第36羽 はぐらかされて、
「あれー、優姫くん。学校はどうしたの? サボリ?」
ずたずたになった身体と心を引き摺るように、家に逃げ帰った。
まだ昼時にすらなっていないというのに、みみみさんはダイニングルームでテレビ鑑賞をしていた。なんだか自然体で座っている彼女を見ると、随分久しぶりに日常を味わった気がした。
何故か頬の上部に込み上げてくるものがあって、僕は奥歯をギリッと噛み合わせた。
「そっちこそ、サボリですか?」
「そうじゃないわよ。大学生はね、一、二年ぐらい真面目に通ってたら後は結構楽なのよ」
要はサボリとあんまり変わらないんだけどね、と笑う彼女の向かいの椅子に座る。
そして気がつく。
テーブルに置かれているのが包帯で、彼女が腕に巻いていたってことを。
僕の視線に気がついた彼女はしまったという顔を一瞬させて、またいつも通りの顔に戻る。
「……それは」
ザックリと心が削れる。
手首から腕の付け根まで包帯は巻かれていて、明らかに軽傷とは思えない。血の痕はないようだから、打撲かもしれない。
「ああ、これはちょっとぶつけちゃってね。大したことないだけで、一応包帯巻いているだけよ」
「それは、誰にやられたんですか……?」
「……どういう答え方したら、優姫くんは納得するのかな?」
ニコリと笑って、包帯を救急箱に閉まうみみみさん。
そのまま救急箱を、テレビ付近の収納スペースに押し込む。
「闇で暗躍する秘密の組織? それともほんとうにただの事故? …………それとも――心の弱い人間の仕業?」
振り向きざまに向けられた顔には、あまりに邪気のない顔。
「……人間はね、自分の行為が悪行だと分かれば分かるほど、自己正当化するものなの。だって、自己否定するのが怖いでしょ? だからどんなことをしても、心は痛まない。自分が正しいと思っているから、どんな言葉も届かない。そんな人たちのために自分が右往左往するなんて、やっぱり悔しいわよね」
僕に向けられている言葉というよりも、自分に言い聞かせているようにも感じる。
年上という理由からか。
反駁することなくスッと言葉が胸に入る。
もしくは、彼女の穏やかな口調からなのか。それとも、一緒に暮らしてきた関係だからか。
「他人なんて関係ない。最後の最後。本当に頑張らなければいけないなのは、自分自身よ。自分が何をすべきかなのか、何がしたいのか。……もしもこの二つの相反する感情が合わせったのなら、それは絶対に試してみる価値はあると思うわ」
「……そういうことって、あんまりないような気がしますけどね」
「そうね。私もあんまり経験ないわね。何がしたいかってことは、たくさんあるんだけど。周りの、さ。なんか周りの目とかそういうのが障害になって、これをやらなきゃ! って思っちゃうのよ。……そういうことをずっと続けてると、自分が何がしたいのか分からなくなる時がたまにあるのよね」
なーんてね、とおどけたように言って、再び座る。
「なんだか、ちょっと家族っぽいこと言ってごめんね。ケッコーむず痒いねー、こういうこと言うのって。……でも、さ。優姫くんがよければ、やっぱり血の繋がりなんてなくてもさ、家族っぽくやってもいいのかな?」
優しく微笑む彼女を拒む理由は、今のところ見つからない。
「いいと思いますよ。僕たち二人は……家族で」
ガタンッ、ガッ、ガッ。
頭上から何かが動く音がした。
蒼白な表情を浮かべているのは、僕だけじゃない。
「……そういえば、何故かみみみさんって、僕が二階に上がることを執拗に邪魔してましたね」
「それは私の部屋があるから、見られてたくなかっただけよ」
「……もしかして、二階に誰かいます?」
目に見えるほどに発汗しながら、組んだ両手を口元に持っていく。
かなり思い悩んでいる様子だ。
「…………にゃー」
「今、完全にみみみさんでしたよね? 完全に裏声でしたよね?」
「ポルターガイストってやつじゃないかしら? この家……実はでるのよ」
「怖いですよ! なんて家に住んでいるんですか!? 除霊してくださいよ!」
幽霊が滞在していらっしゃるのなら、家族二人どころか大家族の可能性もある。
そういえば玄関口に、みみみさんとは趣味の違いそうな種類の靴が何足かあったり、歯磨きのブラシも三つあったりしたのは分かっていたけど。まさか、まさかこんな可能性が浮上するとは思いもしなかった。
「あっ、そういえば優姫くん、髪の毛伸びちゃったね。切ってあげようか?」
「ごまかさないでください!!」




