第31羽 計算通りで、
放課後のせいか妙に静かな廊下を歩く。
このまま、家に帰ってからどうしようかな。とりあえずテレビでも付けて、ぼんやりとニュースでも見ておこう。今は何か言いしれぬ感情が渦巻いても、時間の流れがいつかそれを風化させてくれる。無心でいつも頻繁に起こるような事件に、大変だなあとありきたりな感想を抱いているだけでいい。
柳生のことだってそうだ。
てきとうに流せばいい。
樫野先輩の話を聞く前から本当は分かっていたんだ。
あんなに頻繁に制服を濡らしたり、靴を履くのを失念したりするものだろうか。その原因がなんなのかなんて、本当は検討がついていたんだ。罪悪感からなのか、避けていたみんなのリアクションで。
でもそれはきっと、当たり前のことなんだ。
みんなニュースや新聞の出来事には関心を持って、その時は憤慨する。だけど、時が経てばそれは思い出に変わる。自分の都合の悪いことはいつだって、忘れ去りたい。みんなテレビをみて何かを吠えるだけで、自発的になにもしないっていうのも知っている。
それでいいじゃないか。
所詮は他人事。
人はすべからくエゴの要素を持っていて、自分のことしか考えてないんだ。
他人のことなんてどうでもいいやって、投げ出せばいい。
みんなやっていることだし、僕は目の前のことですら手に余っているんだからどうだっていい。
「失礼しまーす」
職員室の引き戸を開けると、そこには当然の如く職員たちが残っていた。仕事熱心で僕には目もくれない。そこには理事長がいなくて、キョロキョロと探してみる。代わりに、なにやらこそこそしている婚約者は見つけたけど。
僕を見つけると、膨れ上がった腹部をさすり始めた。
没頭しているように見せかけて、ちろちろこっちの視線をやっているのがわかる。
どうでもいいが、僕と視線を合わせる前に服に詰めているボールの小道具はいつから用意したんだ。わざわざ自分のデスクの下に仕込んでおくとか、用意周到というかなんというか。
職員室の奥にある個室を見つけると、僕はそこに歩み寄る。
そんな僕を止めようとする職員は意外にいなかった。目的地は歩く歩幅やスピードで分かりきっているとは思っているのに、一瞥するとまた自分の作業に戻った。きっと、どうでもいいって思っているんだろう。巻き込まれたくないと思っているんだろう。僕らは生徒と先生っていう関係だったって思うんだけどね。
ガチャりとドアノブを回すと、そこには案の定唖然とした二人がいた。
理事長と柳生で、ビンゴだ。
特に柳生の顔は傑作で、長髪から少し見える顔は驚愕に染まっていた。
「…………どうして?」
その言葉には、僕が来てくれたことに対する感動が滲んでいた。……っていうふうならいいと思った。
正直よくわからなかった。
けど、そうでなくては困る。
というか、違っていてもそう思い込みたいよ、この状況下だと。
でも、ちょっとばかり迷惑そうな声音が混じっていたのは分かったから、予定していた言葉とは違った言葉を台本に差し込むことにする。
「勘違いするなよ? 柳生。僕はお前を助けるために、こうやって駆けつけたんだからな」
恩着せがましく言った僕に、柳生は絶句する。
ああ、だっせーよな、僕は。
僕はいつもどうしようもなくカッコ悪くて、こんな貸しを作らせるようなことしか言えなかった。
本来は、「お前のために来たわけじゃないからな!」みたいなカッコイイ台詞を用意していたんだけど、やっぱりこんな僕には似合わなくて言えやしなかった。
こんな大事な時にでも、格好つけられなくて、柳生が気に病んでしまうようなことしか言えなかった。でもそれでいい。カッコ悪いままの僕でいい。そうじゃなくちゃ、ここに来た意味がないんだ。
黒いソファが軋む。
それは、理事長が腰を持ち上げる音。
「君が登坂優姫くんか」
穏やかそうな声色で、あまり信用できないような絶え間無い笑顔を作っている。
突然の闖入者の僕を咎めようとする様子がないのが、逆に怖い。
「樫野から太鼓判を押されていたが、まさか本当にここに乗り込んでくるとはね。資料で君の性格は熟知したつもりだったが、どうやらまたもや私が読み負けたようだ。ああ、読み負けっていうのはゲームの、将棋の話だよ。私の趣味の一つでね。これがまたいつも樫野に負けてしまうのだが、頭を使うゲームというものは実に楽しい。君はできるのかな?」
「い、いいえ」
まるで僕が十年来の知人かのように親しげに話しかけてくるので、肩透かしをしてしまう。
もっと重々しい雰囲気で、警戒すべき相手かと思っていた。
「それは残念だ。将棋は実に奥が深い。なによりチェスと違って、敵が味方になるというユニークな発想が私は好きでね。プレイヤーが手に入れた駒を、どこまで有効利用できるかで勝敗が決まる。……ああ、すまない立ち話もなんだから、そこに座り給え」
「あ、はい」
理事長の指示通りに、僕は柳生の隣に座る。
ほんとに僕ってやつは格好つけられやしない。
ここは激昂しても然るべきタイミングだったかもしれない。
下手に出るような態度をとった僕を、理事長は舐めきったかもしれない。
でもまあ、こうやって柳生の隣に座ることによって、理事長の理不尽な口撃に口出すことができる。 うん、全て僕の計算通りだ。




