人喰い王子とメインディッシュの溺愛結婚〜父の愛を添えて〜
隣の国の王子様は、人喰いの呪いを受けたらしい。恐ろしい話だ。
「すまない、ローザ」
お父様が頬を涙で濡らしながら、私を国境まで見送って下さった。可哀想なお父様。父と娘、2人ぼっちの家族だったのに。
「お父様、どうかお幸せにね」
「……ローザ、ローザ! やはり逃げよう。お前の母さんが流行り病でいなくなってから、私にはお前しかいないんだ」
「お父様。王命ですわ。私が行かないと、お父様が罰せられます」
「王がなんだというんだ! たったひとりの命より大切な娘だ。父さんは、お前のためならなんだって!」
私は思わずお父様を抱き締めた。
数ヶ月前のパーティー、隣の国の王子様と目があったのが運のつき。私を「美味しそうだ」と思って、我が国の王に探させたんですって。
「きっと私も幸せになります。大丈夫よ」
私はお父様の手を強く握り締めた。そして、朝焼けの空を仰いだ。上を向かないと、涙が溢れてしまいそうだったから。
「1週間ほどで、お隣の国のお城につくんですって。落ち着いたらすぐお手紙をだします」
「ローザ! どうか生きていておくれ。どうにかして父さんが駆けつけるから!」
そうして、私は人喰い王子の待つお城へ向かった。最初の3日は、すすり泣くお父様の顔と、今までの思い出があとからあとから溢れてきた。
4日目にもなると、疲れの方が出てきた。馬車に揺られながら窓を眺める。ずっと同じような景色。見たところ、国は豊かだ。黄金の麦畑が、穏やかな海のようにそよいでいる。
その時、少し大きな町で馬車が止まった。外から、御者の声がした。
「殿下! なぜこのような場所に!」
殿下?
それはつまり、例の人喰い王子の事だ。すぐ近くにいるのかもしれない。姿を見たいと思い窓に顔を近づけようとした、その瞬間。
「きゃ!」
突然、馬車の扉が開き、バランスを崩してしまった。落ちる、と思った瞬間。誰かに抱きとめられた。
「忙しない。無事か」
低い声。顔を上げると、いかにも品のよさそうな黒髪の男。この男こそ、例の王子だと──私の結婚相手だと直感した。
「ウィルバー様……?」
「ああ。俺がこの国の王子。ウィルバーだ」
ウィルバー様は、私を優しく馬車に座り直させた。そして、屈んで目線を合わせ、悪辣な笑みを浮かべた。
「あの夜以来だな。お前のことを忘れた日はなかった。喰らいたかったぞ、ローザ」
「ヒッ……」
大きな手が私の髪をすいた。冷たい指が耳をかすった。ウィルバー様のアンバーの瞳が、ギラギラと恐ろしい光をたたえていた。
「ど、どうか! 父に手紙を書かせて下さい……! 今生の別れと覚悟しては参りましたが、それでも……どうか一筆の猶予を……」
ウィルバーは、私の対面の腰掛けにどっかりと座り、鼻で笑った。
「そこまで俺は野蛮ではない。全ては城で準備を整えてからだ」
「良かった……」
「お前はメインディッシュだからな。城のコックのいないところで食らうものか。勿体無い」
安心した私が馬鹿だった。この男、私を完全に食材としてしか見ていない!
ゆっくりと馬車が走り出した。これから城まで、この男と二人きり? 気が狂いそうだ。
「恐ろしいひと! そうやって今までも色んな人を……!」
「呪いのせいだ。俺が悪いわけではない」
ウィルバー様は遠い目で、麦畑の海を眺めている。
「5年前のことだ。父に森に住む化物を退治するよう頼まれた。俺は弓が得意だからな」
「化物?」
「化物だと聞いていた。そしたら、その森のヌシの子供だった。狼の妖精でな。父娘だったようだ。俺に娘を射殺されて、ヌシは俺を呪った。俺は人喰いをしなければ、ただの獣に堕ちてしまう」
「獣に……?」
「狼にでもなるんじゃないか? この目を見ろ。狼の目だ。元は黒かった」
ウィルバー様の金の瞳が私を捉えた。その目には、若干の悲しみと柔らかさがあった。
「愛おしいと思える人間しか食えない呪いだ。俺は今まで、2人の弟と、乳母と、乳母兄弟を食らってきた。ひとりで1年程は保つようだ」
「……私は5年目の?」
「お前を見たとき愛おしいと思った。一目惚れと言うのだろうな」
その言葉に、どきりとした。頬が熱くなる。急に愛おしいとか、一目惚れとか言われても困る。
私が両手で頬を抑える姿に、ウィルバー様は目を細めた。そして、眉を寄せ、馬車の天井を仰いだ。
「……我々にとっては“胸が痛まない”生贄ということになる」
「ああ……そういう……」
生贄。私が死んでも、この国の人間は悲しまない。今年は身内から犠牲を出さなくて良くなった。私の命で。
ウィルバー様は、自身のマントのファーに触れた。グレーの柔らかそうな、美しい毛皮だ。
「これはその狼のものだ。お前にやる」
「……えっ」
暖かなマントが、私の肩を覆った。香水のいい香りがふんわりと鼻をくすぐった。
「城の辺りはもう寒い。……風邪でもひかれてはたまらん」
「こんなもの、もらったって……」
「それは本当に高価なものだ。妖精の毛皮だからな。……父親がいるのだろう? その男にでも贈ってやれ。しばらくは困らんだろう」
「優しいのか、恐ろしいのか分からないわ」
マントを握り締める。ウィルバー様は静かに目をつむった。
「好きに決めろ。どちらにせよ、無駄なことだ」
数日後。私は遂に城に入った。ウィルバー様は、馬車から降りる私に手を差し伸べる。
「長旅ご苦労。部屋を用意してある。今日はもう休め……俺なんぞと話していても、楽しくなかっただろう?」
「最後はほとんど寝ていたわ……疲れてしまって」
「知っている。見ていた」
名残惜しそうに離れた指先は、少しだけ温かかった。
その晩は、部屋のベッドに入った瞬間、あっという間に眠ってしまった。
本当はお父様に手紙を書いて、それからマントを包んで送る準備をしたかったけれど、そんな元気はなかった。
翌朝、目覚めてすぐに使用人がドアをノックした。
「殿下からの贈り物です」
使用人が恭しく並べたのは、羊皮紙が数枚と、贈答品を包むための美しい布。
小さなメモに走り書き。
──手紙を書くと言っていたから、用意した。無用の親切だったなら、無視してよい。
「帰ってきたのは昨日の夜だったのに……。いつ用意させたのかしら」
あの人だって疲れていたはずだろうに。
そうして、私は手紙を書いた。もちろんお父様に。
内容はこうだ。
ウィルバー様は案外いい人のような気もするけれど、やっぱり人を食べること。でも、本当に私に一目惚れしているらしいこと。
先立つ不幸をお許し下さい。それから、どうか幸せになってください。
最後に、あなたの娘で幸せでした、と締めくくった。
手紙と綺麗に包んだマントをお父様に送るよう依頼して、その日は終わった。これが最期のお別れの手紙だと思うと、想像以上に時間がかかってしまった。
手紙が届く頃には、私はもうこの世にいないだろう。
夜は、ウィルバー様と食事をした。ウィルバー様は肉を食べていた。私の目の前の皿にも、同じ料理が。
「このお肉は、とり肉で間違いないでしょうか?」
私の問い掛けに、ウィルバー様は首を傾げた。
「見れば分かるだろう。とり肉だ。……常日ごろから人など食わん」
「でも明日の結婚式で食べるのでしょう? ……最期の食事くらい、私の好きな物を尋ねてくださったって良かったのに」
ウィルバー様は少し悲しそうな、困ったような顔をした。
「分かっているわ。ウィルバー様、きっと調べたのでしょう。私の好物はとり肉のレモンソースだもの」
「……レモンを取り寄せるのに苦労した」
「この辺では成らないのね」
「今回の件でどこで手に入れられるか分かったからな。次からは……いや、なんでもない」
この人の愛と優しさに、私は泣きたくなってしまった。
翌日、結婚式。王族の結婚式というには簡素すぎた。いや、これは建前なのだろう。教会に少しの親族や関係者のみが集った。
結婚式の真似ごとが終われば、私は──。
神父がゆっくりと誓いの言葉の口上を読み上げる。
「新郎ウィルバー、あなたはここにいるローザを、いついかなる時でも妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
ウィルバー様が口を開こうとしたその瞬間、教会のステンドグラスが砕け散った。そして、聞き慣れた声が私を呼んだ。
「ローザ、無事か!」
「お、お父様!?」
泥にまみれ、ガラス片で頬を切り血を流す、ボロボロお父様。教会がにわかに騒がしくなる。
「あの後、いても立っても居られなかった! 馬を飛ばして来たんだ! ローザ、お前を死なせはしない!」
お父様は私を背に庇い、ウィルバー様の前に立ち塞がった。
「どうか娘を返していただこう! たったひとりの大切な娘だ。命にかえても惜しくない! どうか、どうか見逃して下さいませ」
ウィルバー様はざわつく見物人を制して、お父様に近づいた。
「土台無理な話だ」
「無理は承知の上です。どうしてもと言うならば、私はあなたを害さなければなりませんぞ!」
ああ、そんなの絶対できっこないのに。敵うわけがない。
運動嫌いで、剣術なんて子供の頃以来やってないと笑っていたお父様。馬に乗るとお尻が痛いと机仕事ばかりのお父様。
そんなお父様が、こんな長い長い距離を、馬で飛ばして来てくださったのだ。私の頬に温かいものが伝った。
「お父様、私はもう良いのです。これほど幸せな娘は、この世にはおりません」
お父様は首を横に振った。
「ローザ、私はお前に生きて幸せになってほしいんだよ」
しばしの沈黙。ウィルバー様は、私たちを見て、そして頷いた。
「今ようやく理解した。自分の罪を。俺が奪ったものはあまりにも大きかった。そして、同じことを繰り返そうとしていた」
「ウィルバー様?」
私とお父様の前に、ゆっくりとウィルバー様が歩み寄った。そして、静かに微笑んだ。
「私はもう罪を重ねたくない。お前たちは自由だ。迷惑をかけたな」
「でも、人間を食べないと獣になってしまうんでしょう!」
「ああ。それでいい。ありがとう。救われた」
その瞬間、教会の重い扉が大きな音をたてて開き、突風が吹き込んできた。その風の塊はウィルバー様目掛けて飛び込んでいった。ウィルバー様と風が衝突した瞬間、彼はふらつき、目を抑えた。
「なんだ……ッ! こ、これは……?」
その目は、黒くなっていた。人々はざわつき、そして呪いが解けたことを理解し始めた。
歓喜の声がところどころから飛び出す。
「呪いがとけたんだ! 王子の呪いが!」
「良かった! ああ、今日は素晴らしい日だ!」
ウィルバー様は呆然と立ち尽くしていた。しかし、ふと我に返ったのか、私たちに目をやった。その表情は、どこか空虚だった。深い悲しみがあった。
「……お前たちのおかげだ。礼を言おう。十分な金も渡す。もう国に戻るがいい。俺は……」
「あなたは、ちっとも嬉しそうじゃない」
私はウィルバー様の手を取った。温かな手だった。
「きっと、食べてしまった大切な人の事を考えたのね」
「ああ……。呪いは解けた。俺は贖罪をしなければ」
「残りの一生全部で?」
迷い無く頷いた彼の手を、私は強く強く握った。
「なら、私もお側に残ります! あなたが押し潰されてしまわないように」
「ローザ……! ああ、誓おう。俺はお前の夫として、絶対にお前を幸せにする」
「良かった。ようやく素直に愛していると言えますわ!」
そうして後日、私とウィルバー様は結婚した。お父様は近くに土地を貰い、不自由のない生活をしている。
届かずに戻ってきた手紙は大切にしまっておいた。そして、毛皮のファーがついたマントはウィルバー様にお返しした。マントは解体されてただの毛皮となり、森に返されたという。
ウィルバー様は毎朝毎晩、必ず奪った命に祈りを捧げた。私も彼に倣った。
朝の光がステンドグラスを通って、ウィルバー様の頬に落ちた。その穏やかな表情に、私は天を仰いだ。
「お前は泣きそうになると上を見る。……何か悲しいことでもあったのか?」
「いいえ、嬉しくて涙が溢れてしまいそうだから……。それに、あなたもおなじ癖があるでしょう」
「そうだな。涙を人に見せたくないのかもしれん」
「きっと強がりなのよ、私たち」
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