第41羽 ずっと君を笑わせていたくて、
「あっ、お兄ちゃん!」
ガラガラと病院の引き戸を開けると、そこには満面の笑顔の妹。
とびっきり可愛くて、身内の贔屓目でも目に入れても大丈夫なくらいだ。
「ごめん、ちょっと来るの遅れちゃったな」
「ううん、いいの。ご本読んでたから」
パタリと閉じる本は、兄である僕にはちんぷんかんぷんな代物だった。生まれてきてから病院暮らしで暇を持て余す彼女を慰めるものは、必然的に本になってしまっていた。
それが幸か不幸か、彼女を本の虫になるきっかけを生んだ。本に没頭するだけの毎日の中、恐らくとうの昔に僕の学力を超えてしまった彼女。ほんとうは、妹に抜かれているなんて言い出せるはずもなく、虚勢を張っているのが情けない。
「また、難しい本?」
丸い椅子に座りながら、優しげに問いかける。
「うん! 私いつか偉い人になってね、お兄ちゃんみたいに凄い人になるんだっ!」
「そっか、でも僕みたいになれるのは長い道のりだよ」
兄らしく選ぶってみせる。
「そんなの分かってるよぉ」
むくれてみせる彼女の腕は病的なまでに白くて、細かった。
ベッドに備えつけられている台には、また大量の食べ残しが残っている皿があった。
「ほら、残すなよ。ちゃんと食べないと退院できないぞ」
「いいよ、別に。どうせ私退院なんてできないもん」
拗ねるように言ったその言葉は、中空においてけぼりになる。
僕の表情を伺った妹は慌てて、
「大丈夫だよね! もうすぐ手術があって、それが終わったら私退院できるんだもんね!」
年の割に早くも気を遣うことを覚えてしまった妹。
そうなるようにしてしまったのは、彼女を取り巻く環境のせいだ。育ってきたこの不遇な境遇のせいで、この体のせいでみんなに負担をかけていると思い込んでいる妹。だから無理にでも笑って、それでみんなを安心させようとしているんだ。
それにもう一つ、家族という要素が彼女をそうさせている。
「そういえば、お兄ちゃん。お父さんとお母さんは?」
「あっ、い、忙しいみたいだな。ほら、共働きだし、残業とかでこれないけど、ちゃんとお前の心配はしてるよ」
僕が妹の見舞いにこうも頻繁に来る理由は、彼女が愛おしいということだけじゃない。
家に帰りたくないんだ。
毎日のように両親は罵り合っている。
お前が悪いだとか、どうして私のせいばかりにするだとか、よくそんな暴言のボキャブラリーがあるなと逆に感心できるぐらいだ。特に父親は酒が絡むと始末が悪くなる。
なんというか、そんな険悪な雰囲気は病院にまで持ち込むほど愚かではない親だけど、妹は聡い。なにかを感じ取っているようなふしがある。
「お兄ちゃん、学校のほうはどうなの?」
気を取り直すように妹は話題を振ってくれる。
「ああ、この前のテストで90点だったんだ。惜しくも100点逃したよ」
「ええっ、相変わらず凄いね! お兄ちゃん!」
僕の嘘を聞いて無邪気に笑う妹を見て、どうにかこうにか安堵する。
なんの取り柄もない僕は、ただこうして嘘を積み重ねることでしか、妹を喜ばせることができなかった。
病院からでることができない妹は、僕がどれだけちっぽな人間かは知らない。だからこそ、こうして騙すことができる。それが鬱積していて、辛いけどただ僕は彼女が喜んでくれればそれだけでいいとずっと思っていたんだ。




