第2羽 猫と会話して、
纏わりつく闇夜を引き裂く光源は、遥か上空から天蓋をぶち破って仄かな銀の糸を垂らす月と、前方に見える巫山戯ているとしか思えない店名の、チェーン店ではないコンビニの人工的な照明だけ。
平坦さが不完全なアスファルトに転がっている小石を、予期せず蹴り上げてしまうぐらいの光のなさ。お供のキャリーバッグは、ゴロゴロと侘しく腹の底辺に響かせる。
刺激された腹の虫が唸り声を上げる。
従姉は料理上手という前情報を仕入れていた僕は、調子に乗って昼飯抜きを実行したのだが、迷子になる可能性までは仮想できなかった。
どれだけ技術が発展しようが、電波が届かない場所ではスマホもただのお荷物でしかない。通話機能も地図検索もディスプレイには表示されない。時代に取り残された野人のごとく、見知らぬ土地を奮然と開拓していく。
「おっ、と」
コンビニの前で立ち止まる。
従姉とは親族関係にあるとはいえ、これから生活を共にする異性。
下心なんて微塵もないが、挨拶するのに無礼があってはいけないと思い、コンビニのウインドウを鏡の代替品に見立てる。
両の手を駆使しながら、髪の毛を弄る。
キャリーバッグの中身を探るが目的のものは見当たらない。髪を立たせるための小道具は、引越し先に既に送ったダンボールの中かも知れない。
美容室に行くのも億劫だから自然と長髪になってしまっていて、もみあげと後ろ髪が混在してしまっている。若干丸みを帯びている輪郭と、運動不足による痩せっぽちな手足。女性ホルモンを身体のあちこちに多く含んでいるように見え、極め付きはこの童顔。
年齢通りの男子と見られない経験は幾千で、交通機関や公共施設を有効活用できるぐらいしか利点はない。
「従姉とは面識無いに等しいから、少しはマシな見た目にしとかないと」
ファーストコンタクトが人間関係を築く上で一番重要。
数少ない友人に聞いたその忠告を反芻させながら、我ながら似合わないことをしている。これから最低でも二年は顔見せする関係。全く話さないで住み続けるのができないのなら、こうやって事前準備を怠らないでいるしかない。
「……あっ」
透明なガラス窓を透過した店員と視線が交わってしまい、変顔で遊んでいた僕はキリリと表情を真顔に変える。
店員は騒然とした様子で奥へと遁走した。
シフト交代時間だったらしい。そうじゃないのなら、きっとそういうことなんだろうけど、これ以上傷口に塩を塗りたくはない。
肩を落とながら、二酸化炭素を空気中に分散させていると、黒猫が足をぐるりと囲むように絡みついてくる。生憎と餌は持ち合わせていないし、動物全般好きでもなければ嫌いでもない。
僕の足を支点として、自分の尻尾をぐるぐる回って追いかけている脳みその小さいこいつには、それ相応の対応の仕方がある。
「にゃー、にゃー」
か弱き小動物を邪険に扱うわけにもいけないので、とりあえず軽いスキンシップから入って、相手側の事情を訊いてみる。
「にゃあ? どうしたのにゃあ?」
ちなみに、猫語での会話を試みているのは僕である。不審者ではない。
高度な交渉術が通じず、相手側は退くように距離を測った。濁流のように押し寄せた羞恥心を、自尊心のダムで塞き止める。
「……フッ、小物」
口の中で転がしただけだったが、スポンジのように音を吸い込んだ虚空には予想外に反響した。フシャー、と怒気の籠ったような猫の蹴り足は、鬱憤晴らしの偶然か。
駐車されていた自転車へ衝撃が走る。
赤黒く錆び付いていてる古参者で、壁に斜めに置かれていたママチャリ。
バランスを崩したチャリは、ガシャン、と空気を震わせて転倒して大きめなカゴをボコンと凹ませる。車輪を回転させながら地面と接吻した自転車の倒れた騒音に仰天した実行犯は、尻尾を巻いて罪から逃れていった。
「はあ、しかたねーな」
足の膝をアスファルトにつきながら、自転車に慈悲深い救済の手を翳そうとすると,頭上から声が降りかかってきた。