聖域の腐肉
石段が熱を溜め込んでいた。足の裏がじりじりと焼ける。登りきると、まず臭いが鼻を突く。甘酸っぱい腐りかけの肉。鉄の錆びた血の後味。
頂上はもう神域じゃなかった。ただの崩れた広場。床に吐いたあとが乾ききらず、足が滑る。藻みたいな緑が浮いてる。血と泥が混じって、どこまでが人間の残骸かわからん。
「見ろよ」
顎で指す。言葉をケチる癖だ。
祭壇の陰。三匹の犬。毛が抜け落ちて皮膚がまだら。骨だけがやたら頑丈に見える。供物の羊の腿に食らいつきながら、転がった人間の脚も同じ調子で裂いてる。区別なし。脂がべっとり光る。音が湿ってる。
「よく食うな」
「腹が減ったら信仰なんか吹っ飛ぶ」
クセノフォンが鼻で笑う。声がここじゃ薄っぺらく聞こえる。
「あれ、神様のものだろ」
「今は誰のもんでもねえよ」
一匹が顔を上げる。目が濁ってるのに、こっちの動きだけはきっちり追う。唸りが低い。距離を測ってる。
柱の影で布が擦れる。安物の亜麻。男が座り込んでる。崩れてる。顔が赤黒く腫れ上がって、皮膚の下で何か遅れて蠢く。自分の下痢便の上に座ってる。
口が動く。祈りの形をなぞりかけて、途中で途切れる。
「クソ」
それだけで十分。ここじゃ。
「ゼウスの……」
神名が空気に溶ける。何も起きない。天井が高いだけ。
「銀の杯持ってきた……娘も妻も……取るならそっちを……」
価値の計算が狂ってる。交換のつもりだったらしい。今さら気づいてる。
爪が石を引っ掻く。血が混じる。息が乱れて、止まる。首が落ちる。終わり。
クセノフォンは見てた。何も感じない。上からの返事もない。ここは腐ったまま回ってるだけ。
アテネはもう咳き込む巨大な肉の塊だ。肺が腐って、痰を吐き散らしながら、まだ生き延びようとしてる。街全体が熱を持って、膿を溜め込んで、時々吐き出してる。俺たちみたいなゴミを。
銀の杯。
その単語だけが頭に残る。まだどこかにあるかも、と思って体が半歩動く。すぐ止める。犬が見てる。割に合わねえ。
「終わりだ」
「ああ」
相棒が鼻を鳴らして背を向ける。さっさと離れる。
祈りも神も、ここじゃ死んでる。残ってるのは臭いと熱と、腹の空き具合だけ。さっきの脂の匂いが胃を撫でる。自分の体が、あの犬と同じ動きをしそうになる。
クセノフォンはそれに少しイラついて、何も言わずに歩き出した。




