第9羽 目を奪われ、
どうしてこうなってしまったのかと過去を遡ってみることにした。
引越しした人間が避けては通れない手続きをして、それからあの女と出会ってから何かがおかしくなったようにしか思えない。
そう、始まりは舗装しきれていない道路。
広大な田畑が草原のように道端に永遠のように広がっていて、歩道のすぐ隣には湿り気たっぷりの泥が底なし沼のように存在していて、この島は農耕が発達していることが分かる。
歩道と段差ある田畑との境目。
平均台の要領でバランスをとって遊んでいたら、傍にあった田んぼの中にズッポリと足が嵌ってしまった。不幸中の幸いで浸かることになったのは足首だけだったが、中々抜けることができなかった。そうやって悪戦苦闘している間に、湿り気のある泥がスニーカーソックスの内側にまで入り込んでしまって気持ち悪い。へたりこんで靴から泥を掻き出し終わると、裸足で歩くわけにもいかず、グチュグチュになった靴下を履く。
熱射病の危険を孕んでいる太陽の日差しを避けれるだけの建物がない中、真っ向から猛烈な紫外線がつむじに直撃。祖父のようにハゲになってしまわないかと、隔世遺伝の心配をしてしまう。
目的場所に到着するために大海の傍を通ることになった。鮮明な光彩を誇るコバルトブルーの海面に光線が反射することによって、喉の奥までカラカラに干上がる。ゾンビのような歩調になってしまう。
漁業にも力を入れていることは、港に停められている漁船が隊列を組んでいることからも明白ではあるが、当たり前のように道路にトラクターが跋扈していたり、牛や馬が道を外れたすぐの場所で鳴き声を上げているのには目を見張った。
自給自足のサバイバル生活を送れるほどに、この島は地産地消を念頭に置いたような生活基盤が根付いていた。ちょっと草が生えている場所には、教科書でしか見たことのない南の島に生えているような木が巨大な実を蓄えていたりもしていたし。
都会とはいわないまでも、それなりに発展していたと思われる街で生活してきた無知な僕としては新たな発見であり、昨夜コンビニを探し当てたことすら奇跡としか思えないような辺境の地だということをしれて良かった! ……とポジティブシンキングには到底なれないのだけれど。交通機関も発達していないせいで、こうやって長期的な散歩に興じる羽目になっているのだから仕方がない。
ようやく、そして、ようやくだった。
ずんぐりとメタボ気味で横に広い、小規模な役場に到着できた。
転入届を提出するのが最大目的であり、ついでに自宅周辺の道を記憶する必要作業もやってしまおうというずぼらな理念を元に、方向音痴な僕はあえて遠回りしながら、税金によって最適な温度調節を行っている場にこれた。消費税しか縁のない僕が文句を言えた立場ではなく、そのまま施設の建物内でも便器を拝借した後に、入る時とは反転した方向感覚のせいで目的を瞬刻見失ってしまった。
この場に到着しただけでも偉大な功績だと錯覚するぐらい、僕は追い詰められていたみたいだった。
若年性アルツハイマーの症状に怯えながらも親切で暇そうにその辺を歩いていた、職員さんではなく一般の方っぽい人に、近い将来重度の病人になる得る僕としては最低限の介護を要求した。
そうやってどうにか戸籍上はこの島の仲間となった、紙っぺらな手続きを済ませる。
慇懃無礼だった僕に、最後の最後まで七面倒臭いお役所手続きの説明を快く買って出てきてくれた、笑顔が素敵なお兄さんに最大限の感謝の念を込めて、たまたまポケットにあった飴玉を差し出して帰路に就いた。就こうとした。
だが、真の試練はここからだった。
未踏であり近道と思しき道を調子に乗ってルート選択したせいで、ドッペルゲンガーと連れ歩く幼女や、牝牛のような特盛の胸のある冷徹女とエンカウントしてしまった。
だが。
幻想的なまでの美貌を持つ旧友、秋月もみじと双璧をなすような容貌を持ちうる、饒舌に尽くしがたい胸を持つ彼女と相対する少し前に、見知った顔と衝撃的な再会を果たすことになってしまった。
人為的に八つ裂きにされたとしか思えない微塵に潰れた肢体は、血に濡れた腸を吐瀉物のように道路の隅にぶちまけている。黒いような赤いような血だまりはそろそろと拡がっていて、まだ犯人は近くにいるってことがわかる。そこからいつものおちゃらけたような気分には、犯人探しをしようなんて気分にはなれなくて、棒立ちになったまま立ち尽くしていた。
全国各地に似通った顔があって、それが知り合いだとは認めたくはなかった。だけど鈴の付いていない茶色い革の首輪がついている黒猫の所持品には見覚えがあった。痙攣して引き攣りそうな臓物と血管をはち切れるように脈打つ脈動から、否定できないだけの根拠を示してしまった。
気持ち悪い。
厚い面が蒼白になり体調の不調を独りごちると、それを事件現場を目撃した稚拙な野次馬の無遠慮な言動と勘違いした彼女は、有無を言わせず頬を叩いた。同性ならばどうしたか分からないが、男女差別を己の辞書に刻む僕は殴り返すことをせずに、侮蔑に満ちた牛女の視線を甘受した。
そのまま好感度最悪のまま終わらせるのは忍びなく、耳を貸そうとしない加害者に、毅然とした態度で話を聞いてくれるように懇願して、裁判に持ち込まれる前に示談で話をつけた。
理路整然とした訴えと、真摯な態度に感銘を受けた彼女は慄きながら、僕と一緒にこの島で初めて会った奴のお墓を作った。土を盛った上に縦長の石を乗せただけだったけど、それでも胸は少しばかりスッとした。
ようやく心持ち軽くなった心になって、彼女と話せるようになった。ちゃんと視線を合わせることができた。
昔、どこかで会ったことがある? なんてカビの生えたような口説き文句がでるぐらいには、元気を取り戻していた。だけど、そんな事が口からでるぐらい、彼女を異性として認識していたのかも知れない。それぐらい彼女は綺麗だった。言動に非がなければ、もっと良かったのかも知れない。
下げない頭には彼女なりのプライドが透けて見えたけれど、ものっ――凄い分かり辛い猛省の言葉が微少に窺えたのでその辺に放り投げておいた。口下手なのはお互い様だ。
だから、被害者の立場を主張して当然の権利であるバストサイズの視認だけにしておいた。見咎めた彼女は情け容赦ない握り拳の目潰しを喰らわせ、眼がァ、眼がァ! という僕の絶叫と共にその権利は却下された。
それが、僕たちの初めて交わしたコミュニケーションだった。




