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古今堂怪異綺譚  作者: 一宮九葉
第3章

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 夜が更け、冷たい風が山頂を吹き抜ける。

 やしろの外で、小さな焚き火が頼りなげに揺らめき、四人の顔に濃い影を落としていた。

 水上、源兵衛げんべえ、そしていさおの三人は、眼下の暗い森を見つめながら、これから始まるであろう戦いのための、作戦を練っていた。

 源兵衛は猟師の罠を、巌は地形を活かした防衛策を、そして水上は、それらを統括とうかつし、いかにして敵の手に渡った『陽霊ようれいの玉』を奪還だっかんするか、その手順を考えていた。


 その男たちの張り詰めた議論を、志乃しのは静かに聞いていたが、彼女の心の中には別の考えが浮かんでいた。

 罠を仕掛け、敵を迎え撃つ。

 それは確かに有効な手段なのかもしれない。

 だが、ここは神域しんいき

 この場所のことわりに合った、別の戦い方があるはずだった。


「皆様」


 志乃の、静かでりんとした声に、三人の男たちは一斉に口を閉ざし、彼女に注目した。


「試させてください。私のこの『しずめの力』を最大限に増幅ぞうふくさせ、この社全体を清浄せいじょう結界けっかいとするのです。彼らが抱いている憎しみや、焦り、そして欲望…そのようなけがれた心を持つ者は、おそらくこの結界を越えることはできないでしょう。ですが…」


 彼女は水上を見つめた。


海龍光太郎かいりゅうこうたろうは、『陽霊の玉』を持っています。あれは私の力とは対極にある、荒々しい力の塊のはずです。彼はその力を使って、この結界を無理やりこじ開けてくるかもしれません。…いえ、きっと彼だけは入ってくる。そして彼が一人で、あるいはごく少数のともだけを連れてここへ来た時こそ、私たちにとっての唯一の好機こうきとなるのではないでしょうか」


 その提案は、志乃が最初に口にした「待ち伏せ」という作戦の、大胆な完成形であった。

 敵の戦力をぎ、大将だけを誘い込んで、地の利を得たこちらが叩く。

 それは、この『鎮めの乙女』にしか実行不可能な兵法ひょうほうであった。


「…なんと」水上は感嘆かんたんの声を漏らした。「結界を、ただの防御壁としてだけではなく、敵をふるいにかけ、敵将を誘い込むために使うという訳ですか…」


 源兵衛も、深く長い息をつくと、猟銃を静かに床に置いた。「…山のことは、山の主に任せるのが一番じゃ。鎮めの乙女様の采配さいはいに従いましょう」


 巌だけは志乃の身を案じ、まだ納得しきれない様子であったが、彼女の固い決意の前に何も言うことはできなかった。


 志乃は三人の仲間たちに深く頭を下げると、社の中心にある円形のくぼみの前に静かに正座した。

 彼女は目を閉じ、深く、深く息を吸い込んだ。

 自分の意識を、再び、この山そのものと同調させるために。


 彼女の祈りに呼応こおうするかのように、社の中央の窪みが淡い金色の光を放ち始めた。

 それは巫女みこの泉で見た、あの慈愛じあいに満ちた大地の光であった。

 光は志乃の身体を優しく包み込むと、彼女の『鎮めの力』と共鳴し、その輝きをゆっくりと増幅させていく。


 やがて金色の光は、社の床から壁へ、そして屋根へと広がり、このいにしえの社全体を、一つの巨大な光の器のように輝かせ始めた。

 その光は外の闇を払い、山頂一帯を、まるで真昼のように明るく照らし出した。

 それはどこまでも穏やかで、清浄で、あらゆる穢れを拒絶する、絶対的な神域が生まれていた。


 光がゆっくりと収束し、社の内側へと収まっていくと、志乃はふらりとよろめき、その場に崩れ落ちそうになった。

 それを、すぐそばで控えていた巌が優しく支える。


「志乃殿!」


「…大丈夫、です…」志乃は、浅い息をつきながら答えた。「少し、力を使いすぎたようで…。ですが、これで、穢れた心を持つ者は、容易たやすくこの社へは近づけないはずです」


 彼女の顔は蒼白そうはくで、その消耗しょうもうぶりは誰の目にも明らかであった。

 水上が慌てて彼女に駆け寄る。


「無理もない…。これほどの結界を、たった一人で作り上げたのですから。今は何よりも休むことが先決です」


 源兵衛も、外の闇を鋭く見据えながらうなずいた。


「うむ。鎮めの乙女様の言う通りなら、海龍の小僧だけが、神器じんぎの力を使ってこの結界を破ってくるやもしれん。じゃが、その下の雑魚ざこどもは、この光の壁を前に手も足も出せんはずじゃ。我々には時間がある。奴らを迎え撃つための準備の時間だ」


 水上の提案で、一行は交代で休息を取りながら、最後の戦いに備えることになった。

 夜も更け、皆、これまでの過酷な道のりで疲労困憊ひろうこんぱいしていた。

 結界によって一定の安全は確保されたとはいえ、敵がいつ現れるか分からない状況で、緊張の糸を完全に解くことはできない。


 まず、水上と巌が、志乃が用意した最後の握り飯と干し肉を、交代で口にした。

 その間、源兵衛は一人、社の外に出て、玄洋会が登ってくるであろう唯一の道筋に、何かを仕掛け始めた。

 それは人を殺めるためのものではない。

 この神域を穢さず、侵入者を拒むための猟師の知恵であった。


 彼はまず、周囲の植物を注意深く検分けんぶんし始めた。

 やがて、ふと古い岩にびっしりと生えた、とあるこけに目が留まった。

 月の光を浴びて、まるで銀の粉をまぶしたかのように微かに輝いている。

 このような苔は、彼も見たことがなかった。

 しかし長年の猟師のかんが、これこそが今必要なものだと強く告げていた。


 彼は、山の主に断りを入れるように小さく手を合わせると、その不思議な苔を少量、慎重に採取さいしゅした。

 そしてそれを、丈夫な蔦に丁寧に塗り込み、ぶつぶつと古い祝詞のりとのようなものを唱えながら、細い一本の、異様な気配を放つ縄を作り出した。

 彼はその縄を、敵が必ず通るであろう狭い岩場の道筋に、膝の高さに低く張り巡らせた。


「…よし」源兵衛は、おのれの仕事に満足げに頷いた。「言い伝え通りなら、このまじないの縄を断ち切った不届き者は、その心をまどわされるはずじゃ。仲間を敵と見誤り、互いに疑心暗鬼ぎしんあんきおちいるとな。…もっとも、この神域の苔で、言い伝え通りのまじないが発動するかどうかは分からん。じゃが、ただで済むはずがねぇ。神の庭を荒らすっちゅうことが、どういうことか…その身をもって思い知ることになるじゃろうよ」


 それはただの罠ではなく、古くから伝わる魔除けのまじないであった。


 やがて源兵衛が戻ると、今度は水上と巌が見張りに立ち、源兵衛が食事を取る。

 その間、志乃は巌が用意した獣の毛皮にくるまり、社の壁に身を寄せていた。

 彼女の疲労は極限に達していた。


(お父様…)


 朦朧もうろうとする意識の中、彼女は帝都に残してきた父の顔を思い浮かべた。

 そして懐から、帝都を発つ前に八坂翁から渡された、木の護符ごふを取り出していた。

 それは山の神々の怒りを鎮めるという、古いお守り。

 志乃は、その滑らかな木肌を、祈るように固く、固く握りしめた。


 不思議と心が落ち着いていく。

 護符の何気ない温もりが、力を使い果たした彼女の心に、新たな力を注ぎ込んでくれるようだった。

 やがて志乃の意識は、深く穏やかな眠りの底へと、静かに沈んでいった。


 山頂の夜は静かに更けていく。

 清浄な結界に守られた社の中で、三人の男たちは来るべき決戦の時に備え、そして乙女は、次なる奇跡のための束の間の休息を得ていた。


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