帰還
唐突な圧縮空気音と機械音が、鼓膜を突き刺した。
”エアロックの作動音?!”
反射的に船窓から身を翻す――が、勢いが止まらない。
「わわわっ」
無重力特有の無責任さで回転が始まり、ゆっくり視界の上下左右が混乱しだした。一旦こうなると踏ん張りも利かず、AMBAC(注1)でも容易に抜け出せないのは周知の事実。滑る視界に、床面や壁面に設置された青色のパイプが現れては遠ざかっていく。
”止まれ……!”
否応なく手を伸ばし、運動エネルギーの相殺を試みる。
だが無重力といえど、慣性質量は消えやしない。
何とか金属パイプを掴むや、手首から肩への衝撃。腕全体が悲鳴をあげつつ、緩慢に身体が静止した。
天地逆転した視界で、大きく深呼吸。
どうやら、僕が咄嗟に掴み取ったのは、短階段のフレームらしい。
普段なら感じない、疑似重力の有り難みを嫌でも噛みしめる。
そのうち慣れるだろうけど、この調子では先が思いやられる。
「……ハァハァ……」
そこに今度は、荒い呼吸音が近づいてきた。
首だけで階段下を覗きこめば、船外活動服の上半身を脱ぎ捨てた同僚の姿がすぐ傍にあった――。
ピチリと肌に張りつくインナーには薄く霜が張り、呼吸で上下する鎖骨と胸元の曲線が目に入る。
頬には疲労の色が濃く、唇は青紫。
無造作に括られた髪は霜で乱れ、呼気には白いモノが混じっている。
それでも彼女は、わずかに口角を上げ、掠れた声でこう言った。
「……何やってんの?……」
「……ちょっと取り込み中……」
僕は適当な台詞を返すのが精一杯。
”無事に帰還してくれた”という安堵と、湧いてくる羞恥心を表情に出さないよう苦心するが、状況はそれどころじゃない。
やはり、ポッド備え付けの簡易活動服では無理があった。明らかに低体温症を起こしかけている。
「ほら、こっち……とにかく座って!」
先程の失態を踏まえ、冷え切った彼女の腕に、そっと手を伸ばす。
活動服込みで100kg近い質量を、ゆっくり船室側へ引き上げて慣性を相殺。あらかじめ準備しておいたアルミブランケットで、両肩を包み込んだ。
そのまま震えが収まるのを待たず、甘味料タップリの紅茶を差し出す。
再加熱器から取り出されたばかりのストローパックは、しっかりと熱を保っている。
彼女はアルミブランケットを片手でかき寄せ、肩で息をしながら受け取った。
「……ありがと。……助かる」
声帯まで冷え切っているのか、息と音の境界が曖昧で痛々しい。
パックの先端を咥えると、かすかに眉が緩み始めた。
ようやく汗と霜で濡れた顔が持ち上がる。未だ凍りついた長い睫毛の下からヘーゼルの瞳が僕を見返した。
「ただいま……三等航法士君」
「無事に……おかえりなさい。アシュリー保安員(注2)」
注1:AMBAC
手足をバタつかせ、質量移動で姿勢制御する方法
注2:保安員
宇宙貨物船の乗員職の一つ。航路上の治安維持や突発的な武力事態への対処を主務とする。不審船の臨検、船内での秩序維持、火器の管理、必要に応じた船外作業も担う。職務上、EVAスペシャリストのライセンス持ちが殆ど。




