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「とんでもない! 娘をそんな危険なことに巻き込むわけにはいかん!」
宗一郎は、志乃を背後に庇いながら、水上に対して拒絶の言葉を突きつけた。
父の必死の形相に、志乃の心はちくりと痛んだ。
しかし、ここで引き下がっては、父を永遠に恐怖の中に閉じ込めてしまうことになる。
「お父様、お待ちください」
志乃は静かに父の袖を引き、一歩前に出た。
そして、水上と宗一郎の二人を交互に見ながら、落ち着いた声で語り始めた。
「お父様の心配は、ごもっともです。見ず知らずの方に、私を預けるなんて……。ですが、このまま何もしないでいても、きっと良くないことが起こります。玄洋会という方たちは、もう私のことを知ってしまったのですから」
志乃は一度言葉を切ると、水上に向き直った。
「水上さん。一つ、ご提案があるのですが、よろしいでしょうか」
「……何でしょう?」
「先日、私たちが相談した、毎日新聞の岸馬さんという記者を、この件に巻き込むのです」
「志乃! 何を馬鹿なことを!」と宗一郎が叫ぶが、志乃は穏やかに続けた。
「お聞きください、お父様。水上さんにとっては、玄洋会に対抗するための情報や手段が、一つでも多く欲しいはずです。新聞記者である岸馬さんは、その助けになるかもしれません。岸馬さんにとっては、これは記者生命を賭けるほどの大きな話の種になります。そして、お父様にとっては……見知らぬ水上さんと私だけで話を進めるより、信頼できる岸馬さんが間に入ってくださった方が、ずっと安心できるのではありませんか?」
三人の間に、沈黙が落ちた。
志乃の提案は、あまりに突飛ではあったが、それぞれの立場から見た利点を的確に突いていた。
宗一郎は眉間に深い皺を寄せ、反論の言葉を探しているようだったが、何も思いつかないようだ。
志乃は、少し悪戯っぽく微笑んで、とどめの一言を放った。
「それに、三者が互いに牽制しあって協力する形……これを『三つ巴』と申しますでしょう? 神社の神紋にも使われる意匠ですわ。きっと、縁起が良いのですよ」
どこで聞きかじったのかも定かではない知識を、志乃はさも当然のように披露した。
そのあまりに場違いで、呑気でさえある言葉に、店の張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
最初に口を開いたのは、水上だった。彼は驚きと面白さが混じったような表情で、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「はは……ははは! これは一本取られましたな。まさか、神紋の縁起まで持ち出されるとは。……良いでしょう。その提案、乗りましょう。記者の方が一人加わることで、我々の動きが制約される可能性もあるが、それ以上に得るものがありそうだ」
水上の承諾を得て、残るは宗一郎だけとなった。
彼はまだ渋い顔をしていたが、岸馬が間に入るという一点が、頑なな心をわずかに溶かしたようだった。
「……岸馬君が、この話に乗るというのなら……私も、反対はせん。だが、大事な話は、必ず岸馬君のいる前でするのだぞ。いいな、志乃」
「はい、お父様」
こうして、古物商の父娘、謎の考古学者、そして場末の新聞記者という、奇妙な三つ巴の同盟が結ばれることになった。
玄洋会という強大な影に対抗するにはあまりに心許ないが、志乃の心には、恐怖よりもむしろ、これから始まるであろう不思議な冒険への、静かな期待が芽生えていた。