第26羽 全てが霧消しました。
「……一年前の事件ってなんのことなんだよ?」
ようやく話が収拾がしたらしいので、気になっていたことを投げかけてみた。気軽に聞いてみたつもりだったけれど、二人の様相からどうやら地雷みたいだった。言い方からして、どうせ大げさに言っているだけだろうって、タカをくくっていたのに。
特に、さっきまでのおどけていたマグロが一変。
血の気がなくなっていて、自分が口を滑らしたことを悔恨しているようだった。
「別に、なんでもな――」
「一年前の一件以来、私の兄が変わってしまったんです」
バッサリと遮られた。
鈴の音のような透明感のある声にはっとする。
見れば、マグロも驚愕していて、余程珍しいことなのかも知れない。
――柳生がこうして大っぴろげに話すことは。
「私たちボランティア団体は笑顔が絶えませんでした。最初は小規模で、私と、兄と、樫野くんと、ススキだけだったんですけど。あの時はほんとうに、ほんとうに楽しかった……」
あ……に……?
現在の理事長が初期メンバーだと聞かされていたから、もしかしてあの人が柳生の兄なのか。
はらりと、ほんの一瞬。
感情を表面化するのが、どこかたどたどしい柳生は肩を揺らしたその時。
髪の毛がズレて、相貌が露わになった。
自慢の思い出を語るように、彼女は笑っていた。
ただ、笑っているだけなんだけど、その底から芯の強さみたいなものが伝わってきて、胸にくるものがあった。
そんな綺麗な表情も髪の毛に隠れてしまうと、また話し出す。
「だけど、救われなければならないものを救えなかったあの時から、兄は手段を選ばなくなりました。だから私は、今の兄をなんとかしたいんです。どうすればいいか未だに分かっていないんですけど。なんとかしたいんです……他ならぬ、この私が」
柳生が恐らく無意識に持っているコップ。
その中の水が、波紋を作っている。
その震えている手を、マグロが掴んでぴったりと重ね合わせて、テーブルに置く。二人の片手が積み重なるように。まるで千切そうな心を繋ぎ留めるように、ぴったりと。
「私が……私がいるぞ。今、ここに。咲乃の隣には――私がいる」
妙に説得力のある声が響く。
なぜか周りの雑音全ては霧消する。
マグロの……その声で。
「枕を濡らす時がいつかくるかもしれない。また絶望する時がくるのかもしれない。――だけど、それは今じゃないんだ。だから、ここにいさせてくれないかな?」
「…………うんっ!」
喜びを、悲しみを、苦しみを、そんな感情を一緒くたにしたような柳生の声音。
たったの一言なのに、幾千の意味が込められているように、心根まで染みるような気がした。
湿っぽいような雰囲気の中、ゆっくりと二人がこちらに首を向ける。
僕も遅れながら首を向けて「んー、誰かなー?」と後ろを向いてふざけてみたけど、あちらさんはノーリアクション。
やっぱり、そうなります?
重ね合わせている彼女たちの手に、もう一つ。僕の手を上から重ねる。
こういう団結するみたいな空気は、正直あんまり好きじゃないんだけど、どうにも断り辛い。またギャグギレした柳生に殴られそうだしね。
三つの手が重なり合って、
「私たちは今から友達だ」
マグロが静かに告げる。
そして三人の視線が絡み合っているけど、僕だけはあんまりいい表情していないような気がする。うーん、ぶっちゃけ、なんについて話しているかも不透明だったから、二人にのまれた。
だってさ、結局のところ一年前になにがあったのか言及は回避したわけだ。
それって二人は断ったわけなんだ。
……僕に打ち明けるってことを。
どうしようもなく辛くて、トラウマになるような事件だったとしても、それでも包み隠さず言って欲しかった。結局のところ僕はよそ者だってことを痛感した。僕は一年前、彼女たちの物語には存在しなかった。いうならば途中参加の、イレギュラー因子のような存在なんだ。だったら、きっと当たり前のことか……。
だけどまあ、いつか話してくれる時がくるだろうって、今は前向きに思うことにする。




