第30羽 今度こそ逃げて、
「そんな、たくさん金を持っているからって、」
「…………政府の重鎮の天下り先でもあるらしいんだよ、その……父親の会社がな。だから幅を利かせることができるってぇことらしいが、それもまた噂。……だがな、これだけは事実なんだよ。虎の権威を借りた狐はやりたい放題。便利ツールなどを監視サイトとして悪用。更にはこの島の九割の人間が所属するボランティア団体も監視の意味があるんだよ。それらは全部、理不尽な行動をとる理事長の反乱防止の足枷として利用している」
「そんな……こと……」
「ありえねぇか? だが実際にあいつは――柳生咲乃は、いま邪魔者として排除されようとされているんだ。実の兄貴になあ」
「なんでそれを?」
そうだ。
なんで僕なんかにそんな事実を滔滔と語るのかが不可解でならない。そんな薄汚い内情を告白して、樫野先輩になにかメリットがあるとは思えない。寧ろ立場を悪くするとしか思えない。
どうして、こんなことを?
「お前に柳生咲乃を救いだして欲しいんだ」
身体を射抜くような真っ直ぐな視線に、思わずたじろぐ。
凛とした語調は思いのほか胸に響いてしまった。
樫野先輩は悲哀と覚悟が混ざり合ってような瞳をし、眉を顰めながら、
「俺にはなにもできないんだよ。あいつを助け出したいって思いと、昔からずっと一緒にいた理事長を裏切りたくないっていう、二つの思いが心の中で氾濫してるんだ。自分でも、自分でもどうすればいいのか分からねぇ。でもだから、だから、お前に全てを託そうと思う。何が正しくて、何が正しくないのか。事実を知ったお前の、その判別を今聞いてみたい」
僕は返答に窮した。
そういう言い方はやっぱり狡くて、それでも僕は身動ぎもできなかった。唐突な禅問答であるし、どちらを取捨選択しても責め立てられる気がする。
樫野先輩ではなく、憤った未来の自分自身に。
でも、でも、ちょっとだけ時間が欲しい。
んーと、よく考えれば逃げればいいんじゃないのかな?
いつだって僕は保守的で、現実逃避ばかりしている弱い人間だ。
そんな僕がどうして一体全体こんな大事態に巻き込まれないといけないんだろう。迷惑きわまりないし、樫野先輩も打ち明ける相手を間違えている。
こんな離れ小島に偏った思想を持つ人間がいて、それがどんな悪事を働こうが元々よそ者である僕には無関係だ。
「あっ、わかりましたー。ちゃんと考えときますぅー。あっ、あとぉー、ちょっと僕には難しいことなんで、今は保留ってことにしときまーす。すいませーん」
ああもういいや。
どうでもいいから、ここはクールに流そう。
自分にとって不利益になりそうなことには目を瞑って、いま自分自身にできることを模索しよう。
僕にはどうでもいいことだし、ほかの人間が勝手になにかやってくれることを期待しよう。そうだよ、樫野先輩だって理事長の父親の権力はあくまで噂だって言っていた。だから、理事長もそこまで非道なことだってできないに違いないんだ。
厳しい目つきをする樫野先輩を振り切って「それじゃ、失礼しましたー!」と不自然なほどに明るく僕は退室する。




