第46羽 名指しされ、
「稚拙な演説どうもありがとうございました。あなたの話を聞いていて、私は心動かされましたよ」
いつもクレバーな理事長が、わずかに眉尻が不快そうに寄っているのが遠目でも視認できる。
理事長は壇上に手を当てながら、
「ええ、あなたの演説を聞いて心に決めました。将来有望な学生にこんなことを言うのはとても心苦しいですが…………速やかにこの学校からでていってください」
マイクの角度を変えて、理事長はまた話し出す。
「あなたには常識というものはないんですか? 目上の、しかも学校で一番権力のある人間の演説を途中で止めるような頭のおかしい社会不適合者は、この学校には必要ありません。……まあもっとも、この学校からでても、あなたのような自己中心的な行動しかとれない人間を引き取ってくれる学校は、私の知る限りありませんけどね」
壮絶な笑みを浮かべて、理事長は僕を高みから見下ろす。
どうやら随分と彼の恨みを高く買ったらしい。この学校を退学させる上に、転校先の学校に通えないような根回しをするような発言にもとれる。
壇上にいた柳生は激昂し、掴みかかるように吠える。
「……待ってください、兄さん。……そんな……約束を反故するような……」
「なにをおかしなことを言っているんですか? ……私があなたと、いつ登坂くんを処分しないなんて約束なんてしましたか?」
堪えきれないといった様子で、理事長は笑い声を漏らす。
「残念ですが、そんな記憶は一切私にありませんねえ。勝手に誤った解釈をして、これ以上衆目に柳生の家の恥を曝さないでくれますかねえ。まあ、もうあなたはこの学校から去るのですから、関係ないでしょうけどね。……やっぱり正解でしたよ。あなたみたいに妄想癖を押し付けるような生徒を、この学校から追い出せたのは」
僕はこんな時まで行儀よく体育座りしている人垣を縫いながら、壇上に向かって猛然と早歩きで向かう。何もしない奴らが邪魔で、瞬時に行く先までたどり着けないのがどうしようもなく苛立つ。握りこぶしを作る腕を振るって、どうしようか後先も考えずにただ前進していた。
すると、樫野先輩が立ち上がった。
ちょうど僕の進行を妨げるような位置にいて、こちらを冷たい目で一瞥する。射竦めるような視線に、一瞬気圧されて立ち止まる。でも、それでも僕はあの理事長に一泡吹かせなければ気がすまない。
あまりの激情に歯をガチガチ鳴らしながら、握りこぶしを強固にかためる。立ち塞ぐように佇んでいる樫野先輩の頬を拳打してでも、高みで他人を嘲笑うあのひとでなしのところまで踏襲してみせる。
「樫野くん、もういいです。みんなの意見に逆らって、独りよがりに酔いしれる愚か者。民主主義の本質を到底理解できないような人間には、ここからご退場させてください。どんな方法をとるかは、すべてあなたに任せますよ」
起伏のない言葉を吐く理事長の顔には、表情というものが抜け落ちている。いったい今までどれくらいの人間をこんな風に処罰してきたら、あんな顔ができるのだろうか。
樫野先輩は力ずくで僕を抑えこむつもりなのか、持っていた紙をパサリと落とす。これからのことを想像すると、いやでも制服の上からでも筋肉質な体型が見えてくる。折れるつもりはないが、あの人相手に僕が勝てる要素が見当たらない。
「――登坂優姫」
なぜか前を向いたままで樫野先輩は、低い声で名指し。
弱い語調だったにもかかわらず、芯まで震わせられた。たった一言で魂まで揺さぶられるような、壮絶なる声音に僕は思わず思考の一切をやめて立ち止まる。
「……てめぇは偉そうに俺に言ってくれたよな。『この俺に正義があるかどうなのか』……ってなあ。馬鹿だよ、てめえは。そんな青臭さい理念は、状況や立場によって簡単に変わるものなんだ。……いいか、俺たちは一年前に死んだやつらのために決起してボランティア団体を立ち上げた。その時掲げた俺たちの正義は、『理不尽なこの世界で虐げられている弱者を、一人でも多く救いたい』ってことだったんだ。それを……お前みたいな何も知らない新参者が、勝手にでしゃばって色々言ってくれたもんだなあ」
憎々しげな語りだけど、意深く聞くとなにかべつの意味を示しているように聞こえる。ボランティア団体のくだりはなにか湿っぽいような、どこか温かさえ感じる声音。
ここにいるみんなが樫野先輩の言葉に聞き入っているのが、この押し黙っている雰囲気でなんとなくわかる。あの理事長ですらなにかを感じ取っているのか、何も口を挟まずにいる。
「なあ、今度はここにいるみんなに聞きてぇんだ。……今の俺達のやってることって――正義なのかなあ?」
ただその投げやりな一言は、波紋を浮かばせるように心に広がる。どんどん、自らの力で抗えることなく、ただその言葉が止めど無く浸透していく。
「わりぃけどよ、俺ひとりじゃ決められねぇんだ。……だがな、こんな新参野郎に言いたい放題言われて、それでただ黙って見てて……それでみんなが納得できるてぇならそれでもいい。……それでもいいから、あとたった一回だけ質問するからお前ら自身の答えを教えて欲しい」
樫野先輩は頭を振ると、言葉を溜め込む。
今から言う言葉はみんなに心底問いたいという想いを、ただひたすらに込めるように。
「――俺たちは、いつから正義の定義を履き違えていたんだ?」




