第9話 二人のことば
王都に向かう日。
レスティア村の朝は、驚くほど穏やかな空気に包まれていた。
夜の冷気がまだわずかに残る早朝、宿の窓から差し込む柔らかな陽光が木の床を淡く照らし、外からは鶏の鳴き声や畑へ向かう村人たちの足音が静かに響いてくる。
その窓辺に立ちながら、レイは腕を組み、ゆっくりと街道の方角を眺めていた。
王都へ向かう準備はほぼ整っている。
しかし、レイの脳裏には、数日前の出来事が浮かんでいた。
王都へ向かう途中、森で獣に襲われたことをレイは思い出していた。
あの時は助かったが、次も無事とは限らない。
帰り道では不思議と獣には遭遇しなかったが、それも単に運が良かっただけかもしれない。
レイは小さく息を吐いた。
「……護衛が必要だな」
ぽつりと呟くと、背後に控えていたアルフレッドが顔を上げた。
「確かに。必ずしも獣に遭遇するとは限らんが、用心するに越したことはない」
「ああ。実際、エリシアと王都へ向かう途中、獣に襲われたからな。俺たちは戦える集団じゃない。だったら、戦える奴を用意する」
冷静な判断だった。アルフレッドも納得したように頷く。
そこでレイは宿の主人、サーニャのもとに行った。
食堂の奥で朝の仕込みをしていたサーニャは、レイの声に気づくと手を拭きながら振り返る。
「どうしたの?」
「この村で護衛を雇える場所はあるか?」
「うーん……この村には冒険者ギルドがないんだよね~」
レイが肩をすくめたその時、サーニャがふと思い出したように顔を上げた。
「あ、でも…今日、ちょうど王都に戻るって言ってた冒険者が泊まってるよ」
レイの視線が変わる。
「王都へ?」
「うん。依頼を終えて帰る途中らしくて」
それなら話は早い。レイは冒険者を紹介してもらうことにした。
しばらくすると、食堂に三人の冒険者が現れた。
レイは余計な前置きをせず、簡潔に事情を説明する。
「王都までの護衛を頼みたい。報酬は一人銀貨1枚でどうだ」
三人は顔を見合わせたあと、大剣の男が口を開いた。
「俺たちは王都に戻るだけだ。そのついでに金が稼げるなら悪くない。」
こうしてレイたちは、王都までの護衛を確保した。
その後、準備を終えた一行は、レスティア村を出発した。
◇
レイたちが旅立つ前日のお昼頃。
アルヴェリア領の中心都市では、中央広場に多くの領民が集まっていた。
その中央に立っているのは、レグナード侯爵だった。
姿を見た瞬間、領民たちの間から怒声が上がる。
「税を上げやがって!」
「こっちは生活できねぇんだぞ!」
罵声が飛び交うが、レグナードは微動だにしない。
周囲の兵士が前に出た。
「静まれ!」
鋭い声が響き、ざわめきが徐々に収まっていく。
レグナードは穏やかな声でゆっくりと話し始めた。
「君たちの怒りはもっともだ。私も税を上げたくて上げているわけではない。原因は……アルヴェリア家だ」
ざわっと空気が揺れた。
「奴らが税を横領していたことは、君たちも知っているだろう」
誰かが舌打ちした。
「実は王都から命令が来ている。横領で消えた税は、その領地で必ず回収せよ、と。」
レグナードは言葉を続けた。
「さらにあろうことが、奴らはすぐに保釈金を支払い、今はレスティア村で悠々自適に暮らしているようなのだ」
「ふざけるな!!なんで俺たちが苦しんで、あいつらが呑気に暮らしてるんだ!」
怒号が爆発し、怒りが広場を満たす。中には泣き叫ぶ者もいた。
「税が上がって……子供にまともな飯も食わせられなくなったんだぞ……!」
「俺なんか、薬が買えなくて母ちゃんが死んだんだっ!」
「絶対に許さない!」
もともと領民たちの間では、税の引き上げに対する不満が限界まで膨れ上がっていた。
そこへレグナードの言葉が落ちたことで、怒りは一気に行き場を得たのだった。
「レスティア村だ!」
「アルヴェリア家を捕まえろ!」
怒りに染まった領民たちは、翌朝レスティア村へ向かう準備を始めた。
その様子を見ながら、レグナードは静かに笑っていた。
昨夜、彼の元に手紙が届いていた。
そこに書かれていたのはたった二行。
――――――――――――――――――
アルヴェリア家、レスティア村に滞在中。
2日後の朝、王都へ向かう。
――――――――――――――――――
領民を見てレグナードは口元を歪める。
「愚かな」
◇
レイたちはレスティア村を出て半刻ほど進んだ場所で馬を休ませるため少し早めに休憩していた。
その時だった。
後衛を歩いていた弓使いの冒険者が足を止めた。
「……待て」
振り返りながら目を細める。
「人だ。かなりの数がこっちに向かってきてる」
全員が後ろを見ると遠くの街道から砂煙が上がっていた。
やがて人影が見える。
十人、いや二十人…さらに増えていく。
それは怒りに染まった領民たちだった。
レイたちが出発してすぐ後に彼らはレスティア村に到着していたのだ。
「アルヴェリア家はどこだ!」
村人を捕まえて問い詰める。
怯えた村人が答えた。
「ア、アルヴェリア家…?さっき村を出て行った奴らのことか?それならさっき王都へ向かうって……!」
その言葉を聞いた瞬間。
「追え!」
先頭に立っていた男が叫んだ。
そして今、彼らはレイたちに追いついたのだった。
怒声が飛ぶ。
「どこに行く気だ!」
「税泥棒!」
石が投げられる。
冒険者が剣に手をかける。
「どうする?」
アルフレッドは言った。
「領民だ。手を出さないでくれ」
しかし、領民たちを静める術など思いつかない。
これ程までに怒りをあらわにしている状態では恐らく何を言っても声は届かない。
その時、レイはあることを思い出す。
それはエリシアの才能についてだった。
彼女の才能の一つに【人心掌握】というものがあった。
確証も根拠もない。
ただ、このままでは収拾がつかない。
そして、アルヴェリア家は暴徒化した領民に襲われるだろう。
それならば――
「エリシア。お前が話せ」
一同は驚いてレイの方へ振り向く。
「私が……?」
「そうだ」
少しの沈黙のあと、エリシアは頷いた。
これまであらゆる場面で私を救ってくれた人のことだ。
私は今回もまた、ただ信じて行動すればいい。
「……分かりました」
エリシアは前へ出て、一度大きく息を吸った。
「みなさん、聞いてくださいっ!!!」
鋭く張った声が怒号の中を切り裂いた。
ほんの一瞬だけ群衆の動きが止まる。
だが、すぐにまた怒声が飛んだ。
「黙れ!今さら何を言うつもりだ!」
「税泥棒の話なんか聞けるか!」
石が足元に転がる。
それでもエリシアは引かなかった。
群衆の怒り、悲しみ、疑い――その流れが、なぜか手に取るように分かったからだ。
何を先に伝えるべきか。どの言葉なら届くのか。
頭で考えるより先に、それが自然と浮かんでくる。
そしてそれは以前、アルヴェリア邸侵入計画を立てた時と同じ感覚だった。
「私たちは横領などしていません。何者かに濡れ衣を着せられたのです。そして今、真実を解明するために王都へ向かっています」
再び響いた声に前へ出かけていた何人かの足が止まる。
「嘘をつくな!レグナードが言っていた!お前らはすでに保釈金を支払い、自由に暮らしてるってな!」
「ふざけないで!あなたたちが横領した税をまた私たちが支払わなければならないのよ。引き上げられた税収のせいで今までみたいに生活ができなくなっているのよ!!」
怒りはまだ消えていない。
だが先ほどまでのような、一方的な怒号ではなくなっていた。
言葉を返す者が現れ、群衆はエリシアの話に耳を傾け始めている。
そして、領民たちの口から語られた内容があまりにも事実とかけ離れていたことに、エリシアたちは驚愕した。
エリシアは一歩前へ出た。
「確かに保釈金は支払いました。ですが、それで疑いが晴れたわけではありません。だからこそ、私たちは王都へ向かうのです」
群衆の奥で、誰かが息を呑む。
「横領されたという税は、すでに王都へ納められています。もし追加で徴収されているのだとしたら、それは私たちのせいではありません。どうか、そのことだけでも知ってください!」
ざわめきが広がる。
怒りが、そのまま困惑へと形を変えていく。
「……じゃあ、レグナードが嘘をついてるってのか?」
「分かりません」
エリシアは即答した。
「ですが、私が今話したことは真実です。もし嘘だと思うなら、王都で真実を明らかにした後、必ず皆さんに説明します」
沈黙が落ち、やがて群衆の先頭にいた男が低く唸るように言った。
「……まだ信用はできねぇ」
その言葉に、周囲も頷く。
だがもう、先ほどのように今すぐ襲いかかろうとする空気ではなかった。
「だが、レグナードの言うこともそのまま信じていいのか分からなくなった。真実が分かったら、必ず俺たちに話してくれ」
エリシアはまっすぐに頷いた。
「必ず」
男はしばらくエリシアを睨んでいたが、やがて背を向けた。
「……行くぞ」
その声を合図に領民たちは少しずつ引いていく。
怒りは消えていない。疑いも残ったままだ。
それでも、ひとまずこの場の衝突だけは避けられたのだった。
事態が収束した後、レイはステータス画面を開いた。
(…やはりな)
レイは静かに呟き、再び王都へ続く街道へ視線を向けた。




