって吹き飛ぶと同時に、全て真っ白に爆裂した。
無音のあとに、落雷めいた轟音と地揺るぎ。白光の消失と一緒になって、魔族の姿も消えていく。槍兵の前で白い炎の残りがいまだ気勢を上げる最中、我に返ったヴァイツァーが大声を上げた。
「これは!?」
「おそらく魔法ですがこの威力は……」
どういうことかはわからない。このような途轍もない威力の魔法を使う使い手など、連合には存在しないからだ。ヴァイツァーに呆然としながらもそう伝えるセルフィ。
ガイアスが眩い白い炎に照らされながら、唖然とした表情で呟く。
「にしてもなんつー威力だよ……いまのでほとんど吹き飛んだぞ……」
「それだけではありません。余波と残り火で周囲の魔族が倒されています。私たちが手を下す必要はなくなったかと」
「こりゃぁ悲壮な覚悟が無駄になったな……」
「ありがたいことにな。だがしかしこのような魔法、一体誰が……」
ヴァイツァーが眉をひそめていると、後方に控えていた兵士の垣根を割って、一人の影が現れる。つややかな銀髪と、魔族を焼いた炎と同じ色のローブ。無論それはいましがた魔法で魔族を倒した――フェルメニア・スティングレイだった。
「――どうやら、間に合ったようですね」
「いまのお前さんか――って、食事処で会った姉ちゃんじゃねぇか!?」
見覚えのある姿に目を瞠って驚くガイアス。そんな彼に、フェルメニアは神妙な態度で再会の挨拶をかける。
「フォーバーン殿、お久しぶりです」
「あ、ああ……」
「知っているのか? この方は何者だ?」
「いや、この前の帰りに食事処で会ったんだが……いやすげぇ魔法だな。白い炎が……」
フェルメニアの使った魔法、そしてガイアスの言葉でセルフィはピンと来たか。彼女は驚きの表情を見せる。
「――もしやアステルの白き炎、白炎のフェルメニア・スティングレイ殿ですか?」
「え!? ええっとぉ……」
自分が何者なのか一瞬でバレてしまったことに、慌て出すフェルメニア。白炎薙ぎ使えば、こうなることはわかっていたはずだが。
「おいおい、姉ちゃんはあの白炎だったのかよ……」
「しかしどうしてアステルの宮廷魔導師殿がここに?」
フェルメニアの正体――アステル王国の宮廷魔導師だということを知り、ヴァイツァーが困惑していると、その後ろから水明が現れる。
「まあ、いろいろとな」
「お前は!?」
「よっ」
驚くヴァイツァーに、水明は軽く手を挙げてみせた。ガイアスたち含めての挨拶だが、そんな風に気安げな挨拶をする水明を見て、ガイアスが妙に納得したような表情を見せた。
「……この姉ちゃんがここにいるなら、そりゃあお前もいるよな」
「そりゃあな。それに、俺たちだけじゃないぜ?」
そう言って水明が振り返った先では、ルメイアが煙管をふかしていた。
「ラルシームの拳将殿。久しぶりだね」
「うげ!? 七剣の山茶花!」
「あ? 何が『うげ』だよ。あんたまたあたしにぶっ飛ばされたいのかい?」
「勘弁してくれ……いや、ください」
ガイアスの頼もしい表情が、ルメイアを前に弱り切った表情に変わっている。何かあったのか。ルメイアのぶっ飛ばされたいのかいという言葉で、大体予想は着くが。
一方、セルフィが不思議そうな表情を浮かべてルメイアに訊ねる。
「ではあなた方はギルドの援軍なのですか?」
「ああ、そうだよ。ところでなんだが……」
ルメイアが周囲を見回していると、レフィールとリリアナがひょっこりと出て来た。
「ここも随分押されているようだな」
「いい雰囲気では、ありませんね」
「剣士の嬢ちゃんにちっこい嬢ちゃんもいるのか……ああ、魔族の数が予想をかなり超えていたらしい」
戦場慣れしている二人は、軍の置かれている現状がなんとなく読めるらしい。いや、芳しくないどころか、悪い。敗走まではいかないが戦線を維持するのが厳しくなっている。
それを聞いたルメイアは、渋い顔をしてため息を吐いた。
「それで、こんなぐだついた状態なのかい。――ああ、あとギルドの連中は他のとこの支援に回してるよ。ヴァイツァー殿下、構わないよね?」
「はい。ご助力感謝いたします。山茶花殿」
そんな中、ふと水明が怪訝そうに辺りを見回す。
いるはずの人物が、ここにいないことに気付いた。
「なあ、初美はここにはいないのか?」
「そういえばいらっしゃいませんね」
同じようにフェルメニアも探してくれるが、やはり彼女の姿は見当たらず。初美の仲間や連合の兵士が苦々しげな表情をしていることに気付いた水明は、再度声を掛けた。
「なあ、初美はどこだ?」
「……それを聞いてどうする?」
水明の問いに、ヴァイツァーはどこか苛立った様子で問い返す。それに水明は、顔をしかめて問い返しを重ねた。
「なんだよ。聞いちゃ悪いのかよ?」
険を込めて訊ねるが、ヴァイツァーは睨むような視線を向け、むっつりとしたまま。
一方そのやりとりを聞いていたミアーゼンの兵士たちは、憤懣やるかたなし。自国の王子にそんな不遜な態度を取られては黙っては置けないといきりたち、それを代表して参謀が水明に食ってかかる。
「おい、貴様! 殿下に向かってなんて口の……」
「黙れ。部外者は口を閉じてろ」
誰がどちらを止める暇もなかった。水明が間髪容れずに口にした言葉で、参謀の口は強制的に閉じられた。自分の意思で口を開けなくなったことに、参謀は驚きもつかの間、手などを使って慌てて口を開けようともがいている。
「次に文句を言いたいヤツはどいつだ? 出てこいよ」
水明が睨み付けると、ミアーゼンの兵士たちはたじろいだ。それに遅ればせて、ガイアスが身振りを使って、「下がってろ」と警告する。
先ほどの砕けた態度とは打って変わって、水明も表情に苛立ちを滲ませる。すると、セルフィが口を開いた。
「ハツミはここにはいません」
「いない?」
「はい……」
セルフィは消沈した調子で頷く。
そして、水明たちに境界砦であったことを話した。
「…………じゃあ、アンタらは救援にいった砦を襲われて」
「そして散り散りになったあと、合流したのは我々だけだ……」
「おいおい、そんなことになってるのかよ……」
ヴァイツァーの呻くような声を聞いて、額を押さえる水明。状況は予想もしていない方へ向かい、そして最悪だった。
「助けは……出せるモンなら出してるよな」
水明は誰に答えを聞くまでもなく納得し、しばしの間黙り込む。そして、今後の行動の指針が定まったと言うように毅然とした表情でセルフィに訊ねる。
「で? どっちだ?」
「どっち、とは?」
「その境界砦とやらがある方向だ」
「貴様なぜそのようなことを訊く?」
「助けに行くんだよ。決まってるだろ? ある程度場所がわかれば探しやすいからな」
水明がそう言うと、ヴァイツァーが驚きのままに食って掛かる。
「お前……そんなことをすれば魔族の軍勢に突っ込むことになるんだぞ!?」
「言われなくてもわかってるよンなことは」
「わかっているだと!? 馬鹿を言うな! それでも魔族の中に突っ込むなどとは、どういった了見だ!」
確かにいまのは、普通ならば気がおかしくなったと思われるような発言だ。しかしそれは、ただ魔族の軍勢に突っ込む場合の話である。彼の怒りもわかるが、水明には、怒鳴りかかってくるヴァイツァーには、どこか焦りが感じられた。
「いやお前、さっきからなに怒ってるんだよ?」
「別に私は怒ってなどいない!」
そう言い放って、はあはあと肩を上下させるヴァイツァーに、水明が言う。
「まず落ち着けって。いずれによ、初美を助けるにはすぐにでもアイツのところに行かなきゃマズいじゃねぇか。ここでできるできないの問答をしている場合じゃない」
もっともなことを言われ、ヴァイツァーは言葉に詰まる。そして、彼は怒りを飲み下すように、悔しげに俯いた。冷静さを欠いていたことを、悟ったか。
「……お前に出来ると言うのか?」
「俺がやらなきゃならねぇの。俺の役目だ」
そう口にした水明に、セルフィが慌てて言う。
「で、ですが、たとえいま砦の場所へ向かったところで、ハツミの足取りを追えるかどうかわからないのですよ?」
「そこは頑張って探すしかないさ。そうしないことには始まらない」
「だがな兄ちゃん、お前の向かおうとしている場所には魔族がいるんだぞ?」
「だからオッサンたちは連中を沢山引き付けてくれよ。そうすれば、上手いこと奥まで入り込める」
彼らが思いつく一切の不安を、水明はなんてことはないと振り切った。その様子に、三人は黙り込む。
「ではスイメイ殿、我らも一緒に……」
そうフェルメニアが同道を申し出た折、レフィールがそれを遮る。
「いや。フェルメニア殿、私たちは残るぞ」
「同行することに何か問題でも?」
「これは負け戦だ。平地では数に負ける連合の兵は不利だし、緒戦で圧されている以上挽回はおろか戦線を保つことも不可能だ。魔族を引き付けるのは、私たちがやるしかない」
フェルメニアを引き留めたレフィールは、遠く戦場の前方、砂塵立ち込める前線を見遣って言う。そんな彼女に、ルメイアが薄く笑って顎をしゃくった。
「言い切ったねぇレフィ。あの数だよ?」
「奴らがノーシアスに攻め込んできたとき、私が斬った数も大体あれくらいです」
彼女はそう不敵にうそぶいた。戦場に向かう前の戦士の、頼もしい言葉だ。連合の兵もヴァイツァーたちも、特に気にした様子はない。
だが、その言葉がただの大言でないと思う者は少なからずこの場にいた。
リリアナが、ぎこちない調子で訊ねる。
「レフィール。それはうそ、ですよね?」
「ああ、もちろん嘘だ」
そう言うが実際どうなのだろうか。ノーシアスに攻めて来た魔族の軍団は、途方もない数だったと聞く。それが真実ならば、彼女の実力を鑑みるに。
「あのー、スイメイ殿……」
「ああ。あながちウソにも聞こえないところがまたな……」
「ええ……」
こそこそとフェルメニアと二人で内緒話。まさか本当というわけではないだろうが、かなりの数を倒したことについては間違いないだろう。いまの話のせいか、たとえ前方に見える魔族の軍団に彼女が一人で突っ込んだとして、平気な顔して戻ってくる様子がありありと浮かぶ。
そんなレフィールの豪語に、ルメイアがからからと笑い出す。
「言うじゃないか。えらく機嫌がいいね」
「久々にいい鬱憤晴らしができそうで嬉しいだけです。魔族と戦うのはアステル以来ですので」
と、言い切ったその声は、並々ならぬ怒気を孕んでいた。そして、振り返るレフィール。
「と、いうことだ。スイメイくん」
「ああ、よろしく頼む。フェルメニアもルメイアさんも」
「はい。スイメイ殿はスイメイ殿のやるべきことを」
「あいよ。ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと助けてきな」
二人が返事をすると、ここまで付いてきていたリリアナが申し訳なさそうに漏らす。
「……私は、何もできそうに、ありません……」
「今回は他のことで大活躍だったろ。今日はフェルメニアの魔術を見て、勉強しといてくれ」
気にするなと快く言う水明に、リリアナは頷きを返した。
水明たちの方では話が滞りなくまとまっている。だが、他の者には不安しかなかった。それもそうだ。いま水明が向かおうとしている先に――
「砦はここから北東にあります。ですがあの厚い布陣をどう潜り抜けるのですか?」
「どうって、別にあの中を潜り抜けるつもりなんて俺にはないさ」
水明はそう言ってセルフィが示す場所に向かって顎をしゃくる。遠間、微かに見える先には、魔族が軍を揃えつつあった。連合の軍はなく、がら空きであるにもかかわらず、攻めずにまるであの場を守るように布陣しているのは、いささか腑に落ちないが、それについては一計ある水明にとっては危惧するようなものでもない。
だが、
「馬鹿な。大回りしたところで、魔族の手から逃れられるわけではない」
「そりゃああの数だから当然だろうな」
要領を得ない口振りに、困惑を強める。そんな中、水明は前に出た。
彼の背に、ガイアスの声が追い縋る。
「おい、兄ちゃんお前聞いてるのか!?」
「聞いてたよ。だからアンタらはちょっと下がってくれ」
「あ?」
聞いているのかいないのか、そんな態度の水明に、怪訝さを深めるガイアス。彼の声に応えることなく歩み続ける水明が、さながらコートを翻すかのような仕草をすると、グリーンのまといが一瞬で黒のスーツへと変化する。
未だ困惑拭えぬ他の二人や軍の関係者たちの一方、フェルメニアたちは水明の言う通り、大人しく後ろへ下がっていた。
そして、
「――Abreq ad habra……」
(――死よ。汝は我が雷が前に滅びん……)
戦場の空に響く水明の静かな声。やがて舞い降りる、女の無機質な絶叫。