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ライ麦畑でつかまえて(The catcher in the rye)

作者: 御衣黄

 もし君が、本当にナンパの話を聞きたいんならだな、君はその方法とかコツとかを聞きたがるかもしれないけど、僕はそんなことは喋りたくないんだ。だけど、まあ彼女とのことは話してやってもいいかもしれないな。


 先週の日曜日はさ、久しぶりに部活がなかったんだよ。ホントは家でゴロゴロして漫画でも読んでいようと思ったんだけど、天気が良かったからな。外で昼寝しようかなって、大釜公園まで出掛けたんだよ。結構大きな公園だよな。僕の家はその近くにあるんだよ。歩いて五分ぐらいだ。だから、服装はジャージ姿だったんだぜ。

 やっぱ天気のいい日曜日の午後は、たくさん人がいたんだなあこれが。迂闊うかつだったよ。昼寝しようと思った芝生の上は、ガキを連れた大人どもでいっぱいだったんだ。ゴロンと横になってもそいつらがうるさくて、眠れやしないんだよ。仕方がないから、僕は空いているベンチでもないかと他の場所を探したんだよな。それでもポカポカ陽気が気持よくて、歩いてても眠ってしまいそうになったんだよ。こりゃ早く見つけなきゃと思ったね。

 公園に大きな池があるだろう、その周りをグルっと回ったね。だけど、ベンチはというベンチは昼間からイチャつくバカップルどもが占領してたんだ。横目で見ながら、どっか行けって心のなかで悪態はついてやったさ。でもさ、ちょっと寂しかったのも事実なんだよな。まあそれでも、池を一周する前に空いたベンチを見つけることが出来たんだ。おまけにいい具合に木陰でさ。昼寝にはもってこいのベンチだったよ。ラッキーだったぜ。

 両手をベンチの背もたれにかけてキラキラ輝く池を眺めてたね。木々の間を抜けるそよ風が気持ちよかった。知らぬ間に寝込んじまったんだ。眠っている間がどれくらいたったのか覚えちゃいない。時計も携帯も持ってなかったからね。それでも二十分ぐらいじゃないかなと思うよ。


 なんで目を覚ましたかってことなんだけど、隣に人の気配を感じたんだよな。ベンチに横一文字にごろ寝すりゃよかったとその時は思ったよ。それにベンチの右寄りに座ってたからね。人がいればうかうか眠っていられない僕の性分が恨めしかったね。一応どんな奴か気になって薄目を開けて確認しようと思ったよ。まだその時は寝たふりを続けていたからね。

 どうせ爺か婆さんかと予想したけど、意外だったね。僕らと変わらないぐらいの女の子だったんだから、かなりドキドキしたよ。横顔も可愛く見えたよ。肩を通り越したロングヘアーでさ。でも彼女も僕と同じ普段着みたいでね。飾りっけのない白のワンピース。この近所の子かなと思ったけど、知らない子なんだよな。もしかしたら、大崎女学院の生徒かなって考えたよ。あとで聞いたけど、これは当たってたんだけどね。

 僕は開けた薄目を閉じて考えたよ、声をかけようかなって。言っちゃ何だが僕も助平すけべだからね。なんて言ったかな、そうそう、据え膳食わぬは男の恥ってやつか。それで、もう一回彼女を観察しようと思ったわけだ。何か話しかけるきっかけが欲しかったからね。

 彼女はどうやら読書してるみたいだったんだ。手に本を持ってるんだよ。これはチャンスと思ったよ。意外に思うだろうけど僕もそれなりの数の本を読んでるのさ。言っとくけど漫画じゃないぞ。君に比べれば小説なんかをたくさん読んでるんだよ。それでさ、その彼女が持っている本のページを捲った時、表紙が見えたんだよ。黄色と青の表紙でさ。それで思わず声を出してしまったんだよ。

「ライ麦畑でつかまえて……」

 これには僕も彼女もびっくりしてしまったよ。彼女は僕の顔をまじまじと見てるし、僕もしまったと思ったよ。それでなんか言わなきゃって考えてしまって、なかなか声にならないんだよ。そして、口にした言葉がまたセンス無かったんだよな。

「その本、何処で見つけたんですか?」

「え、この本ですか――。図書館から借りたんですが。なにか?」

「いえ、僕も以前から読みたいなって思っていた本でしたから……」

 これには参ったね。って、本の話だよ。J.D.サリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』。僕も古本屋で随分探したんだけど見つからなかったんだ。書店ではもうないって言われるし。まさか図書館にあったなんて思い浮かばなかったんだ。なんで読みたかったというと、アニメ好きの君も知っているかもしれないけど、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の中で登場するんだ。でさ、その黄色と青の表紙が、実際に出版されている表紙とアニメの映像が同じなんだ。アニメの中でもう一冊『アルジャーノンに花束を』っていう本も出るんだけど、これも売れてる本の表紙と一緒なんだよな。


 おっと、話がそれてしまったな。でさ、都合よく彼女から話しかけてきたんだよ。

「あなたも本がお好きなんですか?」

 “お好きなんですか”と来たもんだ。やっぱり、お嬢様学校の生徒って思ったね。それに答えると彼女はまた続けて質問してくるんだよ。

「他にどんな本がお好きですか?」

「そうですね。ダニエル・キースのアルジャーノンに花束を、が好きですね……」

 アハハハ、偉そうに趣味は読書って言ったけど、もっぱら読んでいる本はラノベなんだ。ラノベの名前出したら引かれると思ったんだね。咄嗟だからそう言ってしまったんだよ。『アルジャーノンに花束を』は確かに読んだよ。でも彼女のほうが確実に僕より読書家だったんだよ。

「ダニエル・キースは私も大好きです。二十四人のビリー・ミリガンなどは、難しかったですけど面白かったです。それもお読みになったことがありますか?」

「生憎まだそれは読んだことがありません……」

 僕はそろそろやばいなあと思ったよ。このまま本の話を続けていたら、いつかボロが出るってね。話を変えなきゃって、話題を逸らそうとしたのさ。

「僕は読書も好きですがスポーツも好きなんです。部活では大釜高校の野球部に所属しています。日曜日は部活動で学校に行くことが多いのですが、今日は休みで、それでも天気が良かったので、ここでランニングしていたんです。休憩してつい眠り込んでしまいました。アハハハ」

 それを聞いた彼女がさ、口に手を添えて笑いをこらえてるんだよね。でもさ、目は明らかに笑ってるんだよ。その笑顔がほんとうに可愛いんだよ。一目惚れってやつだと感じたね。胸がキュンときたんだよ。ああ、今まで何人かの女の子とデートしたことはあるよ。でも、こんな気持になることはなかったんだね。くれぐれも言っとくが、咲子には内緒にしといてくれよな。

「あなたは大釜高校の何年生なんですか?」

 彼女のその質問にハッとしたね。そう言えばまだ自己紹介もしてないし、彼女の名前も聞いてなかったんだとね。僕も結構舞い上がっていたんだよ。

「この四月で三年生になりました。自己紹介が遅れたけど、景山正樹がけやままさきです」

「じゃあ、私と同い年なんですね。草光彩子くさみつあやこといいます。大崎女学院に通っています。初めまして」

 そう言うとまた彼女がニコッと笑ったんだね。これには鼻の下が伸びそうになったよ。でもこのままベンチに座って話をしてても、共通の話題がないかもしれないと思ったんだよ。なにせ彼女はあのお嬢様学校の生徒なんだからね。うちの同級生の奴らとはわけが違うんだからな。そこで思い切って誘ったわけなんだ。

「読書もいいですけど、こんな天気の良い日曜日です。少し体を動かしませんか?一緒にボートなんか如何です?」

 なんて、少しキザっぽく誘ってみたんだよ。その時の言葉使いは自分でも気持ち悪くなるぜ。今考えるとね。

「えっ、私、ボートには乗ったことがないんです。池に落ちてしまわないかと少し怖いんです」

「大丈夫です。僕はこの近くに家がありまして、小さい時から何度もこの池の手漕ぎボートに乗っています。全然怖くないですよ。貴方みたいな素敵な女の子と一度乗ってみたかったんです」

 その誘いに彼女は少し照れたように僕の目に映ったんだけど、僕の心臓もバクバクだったんだ。まあ、ある意味、誘いの内容は事実でもありそうでもない。彼女のような素敵な女の子とは初めてだった。まあ、咲子とは乗ったことあるけどね。

「きっと、池の上は気持ちいいですよ」

 そう言ったら彼女はすっと立ち上がったのさ。決意したような感じだったよ。男に誘われたことがないのか、本当にボートが怖かったのかよくわからないけど、それでも僕の誘いに答えてくれたんだ。


 池の貸しボート屋でそれを借りると、いいところを見せようと僕はすっと乗り込んだね。やっぱり彼女はためらい気味だったから、僕は手を差し伸べたのさ。ボートに乗ろうと誘ったのはいいアイデアだったとこの時思ったね。公明正大に手が握れるんだ。彼女は素直につかまって、飛び乗った時少し揺れたんだ。「キャッ」と言った彼女の悲鳴が可愛かったよ。僕たちはゆっくり座って、それから僕はオールで漕ぎだしたんだ。向かい合った彼女の顔から次第に恐怖心が抜けていくことが分かったんだ。だんだん笑顔になっていく。

 眩しかった。うん、水面の輝きのことじゃないよ。彼女の姿がね。長い黒髪もサラサラと棚引いているし、白いワンピースの袖や裾も風に揺れているんだよ。その細めの体の凹凸おうとつを残してね。彼女は髪をかきあげながら風を感じているみたいだった。

 周りには他にもカップルが乗ったボートがいくつかあったけど、僕らはカップルに見えなかったかもしれないね。彼女はともかく僕はジャージを着ているんだから。辺りを泳ぐアヒルたちだって、僕らを恋人同士とは思わないだろうね。まあ、恋人同士じゃなかったんだけどね。

 話題には困ったけど、それでもボートの上で何か話したよ。彼女に見とれていてよく憶えてないけどね。他愛もないことだったよ。

 それから、彼女に「ボートを漕いでみない?」って提案したのさ。

 彼女もボートに慣れてきたのか「うん」って返事したんだ。それで、しゃがんだまま席を交代したんだ。そしたら、ボートが大きく揺れたんだ。

「キャー!」

 彼女の悲鳴にはびっくりしたね。周りのアヒルたちもそれに驚いて飛び立ってしまうし、他のボートに乗っている人達もみんな僕らを見るんだから、僕も恥ずかしかったよ。勿論、彼女も真っ赤な顔をしてしまった。

「――ごめんなさい」

 彼女は小声でそう言った。

 僕は「ドンマイ、ドンマイ」って慰めたよ。それに、このまま池の真ん中で漂ってるわけにもいかなかったから、彼女に漕ぎ方を教えたんだ。最初はなかなか真っ直ぐに進まない。右へ行ったり左へ行ったり、他のボートと衝突しそうになったこともあったけど、その時は相手が避けてくれた。目立ったのがかえって良かったかもしれないね。

 それでも、なんとか漕ぎ方をマスターしてくれたから、岸へ戻ることにしたんだ。桟橋にゆっくり横付けして、まず僕から降りたんだ。そして乗り込んだ時と同じように彼女に手を差し伸べてそれを捕まえた瞬間、彼女がバランスを崩したんだ。

「キャーー」

 僕は倒れそうになった彼女の手を引っ張って引き寄せたのさ。そしたらスーッと彼女の体が僕の胸の中に飛び込んできたんだ。彼女の胸の温かみを感じたねえ。その時の僕の表情を想像すると、もの凄くだらしなかったかもしれない。体をこわばらせていた彼女がゆっくりと僕の顔を見上げると、悲鳴を上げて僕の胸を突き飛ばしたんだ。それで、僕は反対側に停めてあったボートの上に転がって、そのまま転覆してしまったのさ。これが先日のボートの難破ナンパの一部始終さ。


 後は君が見た通りの光景になるわけだ。おっと、長い話になってしまった。そろそろ行かなきゃ。その彼女に借りた『二十四人のビリー・ミリガン』を返しに行く約束をしてるんだ。

 もう一度言っとくがくれぐれも咲子には内緒だぞ。咲子は僕の彼女でもないくせに、幼馴染顔をしたがるんだ。こんな話が耳に入ってしまったら、また変なおせっかいを使って、恋愛相談聞いてあげるよなんて言ってくるんだから、いい迷惑なんだよ。いいな、約束だぞ。

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