第1章:その名はリゼル2
「はい、そこまでで結構です」
逆三角形のメガネをかけた、少しキツイ目つきの妙齢の女性教師は、満足そうに頷くとそう言った。
言われて、今まで立って本を読んでいた金髪碧眼の美少女は頷き、静かに席に座る。
それと同時に、まるで申し合わせたかのようなタイミングで、授業終了を知らせるチャイムが大きく鳴り響いた。
女性教師は教室を去る前に、美少女に深々と頭を下げた。
美少女は女性教師に対して軽く頭を振って答える。
そんな姿すらクラスメイトたちの目には優雅に映っていた。
彼女が座っている席は、教室の一番後ろであり、窓がすぐ横手にあるため、気持ちのいい太陽の光が彼女をさらに美しく映えさせた。
「さすがはカレン様! ただ教科書を朗読していらっしゃるだけなのに、隠し切れない気品が漂っております!」
美少女の横に座っていた美形の男は、両手を開くとまるで目の前の空気を抱くように自分の両腕を交差させて肩を抱きながら言った。
「ラットル・ハート様の仰る通りです! やはりカレン様はいつ見てもお美しくてらっしゃる」
「ええ、ええ! それに何よりカレン様は我らがクロノア王国の英雄『魔王』様のご息女! お持ちであるのは気品だけではなく、魔力も我ら騎士見習いとは比べ物にもなりません!」
美少女の横に座っていた美形の男の名はラットル・ハート。
古来より続くクロノア王国を支える有力貴族の子息である。
ラットルが両脇に従えている騎士見習いたちは、ラットルが何かを話すと、それを肯定するようにすかさず合いの手を入れる。
「カレン様。もしよろしければ、この後のお食事を私とご一緒にとってはいただけないでしょうか?」
「ごめんなさい」
凛とした、それでいて可憐な声音がラットルの申し出に断りを入れた。
「私、今日のお昼をご一緒する殿方をすでに決めてありますので」
そう言って席を立ち上がった美少女は長い金の髪を揺らめかせて、目の前に座る男子生徒の背中に視線をやった。
「さあ、行きましょう」
手を差し伸べられた男子生徒は困惑した表情で、美少女とラットルを交互に見た。
ラットルは男子生徒を「誘いを断れ、誘いを断れ」といった、ある種の怨念のようなものが宿った瞳で男子生徒を睨みつける。
その気持ちが男子生徒に伝わったのか、男子生徒は首を横に振り、美少女の顔を見て言った。
「申し訳ありません。せっかくのお誘いなのですが、僕のような平民がカレン様と昼食を共にすることはできません。学生の身とはいえ、カレン様と僕は王家の人間とただの平民です。あまりにも身分が違いすぎます。そんな僕が『魔王』様のご息女であらせられるカレン・マーカー王女様と一緒には居られません」
男子生徒の言葉に、『魔王』であり、クロノア王国現国王ロレンス・マーカーの娘、カレン・マーカーは捨てられた子犬のような瞳で男子生徒を見つめていた。
長く美しい金の髪に、光り輝く宝石のように澄んだ碧眼の瞳が涙で溢れそうになっている。
そんなカレンは何故か突然前かがみになった。
その結果、パーティーに着ていくような白く煌く豪華なドレスと、修道女が着用している白く質素な修道服を掛け合わせて作られたような制服を着ているカレンは、制服がはちきれんばかりに膨らんだ胸の膨らみを揺らせて男子生徒の眼前に自分の顔を近づけた。
男子生徒は一瞬大きく揺れる巨大な胸に目をやりそうになったが、すぐに目を閉じて大きく深呼吸をすると、何とか理性でそれを我慢した。
次に男子生徒が目を開けると、自分の顔の前にカレンのこの世のものとは思えぬ美しい顔があった。
男子生徒は目の前のカレンの顔を直視して、自然と胸の高まりを感じた。
「私は、ただあなたとお話がしたいだけなのです。あなたのことをもっとよく知りたいのです。私は身分の違いなどに拘ったりいたしません。あなたが平民だとしても気にも留めません。ですから、私とご一緒に・・・」
まるで懇願するように言うカレンに、男子生徒はますます困惑したような表情を浮かべた。
カレンと男子生徒の距離はほぼ零だった。
あと半歩でもどちらかが歩み寄れば互いの唇がぶつかりそうな距離である。
そんな二人を見ていたラットルは怒りに打ち震えていた。
「カ、カレン様! そんなどこの平民の出とも分からぬ下賤の輩などに構うのはお止め下さい! カレン様が穢れてしまいます!」
言うと、ラットルは男子生徒の下に近づき、カレンを強引に引き剥がすと、男子生徒に向き直り、何の躊躇もなく大きく手を振り上げてから平手で頬を打った。
乾いた音が教室中に響き渡る。
男子生徒は打たれた衝撃で椅子から転げ落ちた。
ラットルは自分の着ている、女生徒とは対照的な黒と灰色で染まり袖に小さな星がいく
つも描かれている制服の胸元をはだけさせると、片手で顔を覆い、もう一方の片手で男子生徒を指差した。
「君のような男は我らが学園であるクロノア騎士育成学園の邪魔者だ! 今日限り、二度とこの学園の敷居を跨ぐな! これはこの学園の理事長であるヨルデム・ハートの息子、ラットル・ハートの命令である!」
ラットルがそう宣言すると、教室中がざわめき出した。
ラットルの両脇に従っていた生徒たちからも「少しやり過ぎなのでは?」という言が飛び出してきた。
しかしラットルは不敵に笑うのみで、何も答えようとはしなかった。
(ふん、どうだ。クラス中の注目を集める中で醜く足掻き、その無様な姿をこの私に見せるがいい。そうすれば、カレン様も貴様に幻滅なさり、目も覚められることだろう)
ラットルは心の中でそう考えていた。
「分かりました」
だが、男子生徒の反応はラットルの期待していたものとは全く違った。
少しも取り乱すことなく立ち上がり、教室の床で汚れた制服の汚れを払うとクラスメイトの顔を一人一人見て、頭を下げた。
「お騒がせしてしまい申し訳ありませんでした」
そう告げると男子生徒は机の中の教材をあっという間に鞄に詰め終え、鞄を片手に教室を後にした。
男子生徒のあまりに素早い動作にクラス全員が呆気に取られている間に、男子生徒は教室を後にした。
ラットルは男子生徒の取った行動に肝を冷やした。
いくら学園理事の息子といえども、勝手に生徒一人を退学させることなど出来るはずもない。
ラットル自身も退学にさせるつもりなどなかった。
ただ、自分が好意を寄せている女生徒に興味を持たれた男子生徒に、少し嫌がらせをしたかっただけだった。
それなのに、あの男子生徒は・・・。
「ん?」
そこまで考えてラットルは思い出した。
「なあ、お前」
振り返り、すぐ後ろにいた男子に声をかける。
「あの男の名前を知っているか?」
男子はラットルの質問に首を横に振ったあと言った。
「知るわけないじゃないですか。彼はさっき転入したばかりなんですよ? 授業の途中でやって来たんですから自己紹介すらまだですよ」
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