第22羽 マグロな少女に、
立派な苔が蔓延る石段の頂上は、最下部からは景色が揺らぐほどに遠い。錆び付いて折れそうで、薄汚れた赤い鳥居をくぐってから、大分登ってきたとは思うのだがまだ到着しない。上を見る気力もなく、ただ両側に鬱蒼と茂る樹木が散らした葉を足で踏むならすだけ。
山を切り崩したような階段。
なだらかな傾斜とはいえず、足の筋肉はパンパンに膨れ上がっていく。手すりも杖もなく、酷使している身体を支えるのは己の精神のみ。大袈裟に言うと酸欠状態の過呼吸になりながらも、ようやく試練の終わりが知覚できると、多量の汗を撒き散らしながら新鮮な酸素を求めて一気に駆け上がる。
そして、風が吹いた。
風よけの機能を果たしていた遮蔽物はなくなり、風晒しのよい視界の開けた平地。ぐらりと軽い貧血に見舞われても、それでもここまで到達したという達成感は歪まない。神社らしく賽銭箱と木造建築の建物が荘厳と構えてあって、手前には成り立ちの説明書きが刻まれた横幅のある石が置かれている。
クリップで留められているプリント束と学生鞄を抱えながら、興味深い建造物に歩み寄る。
どの角度から見ても狐だ。
二匹の狐の石像が対になるように並べられている。
長方形の石が敷いてある道幅の距離感離れていて、二匹はなぜか互いに視線を合わせずに外側にそっぽを向いている。仲違いをしているようで、決して視線を合わせられない、そんな風にも思える。
「面白いだろ? その狐」
滑らかな感触のしそうな狐の尻尾に触れようとするとした、その刹那。
景観に趣深さを感じて無情になっていた脳に、横から割り込んだ雑音に顔を顰める。先生に聞いていた通り、ロシアと日本のクォーターであるせいか、訛りがあるというか、清音なのだけど、どこか日本人の発音とは異なるものだった。
「世の人々が狐に抱くイメージは悪戯好きで、山奥から人に扮して人里へと降りる。……っていう話があるが、ウチの神社に祀られている狐は違う。恋愛成就なんていう、もっと人間の俗物的な願望を叶える神の眷属だよ」
声の出処を頼りに目線を漂わせると、一本の巨大な霊験あらたかそうな樹木にたどり着く。それこそ神格が宿りそうな霊木は樹齢何百年を思わせるぐらい、根っこも蛸のようにうねうねしている。感嘆しながら、地表にすらその足を覗かしているたこ入道っぽい木へと足を運ぶ。
「まあ、もっとも、その別方向を向いている二体の狐を見てわかるとおり、恋愛なんて形なきものは永続的なものなんかじゃない。刹那的で儚いものだっていう教えの体現。胡散臭いウチの神社らしくてピッタリだろ? まあ、オヤジが酒の席で宣った受け売りだから、信憑性はゼロ! ――だ、け、ど、なっ!」
語尾に力を入れてバアッ! とミエミエの驚かし方をして、木の上から彼女は出現した。
ちなみに僕は腰を抜かしていた。
「私は笠間クロエ。みんなからはマグロなんていう愛称で呼ばれてる。それで? 見かけないお前は何者だ?」
確かにそこにはマグロがいた。
漁船や港で打ち上げられた大魚が、見世物のように銛や縄を駆使して吊り上げられている、そんなイメージ。
つまりは、逆さまになっていた。
両手を広げてバランスとり、膝で木の幹を捕まえながら大道芸人のようにぶら下がっている。
まともな人間じゃないことは確かなようだった。
巫女の制服をしているがために、下の服は袴だった。
結構太めの幹に裾が引っかかっているのか、下着が露わになっているわけではなく、ギリギリ、ギリギリ見えなかった。あと数センチズレたら、あとちょっとだけ背丈が僕にあったのなら、見えていたかも知れない。
だけど、それでいい。
見えないものがあるからこそ、見えてくるものもある。
とりあえず、車内で起こった衝撃的な現実に目を逸らすために馬鹿になってみた。
すくっと、立ち上がりざまに正々堂々と名を名乗る。




