第50羽 俺は裏工作をしていて――、
夜道を歩きながら考えを巡らす。
一年かけて必死で作り上げたボランティア団体は、一週間という驚異のスピードで解散することになった。ここまで大規模な組織を作り上げた労力と比較すると、崩壊するときはあっけないもんだ。
正義ぶって何かを変えられるかもしれないと足掻いた先に待っていた、その末路は――孤独だけだった。
咲乃をあれだけ虐げていた奴らは今までの記憶をすっかり失くしたかのように、平然と学校生活を送っている。自分は無関係でした、イヤイヤ無視していましたとばかりに、仲良さげに咲乃話しかけるようなやつらまでいる。そうやって自分の過去から背を向けたい奴らがとった行動は、表立っていた人間の排除。
つまりは、先生と俺だ。
自分たちのやっていたことを棚上げにするための、なすりつける標的にはうってつけで、なにより分かりやすい。
先生はすぐに姿を消してしまったから、全ての悪意は俺に向けられた。
だがまあ、排除っていってもただ学校のやつ全員から無視されるぐらいだ。自分で言うのもなんだが、強面の俺にそこまで正面から向かってくる勇気を持っている奴もそうはいないだろう。
この処遇にはまあまあ納得している。こうなったのも、当然の報いだしなあ。
……だけど、これからどうすればいいのか、俺のやりたいことってなんだろうなって思う。
ずっと理事長の指示通りに動いて、あの人の背中だけを追いかけてきただけの俺には、いったいどれだけの価値があるんだ。
いきなり自由になったからといって、何をしてもいいのか分からない。それを相談できる相手もどこにもいない。……まあ、足でまといがいなくなってせいせいしてる。
そう、そうに決まっているんだ。
ガチャガチャと五月蝿い音が暗がりのなか響く。
目の前に大荷物を持っているかのように、何かを抱えている人間がこちらに歩いてくる。怪訝に思いながらも、俺は道をあけようと脇に移動しようとするが、近づくにつれてそいつがここにいるはずがない人間だとわかって目を見開く。
「なにやってんだてめぇ? ……馬鹿だろ」
ドサッと置いた複数の袋の中には、空き缶やらゴミがかなり入っている。帽子を深目に被りながら、軍手仕様。こんな夜中に怪しさ極まりない見た目だ。
「あたしは馬鹿なんスよ、馬鹿だからゴミ拾いぐらいしか思いつかなかったんス」
野球帽をとると、ススキの髪がバサリと流れる。
「ボランティア団体はもうなくなっただろうが。だからもう、お前はそんなことをする必要はねぇんだ」
「なんでッスか? もう犯罪防止の大規模な見回りはできないにしても、一人ならこのぐらいはできるッスよ。それにボランティアはもともと、強制されてやるものじゃないッス。自主的に意欲が湧いたらやるもんじゃないッスか」
ゴミ袋の膨らみから、いったいいつからこの途方もない作業をたった一人でやってきたのかと思う。
なにより、あの一件からボランティアをやってはいけないという風潮がなぜかあった。
やってはいけないという暗黙の了解みたいなものがあって、なにか親切な、ボランティア的なことをやった人間は事件の当事者だったんだという目で見られた。
そんな人目があって、この島の噂の伝播力も既知である人間が、こんなことをしてどうなるかぐらいの想像はつくはずなのにな。
「この帽子、覚えてるッスか?」
とった野球帽を暗がりなの中見せつけるられる。勿論覚えている。
「……カッシーが、夜道は危ないからってくれたもんスよね。今でもそれが嬉しくてかぶってるッス」
「…………そうかよ」
「今回の件だって、カッシーなりの正義があったんッスよね?」
「……ああ? 正義?」
「焚きつけたって聞いたッスよ。もしかして……優ちゃんが立ってくれるっていう確信があったんじゃないんスか」
……優ちゃんか。いつの間にそんな気軽に呼ぶような関係になっていたのやら。
もうちょっとなにかやっておいたほうがよかったかな……。
「そんな確信持てるわけねぇだろ。あいつが勝手にやったことだよ。……俺は何もしてねぇ」
「でも、先生に分からないように学校の裏サイトで徐々に言葉の表現を変えていって、みんなの意識が変革するように仕向けたのも。それからマグロちゃんを説得して初めに紙を捨てるように指示したのも、全部カッシーですよね」
「……マグロには黙っておけと再三に渡って言い聞かせておいたつもりなんだがな」
「あたしが無理やり聞いたんスよ。……だから、マグロちゃんは悪くないッス」
……こいつにだけは言うなってあれほど言ったんだけどなあ。
誰かが動けばそれを模倣して皆は同じ行動をとるはずだと睨んでいたが、この俺が髪を捨てたやっただけじゃだめだ。ヘタをすればただの、上の人間の内輪もめとしか見られない。そうなってしまったら、あいつを助けることができなかったからなあ。
だから他の第三者の協力が必要不可欠だった。
そして白羽の矢がたったのは、島の外からやってきた登坂と、不登校だったマグロだったというだけの話だ。
「はっ、俺は利用しただけだよ……あいつらをなあ。もしもしくじったら俺はただの裏切り者扱い。あいつらはていのいい保険だよ、保険。俺が傷つかないためのなあ」
ススキはぶんぶん頭を振りながら下をうつむく。
「もう……カッシーは傷ついているッスよ。学年は違っても、カッシーが独りぼっちになっているっていうのは聞いてるッスから」
なにか、言い訳を……。適当でもいいから理にかなっているような嘘を吐こうとする前に、ススキは口を開いた。
「……あたしに心配をさせたくないから、巻き込みたくないから、最近ずっとあたしのこと避けてたんスよね?」
なんでこいつはこんな時にだけ無駄に頭の回転がいいんだよ。
こいつにだけは、こいつにだけは、悟られたくなかったのになあ。
「…………はあ? 自意識過剰にも程があるだろ? お前が昔からくっついてきてウザくなったから避けてるだけだよ」
……はっ……ちっ……クソがっ……。なんでいつもこんな言い方しかできねぇのかな、俺は。誤魔化すにしたって他に言い方ってもんがあんだろ。ああいつもそうだよ。言った瞬間、その時に、いつだって俺は……。
「それでも、カッシーと同じようにあたしは、信じてるッス」
「だから俺は――」
「あたしはっ! ……カッシーが……カッシーが優ちゃんを信じたように、信じたいんスよ」
バッと、ススキは顔を上げて、胸元を揃えた指で抑える。まるで大切な何かが胸から溢れてしまわないように力強く。月夜に照らされた頬に透明な雫が落ちる。
「……信じた?」
「……優ちゃんがどうにかしてくれるって信じたから……。だから……だから……託したんじゃないんスか?」
「わりぃけどなあ、お前が何を言ってんのかさっぱりわかんねぇよ。……はっ、くだらねぇこと言ってる暇があったらとっと帰れよ」
ススキの脇を通り過ぎて、真っ暗な夜道を歩く。
ああ、もう少しで全部おしゃかになるところだった。
俺はこんなくだらねぇ三文芝居をやるために、裏で手を回したわけじゃねぇんだ。ほんとに……友情とか絆とか、そんなもんを信じているやつなんてくだらねぇ。勝手に妄想膨らまして話し続ける女なんてくだらねぇ。
……だけどなあ、一番くだらねぇのは……俺……なんだ。
自分ひとりじゃなにもできなくて、結局は登坂の過去を利用してしまったんだ。
いくら謝っても謝りきれなくて、素直に謝罪してしまったら、俺が影で暗躍していたことまで話さないといけなくなる。
そうすることによって、あいつがどんな出方をするのか分からない。
同情して俺に付き纏うとするかもしれねぇ。
それからもしもこの事実を登坂が口外したら、それこそ内輪の茶番だったんじゃねぇかって言ってくる奴らもででくるかもしれねぇ。
だから、ここは何かも知らぬ存ぜぬを通すしかねぇんだ。
俺はススキに嘘なんてついてねぇよ。
登坂の口の堅さを信じているわけじゃねぇから、信用しているわけじゃねぇからなあ。巻き込んじまった贖罪じゃねぇが、こんなくだらねぇ俺にできたこと。それは登坂を咲乃を助ける実行犯にしねぇようにしたぐれぇだ。
あそこで登坂が完璧に助け出してしまったとしたら、まるで救世主のような扱いをされたとしたら、もしかしたら今の俺のようになっていたのかもしれねぇんだ。
登坂がボランティア団体という組織を隠れ蓑にしている奴に、目をつけられる事態だけは避けたかった。
――先生に告げられなかったもう一つの欠点。
それは、巨大な組織ゆえの管理不届きだ。
一年という短い期間で形成したために、団体ひとりひとり細かな性格の診断はしなかった。そうするように判断したのはすべて先生で、とにかく大規模な組織にすることによって犯罪の抑止力を高めたかったんだろうな。それは間違っちゃいないが、この団体を利用している奴がいるという仮説を俺は立てた。
なぜなら、俺らの情報網を嘲笑うかのように同一犯と思しき類似した犯罪が多発したからだ。
そもそも、島の人間九割を誇る団体の緻密に計算しつくされた穴のない見回りをしていたにも関わらず、ここまで犯罪が横行していること自体がおかしい。
もっと犯罪は減っていないと計算が合わない。
犯人、または共犯者がボランティア団体の一員で事前に情報をリークしているか、嘘の情報で攪乱している可能性が非常に高い。SNSや生身の人間で拡散されている情報が、全て正しい筈がないんだ。
裏切りを一番嫌っていて、しかも自分がもっと緻密に人間ひとりひとりに向き合って査定していたら、ボランティア団体を逆に利用されているかも知れない。なんて、先生に言えるはずもなかった。だが、もしも言えることができたとしたら……。




