枯渇する土、溢れる異言
酒場の空気は腐っていた。色までは分からないが、鼻に入ってくる匂いで十分だった。
三日放った臓物みたいな、ぬるくて重い臭いだ。
日除けの麻布が風を通すたび、尿と安酒の匂いがかき回される。柱に蠅。杯の縁にこびりついた紫の跡。拭いた形跡がない。
声がうるさい。言葉の形は分かるが、意味までは追えない。トラキアだのクレタだの、どこの訛りか知らない音がぶつかっている。アテネの言葉も混ざっているはずだが、もう区別がつかない。
隣に座っている男が、こちらを見ていた。肩が広い。腕が妙に太い。
指の節が固く盛り上がっている。爪の間に黒いものが詰まっている。泥か、何か別のものか。
「アテネか」
男が言った。息が酒臭い。
「それで食えるのか」
クセノフォンは杯を持ち上げる。ぬるい。酸っぱい。
喉に流し込むと、胸のあたりが焼ける。
「食えないな」
男が笑う。歯が欠けている。
「だろうな。俺のは銀貨一枚だ」
自分の腕を叩く。乾いた音。
「こいつで石を飛ばす。外れなきゃ、それでいい。畑なんか要らん。燃やされるだけだ」
クセノフォンは何も言わない。男の腕を見て、それから自分の手を見る。細い。血管が浮いているだけだ。
「お前はいくらだ」
「知らん」
言ってから、少し間を置く。
「ゼロかもしれない」
男はまた笑った。今度は短い。
「じゃあここにいる理由は同じだな」
別の席で誰かが怒鳴る。すぐに椅子が倒れる音がして、静かになる。
振り向くと、床に一人転がっている。吐いたらしく、床が濡れている。近くの連中は足で押して端に寄せただけだ。誰も助けない。
蠅が増える。
杯の底を覗く。もう残っていない。指で縁をなぞると、ざらつく。洗っていないのだろう。
この場所では、何を持っているかしか見られない。腕か、脚か、それで何ができるか。
それ以外は聞かれない。
外で土地を持っていた連中も、ここでは同じ顔をしている。腹が減っている顔だ。
名前や家の話は出ない。金の話だけだ。
もう一口飲もうとして、杯が空だと気づく。舌に酸っぱい味だけ残る。
誰かが言う。「明日はどこだ」
別の誰かが「海の向こうだ」と答える。
詳しいことは誰も知らない。
クセノフォンは腕を押す。力は入る。まだ動く。
それで十分だろう、と思う。
それ以上のことを考えようとすると、さっきの臭いがまた上がってくる。
杯を卓に置く。音は小さい。周りの声にすぐ消える。
外に出れば風があるはずだ。
それでも匂いは落ちない気がした。




