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ふぁみりーチキン  作者: 魔桜
~epilogue~
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第49羽 俺が憧れていたのは――。

 波佐見宅の玄関前の道を、行ったり来たりしていると聞こえてくる賑やかさ。

 漏れ出てくる家の光は夜目には眩しくて、胸にはどこか無常感のようなものが湧く。

 空っぽの俺の胸にはひゅうひゅうと侘しく吹くような風が、そのまま透過するかのようだった。こんなに楽しそうなあいつらの声をいつまでも聞いていると、どうにかなってしまいそうになる気までしてくる。

 あらゆる考えが蓄積していくのを朧げな精神状態で感じていると、車のエンジン音が響く。

 近づいていくる音にとうとう来てしまったのかと思うと、俺の見当違いであることを願うばかりだ。近くにあった電柱に身を寄せるように隠れると、その場から様子を窺う。

 曲がり角から、まっすぐに伸びる光線が地面を這うように照らしながら近づき、そしてやがて車は停止した。見覚えのある車がすぐそこに停ったことに落胆しながらも、出てきた人間が理事長であるまではまだ信じたかった。――報復するために彼がこうしてやってきたのではないということを。

 でもそれはただの願望でしかなかった。

 俺は周りのほとどんが闇で覆われているなか、ゆっくりと近づいていった。

 怖かったのかもしれない、こんな闇夜なのではなく憧憬すら抱いていた人間の堕落した姿を目にしてしまうのが。今なら何も見なかったことにして、暗闇に見えた僅かばかりの彼の凄惨たる顔だけで済む。でもそれでもこれは俺がつけなければならないケジメだから。

「こんばんは、先生。なんとも最低の夜だな」

 助手席からポリバケツを取り出そうとしている先生は、俺の声に一瞬息を呑むが、すぐに表情を取り戻す。

 顔面蒼白で、あれからそれほど月日が経っていないというのにやつれている。

 あれだけ神経質なまでな潔癖症だった彼がガリガリに痩せた頬に、無精髭を蓄えているのが嫌でも目についてしまう。

「……樫野、こんなところでなにをしているんだ?」

「見て分かんだろ? 防犯だよ。俺はあんたを凶悪な犯罪者になんかにしたくねぇんだ」

 刺殺か絞殺か。それとも単に火遊びか。

 殺人手段はどうかまでは推察はできないが、最終的にはガソリンでもまいて焼死体にでもするといったところだろうか。証拠を残さないようにという、僅かな論理的思考でもあると自分ではあると思い込んでいるのだろうか。

 あまりに短絡的な思考の落ちどころだろうとは思うが、一度転げ落ちていった人間がどんな行動をとるかなんてものは人生で派手に転けた人間にしかわからないだろうな。

 先生は静かに笑みを作った。

「私は犯罪者を裁くだけだよ」

「犯罪? あいつが何をしたんだよ」

「私の完璧なシステムを否定したのは重罪以外なにものでもないだろう。なにより犯罪者を庇い立てするだけで、そいつも犯罪者と同等の扱いになる。それが社会の常識。お前にだって分からないわけじゃないだろう?」

 たしかに先生の理論によって犯罪件数は減少した。ボランティア団体を撤廃したことによって今後予想できることは、犯罪増加だろうな。高い権限を持ちながら慢心せずに犯罪を徹底的になくそうと躍起になっていた先生の姿は、犯罪者にとっては脅威そのものだっただろう。先生という存在だけで、抑止力という機能を果たしていた。

 先生はバタンと音を立たせながらドアを閉めて、なあ、私がなにをしたんだと言いながら俺を責めるような目で見てくる。

「私はただみんなが平和に暮らせるような、そんな人間として当たり前のことを考えただけなんだ。それなのにどうして私の考えをみんな理解しようとしないんだ。父親も学校一つ統制できないような人間は、柳生の人間として相応しくないといってあっさりと勘当された。見捨てられたわけだ。実の父親に……なあ、いったい私がなにをしたんだ?」

 あれから先生は行方不明扱いになっていた。捜索届は出していないが、彼の父親との接触を最後に足取りは掴めなかった。今まで持っていたあらゆるものを喪失した彼が茫然自失となって、どんなことをしてもおかしくはないとこうして張っていたわけだが。

「私は昔から裏切られてばかりだったよ。他人を心から信じている私が、こんなに何度も裏切られるなんて皮肉なものだ。特に樫野、お前が私を裏切られたのがこの人生の中で一番衝撃的だったよ。……どうしてだ……。お前だけは私の後ろをいつまでもついてきてくれると信じていたのに。お前は私を裏切らないと信頼していたのに」

 虚ろな瞳をしながら、先生は疲弊した精神を休ませるように車体に体重を預ける。

「てめぇが、咲乃を切り捨てようとしたからじゃねぇのかな」

 それぐらいしか思いつかなかった。自分でもどうして背を向けるような真似ができたのか分からなかった。

 ただ、何かを考える前に、登坂が体育館で声を上げた時に思わず口を出していた。普段は黙考ばかりしていて寡黙だから、周りの人間からは何を考えているか分からないなんて言われる。自分でも悩んでいるばかりで、ただ同じ場所に停滞するだけの人間だと思っていた。

 だがあの時は脊髄反射で口を開いていた気がする。自分でもそれは驚愕なできごとであり、説明のしようがなかった。

 俺の言葉を聞いた先生は、懐古するかのように遠い目をする。

「人は幸福になるためには、まず不幸にならなければならない。犠牲があるから人は幸せを獲得できることができるんだ。助けられるべき人の命を助けられなかった私だからこそ、徹底したシステムを思い付けることができたんだ。私のように痛みを知ったものこそ、そういう教訓があってこそ、人は正義を語れる。……だから経験なき餓鬼どもが語れるのは、薄っぺらい信念もどきに過ぎない」

「ああ、そうかもしれねぇ。俺達みたいな子どもはなんにも分かっちゃいねぇかも知れねぇ。だけど、それでも、俺は大人のあんたにこう言って欲しかったかもしれねぇ。……『咲乃も含めたこの島全員が幸福でいられる社会を作る』ってなあ」

 世間というものを何も知らないからこそ、子どもは夢を語れる。いつだって頭の中で抱くのは、無限大の空想だ。そこにいる自分はいつだって正義の味方で、この世界の弱い人間をひとり残らず助けられるって信じきっていた。だけど、年齢を重ねるごとに正義の味方なんてものはないことぐらい、誰に教えられるまでもなく知ることになる。

 そんなものは薄ら子どもの時から分かっていたんだ。

 でもそれでも、大人は嘘をついてでもいいから、この世には正義の味方がいるってことを言って欲しかった。可能性は無限に拡がっていて、なりたい自分になれるってことを教えて欲しかったのかも知れねぇ。

「樫野、そんなものは欺瞞だ。ただのわがままに過ぎないエゴだよ。そんな簡単に人を助けることができたなら、この世界にはヒーローが溢れかえっているだろうからな」

 先生は懐からナイフを取り出す。そうか、刺殺だったのか。まあ、絞殺だとあまりに人を殺したという実感があり過ぎて、可能性は低いと思った。ナイフなら直に肉体には手が触れるわけではないからあまり罪悪感はなくてすむ。それでも拭いきれないものもあるだろうが。

「お前らがやったことは、悪党の手助けにしかならなかった自己満足だよ。いつか大人になれば気がつくことになる。どちらが正しかったかなんてことが、これでもないかってぐらいに明白に」

 咲乃が頑なに先生のやり方に反対したのは、二つある。

 ひとつは、犯罪者の扱いだ。捕縛の仕方があまりにも凄惨を極めるものであったのもあるが、その後の対応もあまりに加害者の人権を無視したものだった。先生もそのことは知っていたが、自分の判断は正しいと思いながら、咲乃の言葉には耳を貸さなかった。

 そしてもう一つは、先生に教えることができなかったことだ。もしも先生に訴えることができたなら、もしかしたらこんなことにならなかったのかもしれないが、今ではもう手遅れだろうな。

「正義の味方は悪を殺すから正義なんだ」

 先生はナイフを持ちながら突進してくる。俺は呆然とそんな光景は日常であるかのような、そんな感覚に陥っていた。あまりに非日常的だと感覚が麻痺して、目の前の光景が滑稽に見える。なんというか、リアリティにいまひとつ欠けるというか、今からでもドッキリだとカメラが押し寄せてきてもおかしくない気がする。

 猛然と襲いかかるナイフを交差するように、俺の腕が走る。

「ちげぇよ。正義の味方は弱者を助けるから正義なんだ。……だから俺が、あんたを助けてやるよ」

 めきっ、と顔面にめり込む拳の音が響いて、軽く先生は吹っ飛ぶ。

 ガンと後頭部が車の硬い部分ににぶつけたのか、嫌な音がする。襲いかかってきても、俺に勝てるはずがないことは分かっていたはずなのに、どうして向かってきたんだろうな。転がったナイフを蹴って、とりあえず再び向かってくる意思を削ぐ。人間ってやつは武器が手元にあるだけで、攻撃性が芽生えるもんだからな。

 身体にまるで力が入っていないまま、先生は項垂れている。意識は失っていないようだけど、鼻血を流しながらそれを止める素振りも見せないぐらいに余裕はなさそうだ。

 近づこうとすると、つま先に何かが当たる。足元に落ちているものを拾うと、溶け切った飴玉だった。そういえば殴った時に、服のポケットからなにかでてきていた。なんでこんなものがと、じろじろ眺めていたら飴玉の賞味期限はとっくに切れていた。どうして捨てなかったんだろうか。

「……私は間違ってはいないよ」

 吐き捨てるように言った先生は、もう何もできないだろう。これであの家の人間の安全は保証されたはずだ。報復を危惧して今まで見回りしておいてよかったじゃねぇか。それでも拳についた返り血を服で拭っているときは、不快感しかなかった。

 俺は踵を返すとこれだけは言っておいた。

「……ああ、正しくもねぇがな」 

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