第25羽 そして時は動き出し、
「しっかし、なんで蘭はこんな変態を使いによこしたんだ?」
「なんだよ、もしかしてまだプロレス技かけたの怒ってんのか? 何十回も謝っただろ」
「謝るべきはそっちじゃないだろ、そっちじゃあ! お前はもっと謝罪すべき大罪を犯した!」
マグロの含羞帯びた頬。偶発的になにやら弱いところを突いたらしいく、思い当たるフシはあることはある。華奢な足首を掴んだ時のことだろう。だからといって、もう謝れるだけは謝ったから、そろそろ仕返しぐらいはしてもいいだろう。
「ふーん? 残念ながら僕にはどんなことか分からないな。できればこんな馬鹿な僕にも教えてくれないかな? 大きな声で! はっきりと!」
「な、なに……? うぐぐ、それは、その……お前が私の股にぃ……うぅ」
泣きそうになりながらも懸命に訴えようとするその姿勢は、真に立派だけれど悲しいかな。わなわな震える唇やら拳。それらはきっと羞恥ゆえのものであって、それ以上は無理。奮起故の武者震いでもなければ、僕を断罪することも不可能だ。
「ええぃ! 言ってやるぞ! お前が私にしたのはっ!」
やおら立ち上がり、頑強なる心持ちを感じさせる眼力。そ、それほどまでに強靭な精神力を持って立ち向かえるなんて、なんて女だ。というかどんだけ根に持っているんだ、この人。
くいっくいっ、とマグロの裾を横から柳生が引っ張る。
柳生の視線は四方に向けられて、他のお客の迷惑も考えてくれないかという懇願めいたものに感じた。
納得しきれないような表情をしながらも静かに座りなおすと、またもや二人で内緒話を始めた。
「……ええっ!? なんで、こんなやつを!? 嘘だろ?」
耳打ちされているマグロから、不躾に向けられる視線。それから批難じみた声に、なにやら変なことを吹き込まれているような気がしてならない。
「……うん、うん、それは本当か? …………うーん、俄かには信じがたいな」
なにやら話がようやくまとまったらしいが、今度はマグロが腕組みして思案し始めた。
自分が反論できる余地があるのならいいが、謂れのない誹謗中傷をそのまま肥大させたままは嫌すぎる。どんな内容であったとしても、もしも自分にとって不都合な情報だったとしても、秘密な話がなんなのか開示を求める。
「そうか。一年前の事件以来、停止していた時計の針。それが動き出す時が、まさかこの私が舞台袖に引っ込んでいる間に……。そいつは、まったくもって気に食わないな。一枚噛ませてもらおうか? この引きこもりのエキスパート、マグロをな」
「……って、学校休んだのは、まさかの仮病かよ!」
「なにを言う! 仮病なのではない。己のすべき今後の身の振り方について思案していだけだよ。コミュニティから指弾された私が、真に取るべきは自制か? それとも改革か? その答えが出たから、この私もそろそろ打って出ることにしただけのこと!」
「よく分からないが、ようするにそれってずる休みってことだろうが!」
グイッとまた服を掴まれて、柳生がなにやらマグロの耳朶を打つ。
「ええ、勘違いだ。私はあんな変態がどうなろうと……。イチャイチャ……どこがだ……ああ、わかっている。私は咲乃のことが大好きだから……だから、ああ……」
狼狽するマグロの様子からして、どうにもいい話をしているとは思えない密会だ。
ちょっとした言い争いをさっきからしている僕らの元に、トレーを持ったウエイトレスさんが「どっちが本命なんですか?」と囁いてきた。
思わず彼女の顔を見やると、さっきまで見かけていたどの店員さんとも違っていた。純朴そうというか、悪く言えばちょっと恋愛には疎そう。なんだか好感を持ってしまった。同病相憐れむ、ってやつかもだけど。
壮大な勘違いというか、なんというか。
三角関係の縺れ。痴話喧嘩とでも思ったのだろうか。
そんな不幸な幸運、一生たりとも僕には縁がないだろう。
店員さんはまともな答えは期待していないようだったので、適当に「体操服の方です」と答えておいた。水の入った三つのコップを配置し終えると、「頑張ってくださいね」とエールまでされた。なぜだか、ちょっと悪くない気分だった。これ以上の盛り上がりはピエロになりそうだから、ストップをかけとくけれど。




